このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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印旛日本医大駅を訪ねて
柏で下車して東武野田線に乗り換える。船橋方面に向かう路線は一年ほど前、千葉都市モノレールの新線に乗りに行くのに使って以来だ。東武鉄道の新鎌ヶ谷駅がほとんど完成していたのを電車から見たのだが、この駅は99年11月25日に開業した。今回はここで下車する。
この付近は新京成電鉄も走っていて、かつては北初富で北総開発鉄道の電車が新京成線に乗り入れ松戸まで行っていた。北総開発鉄道の電車が走っているといっても、小室から先は都市基盤整備公団(もとの都市住宅整備公団)の路線である。
初めて、この路線を訪れたのは、88年3月のことである。成田線の木下駅で下車すると習志野行のバスが出ていたので、千葉ニュータウン方面に行くだろうと乗り込んだのだ。バスは千葉ニュータウン駅には寄らなかったので、途中で降り、高層住宅などの建物もいくつか建っていたが、まだ造成中といった感じのところを駅まで歩いたのだった。小室−千葉ニュータウン間は84年3月に開業したのが、延長されることがわかっていたので、初乗りはあとまわしになっていて、開業4年たって訪れたわけだ。
その後、北総開発鉄道は91年3月に京成高砂−新鎌ヶ谷間が開通、都営地下鉄とも結ばれたのだが、このときは東京にいたこともあって開業初日に乗ることができた。千葉ニュータウンから印西牧の原へ伸びたのは95年4月であるが、初乗りは翌年96年3月に持ち越している。このときは、松戸から新京成線を経て新鎌ヶ谷で乗り換え印西牧の原に向かった。牧の原駅とJR駅との間にバスの便でもあればと期待したのだが、なくて、けっきょく成田線の小林駅まで歩いている。そして、今回の印旛日本医大まで延長は今年(2000年)7月22日のことで、比較的早く乗りに来れたほうだろう。
東武新鎌ヶ谷駅で下車すると北総線の高架下に通路が設けられ、すぐ新京成・北総開発の新鎌ヶ谷駅にたどり着いた。ここから印旛日本医大駅までの運賃は 680円とかなり高い。自動改札が並んでいて、何も考えずに通した改札は新京成線のほうだった。よく見ると並んでいる自動改札は半分で仕切られていて、左手が新京成、右手が北総開発になっていた。切符を買うときあまり注意してなかったが、改札口が隣同士で並んでいるときには、別の会社の切符を買わないよう注意しないといけない。
新鎌ヶ谷駅付近はそれほど開発されておらず、畑や雑木林などが目立つ。高架線をしばらく行くと掘割りを走る。ニュータウン造成計画のなかで路線が形づくられたせいだろうが、幅の広い掘割りで、もうひとつ線路が敷けそうな空き地が広がっている。都心と成田空港を結ぶ高速鉄道計画とのからみがあるのかもしれない。千葉ニュータウン中央駅あたりにはスーパーなども出来ているようだった。
掘割りを進むこと20分ほどで終点印旛日本医大駅に着いた。駅名標には括弧書きで「松虫姫」とある。そんな伝説があるらしい。ホームから階段を上がると天井はドーム状で豪壮な感じのする駅舎である。外観も変わっていて、正面は南欧風というか、アーチが連続している。東側ドームの外側は黒っぽい外装で円錐形の段々屋根、西側はとんがり屋根の塔屋になっている。展望台としても利用できるのだろう。今年度(2000年)の「関東の駅百選」に選ばれたそうだ。
駅前から京成酒々井駅前行のバスが出ていたのでこれに乗ることにした。「イーバス」と愛称のついた千葉グリーンバス、今年の7月に京成電鉄バスを分社したものらしい。駅から1㎞ほど離れた日本医大付属千葉北総病院に立ち寄り、雑木林や畑など、のどかな農村である印旛村を突っ切る。印旛沼とその西部調整池をつなぐ印旛捷水路の掘割りの高さに少し驚く。ちょっとした渓谷のようだ。順天堂大のそばを通って約20分で酒々井駅前に到着。
京成酒々井駅付近はあまり古い町並みがあるように見えない。成田線の酒々井駅のほうが中心なのだろうか。このあとさらに乗り歩きが続くので先を急ぐ。ここから上野にでることにする。運賃は 700円。印旛日本医大駅から北総開発・京成経由で上野に出ると千円以上かかっていたから、かなり遠回りしているけれど、値段は安い。それだけニュータウン新線は割高なのだ。
京成佐倉で上野行特急に乗り換え上野に向かう。京成線に乗るのは、ちょうど2年ぶりのことになる。京浜急行空港線が羽田新ターミナルビルへ乗り入れたさい、成田空港と羽田空港を結ぶ電車が運転されるようになり、開業して間なしに羽田空港から成田まで京浜急行の特別快速に乗っている。
佐倉あたりはまだ田んぼや畑、雑木林といった風景が見られるのだが、勝田台あたりを過ぎると沿線に住宅が増えてきて、線路ぎわまでぎっしり建ち並ぶ。もともと集落をむすぶように敷設されたせいか、カーブが多く、思いのほか時間がかかる。高架線路改良が行われている区間もあるが、線路ぎわまで住宅が密集しているので工事もはかどらないのではなかろうか。
佐倉から1時間近くかかって、ようやく上野に着いた。(2000.11.11)
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