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はじめてのオ・キ・ナ・ワ!!

[はじめての沖縄]全国の都道府県のなかで沖縄県だけ足を踏み入れたことがなかった。鉄道がなかったからである。それが昨年(2003年)夏、モノレールが開業した。これを機会に行ってみようと思った。

ほんとは、昨年行くことを考えていたのだが、出かけようと思った日は台風が近くにあって行く気にならず、けっきょく、今年に持ち越し。なにぶん沖縄へは、空か海からしか行けないわけで、いったん出かけて交通遮断、てなことになるとやっかいだからいつも以上に出かけるのに気をつかう。今年も例年以上に台風がたびたび発生しており、台風が通り過ぎ、次の台風が発生していない、その隙間をねらって出発することにした。

沖縄に行くには、格安のツアーを利用すれば、そこそこのところに泊まれて、適当に観光もできて、いいのだろうが、どうせなら、天気のいい日に行きたいし、気ままにあちこち歩きたいしで、ツアーの利用は最初から考えなかった。
早めに日程を決めれば、格安航空券とかを使えることもわかっていたが、いつ行くか決めかねていたので、それも利用しなかった。費用を安く上げて観光旅行なんかしている人たちに比べ無駄な出費の多い旅行者ではある。

空のチケットを入手したのは、出発の前日である。台風とか天気を吟味していたからである。空の運賃も多様化していて、早く予約すれば、かなり安く買えるのだが、出発を決めるのが前日だったりするものだからどうしても高い運賃になってしまう。インターネットで予約をいれたのだが、それでも前日だから、正規の運賃より少しは安く手に入ったけれど・・・。予約後、JTBで購入する。今回の沖縄行きは、ついでに九州新幹線にも乗ってやろうと考え、沖縄で2泊したあと帰りは、鹿児島で降りることにした。

[伊丹から那覇へ]JR伊丹駅で下車、伊丹市営バスで空港に向かう。あいにくの小雨。天気予報では、沖縄方面はよい、はずだからそれを信じる。出発の1時間くらい前に着いた。

大阪空港に来るのは久しぶり。空港ビル内でまごつくといけないと思い少し早めにきたが、すんなりANAのチェックインカウンターへ。自動機も多いから待つこともない。下界を見下ろせる窓側の席が好きだけど、すでになし。まあ、天気がいまいちで下界は見えないだろうから別にいいけど。出入口に近いほうが降りるとき早いだろうと、前方の席を確保。そのまま検査場へ。厳重な検査でもされるかと思ったけれど、それほどの時間もかからず、指定ゲートの待合室へ。まだ、待つ人は少ない。外は雨。

出発時刻5分くらい前、後方座席の人から機内へ招じられる。B767−500という機種。9:55の定刻を5分ほど遅れてジェット機が動き出す。滑走路の端までそろそろと移動、徐々に加速していって、エイっと離陸、ぐんぐん上昇していって、あっという間に雲の中、がくがく揺れながら雲を抜けると日がさんさんと照っている雲上へ。飛行が安定して飲み物サービス。どこを飛んでいるかわからないまま一路沖縄をめざす。やることないから本でも読んで過ごす。

2時間近くたってジェット機は降下。南方から滑走路にはいるようで、雲を突っ切って、大きく旋回しているとき小さな窓から沖縄本島が見えた。糸満市、豊見城市あたりか。いよいよ、はじめてのオキナワ!!でも、天気は快晴ではなかった。

[沖縄都市モノレール]到着したのは正午を少しまわった頃、空港ビル内の食堂で昼食を取ることにした。せっかくなので「ソーキそば」を味わう。そのあと、今晩の宿を押さえてから、さっそく目的のモノレールへ。

モノレールは昨年(2003年)8月10日に開業した。那覇空港と首里の間を結ぶ12.9kmの路線。2両編成の車両が走っていて「ゆいレール」という愛称が付いている。道路の上を跨座式の高架が伸びている。

空港を出外れると住宅地が広がっていて、マンションとか高層住宅が多い。大きなショッピングセンタがある。漫湖と外海を繋ぐ国場川沿いを走り、市役所、県庁など官庁街を過ぎると、国際通りの北側の久茂地川に沿って走っている。道路上より工事がしやすかったのだろうか。ふたたび道路上となって首里に至る。高架なので見晴らしがいい。那覇の街を車窓から見た感じとしては、けっこう起伏のある街である。沿線は戸建ての住宅よりもマンションとかが多い。約30分ほどで終点首里に到着。

