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福岡、上関、徴古館

[西に向かって]福岡に行こうと思う。単純に往復するなら金券屋で回数券のバラ売りを買えば、乗車券と特急券を買うより少し安くていいのだが、それだと途中下車できない。

JRの運賃は601km以上の距離を往復すると、往復割引が適用になって、運賃が往路、復路とも各1割引になる。大阪市内から博多(福岡市内)まで601km以上あって、割引の対象になる。

また、「周遊きっぷ」を使う手もあって、これだと往路、路復各2割引になるのだが、周遊ゾーンの料金と合算すると、福岡市内往復だけを考えた場合、往復乗車券のほうが安くなる。で、けっきょく、往復乗車券を買うことにした。

国鉄からJRに分割されて、いまは、JR各社間の運賃に少し差が出ている。山陽新幹線は九州内でもJR西日本なのだが、在来線だと、下関から先はJR九州で、JR九州の運賃が少し高いので、その分、在来線のほうが運賃が高くなる。だから、乗車券を買う時点で、どちらに乗るか、経路を指定しなければならない。運賃計算もめんどうになったものだ。

在来線に乗るかもしれないけれど、単純に、新幹線で往復ということで、乗車券を購入、あわせて指定席特急券も買った。「ひかりレールスター」の指定席は、2×2シートでゆったり座れるからね。

新大阪8:46発の「ひかりレールスター」に乗車。残り物の指定席なのか、デッキ近くのひとり掛け席、つまり車椅子スペースが設けられている席だった。こういう座席の車両があるのを初めて知った。

新関門トンネルを抜けて2時間45分で博多に到着。「のぞみ」よりは遅いけれど、ふつうの「ひかり」よりは少し速い。6分の接続で鹿児島本線二日市行に乗り継いだ。

201km以上の乗車券は「福岡市内ゆき」として発券されるから、鹿児島本線を下った場合、南福岡まで乗ることができる。新幹線はJR西日本で、博多から乗り継いだ在来線はJR九州、この場合、JR九州はサービスで乗せていることになるのかな。それとも、JR西日本から、いくらか運賃をもらえるのかな。ほんの6.7km、220円のことだけど。

10分乗って南福岡駅で下車。むかしは、雑餉隈(ざっしょのくま)といっていた。500mほど離れた西鉄の駅は雑餉隈駅である。といっても、地図を見てもそういう地名はないのだが・・・。ここにはJR九州の電車基地がある。

JRから西鉄の駅まで歩く。食事をしてもよかったのだが、とりあえず太宰府まで行くことにした。

[九州国立博物館]西鉄二日市で太宰府線に乗り換え太宰府に向かう。駅から太宰府天満宮に向かう参道は、修学旅行の生徒や観光客であふれ返っていた。土産物屋、梅が枝餅屋、食堂など参道に並んでいるのだが、人があふれ返っている様子に、時間がかかりそうだ、とあきらめた。

せっかくなので、太宰府天満宮にお参りする。そのあと、参道から分かれて博物館へ通じる道を進むと、エスカレータ乗り場があって、長いエスカレータで斜面を登り、その先に通じるムービングウォークの設置されたトンネルを行く。トンネル内は、いろいろ色が変化する照明で照らされている。トンネルを抜けると、どおーん、建物があるわけだ。

九州国立博物館は、東京、京都、奈良に続き、4番目の国立博物館で、2005年10月に開館した、ほやほやの博物館である。

うねうねっとした屋根の側面はガラス張りで、まわりの山々の木々を映し出している。屋根のうねうねした感じは、まわりの山々からきているのだろうか。左右がすっぱと切れているところは、大ぶりの辛子明太子を輪切りにしたような感じもするけれど・・・。とにかく大きな建物。

エントランスをはいると吹き抜けの広いスペースになっていて、見えがかりには木がふんだんに使われている。それにしても人が多い。開館してひと月ほどたっているのに、いまだ客足衰えず、というところ。

まず、エスカレータで3階にあがって、開館記念特別展「美の国日本」を見学。正倉院の宝物はじめ、韓国、中国の名品が並べられている。国宝、重要文化財など多数。人が多くて、多くて、じっくり展示物を見るどころではなかった。

