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リニモ・モノレール・美術館
[東の旅]春の「青春18きっぷ」のシーズン到来、天気も申し分ないようなので、春分の日を中心とした3連休、電車に乗りに出かけよう。昨年(2004年)開業した横浜高速鉄道線と東京モノレールの延長区間の初乗り、それといちど訪れてみたいと思っていた神長官守矢史料館とポーラ美術館を組み合わせよう。せっかくだから、愛知万博への足となる「リニモ」が開幕より一足早く、今月6日に営業を始めたので乗ってみよう。
「青春18きっぷ」を使っての旅行も2年ぶり。大垣発東京行夜行で一夜を過ごすと安上がりで、時間を有効に使えるのだが、どうせ、快速「ながら」の指定券はすでに売り切れているだろうし、臨時快速に座るため早くから並ぶ気にもならない。のんびり行こうと思う。
東海道本線を上る。新快速を米原で豊橋行に乗り換える。関西圏に比べ、1編成の車両数が半減する東海圏にはいったが、辛うじて座席を確保。この時期、「青春18きっぷ」で移動する人が多いので、けっこう込む。岐阜から快速運転となって名古屋11:40到着。
人出が多くて、景気が上向いているのかな、なんて気にさせる。愛知万博の開幕を一週間後に控え、中央コンコースに万博の案内所があったりもし、万博一色という感じ。
その万博、一般公開を前に、いま、内覧会というのをやっているそうで、けっこう賑わっているらしい。「リニモ」に乗るには開幕前のほうが込まなくてよいだろうと思ったのだが、そうとはいいきれないようだ。昼食を取らずに名古屋地下鉄東山線名古屋駅に行くと、電光掲示板では「リニモ30分待ち」という案内が流れていた。どんな混雑を呈しているかわからないけれど、とにかく、「リニモ」始発の藤ヶ丘駅へ向かう。
[リニモ]地下鉄東山線は藤ヶ丘駅の手前で地上に出て、終点は高架になっている。「リニモ」の案内に従って進む。地下鉄の高架駅を出た駅前広場は、「リニモ」に乗る人のためロープで蛇行する一方通行の通路が決められており、警備員が案内誘導していた。仮設の切符売場がずらりと並んでいる。自動券売機ではなく、人が売っている。「リニモ」の乗り場は地下にあるのだが、地上にまで人はあふれていなかった。警備員のすいている窓口で切符を買って下さい、という案内に従って仮設の切符売場で切符を買う。
仮設切符売場では、万博会場までの運賃が、でかでかと掲示されていて、「リニモ」の終点が会場なのだろうと、安易に考えていたら、愛知環状鉄道の八草駅との途中に会場駅があるようで、あわてて終点までと言い直して切符を買った。
万博への関心が薄いから、会場がどこにあるのか正確に調べてなかったのだが、そう早とちりしたのは、昨年(2004年)秋から万博終了まで愛知環状鉄道の八草駅を万博八草駅に改称しており、その駅付近が会場なのだろう、くらいに思っていたのだ。確かに八草駅も最寄り駅であるらしいが、主会場はリニモの中間駅にあるようだ。自動券売機なら案内図を見て確認するのだが、仮設売場には、万博会場までの切符を売るのが主だから、それ以外の駅への案内がしてないのだ(どこかにあったのかもしれないが)。
「リニモ30分待ち」が頭にあるものだから、切符を買って急いで地下の乗り場に向かう。ところが、待つ人はどこにもおらず、改札を抜けて、その下のホームへ待つこともなく進め、そのまま停車していた電車に乗り込んだのだった。座ることはできなかったが、ぎゅうぎゅう詰めの大混雑ではない。
電光掲示の情報とは裏腹に、まったく混雑しておらず拍子抜けしてしまった。いっとき、そんな状況だったのだろうが、すでに解消したようだった。名古屋市地下鉄で、情報を流してくれるのはありがたいが、間の抜けた情報では困る。先があるから昼食を取らずにきたが、こんなことなら、駅付近で昼食を取ってもよかった。
「リニモ」は愛知高速交通の車両の愛称である。常電導磁気浮上システムを採用した日本初の乗り物である。車体を浮かせ、それを移動させる磁力は相当大きなものなのだろう。車内はシールドされていて、磁気の影響はないはずだけど、その強力な磁力を感じるような気がする。たぶん、気のせいだろうけれど。電車はレールをがたごと走るわけでないので比較的静かである。けっこう勾配のあるところも走れるのが強みらしい。
