このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線初乗り記

■[四国に向かって]泊りがけで旅行に出かけるのは、ほんと久しぶりだ。新大阪から博多行「ひかり」に乗って岡山に向かう。盆休み帰省のピークのはずしたので、自由席は座席はほぼ埋まった程度の込み方、かろうじて座席につくことができた。

四国を訪ねたのは97年10月以来でほぼ5年ぶり。前回は土佐くろしお鉄道の中村−宿毛延長開業にあわせたものだがったが、今回も同じく土佐くろしお鉄道の後免−奈半利間開業にあわせた訪問ということになる。

最近はJR各社がばらばらにしかも頻繁にダイヤ改正を行うので毎回毎回『時刻表』を購入するわけにいかず、比較的大きな改正のときだけにしている。旅行に『時刻表』はつきものだから購入しようかと思ったのだが、秋にまた改正があるらしく見合わせた。

岡山で高松行快速「マリンライナー」に乗り換える。最初の目的地は丸亀なので、次の普通にしてもよかったのだが、ひょっとして坂出で予讃・土讃線の電車に接続しているかかも、と考えたのだ。児島をでると備讃瀬戸を渡る。

坂出で下車。接続はなくて約20分の待ち合わせ。前回四国を訪れたときの帰路、ここでの接続が悪くてその待ち合わせの間、せっかくなので改札を抜けて駅前を散策したのだった。あとで確認すると、ほんとは途中下車できないことがわかったので今回は高架ホームでおとなしく下り電車を待つ。

■[丸亀]1126丸亀到着。丸亀に残る近代建築を巡ったのは93年10月であった。ここに下車するのはそれ以来ということになるだろう。駅の北側にかすかに花街のなごりの建物が残っている。今回下車した目的は駅前にある丸亀市猪熊弦一郎現代美術館を訪ねることである。この美術館の竣工は89年であるから、前回丸亀を訪れたときにはあったはずだが、近代建築のほうばかりに目が向いていたので全く記憶にない。

建物の設計は谷口建築設計研究所(谷口吉生)。北側にJR線の高架があって、それにまけない大きな建物である。美術館広場のオブジェにしろ、正面壁全面に描かれた猪熊の壁画にしろ、都会的な美術館という感じ。正面からみて左手に階段が奥の方に伸びている。一階の入り口はこじんまりしている。エントランスも抑えた感じで二階の常設展示室にL字の階段を登る。この階段部分はずっと上まで吹き抜けで、展示室は大きな空間になっているのだった。三階までぶち抜きの展示室はふたつに分けられ、とくに正面側は四階までの吹き抜けで、最上部はガラス窓、天井高さは9mくらいはあるだろう。ふたつの展示室の間の階段を登ると三階は企画展示室になっている。階段の踊り場からは下の常設展示室が見下ろせるわけだ。そして出口をでるとカフェレストがあり、カスケード・プラザという屋上広場がある。階段を降りると美術館広場に至るわけだ。

この美術館にはほかにミュージアムホールや図書館も設けられている。駅前という立地にあった都会的な外観のなかに豊かな内部空間を感じさせるものである。吹き抜けを上手にあつかっているのは谷口らしいのかなあという感じ。美術館広場から三階に通じる階段に猪熊がよく描いている横断歩道のような形を代表しているのかなあと思いながら、美術館をあとにした。

ところで、企画展では夏休み企画として「おしゃべ@美術館」というのをやっていた。ふつう美術作品には、作品の作者やタイトル、制作年などがつけられ、さらに解説がつくこともあるが、今回の企画では、そこに子どもたちがもちそうな感想のようなもの(こどものおしゃべり風)がつけられて、こどもの美術鑑賞の手助けというか、そんな企画であった。確かに写実的な絵画なら、そのそっくりぶりがよしあしの判断になるのだろうけれど、20世紀美術はいろいろな表現があるから、それをどう見るか、美術館側からいえばどう見せるか、工夫がいるところなのだろう。でも、今回のような企画のように作品の横にごちゃごちゃ書かれると、これは一面的な押しつけとしか感じられない。美術作品はもっと自由に感じればいいものだろう。

