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Last Update:2003/10/01


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メールマガジン『漫歩通信』の内容について

各地を訪ね歩いた記録をまとめたものです。もっぱら鉄道を中心に、バスなどの公共交通機関と、あとは自分の足を頼りに各地をまわりました。

なかみは、各地に残る近代建築、古い町並みを見てまわることが目的のひとつ、それに加えて、新たに開業した鉄道路線に初乗りしたり、各地の路線バスなど、今までにまだ乗ったことのない公共交通機関に乗ること、いろいろなところに足をしるすこと、そんな思いで各地をまわった記録です。

今後、新たな旅行だけでなく、できる範囲で順次過去の記録も書き起こし(キーを打ち起こし、というべきか)て紹介していこうと思います。現状と食違いが生じて、内容に旅行ガイド的役割はないかもしれませんが、その当時の情況など多少なりとも記録として残すことができればと思います。


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北海道歴史村めぐり


今回の旅行記録は1999.8.10〜8.14に行った北海道旅行の記録です。


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[北に向かって]JR伊丹駅の改札を抜けてバス停に向かうと、うまい具合にすぐ大阪国際空港行急行バスがやってきた。運賃先払い方式の伊丹市営バスに乗ると、JR線を越えて、住宅街を抜け、武庫川を渡ると滑走路の下を抜けて約15分ほどで大阪国際空港のターミナルビル前に着いた。国際線は関西空港に移ったのに、まだ「国際空港」である。最近、ターミナルビルの使用されてなかった国際線用区画を全日空が使用するようになった。新たに展望デッキなどが設けられたらしい。

バスを降り、日本エアシステムのカウンターに向かう。予約はしてなかったが、伊丹空港発11:15発新千歳空港行の便は空席があり、それで北海道に向かうことにする。うまい具合に窓側の席をキープできた。運賃は30,850円で、95年夏より千円近く安くなっている。スカイマークエアラインにすればさらに一万円ほど安いが、そこまで安く旅行することにこだわるつもりはない。

出発までまだ1時間以上あったが、先般のハイジャック事件で、手荷物検査が込みあうことも予想され、早々に検査場を抜けることにした。少し列ができていたが、細かく調べられることもなく、あっさり通過できた。ゲート前の待合室でおとなしく待つ。

搭乗口には10時55分迄におこし下さい、とあるのに、そのときまだ乗るべきジェット機はなく、午前11時頃、よそから伊丹に着いたジェット機が札幌に向かうらしい。乗客を降ろし、機内の清掃。出発時刻近くになって座席の後よりから搭乗が始まる。機種はMD−90、百数十人乗りのジェット機である。機内は2列3列シートが並んでいるから新幹線のような雰囲気。搭乗を終え、ゆっくり動きだす。3列シートの真ん中の席の多くが空席であった。離陸するまで、滑走路を横目にとろとろ走り、スタート地点へ。ジェットのうなりが高まり、滑走路を必死で走るうちにふわりを浮き上がる。

ジェット機は大きく旋回しながら高度をかせぐ。空港周辺の家並みを見下ろしているうちに雲のなかにはいり、下界を見下ろすことはできなくなった。飛行経路の案内によると、大阪から生駒を越えて東に向かう。鈴鹿山脈から岐阜、松本へと中部山岳を縦断する。 水平飛行に移ってしばらくすると機内サービス。ただし、飲み物だけといたって簡素。伊丹で昼食に何か仕入れておくべきだった。

信州あたりまで来ると晴れ間が広がり下界がよく見えるようになってきた。松本の町並みが見えると思うまもなく善光寺平をかすめて直江津で海上に出た。すっきり晴れ渡り地図で見知った地形そのままに見える。

米山を過ぎ、弥彦の山並みを眼下に、しばらくすると新潟上空、佐渡に向かう連絡船か、航跡が見える。そして、粟島上空を過ぎる。笹川流れの景勝地もひとっ飛び。庄内平野の向こうにそびえる鳥海山、象潟の点々と木々の生えたところが、まさしく島のようだ。