[首里城から識名園へ]首里駅から首里城趾に向かう。途中で見かけた公衆便所にもシーサーがのっかっているのが沖縄らしい。しばらく行くと県立芸術大学がある。スクリーンブロック積みの外壁が沖縄らしい意匠だ。

首里城は立派な石垣である。石を隙間なく積み重ねた石垣は本土の城とはおもむきがちがう。首里城趾の一部は世界遺産に登録されている。この界隈は観光客も多い。守礼門の写真を撮ろうとしたらカメラの電池切れ。デジカメもあるから別にいいけど。

沖縄は先の大戦で戦災にあっているの木造建築は復元されたもの。かつて沖縄を代表していた建物である守礼門は1958年の復元、正殿などは1992年に復元されたものだ。歓会門からいくつかの門をくぐり正殿に向かう。正殿の両側にある南殿、北殿は資料館になっていて琉球王朝時代の資料などが展示されている。正殿は三階建て、正面に唐破風があって入母屋屋根を見るとお寺のような建物だが、朱に塗られた外壁といい屋根に龍がいる様など独特だ。正殿は復元された建物を見せる。柱が多い。室内は漆塗りの臭いがこもっている。

そのあと首里城跡の南側にある金城町の石畳道を下る。「日本の道」百選に選ばれた小道で、漆喰で固めた沖縄独特ともいえる瓦葺き住宅も見られる。ごつごつして歩きにくい坂道だが、おもむきがある。途中にTVドラマ「ちゅらさん」の那覇で暮らした家のモデルになった場所という案内板があった。ドラマを見れば、ああこの界隈か、とわかる。

さらに識名園に向かう。石畳の道を降りると丘陵の谷間で、また登り。住宅街を抜ける。RC造の家ばかりといっていい。瓦葺きの家もちらほらあるものの、新しい家とか新築しているのを見かけることはなく、もっぱら2階建てくらいのRC造が多い。耐久性とか材料の面でRCのほうがいいのだろうか。もちろん、本土の住宅街ではあたりまえのハウスメーカーの住宅も全く見かけない。

しばらく行くと墓地に出た。識名霊園墓地である。本土のような墓石が並ぶ墓地とは全く違っていて、家型の構造物が並んでいるのだ。たいていRC造か、洗い出しで、なかには御影石で造ったのもある(張り付けか)。家型構造物の規模とかそれぞれが個性的な点は全くちがうが、フィリピンの墓地を思い出した。

ようよう識名園についた。ここも世界遺産に登録された琉球王朝時代の別邸だったところ。園のなかほどに池があって、島がある廻遊式庭園である。島にある六角のあずまや反り橋は中国風。御殿では、琉球舞踊の公演が行われていて、団体さんが取り巻いていた。廻遊する小道をいけば、「ハブに注意」の立て札。こんなところにもいるらしい。ここで小雨が降り出す。

[壷屋から国際通りをへて県庁前へ]雨がやめばいいなと、識名園の御殿で庭を眺めながら待っていたのだが、やむ気配がないので、雨のなか中心街に戻ることにする。バスがあるようだが大した雨でないので歩く。

また墓地を抜けて住宅街を行く。ほんとRC造が多い。
壷屋というのは、焼き物の街である。といっても街なかにあって、焼き物の街という感じはしない。昔は水壷や瓦などを造っていたのだろうが、今は「シーサー」である。それを並べた土産物屋が軒を連ねる。漆喰で固めた瓦屋根の木造住宅も見られる。

通りのなかほどに市立壷屋博物館があったので立ち寄る。沖縄の焼き物や街の歴史を紹介、各種資料を展示している。屋外には窯場が保存されている。

国際通りに出て、県庁のほうに向かって歩く。賑やか。ベスト電器でカメラの電池を購入。県庁前駅そばの商業施設で夕食、バスセンターに寄って路線バスの案内図を入手して、その日はモノレール沿いのBHに泊まる。

[名護へ]BHのモーニングサービスを取ってからバスセンターに向かう。きょうは、バスで名護まで行ってみようと思う。昨日手に入れたバス路線図によれば、高速バスのほか、東海岸経由と西海岸経由があるようで、バスセンターに行って乗れるバスに乗ればいいと考えた。