藤が丘駅をでると、地上に出て、けっこう家々が立ち並んでいるところを走る。
しばらく行くと、雑木林など自然が豊かになってくる。トヨタ博物館とか県立芸大などが沿線にある。10分ほどで万博会場駅に至る。長久手会場最寄り駅で、内覧者がどっと下車。このあたり高架なので見晴らしがいい。瀬戸会場とを結ぶコンドラが浮かび、遠くに見える雪をいただいた山が遥か遠くににょっきり立っていたが、御岳山だろうか。駐車場には多くのバスが留まり、万博会場は、内覧会見学者で混雑しているようだった。開幕すれば、もっと混雑するのだろう。15分ほどで終点の万博八草駅に到着。
ここでも警備員が立ち、乗客を誘導している。いわば、内覧会期間中は万博期間中の人をさばく予行演習みたいなものなのだろう。まだ、昼すぎだから混雑はしていない。
万博八草駅へは、「エキスポシャトル」というJR東海の電車が名古屋駅から中央線経由で直接はいってきて、20分に1本の間隔でピストン運転している。この駅から瀬戸会場へのシャトルバスがあるそうだ。10分ほどの待ち合わせで名古屋行があったので、それに乗って高蔵寺に向かう。
高蔵寺まで快速運転で途中旅客扱いはしないのだが、単線区間で行き違い待ちをする。八草まで複線化したのかと思ったら、高蔵寺から瀬戸市あたりまでのようだ。
高蔵寺駅ではすぐに多治見行に接続していて、そのまま乗り継ぐ。軟券だが万博八草駅発の切符が手元に残った。
[中津川]高蔵寺から10分あまりで多治見に到着。まず、今夜の宿をおさえておく。
20分ほど待つとセントラルライナーという中津川行の快速があって、それに乗り継ぐ。この快速、名古屋−高蔵寺間の停車駅から乗ると着席券がいる列車である。多治見−中津川間は各駅に停まるので、それは不要。朝晩に通勤快速として着席券がいる列車があったりするが、昼間の列車に余分にお金を取るとは、JR東海は少しせこい気がする。
雪をいただいた山は恵那山だろう。次第に山間に分け入る感じになって40分ほどで中津川に到着。以前中津川で下車したとき、駅前にダイエーがあった。建物は残っていたがすでにダイエーは撤退、別の用途に使われているようだった。屋上にDマークの広告塔のなごりが残っていた。
駅前通りを行くとユニーのマークを掲げた古ぼけた建物があったが、営業しておらず、中津川にはスーパーがないのかと思っていたらすぐ近くにアピタがあった。ユニーが古い建物そのままに新設したらしい。昼食をとらないままここまできたので昼食代わりのパンなどを仕入れ、お腹におさめる。
中津川は中山道の宿場町である。その通りを歩いてみる。ところどころ古い建物が残っていたりする。道路がクランク状に折れ曲がった桝形が宿場町当時のなごりをとどめる。間家の大正6年に建てられた煉瓦造の蔵が資料館になっていたり、中山道歴史資料館も通り沿いにあったが、ゆっくり見れそうにないので、今回はパス。
最近の中津川市の話題は、木曾の宿場町の町並みを残す馬篭がある長野県旧山口村が県境を越えて合併実現した新市勢だろう。今年(2005年)2月のことで、新中津川市誕生の幟が揺れる。
[南木曽]松本行の前に南木曽行があったのでそれに乗る。電車は木曽川に沿って走る。南木曽に降りたのはずいぶん昔だ。ここから妻篭、馬篭峠を越えて馬篭まで歩いたことがある。
駅から少し行ったところに「桃介橋」というつり橋がある。重要文化財らしい。木造トラスのつり橋自体は掛け替えられている。かつては、森林鉄道のレールも敷かれていたようだ。桃介橋は、福沢桃介にちなむもので、対岸には大正8年に建てられた桃介の山荘が復元され資料館として公開されている。また、隣接して、明治か大正頃に建てられたような御料局妻籠出張所の建物が山の歴史館として使われ、屋外には森林鉄道の機関車や掛け替えられる前の桃介橋の一部などが展示されている。訪れた時刻が遅くて、すでに閉館していたが、屋外に置いてあるものは見ることができた。
[諏訪へ]南木曽から松本行に乗る。木曽川に沿って走る。山また山の車窓風景、中央西線を通るのも数年ぶりである。上松の手前に寝覚めの床がある。木曽福島を過ぎ、奈良井峠をトンネルでを抜けると夕闇が迫り、塩尻に着く頃にはとっぷり日も暮れた。