本荘あたりから秋田をかすめて陸上を飛ぶと、田沢湖、そして十和田湖が見える。八甲田山を越え、陸奥湾を突っ切り、恐山の真上を飛ぶと太平洋に出る。霧のような雲が広がっている。そうこうしているうちに着陸態勢にはいり、苫小牧上空を過ぎると無事、新千歳空港に着陸した。予定より10分くらい早く着いたらしい。無事着陸すればどうでもよい。

最近の機種は機内の気圧の変化を外界と調和させるようになっているのか、以前経験した鼓膜の激痛をあまり感じなくなっている。

[北海道開拓の村]新千歳空港ターミナルにはJRが直結している。札幌までの運賃は1040円。バスなら 820円でバスのほうが安い。最初に野幌森林公園のいっかくにある「北海道開拓の村」に行くことを考えていたので、そのまま電車乗り場に向かった。うまい具合に1317発札幌行快速エアポートに乗り継ぐことができた。昼食はお預け。

石狩平野を快走。海上の雲模様とうって変わって暑そうな夏空が広がっている。白石で函館本線に合流、36分で札幌に到着。次の江別行まで数分の待ち時間があったので、素早くホームの立喰いそばをお腹にいれる。白石−札幌間は復乗したことになるが、快速が白石に停車しないため、この区間は札幌で改札を抜けなければ運賃は不要なのだ。

森林公園駅で下車。駅の案内放送によると、日差しのためレールが伸び、電車が徐行運転を行なっているため、数分の遅れが出ているらしい。夜のニュースによると、電車に水タンクを積み、昼間の一部電車の代わりにこれを走らせ、散水してレールの伸びを抑える対策を取ったりしているようだ。今年の北海道はすこぶる暑い。

ここの東側1㎞くらいのところから野幌森林公園が広がっている。園内の西端に百年記念塔が建っていて、電車からでもよく見える。今は改修工事が行われているらしい。その近くに開拓記念館や開拓の村がある。開拓の村までほんの2㎞ほど歩いただけで汗だくになってしまった。
この施設は83年4月に開村した野外博物館で、愛知県犬山市「明治村」の北海道版ともいうべきものだ。園内には、明治、大正時代に建てられた建物が北海道各地から40棟ほど移築されている。入口にあたる建物は旧札幌駅を復元した建物。その近くのビジターセンターは旧開拓使札幌本庁舎の復元建築。ただし、ともに姿だけ。園内は市街地、漁村、農村などに分けられ、市街地群には住宅、商店、医院、学校、官庁などが並べられている。室内に入ることもでき、当時の生活を感じさせる調度品や各種紹介パネルが展示されている。漁村群には鰊漁業を営んだ大きな住宅、農村には農家や酪農畜舎などが建っている。それに、旧教会、寺院、神社まである。また、旧札幌農学校寄宿舎として恵迪寮も移築されている。

市街地には馬車鉄道(冬場は場ソリらしい)が走っている。ちょうど訪れたとき、馬車がカーブを曲がりきれず、脱線していた。怪我人は出なかった模様。車両から切り離された馬はおとなしく厩舎に連れ帰られた。

閉館の午後4時半まで約2時間、駆け足で広い園内を巡った。

[札幌市交通局]開拓の村前のバス停からJRバスで札幌に向かう。バスは森林公園駅前に立ち寄ったあと、国道を西に向かい新札幌駅に向かう。ここで地下鉄に乗り換えてもよかったのだが、そのまま札幌駅まで乗り通す。新札幌で地下鉄に乗り換えると、乗り継ぎ割引が受けられる。札幌市内区間から乗車し、バスターミナルになっている地下鉄駅で乗り継ぐ乗客に対してJRバスだけでなくすべてのバス会社が対象になっているようだ。

市街地になると広い道路といっても交通量や信号が増え、開拓の村から約1時間で札幌駅前に着いた。札幌駅で明日から使用する「青春18きっぷ」を購入しておく。
そのあと、地下鉄の新規開業区間に乗るべく地下鉄南北線のさっぽろ駅に向かう。JR札幌駅の高架は十年ほど前に完成、地上駅時代に比べ少し北側に移動している。地上にあった頃の線路跡の通路を通って駅南側に出る構造は十年前に訪れたときと変わっていない。地下鉄南北線さっぽろ駅は地上駅時代はすぐだったはずだが、地下街のリニューアル工事とかで地下通路が入り組んでいてかなり遠回りしてしまった。