■[高知へ]昼食を取ったあと、暑くて歩きまわる気にもなれず、丸亀から高知行特急「なんぷう」で高知に向かうことにした。岡山からの新幹線乗り継ぎ特急券を丸亀から使う。岡山からやってきた特急は車体など「アンパンマン」などのキャラクターをあしらった「アンパンマン列車」だった。琴平を過ぎると山間にはいっていくが、特急は軽快に走り気がつくと阿波池田へと下っていた。特急とは無縁な「青春18きっぷ」などを使う鈍行の汽車旅が多かったので、この快走ぶりにすこし意外な感じを受けた。大歩危・小歩危の景勝地の案内をききながら、しばらくするうちまた山越えして高知平野へと下っていく。丸亀から1時間45分ほどで高知に到着。

■[高知]駅の建物を出て驚いた。真ん前に土佐電鉄の路面電車の乗り場があるではないか。かつては、駅前広場を通り抜けた道路上にあったはずだが、いつ移動したのだろう。(2001年4月からだそうだ)

午後3時を少しすぎたところで、せっかくなので未訪の桂浜へでも行ってみようかと思いながら、路面電車の写真を撮りながら駅前通りをはりまや橋のほうへ歩いていった。ようようバス停を見つけたときにはバスが出たあとで、次のバスを待つ気にもなれず、代わりに高知県立美術館を訪れることにする。

はりまや橋電停から後免方面の電車に乗る。やってきたのは知寄町行だったようで、そこで電車を乗り換えて美術館通り電停で下車。土佐電鉄の路面電車は乗継券をくれるので、ここまでの運賃を払って下車すれば、次の電車では本来の運賃の差額だけを乗継券といっしょに出せばよい。

この美術館は93年に竣工。設計は日本設計・環境設計・山本長水。国分川と舟入川にはさまれたところにあって土佐の民家や倉をイメージした外観で、能も行えるホールをもつ美術館である。著名な作家の収蔵品としてはシャガールなどが知られる。中央には水盤がある。閉館時間まで1時間ほどしかなかったので、足早に見てまわる。

展示室は二階にあって常設展示室はシャガールなどが並ぶ。企画展としては「山本容子の美術遊園地」をやっていた。春に大阪でやっていたが、見にいけなかったものだ。この人は銅版画の作家で、本の装丁などでも知られ、独特の画風に味がある。こちらの展示室はいろいろな展示物に対応するためか箱物的大きさが感じられる。

美術館をあとに電車通りを電車の写真を撮ったりしながら戻る。少し歩いて知寄町から伊野方面行の電車に乗り、はりまや橋で電車を乗り換えて高知駅前に戻る。新規路線といえるのかどうかわからないが、とりあえず乗り終えた。
ちょうど、土佐山田行の列車があったので、宿泊地の後免まで進む。

■[土佐くろしお鉄道ごめん−なはり線]今年(02年)7月1日土佐くろしお鉄道ごめん−なはり線が開業した。はじめて四国を訪れた78年3月土電の後免町駅から国鉄(当時)後免駅まで、かつての土佐電鉄安芸線のあとをたどったことがある。後免−安芸間の廃止が74年3月末だから4年ほど経った頃のことで、鉄道の跡はよく残っていた。阿波と土佐を結ぶ阿佐線の計画があってこの路線が廃止されることになったのだろうけれど、廃止から30年近く経ってようやく鉄道が復活したわけだ。