その上の階が常設展にあたる文化交流展示室、「海の道、アジアの路」をテーマにアジアとの関わりと日本文化を紹介する。広いフロアがあてられていて、その中を自由に見て回れる、というのが特徴らしい。

帰りは、トンネルとは別のアクセス路を通って太宰府駅に戻る。昼食を取りそこなったので駅前のコンビニでパンなど買って済ます。

[福岡市交通局七隈線]太宰府から西鉄電車で福岡市内に戻る。西鉄福岡駅のひとつ手前、薬院駅で下車、ここは地下鉄七隈線の接続駅でもあるのだが、往復するかどうかわからないので、500mほど北の天神南駅まで歩く。

きょうの宿を福岡市内に取ろうと思って、片っ端から電話するも、どこもかも満室と断られる。週末だから大丈夫だろうと思ったのだが、あまかった。大相撲の影響もあるのかな。

七隈線は2005年2月3日に開業した路線で、今まで、鉄道のなかった福岡市南西方向に伸びている路線だ。天神南駅は、空港線の天神駅から南へ300mほど離れていて、駅としては独立しているのだが、地下鉄線としては天神駅と乗り換えができるようになっている。120分という制限があるようだが。

福岡市の地下鉄は、駅それぞれにイメージイラストが付けられている。むかしからあったのかもしれないが、久しぶりに地下鉄に乗ったので、それが新鮮だった。南福岡駅のイラストは、子供ふたりが向き合って手を組んだもので、「とうりゃんせ」なのだろう。次の渡辺通駅は、路面電車のイラスト、たぶん、渡辺通りは路面電車と関係深い場所なのだろうけれど、イラスト考える人も苦労している。

地下鉄電車は、リニアモーターを使ったもので、少し小ぶりな車両が走る。路線は、渡辺通りから城南線を西に向かい、国道202号線から福岡大学のほうをまわり、室見川を越えた橋本まで、12kmを約24分で結ぶ。

地上に出てみると、福岡市の外周道路と思える広い道路があるだけの郊外といった感じのところで、道路沿いにロードサイドショップが点在している。JR姪浜駅から南へ2.5kmほどのところだろうか。駅前から姪浜駅へバスの便がある。

また、都市高速道を走る天神方面行のバスもあった。天神までのバスの運賃は350円で、地下鉄の320円より少し高いが、おもしろそうなので、この路線バスに乗ってみることにした。

バスは、外周道路を北に向かい、室見川沿いの高速にあがり、ももち、ドーム球場のそばを通って天神北ランプを降りて天神に至るというルート。道路の混み具合によって、時間は一定しないだろうが、バスは高速道を快調に走り、25分ほどで天神に着いた。

福岡市内に泊まるなら、日暮れまで、あたりを散策してもよかったのだが、どうも無理なようなので、天神から地下鉄に乗り、博多駅に戻ることにした。

[小倉]往復乗車券の経路は新幹線である。車内改札で細かく改められない限り、この経路のちがいはわからないだろうけれど、そういう経路で求めたわけだから新幹線に乗ることにする。

博多から新幹線でひと駅、小倉までの特急料金は、自由席だと、特定料金ということで、940円である。ホームに上がると、小倉行という4両編成の「こだま」に乗れた。在来線だど快速でも1時間くらいかかる小倉まで、新幹線だと20分ほどだから速い。

小倉駅前には「そごう」があったのだが、いまは看板をかけ替えて、「伊勢丹」になっている。せっかくなので、ここのレストラン街で夕食を取る。

きょうの泊まりは下関にした。小倉から下関までJR九州の区間だから、手持ちの乗車券では、経路変更の手続きをし、追加運賃を払わなければならない。たぶん、差額は40円だ。それだけのために、窓口を訪れるのはめんどうなので、小倉から下関まで別にキップを買うことにした。昼間、博多−南福岡間、サービス(?)してもらってもいるから、JR九州に寄付することにしよう。

[下関から上関へ]翌朝、早くに目が覚めたので、下関6:04発新山口行電車に乗る。まだ、明るくなりきってないなか、東へ向かう。乗車券は、新幹線経由ではあるが、下関から先はJR西日本の管内であり、新幹線と在来線の運賃に差はないので、この違いを問題にされることはないはずだ。