地下鉄さっぽろ駅からひと駅大通駅で東西線に乗り換え宮の沢に向かう。琴似−宮の沢間は今年(99年)2月25日に開業した。東西線電車の内装は時計台や旧道庁舎などのイラストが賑やか。大通から15分で終点宮の沢に到着。地下鉄だから新規開業線区といっても車窓の変化は乏しくあっけない。
宮の沢駅から歩いて2㎞ほどのところにJR発寒駅があるので、そこまで歩くことにした。あたりは札幌郊外の住宅地といったところ。そんな中で一軒洋館を見つけた。三谷牧場の洋館と煉瓦造りのサイロだ。洋館は大正後期、サイロは昭和初期に建てられたものらしい。札幌市の「ふるさと文化財」に選定されているとの小さな案内板が立っていた。少し暗くなりかけた時刻で、もうすこし早く訪れたかった。

札幌近郊は10〜15分おきに電車が走っている。暗くなったなか発寒駅から札幌駅に戻る。今夜は大通公園近くのBHに泊まる。

[札幌]夕張鉄道の大通バス停8:00発夕張石炭歴史村行のバスに乗ることにして、1時間あまり大通界隈を探索する。以前札幌を訪れたとき立ち寄らなかった『近代建築ガイド』に載っている北星学園に向かう。北星学園は女子高校・短大だが、園内に保存されている教師館(大正15年)は資料館として公開されており容易に建物のそばに行くことができた。原色にペイントされた木造三階建ての建物。

そのほかに『建築雑誌』に掲載された「近代建築総覧追補−北海道」をもとに歩いたが、細かく探さなかったこともあり物件を確認できなかった。

[夕張石炭歴史村]大通バス停8:00発の夕張鉄道のバスで夕張に向かう。夕張鉄道はかつて函館本線野幌駅から室蘭本線栗山を経由して夕張まで伸びていた私鉄だが、鉄道のほうは昭和50(1975)年に廃止されている。鉄道のないバス会社になってもそのままの社名でバスを走らせている。

バスは昨日走った通りを逆に進み、地下鉄大谷地駅バスターミナルに立ち寄って郊外に進む。郊外は田園やとうもろこし畑などが広がっている。少し大きな町は長沼町である。丘陵地を越え、室蘭本線由仁駅前に立ち寄り、山越えして夕張に向かう。バスは夕張の市街地を抜け、さらに奥まったところにある夕張石炭歴史村まで行く。

夕張石炭歴史村は夕張炭鉱のあったあとに設けられた施設で、石炭博物館だけでなく、さまざまな遊戯施設や公園をもつ大きなレジャー施設になっている。入口に入場券発券所があって、園内の全施設の「フリーパス」が2500円で発売されている。興味があるのは石炭博物館だけなので、高額のフリーパスを買ってまで立ち寄る気になれない。有料なのは施設にはいるときで、園内へは自由に入れる。園内にはかつて炭鉱事務所に使われていた建物が資料館として残されている。

石炭博物館入口にも「フリーパス」の案内しかなかったが、受付に行くと 800円で博物館だけ入館できることがわかった。こういう案内も入口にしてほしいものだ。

展示内容は石炭として化石化する前の植物の紹介や同時代の化石などの展示、石炭の科学的な用途、夕張炭鉱の紹介、採炭道具などが展示されていた。さらに2階から地下に降りるエレベーターは、先般、いわき市石炭化石資料館であじわったような、炭鉱の地中深く降下しているような雰囲気を出す細工がなされ、地下の坑道のような展示場では、原寸大で明治から現代までの採炭の様子が人形や採炭機械などを動かして再現されていた。さらに、その先は、実際にヘルメットにヘッドライトを点けてかつての坑道にはいるようになっている。坑道といっても、博物館のために採炭現場を再現したものだと思うが、当時の坑道の一部を利用し、そこに採炭機械が生々しく展示されている様は臨場感がある。もちろん、安全に配慮してあって、ヘッドライトを点けなくても真っ暗ではない。最後は、坑道の長い階段を登って地上に出るというもの。導入部分の展示はたいしたものでなかったが、採炭現場の再現や坑道を活用したところなどなかなか見応えのある施設だった。