ちょうど東海岸経由の名護行があったので乗る。バスは県庁前から国際通りを抜けて、崇元寺の石門を横目に国道58号線を走る。幅の広い国道で交通量も多い。

那覇市から浦添市にはいる。フェンスで囲まれた基地が広がる。普天間飛行場のある宜野湾市。フェンスに囲まれた基地だらけ。伊佐で国道58号線をそれて島の中央部を進む。フェンスの向こうに四角い米軍住宅が並んでいる。

道路沿いは家並みがつきない。RC造の四角い建物が多い。バスで通り過ぎる町並みにフィリピンで見た町並みと重なる。きのう墓地でフィリピンを感じたせいかもしれない。道路沿いに見える小学校、あちこちで運動会が行われている。先週の日曜日、沖縄は台風の直撃を受けており、その関係があるのかもしれない。

国道330号線にはいって、かつてコザといわれた沖縄市、少し大きな街だ。具志川市を経て、国道329号線、さらに走って石川市を過ぎると金武湾に沿う。火力発電所の高い煙突が目立つ。このあたりまでくると家並みがとぎれる。標高2、300mの山並みが迫り、広くはないが、サトウキビ畑も少しある。右手には海。

宜野座、辺野古、ニュースで聞いたりした地名の町を通り過ぎる。西側は鬱蒼とした山が迫っているが、訓練場のようだ。山越えして国道58号線に合流して、名護が近い。

[名護]海岸に沿ってあるリゾート地のような街だ。海岸に沿って「21世紀の森」という広い公園があるのでそう見えるのかもしれない。どこで降りてもよかったのだが、街の中心部を通り過ぎ、街の西外れにある終点のバスセンターまで乗った。曇っていた天気もここにきて晴れた。蛙のように間欠的に鳴いているのは蝉らしい。

まず、名護市役所へ行く。象設計集団の代表作である。1981年の竣工でもう20年以上前に建った建物であるが、生の迫力があった。屋上庭園よろしく木が植わっていたり、庇に木々がからまっていたり、コンクリートブロックを多用、風のよく通る、地域性のある建物である。南側壁面にはいろんな表情のシーサーが鎮座している。日曜日でだれもいない庁舎だが、外部だけなら、自由に歩きまわれる。

街の中心街は日曜日のせいか、どこもシャッターを降ろしていた。道路の真ん中に巨大なガジュマルの木が植わっている。樹齢300年とかで天然記念物である。
オリオンビール工場そばの名護市立博物館に立ち寄る。生きたオオコウモリが飼育されていた。民俗関係の資料をはじめヤンバルクイナやノグチゲラ、蛇など動物のことそれに沿岸捕鯨のことなど紹介していた。展示に工夫があるわけでないが、地方都市の歴史、自然などを示す。

どこも閉まった街のなかで、スーパーはやっていて、そこで昼食。適当なバス停から、こんどは西海岸経由のバスに乗って那覇に戻る。

[西海岸]名護市から恩納村にかけての海岸線は、沖縄海岸国定公園に指定されていて、美しい眺めが続くなか、国道58号線をバスは軽快に走る。何とかビーチといった海水浴場があって、リゾートホテルとかも多い。

海岸部を離れると「琉球村」という施設があって、観光バスがたんさん停まっている。読谷村を過ぎると嘉手納基地のある嘉手納町で、柵の向こうに大型輸送機がいくつも留まっているのが見える。
宜野湾市まで戻ってくると島の中央部をぐるっと一周したことになる。浦添市の宮城というバス停で下車した。

[浦添市]浦添市美術館に行こうと思った。詳細な地図はもってなかったが、適当に見当付けて、海岸とは反対の方、商店や住宅が建ち並ぶ、なだらかな登り坂を歩く。振り返るとはるか海が見える。1kmあまり行くと、市役所が見えてきた。沖縄風のスクリーンブロックを外壁に使った特徴的な外観。ちょうど丘陵の頂部に位置する感じ。その近くにメルヘンチックな塔屋を並べる市立美術館も見えてきて、歩きだした方向にまちがいのないことがわかって、すこしほっとする。