新山口で岡山行に乗り継ぐ。山陽本線には300kmくらいの距離を走る電車が何本か設定されているが、こんな長距離走る普通電車(この電車は広島近郊区間では快速になるが)は、いまどき、めずらしいかもしれないね。かつては、長距離各停列車もいろいろあったけれど、細切れにされた区間が多い。

柳井港8:42到着。無人駅である。駅舎のそばに「急行停車記念」という記念碑の残骸のようなものが残っていた。建立された日付を見ると、昭和43年10月とあるから、43−10のダイヤ改正で急行が停まることになった記念碑らしい。

当時の『時刻表』を帰って調べてみると、急行「ながと1号」新大阪−下関間1往復が柳井港駅に停車している(当時は、上り・下りで号数を変えるルールはなくて、どちらも1号、新大阪−下関間を約8時間40分かけて走っていた)。当時の柳井港駅としては画期的なことだったのだろう。

駅から少し歩いたところに、四国松山に渡るフェリー乗り場がある。また、室津から祝島への連絡船も出ている(この連絡船の時刻、JRの『時刻表』には載っているのだが、JTBのにはでていない)。初めて訪れた場所なので、乗り場を探して、うろうろするといけないと思い、早めに来たが、港まですぐの位置だったので、もう1本あとの電車でもよかった。しばらく、港の待合室で待つ。

祝島への高速船は9:30に出航した。乗客は2人だけだった。右手に矢代島(大島)、左手に室津半島、波も50cmもないくらいの、おだやかな航海だ。双胴船のせいか、安定していて揺れない。多島海の眺めを楽しむ。室津まで30分ほどの船旅。室津で下船したのは、ひとりだけ。

[室津・上関]室津半島の先っぽから、いまは上関大橋で繋がる長島、それに祝島などからなる上関町、古くから瀬戸内海航路の要衝として発展した港町である。ちょっと古いけれど、上関はNHKの朝の連ドラ「鳩子の海」の舞台にもなった。このドラマ、1974(昭和49)年だというから、もう30年以上前のことなのだが、いまだに「鳩子てんぷら」とか、土地の名産品の名に<鳩子>が生きている。(そうそう、柳井の銘菓に「鳩子の海」というのもあった)

高速艇を降りて、まず、四階楼を見に行く。山口県の文化財だけど、確か、最近、重要文化財に指定されたのではなかったかな。1879(明治12)年に建てられた木造4階建ての建物である。かつては、四海荘という旅館として使われていたが、町に寄付され、保存改修工事が行われた。現在は、郷土史学習館として一般公開されている。

設計施工は地元の大工さんなのだろうが、4階には色ガラスがはめられ、白漆喰の外壁に鏝絵の装飾が施された擬洋風建築である。施主は小方謙九郎という人で、幕末、高杉晋作が結成した騎兵隊にはいり活躍した維新の志士らしい。維新後地元室津に帰り、この建物を建て、回漕店や汽船宿などを営んだのだそうだ。

室内にも鏝絵がいろいろある。4階の天井には羽を広げた鳳凰の鏝絵があって、嘴が向いているのが北のようだ。階高は低くて、手を挙げると天井に届くくらいしかない。

四階楼を見学したあと、まず、室津の街を歩いて見る。裏通りには港町の風情を感じる古い町屋もないではないが、それほど残っていない。小さな町並みをまわったあと、室津地区から上関大橋を渡って上関地区に行く。この橋、全長220mあって、海上を船が航行する関係から、かなり高く、眺めがよい。

上関地区の高みに上関御番所という、江戸時代、毛利藩が設けた御番所の建物が移築されて残されている。上関役場付近には、古い町屋が少しまとまって残っている。2階窓の格好、井桁に横格子というのが個性的だ。

上関の港のそばに海来館という施設がある。ここは中国電力が設けた施設で、観光案内所も兼ねているのだが、中電が上関町で計画している原発のPRなどを兼ねた施設である。「電源立地等初期対策交付金事業」の名のもとに、立派な観光パンフが作られている。

帰りは、また高速船で柳井港に戻ってもよかったのだが、帰りは陸路、バスで柳井に戻ることにする。バスまでしばらく間が合ったので、上関からふたたび上関大橋を渡り、室津から室津半島西岸沿いのバス道を、海を眺めながらぶらぶら歩くことにした。