そのあと、夕張駅まで約2㎞ほどの道程を歩く。途中にはちょっとした商店街があったが寂しげな町並み。博物館に展示されていた炭鉱で賑わった頃の写真に見られる人出などまったく想像できない。道路沿いには夕張メロンを扱う商店がいくつか並んでいる。いいものははやり高い。
かつて訪れたときの夕張駅より2.1㎞鹿ノ谷駅よりに移動しており、駅舎も無人駅ながら新たに建て替えられている。以前訪れたときは、来た列車ですぐ折り返すということをやっていたので、駅舎はおろか駅前すらどんな様子だったのか、まったく記憶にない。今は駅に隣接して冬期営業のホテルがある。

列車までまだ少し時間があったので、鹿ノ谷駅近くにある夕張鹿鳴館を見に行ってみることにした。北炭の迎賓館として用いられた施設らしい。鹿鳴館というから洋館かと思ったら外観は和風の建物だった。現在は資料館として公開されている。時間がないので内部まで見学できず残念。かつては天皇の宿泊所としても利用されたことがあるとか。鹿ノ谷駅前には私設の博物館北方文化館があって、通りに向かってひっきりなしに展示内容の紹介を流していた。

 鹿ノ谷駅から千歳行ディーゼルカーに乗車。清水沢からはかつて三菱炭鉱の列車が走っていたが、そのホームをはじめ広いヤードからレールが撤去されている。この近くに映画「幸せの黄色いハンカチ」の舞台があって、ロケ当時の建物が幸せ広場として保存されているらしい。また温泉もあるようだ。
この列車は新夕張で30分ほど停車。列車はワンマンで、鹿ノ谷駅も無人だったので、まだ「青春18きっぷ」に日付を入れてもらってない。停車時間を使ってこの駅で日付を入れてもらう。新夕張で札幌行の特急「十勝」に接続していたが、「18きっぷ」では乗れない。
この列車は追分で苫小牧行にすぐの接続。さらに苫小牧でも室蘭行の電車に接続していて、都合がよかった。

[登別温泉]登別で下車。今まで何度か北海道を訪れているが、登別温泉は立ち寄ったことのない観光地のひとつ。駅前からバスが接続していている。

駅前から整備された道路をしばらく行くと次第に山間にはいる。15分あまりで山間の温泉場に到着。近代的なホテル旅館が並び、観光客が行き交っている。バスターミナルのそばに温泉銭湯「さぎり湯」がある。さらに温泉街を登っていくと地獄谷がある。噴気が上がる荒涼とした谷だ。そこを見物してから温泉につかる。登別温泉にはいろいろな泉質の温泉が湧きだしているらしい。

バスターミナルに戻るとうまい具合に室蘭方面行のバスがあった。駅に向かうバスはほとんど停車することなく走ったので、登別発東室蘭行の電車のぎりぎり間に合った。
 東室蘭で電車を乗り継いで室蘭に到着。もとの駅の位置より東室蘭方向に移動し新しい駅舎が建てられている。駅前の長崎屋に近くなった。もとの明治時代に建てられた駅舎は保存されている。

予定ではここからフェリーで青森に渡るつもりでいたのだが、旅行会社に立ち寄る時間がなく、フェリーのチケットを入手できていない。室蘭のフェリーターミナルに問い合せると「キャンセル待ち」との答えしか返ってこないので、フェリーをあきらめ札幌から函館行の夜行「ミッドナイト」に乗ることにした。長崎屋で夕食を取って駅に戻る。

[ミッドナイト]室蘭から東室蘭行に乗車、苫小牧行の電車を待つ間、みどりの窓口を訪ねて「ミッドナイト」の指定券がないか、確認したがやはりなかった。指定席が入手できればあわてなくてすむのだが、なければ仕方がない。

