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漫歩通信
第12号 2000年4月1日発行

さいたま新都心 街びらき
埼玉県の浦和、与野、大宮各市が合併に向けて話し合いが行われ、新しい市の名前を公募したりしている。その中心に位置する「さいたま新都心」がこの5月に街びらきする。東北本線と東北新幹線・埼京線にはさまれたもとの大宮操車場跡地に造られた街だ。

スポーツイベント施設さいたまスーパーアリーナ、国の機関などがはいる合同庁舎、温泉も楽しめる浦和簡易保険新型健康増進施設や関東郵政局等庁舎など高層ビルなどが並んでいる。ひとあし早く4月1日には京浜東北線に「さいたま新都心」駅が開業、官庁施設は2月頃から東京都内から引っ越し作業が行われているようだ。街びらきに向けて、まだ周辺整備やビル工事も進められている。 今回は「さいたま」街を訪ねてみた。

大宮は交通の要衝、JRは東北、高崎・上越、埼京・川越線の分岐駅で、ここに東武野田線と新交通システムの埼玉新都市交通が接続している。

東武野田線に乗って2駅目の大宮公園駅、駅舎の雰囲気から野田線の前身総武鉄道が開通した昭和4年の建物ではないかと思われる。

ここは氷川神社や競輪場、県立博物館などがある大宮公園の北側に位置する。この駅の北側に「盆栽町」というすこし珍しい町名がある。

並木道があったりして、閑静な住宅街といったところなのだが、そんななかに盆栽を並べた業者が何軒かある。この町は、その方面では有名なところらしい。関東大震災で被災した植木屋が東京から移り住み「盆栽村」と呼ばれるようになり、現在の町名にまでなっているのだ。

並木道のなかほどに大宮市漫画会館がある。ここは日本近代漫画の先駆者とされる北沢楽天が晩年過ごしたところで、会館は昭和41年に建てられた。
楽天は福沢諭吉創設の時事新報社にはいり、風刺画を描き、"Cartoon"や"Comic"の単語を「漫画」と和訳、漫画雑誌『東京パック』を創刊(1905)したりした。会館の内部に晩年の画室が保存され、作品などの資料が展示されている。


次は浦和。浦和市立病院のそばに浦和市立郷土博物館がある。外観は明治11年に建てられた埼玉県師範学校校舎「鳳翔閣」を模した建物だ。

玄関庇の上にコンポジット式のオーダーをもつバルコニーがあるスタイル。もとになる建物は昭和34年に解体されたらしいが、館内にはその建物の扁額や柱の一部が保存展示されている。

ほかの展示物としては、江戸時代に設けられた日本最古の閘門式運河「見沼通船堀」の模型を使った堀の利用方法の説明、各種民俗資料、中山道浦和宿の紹介など。

(博物館への足:JR京浜東北線北浦和駅東口から東武バス「浦和市立病院行」、JR武蔵野線東浦和駅から国際興業バス「馬場折返し場行」終点徒歩7分)


JR武蔵野線東浦和駅から歩いて25分くらいのところに「浦和くらしの博物館民家園」がある。江戸時代に新田開発された見沼田んぼのなかほどに位置する。

市内各地から伝統的な建物を移築復元した施設だ。現在、園内には旧蓮見家住宅、旧武笠家表門、昨年(99年)には旧野口家住宅(前写真)が移築復元された。これらは江戸時代に建てられた茅葺きの建物だ。

ほかに大谷石土蔵造りの旧浦和市農協共同組合三室支所倉庫がある。

大正8年に栃木県小山市に建てられた倉庫を昭和31年、浦和市内に移築されたものらしい。現在、国の登録文化財。

この建物は展示室と収蔵庫をかねており、訪れたときはちょうど雛祭りのシーズンで、明治・大正・昭和各時代の雛人形が飾られていた。

(民家園への足:JR武蔵野線東浦和駅から徒歩のほか、JR京浜東北線浦和駅西口から東川口駅北口方面行バス、「念仏橋」バス停下車すぐ)

なお、JR武蔵野線東浦和駅から国指定の史跡「見沼通船堀」が近い。




建物を訪ねて(9)
◎旧岩槻警察署(岩槻市郷土資料館)
岩槻は大宮と春日部のなかほどにある都市で、江戸時代は忍(行田市)、川越と並ぶ重要な城下町だった。元荒川の流れをうまく取り込んだ要害の城だったようだが、城跡は公園となっているもののその名残はほとんど残っていない。

さて、訪ねた岩槻市郷土資料館は昭和5年に岩槻警察署として建てられた建物。厳めしい庁舎なのにアーチの窓や角部の丸みがなごやかな感じを出している。展示室になっている一階フロアの柱、梁などの装飾も当時のまま残る。

展示内容は、町屋で使われていた生活用品、農耕具といった民俗資料や市内から出土した考古資料。ほかに岩槻城や岩槻藩の儒者児玉南柯の資料を並べていた。

 また、大正時代末に岩槻を中心に南北に路線を営業、早くも戦前に廃止されたのだが、武州鉄道関係の資料も並べられていた。先頃、現在建設中の埼玉高速鉄道(赤羽岩淵−浦和大門間 営団地下鉄南北線と結ばれる)を、岩槻を経て蓮田に延長する計画が発表されたが、その路線の先がけとなるものだ。

この資料館から東のほうに行ったところに「遷喬館」がある。江戸時代児玉南柯が開いた私塾で、のちに岩槻藩の藩校になった。茅葺き屋根の建物で週末に内部を公開している。




キューポラのある町・川口
かつてJR川口駅西側にあった通産省工業技術院公害資源研究所(旧農商務省燃料研究所)は10年あまり前に取り壊され、そのあとに川口総合文化センターが建てられた。東側には「そごう」ができている。

駅東口ロータリーのところに長い柄杓のような道具をもつ職工の像がある。

川口は鋳物の町として有名なところだ。駅周辺にもそういった町工場がいくつか見られるが、現在では東京都心に近いこともあり、高層マンションなどと混在している。

金山町から本町一丁目界隈には土蔵、古い商店、看板建築、銭湯、洒落た洋館(永瀬邸)などが見られる。洋館は鋳造業者の事務所兼用の住宅だったものもあるようだ。

川口から鳩ヶ谷のほうに少し向かったところに立派な田中邸(大12)も残っている。




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