翌朝、後免6:11発の一番列車で安芸まで進む。アンパンマンで知られるやなせたかしがそれぞれの駅にキャラクターをつくり、駅名標にはそのキャラクターが描かれている。後免駅は「ごめんえきお」君だ。後免駅を出ると単線高架がずっと続く。高架だから眺めはいい。次の後免町は土電に接続。このあたりは廃線跡の上に設けられたのだろうか。車両も真新しく軽快に走る。手結付近から山が海辺にせまるが、このあたりの廃線跡はサイクリングロードに転用されているようだが、新線はトンネルでショートカットする。かつての安芸駅は街の西端、今の安芸ドームの近くにあったらしい。ドームの近くには球場前駅が設けられている。後免から1時間弱で安芸に着いた。

■[安芸]駅は街をさけるように北側に設けられた築堤のなかほどにある。駅には地場産物産館が併設され土産物などが販売されている。駅前から南へ街に伸びる道路はここに鉄道駅が計画されたときから作られたものなのだろう。新設された駅前とはすこし雰囲気が違って感じられる。

駅から北へ2kmほどのところに安芸城址があり、街並にその当時の雰囲気が残っているらしいし、その近くに野良時計で知られる畠中邸時計台もあるので歩いていってみることにした。

畠中邸時計台は明治20年頃に建てられたもので、現在は登録文化財になっている。旧城下には武家屋敷の雰囲気を伝える塀や生け垣が残る。幕末頃に建てられた武家屋敷が一軒公開されている。堀や石垣の残る城跡には書道美術館と郷土資料館がある。時間が早くて見学はできなかった。そのあと駅に戻る。

ふたたび土佐くろしお鉄道ごめん−なはり線に乗って奈半利に向かう。2両できた列車をここで1両に切り離し。室戸少年自然の家に向かうらしい子供らで混雑。約20分で終点。高架に設けられた駅、その下にはここにも物産館が設けられみやげものなどが販売されていた。子供らは迎えのバスで去っていった。バスが込まなくてやれやれ。

ここからバスで室戸に向かうが、バスの時刻まで30分あまりあったので、奈半利の街を少し歩く。ところどころに古い土佐らしい町屋が残っていた。

■[室戸]四国にはたびだひ来ているが室戸を訪ねるのは初めて。土佐湾に沿った国道55号線を走る。乗客は10人もいない。
途中の吉良川の集落は重伝建地区に指定されているようだ。途中下車しようかとも思ったが、各地の重伝建の街並を見てきて、各地それぞれ特徴をもつ街並ながらも、けっきょく、観光資源として整備しました、という格好にすこし食傷気味なので今回はパス。

繁華な雰囲気が乏しい街並の室戸を過ぎて、約1時間ほどで終点の岬ホテル前に到着。つぎの甲浦行バスまでの間に最御崎寺(東寺)まで登る。朝方は雨が降っていたのに、ここまでくるあいだに次第に晴れ渡り、山を登りかかるとどっと汗が吹き出す。鬱蒼とした木立の間からは海が見える。立ち止まって休憩しようとすると、ヤブ蚊が襲いかかってくるので立ち止まることもできない。20分ほどかかってようやく寺の境内に着いた。

ここは四国霊場八十八カ所の24番札所。境内から少し下ったところに室戸岬灯台がある。明治32年R.H.ブラントンが設計したもので、灯台のそばには石造の官舎も残っている。南に広がる太平洋の眺めに、ここまで登ってきたかいがあったというもの。それにしても暑い。ふたたび鬱蒼とした木立の小道を、足を滑らさないように慎重に下る。室戸岬バス停のところに中岡慎太郎の銅像がある。海岸べりには遊歩道があるようだが、もう歩く気にもならず、おとなしくバスを待つ。

■[甲浦]岬ホテル前から甲浦行バスに乗る。右手には太平洋が広がる。土佐湾沿いよりひなびた感じの町々が点在、バスは軽快に飛ばす。50分ほどで阿佐海岸鉄道の甲浦駅前に到着。

阿佐海岸鉄道が開業10周年の貼紙。阿佐東線が延長されたらいっしょに、という思いがあってここを訪れたのは開業から1年以上経ってらかで、93年10月のことだった。今は寄港しなくなったようだが、神戸から甲浦に寄って足摺に行く夜行フェリーがあって、それで甲浦に降り立ったのだった。朝4時すぎという早朝だった。このときはフェリー乗り場から駅まで薄暗いなか徘徊したのだった。