苫小牧で電車を乗り継ぎ札幌へ。「ミッドナイト」の発車まで2時間弱、自由席を待つ人の列は20人弱、これなら座れそうだ。
札幌23:30に発車。この列車は東室蘭で45分、長万部で1時間停車する。長万部あたりから夜が明け、噴火湾に沿う寂しげな海岸線を走る。森から砂原回りの路線を経由して定刻6:30函館に到着。日付が変わっているので、下車するときに「18きっぷ」に日付を入れてもらう。函館の街を歩くのは88年青函トンネルの初乗りで来たとき以来である。

[函館]前回立ち寄らなかった近代建築を見てまわる。函館駅前から南東の方に向かってしばらく行くと、大森公園があり、そこに大火遭難記念慰霊堂(昭和13年)がある。函館はたびたび大火が起こっているが、大森公園は昭和9年3月の函館大火後に避難所として設けられた公園のひとつ。高盛小学校、的場中学校などは昭和10〜11年に建てられた復興学校建築である。

杉並町に遺愛女子中学・高校がある。門が開いていたので、勝手に校内にはいる。高校本館や少し奥まったところに教師館(ともに明治41年)が残る。立派な木造校舎である。
今年の北海道は暑い。一時間あまり歩きまわると汗だく。学校のそばに杉並町電停があったので、そこから電車で湯の川温泉へ向かう。85年に函館市電を乗り歩いたとき、湯の川まで行っているのだが、あとの乗り継ぎの関係で温泉につかることを残念している。早朝からやっていることは確認済だから、夜行列車の疲れもふっとばそう。

杉並町電停から湯の川温泉電停まで10分あまり。湯の川温泉と湯の川電停のなかほど、電車通りに面して「長生湯」がある。料金は 390円。さっぱりした湯である。
そのあと湯の川電停から函館駅前に戻る。函館12:17発青森行快速「海峡」に乗ることにして、それまで約2時間、市街地を歩いてみる。

函館港に並んでいた煉瓦造りの金森倉庫(明治40〜43年)は観光地として再開発され、物品販売所、レストランや資料館になっており、多くの観光客で賑わっていた。函館も小樽同様、近代建築を観光資源として活かしている。市電通りの建物もジャックス(旧第一銀行函館支店)のように資料館に転用されているものもある。

[青森へ]青函トンネルを抜けるのは89年以来10年ぶりだ。青函トンネル開業当初に比べ客足が落ち、少しでも注目を得ようと「ドラえもん」をキャラクターに客車や車内に描かれている。一部の車両はカーペット敷きにして、寝っころがることができる。自由席は2両(うち1両は喫煙車)で混むとやばい、と思ったものの余裕でカーペット車の一人分の区画を占めることができた。トンネルにはいってしまえば、景色を楽しむどころではないので、足を伸ばして寝られるのはいい。

遠ざかる函館山や市街を函館湾越しに見ながら一路青森をめざす。木古内を過ぎ、13時15分頃に青函トンネルに入った。途中海底駅吉岡と竜飛に停車、14時頃には本州に抜けた。夜行の寝不足から半分ほど寝ていた。青森14:47到着。

[青森]今夜は青森に泊まることにして、まず、今まで建物だけしか見ていない青森市森林博物館を訪れることにした。青森駅西口から歩いて10分ほどのところにある旧青森営林局庁舎で、木造二階建てルネッサンス様式でまとめられた立派な建物、明治41年に建てられた。木々のいろいいろ、林業、森林鉄道、木工品などが紹介展示されている。旧営林局長室が復元され、かつて映画「八甲田山」のロケにも使用されたという。屋外には森林鉄道の機関車や客車が保存されている。

そのあと青森駅に戻り、電車で浅虫温泉に出かけた。「18きっぷ」だから余計な出費がない。青森から20分ほどで到着。
大きな温泉街ではないが、近代的ホテル旅館が多いが木造三階建ての旅館も残っていたりする。駅から歩いて5分くらいのところに「はだか湯」という温泉銭湯がある( 300円)。本日2湯目、さっぱりした湯である。
温泉につかり青森に戻る。