中央東線の電車を待つ間、駅の食堂で夕食を済ます。この日、下諏訪駅近くの露天風呂もあるBHに泊まる。露天風呂まで行くのがおっくうで、温泉はパスしてそのまま寝てしまった。
[茅野]翌朝、上諏訪から茅野へ行く。ここで下車するのは初めて。よく冷え込んでいる。「寒天の里」というキャッチフレーズが掲げられていたが、それもうなずける冷え込みだ。これから向かうのは、高部という集落。ここに神長官守矢史料館がある。駅から西へ3kmほどのところだ。ぶらぶら歩く。
史料館には8時過ぎに着いた。小さな建物であるが、独特の姿に存在感がある。入口側は板張り、石葺きの片流れ屋根で、奥は土壁を思わせる、がさがさした感じの切り藁入り着色コンクリートむき出しの2階建てに方形屋根が載っている。この史料館は古代より諏訪大社の祭祀を司ってきた守矢家に伝えられた史料を保存展示する施設。設計は建築探偵で有名な藤森先生、建築家としての第一作である。1991年竣工、すでに10年以上経過しており、割板の外壁など風格が感じられる。
史料館は9時からなので、その前に建物の写真を撮ったり、その裏手、少し高みにある2004年に建てられた「高過庵」を見に行ったりした。この建物、木の上にあって、雑誌などいろいろなところで紹介された。
さらに、史料館が開くのにまだ時間があったので、せっかくなので、ここから1kmほど離れた諏訪大社上社を往復してきた。
9時に戻ってきて史料館を見学。係の人がいろいろ説明して下さった。史料館自体は小さな施設であるである。鹿の首などが並ぶ「御頭祭(おんとうさい)」の供物が復元され、古文書などが展示されている。2階は収蔵庫。
史料館を見学して、ぶらぶらと駅に戻る。近くにバス停は立っているのだが、いつ走っているのかよくわからないくらい閑散な路線のようである。
早朝から歩いて行ったおかげで、予定より1本早い上り電車に乗ることができた。このあと電車に乗り詰めなので、駅でパン、飲料を仕入れておく。
[中央本線から羽田空港、横浜中華街へ]茅野から甲府行に乗車する。南に雪をいただいた南アルプスの山々を望み、冬枯れ色の八ケ岳山麓を抜けて甲府盆地へと下って行く。遙か富士山の山容も望まれる。
甲府で高尾行に乗り継いで中央本線を東へ東へ。甲府盆地からぶどう畑の広がる勝沼を過ぎ、笹子トンネルを抜けると相模川上流の山峡を行く。神奈川県をかすめて、ようよう高尾に着いた。茅野から約3時間ほど。ここで東京行に乗り換え、途中国分寺で特快に乗り換えて先を急ぐ。中央線は高架工事を進めているようだが、沿線まで住宅がひしめき、工事もたいへんだろう。沿線は、家、家、家だ。
神田駅に停車したとき、階段がすぐそばだったのでここで下車することにした。東京駅の混雑のなか、中央線の高架ホームから山手・京浜東北線ホームへの乗り換えに手間取るかも、と思ったのだ。でも、昼間の時間帯、京浜東北線の電車は快速運転で神田は停まらず、隣のホームに上がると、山手線の電車が出たあとで、ここで乗り換えてよかったのかどうか。でも、すぐ次の電車がくるから気にはならないが・・。
東京をそのまま抜けて浜松町駅で下車。今夜の宿をおさえてから、東京モノレールに乗る。以前、東京モノレールに乗ったのは、京浜急行が羽田空港に乗り入れ、羽田−成田直通電車を走らせはじめたときだった。昨年(2004年)12月、第二ターミナルビルができ、モノレールの元の終点を第一ビルとして、そこまで延長されたので乗りにきたわけだ。京浜急行の駅は、第一と第二ビルをむすぶように間にある。
モノレールの終点まで乗ってしまうと、もう空港には用がないので、京浜急行の乗り場に移動、すぐの成田行に乗り継げた。京急蒲田で三崎口行に乗り継ぎ、多摩川を渡って京急川崎で下車する。JRの川崎駅とは近い。
JR川崎駅の西側には東芝の工場があったと思うのだが、すっくりなくなって、高層ビルができたりしている。線路沿いにはドコモ川崎ビルが建っている。