3kmほど歩いて志田バス停から柳井駅前行のバスを捕まえる。バスは海沿いを走り、平生で国道188号線にはいり、50分近くかかって柳井駅前に着いた。

[柳井]駅前通りは、「麗都路通り」という名がついている。拡幅された都市計画道路で、両側に並んでいる商店など、まったく、つまらない町並みだ。

ところどころに、かつて建っていた近代建築の案内板が建っていて、それを紹介するためだけに、喫茶店の名前みたいな当て字の愛称つけたらしい。こんな愛称にして恥ずかしくないのかな。町並みとして、もっと工夫できないものかと思ってしまう。

柳井の古市・金屋地区には江戸時代の商家の町並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。せっかく、よい観光資源があるのに、惜しいなと思ってしまう。

古い町並みは柳井川を渡ったところにある。通りの先に洋館があって、観光案内所を兼ねた町並み資料館になっている。この建物は、1907(明治40)年、周防銀行本店として建てられた建物。2階は柳井市出身の歌手松島詩子記念館として、レコード、ポスター、ステージ衣装など、資料を展示している。

伝建地区を散策、観光に訪れている人たちも多い。町並みのなかほどに国の重要文化財に指定されている国森家住宅があるので、内部を見学する。

この付近には、「しらかべ学遊館」「やない西蔵」「甘露醤油資料館」など町並みを活かした施設がある。また、この町並みから少し離れたところには国木田独歩旧宅というのが残っている。独歩は、青年時代を柳井で過ごしたらしい。

[柳井から岩国へ]今夜は岩国で泊まる。そのまま岩国に行ってしまうと、早く着きすぎるので、途中下車しながら行こうと思う。今朝、柳井港駅まで電車に乗っているので、柳井−柳井港間の乗車券を別途購入して改札を抜ける。

柳井港を過ぎると海沿いを走る。最初に下車したのは、柳井からふたつ先の大畠駅。大阪市内行の乗車券で途中下車すると呼び止められて、切符に駅名小印を押された。ここまで、乗車してます、ということを表すもので、途中下車するときに押すきまりだが、最近、押されたことがない。律儀なことだ。

大畠から周防大島(屋代島)へ大島大橋が架かっている。島には温泉がいくつかあるらしい。JRバスが走っていて、行ってみたいなと思うのだが、先っぽのほうまで行く時間がないのであきらめて、大畠の町並みを歩いてみる。

旧山陽道である国道2号線は、内陸部、岩徳線に沿っているが、海岸部でも、古い建物はあまりなかったが、昔の街道の雰囲気が残っている町並みであった。

大畠町も柳井市と合併したようで、少し古い旧町役場が出張所として残っている。改造されているが、下見板張りで戦前の建物らしい。

大畠駅に戻って、次は由宇駅で途中下車。駅から5kmほど内陸にはいったところに由宇温泉がある。となりの通津駅まで2.5kmあまりなので、歩いてみることにした。海岸沿いの道路を期待したのだが、しばらくすると海岸べりに大きな工場が現れ、まったくつまらない歩きになってしまった。薄暗くなったところで、通津駅にだとりついた。暗くなってしまうと、途中下車する気にもならず、そのまま岩国まで乗って下車。今夜はここで泊まる。

[岩国]翌朝、岩国市内を歩く。岩国駅前付近は繁華街などがあって賑やかなところだが、もともと城下町としての中心は、いまの西岩国駅のほうが近い。

山陽本線は、その前身の山陽鉄道が1901(明治34)年に下関まで全通させているが、1934(昭和9)年にいまの岩徳線が全通したとき、10年ほどの間は、こちらを山陽本線とし、西岩国駅が岩国駅だったのだ(いまの岩国駅は、麻里府という駅名だった)。

岩国駅から南西方向に1kmの今津地区は、天然記念物シロヘビの生息地として知られ、白蛇神社というのがある。そばに飼育施設もあって立ち寄ったところ、ケージには「冬眠中」という案内がされていた。

さらに2kmほど歩くと西岩国駅にたどり着く。錦帯橋を意識したアーチ型で飾られた駅舎である。1929(昭和4)年に建てられたものだが、いまは岩国市に譲渡され、「ふれあい交流館西岩国」として活用されている。たしか登録文化財になっているはず。