美術館は内井昭蔵の設計。1989年の竣工。塔屋にこの美術館より少し前に竣工している新発田市の蕗谷虹児記念館をふと思い出した。分かれた展示室それぞれに塔屋あって、そこから光をいれることもできるわけだ。
いったとき、「名嘉睦稔の世界」という企画展をやっていたので覗く。そのほか、常設展では琉球漆器をいろいろ展示していた。

[ふたたび首里へ]浦添市役所から南へ3kmくらいのところに首里城趾があるので、歩くことにした。市役所のあるあたりが頂部で、首里への道は下ったり、また上ったり。那覇の界隈はうねうねした丘陵がまわりを取り囲んでいるのだろう。ようようモノレールの高架が見えてきて、儀保交差点、儀保駅が近い。ここからさらに坂を上ったところが首里城だ。

坂を登ったところにある県立博物館に立ち寄る。古びた建物である。歴史、自然などひととおりの展示物。戦前、那覇近郊を走っていた沖縄県営鉄道のことも紹介していた。

龍潭池のそばの西城小学校は原広司の設計、1985〜87年の竣工。各教室を伝統的集落を模して独立した赤瓦屋根にしている。室の連結など外からは内の様子までわからないけれど、工夫がこらされていそうだ。首里城あたりはあいかわらず観光客が多い。
儀保駅に戻り県庁前までモノレールに乗る。

[海軍壕公園]翌朝雨である。ほんとに晴れていたのは名護にいたときだけである。ホテルのモーニングサービスを取ってから小雨のなか、海軍壕公園に向かう。奥武山公園には陸上競技場などスポーツ施設が集まっている。県立武道館はすこしこってりした装飾がある建物だ。雨は上がってきた。

県道を南に取って坂を上っていく。公園は丘陵の頂部にあって、北側に広がる那覇市の中心部など見晴らしがよい。慰霊碑などが建っている。開館早々見学。沖縄戦に関する写真などが展示された資料室を見て、旧海軍司令部壕にはいる。カマボコ型に掘り抜かれた地下通路や当時のままという小部屋などが残されている。ほかにだれもいない壕、一巡して足早に出口に向かう。

[沖縄を離れる]海軍壕公園を出て、北西方向に向かって住宅街を歩く。この界隈もRC造が多い。2kmほどでモノレールにぶつかる。鹿児島に向かうのは午後の便なので、まだ時間はたっぷりある。小禄駅付近でモノレールの写真を撮ったり、駅前のジャスコで休憩。

赤嶺駅の近くに那覇市伝統工芸館という施設があるので行ってみる。ところが、この施設、新しい施設を国際通りのほうに設けたとかで9月末で閉館していた。残念。

赤嶺駅駅前広場には「日本最南端の駅」という記念碑があるのを発見したくらいで、あと、どこへ行くのにも中途半端、こんなところで食べなくてもいいようなものだが、カレーチェーン店で早々と昼食を取って、小禄駅からモノレールで空港に向かう。

空港のフロアでは民俗舞踊などのショーをやっていて、見るとはなしにながめたりしながら、頃合いを見て、チェックイン、荷物検査を受けて指定ゲートの待合室でおとなしく待つ。修学旅行か、生徒も多く騒がしい。

14:00、鹿児島へ向かうANAのジェット機は小ぶりなB737型機。早めに席を取ったので今回は窓側。といっても、雲ばかりだろうけれど。沖縄から鹿児島まで1時間10分ほど。空港を飛び立つと、すぐに高みに上昇しない、かなりな時間、海面がよく見える高さを飛んでいた。軍用機との飛行空域の関係でもあるのかな。ようよう雲の中にはいり、そこを抜けて機が安定すると、飲み物サービス。ほんの1時間ほどだからあわただしい。

眼下は雲しか見えないからどこを飛んでいるかわからないまま、着陸のために高度を下げると、しばらく雲の間を飛行。かなりな時間、雲の中をずっと進んでいて、その下に出ると、大隅半島西側の海岸線だと思うのだけれど、海岸線が見下ろせた。霧島の山々を遠くに見ながら旋回、九州自動車道がうねうね伸びているのが見下ろせる。高度を下げていくと、耳がとても痛くなってきた。最近の新しいジェット機は気圧の変化を上手に制御してくれるせいか、あまり耳が痛くないのだが、今回はひどかった。