JRに乗り換えて横浜で下車。横浜高速鉄道の乗り場に移動。東急東横線と直通運転する地下鉄で、東横線も地下にもぐることなったため、横浜−桜木町間が廃止された。まあ、この区間、JR根岸線と並走しているから、廃止してもさほど問題はなかっただろう。 横浜から元町・中華街まで10分ほど。地下線内各駅に停めてもいいようなものだが、快速電車も走っている。最近開業する地下鉄駅は、実用一点張りの個性のないデザインからそれぞれの駅で工夫をこらすようになってきた。
せっかく、中華街に来たので寄っていこう。中華街に向かう人に従うように進むと、はではでしい門があり、中華料理店や食材など売る店が並んでいる。中華街はすごい人出で賑わっている。
きょうの昼食も電車の乗り継ぎで、軽くパンをかじっただけなので、少し早めに夕食を取ることにした。せっかくヨコハマにきたのだから、中華だ、というわけで、石川駅近くの「餃子の王将」にはいったのだった。
JR石川町駅から横浜に戻り、東海道線に乗り換えて小田原に向かった。小田原駅に下車するのも久しぶりだが、橋上駅に改造され、大きく変わっていた。きょうは、駅近くの繁華街のなかにあるBHに泊まる。
[ポーラ美術館]翌朝早々に箱根登山鉄道に乗りに行く。初めて箱根登山鉄道に乗りにきたのは8月のお盆休み期間だったのだが、車内は通勤電車なみのものすごい混雑を呈していて、もちろん座ることはできなくて、車窓を楽しむどころではなかった。その思いがあって、早めに来たのだが、今回はゆったり座ることができ、登山電車らしいスイッチバックがある路線を楽しむことができた。
強羅で下車。まだ、時刻が早いので、観光客は少ないが、ほとんどの人はそのままケーブルを乗り継いでいく。
これからポーラ美術館に向かう。バスが走っているのだが、時間があるので、駅前の観光地図で場所を確認し、歩いて行くことにした。距離は3kmほどと思ったのだが、強羅駅前からは、ケーブル線に沿う格好でけっこう急勾配の坂道になっていて、先が思いやられた。そこを登ると道路は比較的平坦で、バスが来れば乗ってもよかったのだが、そのまま美術館まで歩ききることができた。
箱根界隈にはいろいろな美術館がある。ポーラ美術館は2002年竣工の比較的新しい美術館である。2004年度の建築学会賞に選ばれている。設計は日建設計で、国立公園内に大規模な美術館を建てるため、環境アセス調査や許認可に長期間を要したという。
建物は緩やかな斜面をすり鉢状に堀込んだところに建っている。掛け渡された橋を通って入口をはいり、エスカレーターで展示室に降りていく。トップライトから光が落ち、地下2階まで吹き抜けになっている。エスカレータを降りて行くとカフェがあるのだが、巨大なガラス窓の向こうに冬枯れの木立が広がっている。四季おりおりの自然の姿から、森のなかにある美術館を実感できる。 展示室の配置は、エントランス軸を中心に左右に分かれている。
美術館では開館3周年の印象派を中心にした展覧会をやっていた。なかなかのコレクションをもっているようだ。
展覧会を一巡して、帰りはバス。観光地を巡回するバスが休日には15分おきに走っている。歩くと45分ほどかかった道のりも、バスだと15分ほどで強羅駅前に戻る。
[帰路]帰りの電車は、この付近に宿泊した人たちだろう、そんな人が増えて立ち客がでた。登山鉄道は2両編成だから少し乗客が増えるとすぐ込む。この電車は箱根湯元駅止まりで、小田急の新宿行急行に接続。山から降りるにつれて車内は混雑し、乗り換え時間がわずかしかなく、次の特急を待つ人たちはのんびりしているから少しあわてた。
小田原に戻り、「青春18きっぷ」の電車乗り継ぎの再開。ほんとは、駅で電車の接続時刻を調べておこうと思ったのだが、熱海行がすぐにあったので、とりあえずそれに乗ることにした。
熱海で静岡行に接続。きのう、スーパーで買ったパンを食べながら東海道を下る。静岡から、浜松でさらに電車を乗り継いだ。このまま普通、快速電車を乗り継いで大阪に向かってもよかったのだが、「青春18きっぷ」の金額相当は乗っているので、名古屋で下車。大阪までの乗車券と自由席特急券を別に買って新幹線の改札を抜けた。「のぞみ」のほうが早いのだが、座れないといやなので、各駅停車の「ひかり」に乗った。名古屋から1時間ほどだから速いものだ。
(2005.3.19〜3.21)
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