西岩国駅から錦帯橋をめざす。岩国小学校の一角に岩国学校教育資料館がある。1870(明治3)年に建てられた擬洋風建築である。まんなかに塔屋が増築され、いまの形になり、そこには釣り鐘がつるされていたらしい。

そのあたりから錦帯橋にかけて、城下町時代の町割りを伝える古びた町並みが残っていてる。そんななかのひとつ「つけもの物語館2号館」は、五橋湯という昭和初期に建てられた銭湯を活かした施設。

錦帯橋を渡る。せっかくなので、錦帯橋とロープウェイ、岩国城をセットにしたチケットを購入。錦帯橋は、錦川にかかる5連の木造橋で、1673(延宝元)年に岩国藩第三代藩主吉川広嘉によってかけられたそうだ。石垣で固めた4つの橋台に、中央の3つが支えのない木造アーチ、両端は柱で支えるふつうの橋である。下からアーチ橋の裏を見上げると、木組みの構造がとてもきれいである。

錦帯橋は、過去の洪水で流されたりしており、2004年春に「平成の架替」工事が完成しているのだが、そのうち一連の橋柱がこの前の洪水で流され、復旧工事が行われている。橋柱が流されても橋自体が落ちなかったのは、木組み構造がそれだけしっかりしているからだろう。なお、流された部分は、現在、補強材で支えられているので、観光客の通行に問題はない。

錦帯橋を渡ると、土産物屋などが並び、公園、美術館などがある。藩政時代には政庁が置かれていたところだ。ロープウェイの運転は午前9時からで、ほかの多くの観光客ともども1番客となる。ほんの3分ほどで山頂に運ばれる。錦川から岩国市街、その先の瀬戸内海まですばらしい眺望である。

ロープウェイを降りて数分歩くと岩国城がある。岩国城は、初代藩主吉川広家が1608(慶長13)年に建てたものだが、幕府の一国一城令により完成からわずか7年ほどで破却されたそうだ。いまの岩国城は、1962(昭和37)年に建てられたRC造の城で、錦帯橋からほどよく見えるように、もとの天守台の位置から南にずらされている。もとの天守台は石垣が残されている。

館内は刀剣などの資料が展示され、最上階は展望台になっている。山城だから眺めがすばらしい。ちょうど、岩国城のある山の西側に新幹線が走っていて、新岩国駅が見える。

さっと岩国城内を見学したあと、ふたたびロープウェイで下山、公園を散策。まず、国の重要文化財に指定されている旧目加田家住宅に立ち寄る。江戸中期の中級武家屋敷とのことで、一部二階建てのけっこう大きな住宅である。内部にははいれなくて、外から覗くだけ。瓦の葺き方がおもしろい。二階室が設けられているのは、錦川の氾濫に対処したためらしい。ただし、表側に窓はなくて、平屋のように見える。

つぎに、岩国徴古館を訪れる。この建物は、吉川家に伝わる美術工芸品、歴史資料の保存、展示を目的に、戦争中の物資の乏しいなか1945(昭和20)年に竣工した施設で、設計は佐藤武夫。現在は、市の施設として郷土に関係ある歴史、芸術、民俗関係の展示、保存などを行っている。

建物は、外壁はコンクリートブロックを積み上げたような感じなのだが、その古びに風格が漂っている。展示室室内の造形にはアーチ型が多用され、裾広がりの柱の並びに、錦帯橋を意識したと思わせる。光の取り入れ方にも工夫が見られる。

訪れたときは、「古川奠雪展」をやっていた。岩国の近代書道の基礎をなしたひとで、近代詩のほうでも有名らしい。

岩国徴古館のそばに、岩国高校記念館がある。1916(大正5)年旧制岩国中学校武道場として建てられたものらしい。

錦帯橋から岩徳線の川西駅まで1kmほどなので、錦川にそう道路を歩くことにした。ところが、しばらく行くと、通行止めの看板。錦帯橋を迂回するとかなり余計に歩く必要があり、列車に間に合わなくなるおそれもあった。どうせ、日曜日だし、工事は休みだろうから、強行突破することにして歩き続ける。