[そうだ名古屋、行こう]鹿児島空港は、国分に近い。空港ビルで今夜の宿を押さえ鹿児島市内に向かう。空港最寄りのJR駅に出て電車で鹿児島に向かうことも考えたが、連絡バスが頻発しており、そのままバスで西鹿児島改メ鹿児島中央駅に向かった。

バスは自動車道にはいり軽快な走りで鹿児島へ向かう。吉田で自動車道を降りてところどころで乗客を降ろしながら市内にはいる。鹿児島を訪れるのも久しぶり。あれ、こんな建物あったかな、なんて車窓から思いながら、繁華街の天文館通りを過ぎ、鹿児島中央駅に運ばれる。

次の目的は、この春に開業した九州新幹線の初乗りだ。そのままJRを乗り継いで帰るのもおもしろくない。10月6日に名古屋市地下鉄の延長と名古屋臨海高速鉄道が開業するので熊本から夜行高速バスで名古屋に向かってもいいなと思ったのだ。

それで、高速バスのチケットを入手するため繁華街にあるJTBに出向き、めでたくそれをゲット。せっかく鹿児島に来たので、明日は新幹線に乗る前に岩崎美術館を訪ねて指宿まで行くことにしよう。

雨がまた降ってきたなか、駅前の指宿方面に向かうバス停を確認、駅で新幹線の時刻表とかもらい、最近開業したばかりという駅ビルの食堂街で夕食。大阪に大きな観覧車があるビルというのがあるけれど、このビルもそれにならったのか、観覧車が載っかっている。鹿児島だから桜島の眺めとかがウリなのだろう。その日は駅前の値段の割に汚いBHに泊まった。

[指宿]ホテルのモーニングサービスを取ってからバス停へ。天気は曇っているが、回復傾向にある。鹿児島から指宿へは列車が走っているが、指宿駅から美術館までけっこう離れているようで、バスならそのまま美術館のある指宿いわさきホテル前まで行ってくれるので列車より時間がかかるがバスで行くことにしたのだ。運賃もJRよりバスのほうが安い。

岩崎美術館は、指宿など県内でいくつかのホテルを経営しているオーナーの収蔵品を見せる施設だ。指宿・山川方面へのバスも、いわさきコーポレーションがやっている。といってもやってきたバスは鹿児島交通のバスで、バス運行は鹿児島交通が委託を受けているようだ。むかしは鹿児島交通が営業していたはずで、経営上分割したのかもしれない。

バスは南に向かって国道226号線を走る。家並みはつきない。昨日までいた沖縄の住宅とは全く違うことをバスの車窓から眺める。変われば変わるものだ。石油基地の喜入を過ぎ、錦江湾に沿う。しだいに晴れ渡り、鹿児島から2時間近くかかって、指宿温泉街南端のいわさきホテル前に着いた。

美術館は、大きなホテルの近くに、こじんまりとある。いろいろあるホテルの付属施設のひとつなのだ。設計は槙文彦で1978年の竣工。隣接して工芸館(1987年)がある。美術館のほうはマチスの大きなマントルピース壁画をはじめ鹿児島ゆかりの藤島武二、黒田清輝などの作品が並べられている。工芸館には、パプア・ニューギニアの民芸品や陶磁器、谷文晁らの日本画が並べられていた。近代絵画とパプアの民芸品は異色なとりあわせだが、岩崎氏がパプアの観光開発とかで関係があったらしい。珍しさからいえば、ホテル宿泊者を意識した秘宝館的な感じもあったりして・・。

美術館から温泉街に戻る。指宿といえば「砂蒸し」が有名。砂蒸会館がある。指宿では、やったことはないが、ここから少し離れた海岸でも温泉の熱気が出ているところがあって、そこで体験したことがある。今はどうなっているか知らないが、囲いとかそんなもの一切ない露天で、もちろんタダ。管理する人がいないかわり、砂は自分でかけなければならなかったけれど・・・。

それを教えてもらったのは、指宿YHに泊まったときのことだ。海岸べり指宿YHと書かれた建物があったけれど、廃屋のようにも見える。まだ、やっているのだろうか。

指宿の町はずれに「なのはな館」という高齢者交流施設があるので、せっかくなので行ってみる。美術館から小1時間歩いた。広い芝生広場ではゲートボール大会が開かれていたけれど、体育館や室内プール、宿泊施設など備えている。設計は高埼正治、1998年の竣工。宇宙船が大地に突きささったような構造物とか、高埼先生らしい異形の建物群が融合している。