[奥羽・羽越本線]当初、青森から東北本線を東京に向かうつもりでいた。ところが、天気予報によると関東から東北太平洋側はすこぶる天気が悪そうなので、日本海沿いにコース変更。東北本線筋は比較的電車の乗り継ぎがしやすのだが、日本海側は列車の接続がよくない。待ち合わせの時間に街歩きでもしよう。

青森7:21発大館行で出発。弘前までは快速「いわき2号」として走る。かつて急行に「いわき」というのがあった。磐越東線などを走っていた急行で「磐城国」にちなむ。こちらの愛称は「岩木山」にちなむものだ。弘前からは各駅停車となって、津軽平野から県境を越えて秋田県にはいり大館8:42到着。この列車には花輪線盛岡行快速「八幡平」が接続していた。東北本線経由より35分ほど早く着けるが、あとの接続は同じになる。

大館で約1時間半の待ち合わせ。しばらく街を散策するつもりで駅前通りを行くと、お盆の時期、地元スーパーでは早朝6時開店というサービスをやっていた。近くのジャスコも食料品フロアだけ追随し、けっこう賑わっていた。市街地を散策するつもりが、けっきょくスーパーで涼むことになった。

大館10:15発秋田行快速「しらゆき4号」に乗り継ぐ。「しらゆき」はかつて金沢−青森間を結んでいたディーゼル急行の愛称だ。東北地区の電化区間は客車列車が淘汰されみな電車に置き換えられた。ロングシートの電車なので味気ない。しかし、特急なみの停車駅で電車は1時間半ほどで秋田へ。秋田新幹線で東京に向かうらしい荷物を持った人も見られる。秋田到着11:47。

秋田から羽越本線の接続は、今日の乗り継ぎで最短の待ち合わせの10分。短い編成だから座席を確保することがいちばん。昼食時分だが、スーパーで調達した食糧で食いつなぐ。この電車は羽後本荘で38分停車、電車は列車番号を変えて酒田まで行く。せっかくだから駅前を少し歩く。洋風の医院があった。
羽後本荘13:18発、同じ電車で酒田に向かう。鳥海山は曇って山容は望めなかったが、日本海に沿うコースは、3日前にジェット機から見下ろしたところだ。この界隈を通過するのは5年ぶり。象潟あたり、芭蕉ゆかりの地をゆっくり訪ねてみたいと通るたびに思う。秋田県から山形県にはいり酒田14:25到着。

酒田では次の列車まで1時間15分の待ち合わせ。6分前に新津行が発車しているのだが、もうすこし上手なダイヤ設定ができないものかと思う。駅前の観光案内図に酒田市立資料館が出ていたので訪れる。酒田を歩くのは89年秋以来、そのときは駅前からバスで土門拳記念館に向かったので、あまり感じなかったのだが、町並みの途中で、雰囲気ががらりと変わるところがある。資料館の展示でわかったのだが、昭和51年の酒田大火で町並みが消失した結果らしいことがわかった。資料館は企画展示を行なっており、今回のテーマは「酒田の工芸展」で、木工、金細工などが並べられていた。廻船関係の資料などいろいろあるが、展示スペースが狭いので雑多な感じがしてしまうのが惜しい。武家屋敷の遺構本間家旧本宅、国指定史跡となっている廻船問屋旧鐙屋といった古い建物が資料館の近くにあって公開されている。

酒田15:40発村上行に乗車。村上−間島間で電化方式が交流から直流に変わるので、この区間を走る普通列車はディーゼルカーばかりである。しかも、最近では冷房装置を積む改造が行なわれているディーゼルカーも多いなか、今回乗り込んだキハ40などを繋いだ編成は非冷房車ばかり。新型のディーゼルカーは冷房付だから、まだひと時代前の車両がばんばっているこのあたりはJR東日本のなかでいちばん遅れている地区といえるかもしれない。交直切り替わり区間があるから、常磐線で走っている電車のお古でも持ってこないと電車化できないところだ。普通列車に冷房のない汽車旅、20年くらい前はこれがふつうであった。庄内平野、窓を全開にして走る。