工事は、ちょうど川べりの崖が崩れたのか、崖を切り崩して大がかりな拡幅工事をしているのか、そんな工事をしているところであった。道路には崖からの土砂が堆く積まれ、ちょっとやばそうな現場であった。しかし、人がいないのを幸い、細心の注意を払いながら、その現場を恐る恐る通ったのであった。

そこを通り過ぎれは駅はすぐで、予定していた列車には十分間に合った。岩徳線川西駅は無人の片面ホームだけの駅。近くに、宇野千代の生家があるらしく、道案内が出ていた。訪れる時間がないのが残念。

[錦川鉄道]1987年7月25日赤字ローカル線の岩日線が第三セクターに転換されてできたのが錦川鉄道である。路線は岩徳線川西駅から錦町駅までであるが、全列車、岩国駅を発着するので、川西駅は岩徳線のただの途中駅という感じで、錦川鉄道の起点駅という感じはまったくない。駅に時刻表こそ掲示されていたけれど、錦川鉄道の運賃表はなかった。

川西11:02発錦町行に乗車する。乗客はぱらぱらっと座席がうまるくらい。列車は、しばらくは、そのまま岩徳線のうえを走り、トンネルを抜けたところにある信号所で分岐して、錦川鉄道錦川清流線がはじまる。しばらく走って、最初の停車駅御庄で下車する。ちょうど新幹線の高架下にある感じの駅だ。

『時刻表』の錦川鉄道の欄には注記されているが、御庄駅は、新幹線の新岩国駅最寄り駅である。新幹線の高架下を数分歩くと新岩国駅に行き着く。

新岩国から広島までひと駅、新幹線に乗る。博多から使い始めた乗車券で岩国まで乗ってきたが、岩国駅と新岩国駅の営業キロ数は同じで、同じ駅と見なされているから、ここから乗ることに問題はまったくないのだ。

広島まで特定特急料金830円。
やってきたのは4両編成の「こだま」で、乗ってしまうと、17分で広島に到着。

 

[広島]久しぶりに広島を訪れた。駅前にあるダイエーも近いうちに閉店するようだ。「ひろしま美術館」にいってみようと思う。駅から西へ1.5kmほどの距離だからぶらぶら歩く。

ひろしま美術館は1978年の開館で、地元広島銀行創業百周年記念事業として設けられたもの。建物の設計は日建設計で、四角く囲われた回廊の中庭の中心に円筒形の展示室がおとなしくある。さらに展示室は地下にもある。北側に広島城址があって、地上部をでかでかと目立つ格好にしたくなかったのだろう。

訪れたときは、常設展のみの公開だったけれど、中庭の展示室では、フランスを中心とするヨーロッパ美術、地下のほうでは、日本の近代美術が並べられていた。収蔵品は、名の通った画家を中心に、網羅的に集めてあって、けっこう見応えある美術館である。

美術館から南に向かうと基町クレドというホテルや商業施設のはいった複合施設があり、広島市民球場のそばを抜けて、世界遺産に指定された原爆ドームのところにやってきた。この界隈は観光客が多い。

元安橋を渡って平和記念公園にはいる。被爆建物のひとつ平和公園レストハウスや平和公園慰霊碑のそばをのそばを通って広島平和記念資料館へ。

丹下健三が計画した軸線が明快だ。いま、国際会議場、資料館西館、東館と東西に並んでいるが、その西館の中心から北へ、慰霊碑、原爆ドームへと繋がる。

せっかくなので、資料館を見学する。東館の1階では、被爆までの広島の状況、原爆開発などのことが、2、3階では、広島の平和運動の取り組みなどが紹介され、西館では、被爆直後の様子からその後の被害の実態を、遺品や被爆資料を通して紹介している。

平和大通りに出て、東に向かい、袋町電停から広島駅前行の市内電車に乗る。
広島駅には、午後3時半前に戻ってきた。16:00発「のぞみ」、広島始発の東京行自由席ねらいでホームに上がる。発車まで30分ほどあったが、ほどなく「のぞみ」が入線、楽々座ることができた。発車間際だと自由席はいっぱいで立つ人が多かっただけに、少し早めにホームに上がって正解だった。新幹線に乗ってしまうと、広島から1時間半ほどだから速いものだ。(2005.11.18〜11.20)


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