食堂があったので、ここで昼食。ここまで来るとJR二月田駅が近いのでそちらに向かう。もう十年以上前のことだが、この駅の近くにある殿様湯という温泉につかったことがある。二月田から列車で鹿児島中央に戻る。いったん改札を抜けて熊本までの切符を買い直す。

[九州新幹線]九州新幹線は今年(2004年)3月13日に開業した。在来線のホームと直角に交わるように、新幹線の高架ホームがある。入線してくる電車の写真を撮ったりして、新規開業線の初乗りを楽しむ。九州観光の団体さんもけっこう体験乗車しているようだ。

座席はゆったりした2×2シート、全車禁煙で、車販もなし。乗り換えの新八代まで45分ほどだから、ちょっとの間ではある。
駅を出るとすぐトンネルにはいる。その先もトンネルばかりだ。70%くらいがトンネルらしい。在来線の鹿児島本線、阿久根から川内にかけての海岸線に沿って走るところは、特急といってもとろとろ走る感じがあったけれど、眺めはよかった。新幹線になると、山の中を突っ切るだけだ。

かつて八代−西鹿児島間を特急でも2時間10分ほどかかっていたのが、45分ほどだから大幅な時間短縮だ。新八代では同じホーム反対側に、博多行が停車している。

3分の接続で発車。乗り継いだのは、1992年7月「つばめ」として走りはじめた787系特急電車である。走りはじめてもう10年以上経つわけか。新八代駅の乗り換えは新幹線駅ホームに在来線を横付けできるようにしているので、駅を出ると高架から旧来の路線に合流して博多に向かうことになる。

鹿児島を15:16に出て、16:30に熊本に着いた。ほんと、新幹線は速い。同額運賃だったので上熊本まで切符を買ったのだが、自動改札に入れると、途中下車扱いで切符が出てきた。自動券売機発券だからおもしろみはないけれど、記念に手元に残すことができた。

[熊本]きょうの予定は、熊本交通センター20:00発名鉄バスセンター行のバスに乗るだけ。まず、バスの乗り場を確認しに交通センターまで行くことにして、そのあとの日の短くなったこの時期、街歩きするのも中途半端な時間なので、温泉にいこう、と思った。

江津湖のそばに「バッテンバーデン」という温泉施設があって、もう10年以上前のことになるのだが、つかりにいったことがあるのだ。それで、市電・市バスの一日乗車券を購入して、市電でまず、辛島町へ行った。ここは、交通センター最寄り電停。高速バス乗り場を確認してからふたたび市電に乗って健軍町の方へと向かい、水前寺公園の先の神水橋電停で下車した。

そこから国道57号線熊本東バイパスを南に向かって江津湖をめざす。以前訪れたことがあるといっても、もう10年以上前のこと、きょうは地図で位置を確かめず、行けばわかるだろうと歩きはじめたのだ。ところが、かなり歩いてもたどり着かない。日は暮れかかってくるし、少し不安になってくる。

この先にあるのはわかっていたが、夕食取る時間とか考えると、のんびりできそうもないのであきらめて引き返す。何しに行ったのか、って思いながら、こんなところではいらなくてもよいような豚丼チェーン店がバイパス沿いにあったので定食を夕食として取って、電停に引き返す。

[名古屋へ]熊本交通センターから名鉄バスセンターに向かう。乗客は定員の半分くらいか。夜だからどこを走っているかわからない。まだ午後8時を過ぎたところだか眠いわけでもない。たぶん熊本インターから九州自動車道にはいったのだろう。車内のテレビでお子様向け映画のビデオを流していたので見るとはなしに見ていた。

だいたい2時間半くらいおきに運転手の休息停車するようだ。ビデオも終わり、熊本を出て、午後10時半過ぎに消灯前のトイレ休憩ということで、どこかのパーキングに停まった。11時過ぎに関門海峡を渡っているのに気が付いたが、あとは、どこを走っているかまったくわからなかった。

リクライニングシートで寝ようと思うが、寝てるのか、起きてるのか、わからない、ぼやっとした時間が過ぎる。軽快に走っているようで、高架道路の継目は、けっこう大きな衝撃になって伝わってくることがある。鉄道の快い規則正しい継目の衝撃と大違い。これが熟睡できない原因だ。