バスに接続していた列車は穴喰行なので、次の海部行まで1時間ほどの待ち合わせ。甲浦の街を歩いてみる。このあたりの集落には蔀帖(ぶちょう)造りの民家が見られる。通りに面して、上にあげる蔀(しとみ)戸と下に下ろすバッタリ床几(しょうぎ)を組み合わせた雨戸のことだ。場所によって、エンとかミセともい、阿南海岸地方特有のものらしい。

甲浦駅ホームで海部行の列車を待っていたら激しい雨が降ってきた。折り返しの発車を待つ間、運転手が車掌になり切符を販売。下車するときに渡すから手元に残らないのが残念ではある。

■[牟岐]甲浦からトンネルを抜けて穴喰にくると雨は降ってない。局地的なものだったようだ。海部でJR四国の列車に乗り換え、2分の接続。牟岐から特急「むろと」になる2両編成の車両であった。時間があるから牟岐で下車して街を歩く。古くて大きな町屋を見かけたけれど、たいした発見はなし。阿波踊りのシーズン、これから徳島市内へ繰り出す一行のチャーターバスが出発しようとしているのにでくわした。さすが徳島県である。

■[阿南]牟岐から列車に乗り今夜の宿泊地阿南に向かう。牟岐−海部間の開業は昭和48年で、トンネルが多いのだが、牟岐から先は戦前の開業区間で平地を選び、トンネルを避けるように敷設されてきたことがよくわかる。海岸に沿っているわりに海がほとんど見えない。約1時間あまりで阿南に到着。駅舎の改修工事とかでよこっちょに設けられた仮駅で営業していた。

しばらく市内探索。お盆休み期間というか、阿波踊りのときはというべきか、商店街軒並み休業でシャッターを下ろしていた。だから、どういう街なのかよくわからない。市内の高台に展望所のようなところがあったので登ってみる。那賀川下流域の谷口集落として発展した街なのかと思う。市街地には大きなショッピングセンターはないようだが、郊外には量販店モールが見られる。どんどん建て替えも進み古い町並みも残っているようには見えない地方都市といったところか。海岸のほうには大きな工場もあるようだ。

翌朝、今日も雨が降っている。雨があがるのを待って那賀川支流で、その南側を流れる桑野川に沿って散歩。しばらく下流に向かうと、北側に牟岐線の那賀川鉄橋が見えてきたので、桑野川を渡りそちらのほうに行ってみる。この鉄橋、うまい具合に両側に自転車・歩行者道が設けられており渡ることができる。上流下流の橋までかなり離れているから那賀川を歩いて渡るにはとてもラッキー。ここまで来てしまうと、隣の阿波中島駅が近いからそちらに向かう。

■[文化の森]阿波中島から列車に乗る。小松島を過ぎて文化の森駅で下車。ここから園瀬川に沿って2kmほど上がったところに図書館、博物館、美術館などの県の施設や公園が一体となったと文化の森総合公園があるので訪ねることにした。この施設が設けられたのが89年でそのあと駅が設けられたわけだが、片面無人の駅と「文化の森」という駅名はまったく不釣り合い。公園までの道順を示す案内板はあるが、遊歩道のようなものもなく、駅からそこへのアプローチとしてもまったくよくない。この公園を訪れる人の足として鉄道はもとから考えられてないのだろう。

図書館、博物館、美術館などが一体となった建物と少し離れて近代建築がある。壊された徳島県庁舎の玄関部分を中心に移築して建てられた徳島県立文書館だ。設計は佐野利器で、昭和5年に建てられたものだ。テラコッタなど利用できるものを最大限使って再生された建物なのである。