鶴岡を過ぎ、海岸沿いを走るようになるとトンネルがふえる。あつみ温泉には94年夏途中下車して訪れた。新潟県にはいり、日本海の沖合に粟島が望める。北海道に向かうジェット機のなかから見下ろした島だ。笹川流れの景勝地もトンネルの間から。村上18:15到着。ここでも接続の電車に30分の待ち合わせ。

日が暮れたなか新潟へ。新発田から白新線に入り、ようよう20:01新潟に到着した。青森7:21に立って12時間40分、接続が悪く、待ち合わせ時間が4時間近くあったが、今日一日で 458.8㎞乗ったわけだ。駅前の食堂で夕食を取り、今日は新潟のBHに泊まる。

[信越・北陸本線]翌朝新潟6:48発長岡行で出発。天気は曇りがち、ところどころで雨が降ったりしていた。新潟平野を快走して長岡8:03到着。6分の待ち合わせで直江津行に接続。柏崎を過ぎると海岸沿い、天気が悪いにもかかわらず海水浴客が繰り出している。柿崎で特急「雷鳥」に追い抜かれたりしながら、直江津9:51到着。ここで北陸本線への接続が悪く約1時間の待ち合わせ。

昭和15年に建てられた直江津駅舎は取り壊され、新しい駅舎の工事中。駅前案内図に郷土資料館が載っていたので小雨の降るなか見にいってみる。ところが、幼稚園の前に立派な石碑が建っていたものの、それらしい施設は見当らなかった。駅前の観光案内所で入手したパンフにも取り上げられてないところをみると、石碑まで建つくらい古く由緒ある施設ながら、維持管理ができなり、大っぴらに観覧できる状態でないのかもしれない。

直江津10:48発富山行に乗車。北陸本線にも糸魚川−梶屋敷間で直流から交流に電化方式が変わる。20年ほど前の普通列車は交直両用の電気機関車に牽引された客車列車だったが、国鉄末期に交直両用の特急寝台電車を改造して、普通電車化、それが今も北陸本線を走っている。

雨が降ったりやんだりの天気。親不知を越え富山県にはいる。大きな荷物を持った人など乗り通す人も多い。富山12:42到着。ここで下車して昼食を取ってもよかったのだが、5分の待ち合わせで小松行に接続していたので高岡まで行く。駅の南側にダイエーがあって、安く昼食を取ろうと考えたのである。
久しぶりに高岡で下車する。南側にも改札口が設けられたようで、そちらに出てみるとダイエーは閉鎖されていた。確か北陸地区で初めて設けられたダイエー店舗だったと記憶するが、もう20年以上前のことだ。近くにサティができたりしたことや老朽化と不採算で閉鎖に追い込まれたのだろうか。仕方がないので、サティで昼食。映画館なども備えた複合施設である。

高岡13:53発福井行に乗車。倶利伽羅トンネルを抜けて石川県にはいる。金沢から小松までは快速。大聖寺あたりから突然激しい雨が降りだし、県境を越え福井県にはいる。福井に近付くにつれ雨の降りかたもましになってきた。

この先、さらに普通列車を乗り継いでもよいのだが、大阪帰着が遅くなるので、福井から長浜まで特急「しらさぎ」に乗車。待ち合わせ時間は5分しかなかったが、いったん改札を抜けて乗車券と自由席特急券を購入して乗車した。立たなければならないかと思った自由席は座ることができて幸い。敦賀を出たあたりで車掌が個別に検札にきた。自由席でも乗客の動向をつかんで検札するのは、発車すぐに検札をしてそれっきり、というのが多いだけに、当たり前ながらも感心である。「18きっぷ」だけだとどこから乗ったか、変に思われかねないが、乗車券と特急券を用意してあるから堂々として検札に応じられる。

約1時間乗って長浜で下車。ここで新快速に乗り換えると大阪まで約1時間半、今日一日で 601.4㎞乗車したことになる。





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