どこかわからないところでときどき停車しながら夜行バスは走る。気が付くと夜明け前の桂川パーキング、京都の手前だった。あと名古屋まで2時間半ほど。
バスは高速を降りる前、高速バスのバス停に停車して時間調整。一宮で降りて、少し一般道を走ったのち東名阪自動車道から名古屋高速1号線を経て名鉄バスセンターに近付いて行く。きょう開業の名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の電車が走っているのも見える。高速を降りて、定刻7:30バスセンターに着いた。

[名古屋臨海高速鉄道]まず、バスセンターから地下鉄名古屋駅の券売機で、地下鉄・市バスの一日乗車券を買っておく。案内所へいけばバスの路線図とか手に入れることができたかも知れないが、この時刻に開いているかどうかわからないし、地下街をうろうろする気にならないので、一日券だけ購入する。

それからJR名古屋駅にはいって、「あおなみ線」の案内を探しながら中央コンコースを行くと、新幹線乗り場の東京よりのところにあるのがわかった。

名古屋臨海高速鉄道あおなみ線は東海道本線の貨物支線を旅客線用に整備したものだ。名古屋−金城ふ頭間15.4kmを24分で結ぶ。開業初日なので物見の人もちらほら。始発が動き出してだいぶ時間が経っているので、開業の賑わいが収まっているのかもしれない。

名古屋駅を出るとしばらく関西本線、近鉄と並走、南にカーブして金城ふ頭をめざす。貨物列車も一部区間まではいるようで機関車も見かける。工場もかなり見られるけれど住宅も多い。終点の金城ふ頭駅の近くには名古屋市国際展示場がある。

駅前に市バスが来ていることを期待してたのだが、見つからなかった。それで、大型商業施設のある荒子川公園まで戻る。そこで港区役所行のバス停を確認。地下鉄にも港区役所駅があるから地下鉄に乗り継げるはずだ。

この駅の近くにスーパー銭湯「花の湯」というのがあった。営業は10時から。着替えとかもしたかったので、しばらく待つことにした。すでに常連さんは待っていた。

[名古屋地下鉄]風呂につかってさっぱりしたあと、飲み物買いがてら駅前のジャスコに立ち寄り、荒子川公園駅バス停から市バスに乗った。数分で地下鉄東海通駅前に来たので下車、地下鉄に乗り換える。金山で下車。

高速バスの中で、昨日買ったパンをかじったのだが、お腹がすいてきたので、すこし早いがダイエーに立ち寄り昼食とする。一日乗車券だから途中下車も自由だ。今年のセリーグ優勝を決めたドラゴンズ一色の名古屋にあって、ここだけはホークスの応援歌が流れていた。

いままで大曽根−名古屋港間の名城線と金山−新瑞橋間の4号線は共通運用されていたけれど、4号線として、2000年1月に大曽根から砂田橋まで、さらに2003年12月に名古屋大学まで延長され、それが今日、新瑞橋まで伸びて環状となった。線名の呼称も環状部分を名城線にし、枝線の金山−名古屋港間が名港線となったようだ。

地下鉄としての環状運転は名古屋が全国ではじめて。環状運転の呼称は、右回り、左回りという。JRの山手線や大阪環状線は、内回り、外回りといっているから、独自色を出している。名古屋の人は右回りと左回りをちゃんと理解しているのだろう。

金山から新瑞橋までは30年前に開業した区間だから古びている。古くさい壁面の駅名標とか。それが新たに開業した区間にはいると明るく綺麗。
いったん八事で下車。名城大学天白キャンパスに新築された校舎タワー75を見にいく。鶴舞線の塩釜口から地下鉄に戻り、八事で乗り換えて残りの新規開業区間を乗り終える。八事駅の乗り換え通路では、地下鉄建設50周年記念写真展をやっていた。

名古屋大学から先、昨年開業した砂田橋までの区間も初乗り。地下鉄だからおもしろみはない。久屋大通で桜通線に乗り換え名古屋駅へ。名古屋での予定はこれにて終了。

[帰路]大阪に戻るのに新幹線を考えていたが、まだ時刻も早いことだしのんびり帰ることにしよう。JRより近鉄のほうが運賃は安い。上本町行に接続している伊勢中川行急行がすぐあったので、それに乗ることにした。

(2004.10.02〜10.06)



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