この文化の森総合公園は十年くらいかけて計画がねられてできた公園で川崎清らが設計にあたった。外観的にみて特別な特徴はなくて箱物施設という感じ。中央の建物のうち向かって右側が博物館、左側が近代美術館、その間には意味はよくわからないけれどカスケードがある。展示室は二階部分が中心。右手には図書館の建物があって、そのつなぎの部分にホールをもってきた、という構成。

まず、近代美術館を見学。何にでも対応できる大部屋的展示空間。企画展として「本と美術」というのをやっていて、ピカソら有名画家の挿絵本から本それ自体が美術作品といったものまで並べられ、けっこう楽しめた。ほかに所蔵作品いろいろ。

そのあと博物館の常設展を覗く。総合展示としては、徳島を中心において、化石などを並べるところからはじまって年代順に見ていくスタイル部分とあと民俗資料、生物の紹介などがなされていた。

そして文書館にいく。ここでは企画展として「豪商志摩利右衛門とその時代」というのをやっていた。展示室は小さく、昔の文書を並べられても読めるものではないが、パンプは立派。

この文化の森あたりには、猫がひじょうに多く住み着いている。動物捨てるなの注意書きがあったけれど、捨てられてきたのだろう。捕まえることまでやってないようだ。
昼食を取って、文化の森から徳島駅前行の市営バスに乗る。ほとんどのバスは市原というところで乗り換えする必要があるらしいが、駅前まで行くのがある。運賃は200円。

■[徳島]徳島の市街地にはいるとここもシャッターをおろしたりしている商店が多い。阿波踊りの期間中は商売どころではないのだろう。演舞場にあたる通りには特設の観覧席が通りの両側に設けられている。夕方になれば賑わうのだろう。
文化の森から15分あまりで徳島駅前に到着。まず、高速バスの切符を入手すること。すぐに目に付いたJRバスの窓口で14時発新神戸行の切符を入手。これで神戸まで帰る足を確保できた。発車まで1時間あまりあるので、駅裏の徳島城址公園に行ってみる。

ここには徳島城博物館があるがゆっくり見物する時間がないのでパスして、表御殿庭園だけ見物する。国指定名勝になっている。蜂須賀家政の庇護を受けていた上田主水正の作庭て伝えられる庭園は、枯山水と池泉が合体した回遊庭園で、阿波の青石を中心に大胆に石が立てられている。
木立越しにビルが見えたりするのは少し興醒めだが、しばしの時間日陰に座って庭を眺める。博物館のラウンジではちょうど阿波踊りのライブが行われており、その音色もゆっくり流れていったのだった。

城址公園内でおもしろいものを見つけた。「ラジオ塔」だ。かなり前に明石市内を歩いているとき見つけたことがある。戦前に建てられたものらしいといことはわかるのだが、何も案内がなく、どういうものかそのときはよくわからなかった。ここにあったラジオ塔にはすこし案内がされていて、これ自体再建されたものらしいが、もともとNHKがラジオ放送をはじめた頃、ラジオのPRをかねて設置したものらしい。ここにラジオ受信機が設置されラジオの音声が流されたのだろう。それが「ラジオ塔」らしい。たぶん全国各地に設けられたことだろう。「ラジオ塔」のことがすこしわかった。
それにこの塔のそばには軍艦「追風」のマストまで建てられている。台風で壊れて再建されたというから、よほど思い入れある軍艦なのだろう。

■[帰路]高速バス発車15分ほど前にバス乗り場に戻る。ほぼ満員の乗客を乗せ1400定刻発車。駅前を出ると国道11号線を北上し鳴門ICで高速に上がる。ここで鳴門からの乗客を乗せて一路神戸に向かう。鳴門海峡を渡るのは初めて。淡路島の丘陵部を軽快に走行。明石海峡を渡って高速舞子で下車。所要1時間15分ほどだから徳島は近い。このまま三宮まで行ってもいいが、道路が混んでいるとやきもきするので電車に乗り換えることにした。(2002.8.13.〜8.15)


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