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金沢・つくば・六本木

[連続乗車券]今年(2005年)の夏、青森から大阪への旅で盛岡、仙台から新潟へ抜けて北陸をまわることを考えたのだが、天候不順でそれを見合わせたので、今回、改めて金沢へ行こうと思う。金沢へ行って見てみたいのは「金沢21世紀美術館」である。せっかくなので、石川県下の美術館などいくつかまわってみよう。

北陸で2泊して帰ってきてもよかったのだが、金沢から上野行夜行列車が出ているので、金沢からの帰り(帰りとするには、大回りすぎるかな)、この8月24日に開業した「つくばエクスプレス」に初乗りしてみようと思う。

それで、乗車経路は、大阪から東海道、湖西、北陸、信越、上越、高崎、東北線を経て東京、そして、東京から東海道線を下ることになるわけである。片道乗車券の発売ルールとして、同じ駅を2度通ることができないので、ぶつかった駅までの乗車券と、その駅から先の乗車券という2枚組の「連続乗車券」というの用いることになる。

今回の場合、先のルートだと京都(在来線なら山科、新幹線なら京都ということになるけれど、大阪、京都など特定市内ゆきの乗車券は、201km以上の場合、今回でいえば京都市内ゆき、となって同じこと)でぶつかるから、先の経路での京都市内ゆきの乗車券と京都→大阪の乗車券2枚組の連続乗車券になるわけだ。2枚目のきっぷは、京都→大阪ではなく、京都市内の端駅・西大路→大阪でいいわけだけど、特定区間運賃として、どちらも同額なので、わかりやすいほうでいいだろう。

ところが、駅窓口の係員は、連続乗車券として発券せず、片道乗車券2枚として、先の行程の切符を作ってくれた。係員から、京都−大阪間をいつ乗るのか、と聞かれたので、予定日を答えたのだが、おかしなこと訊くなと思ったら、その日付の乗車券だったのだ。

連続乗車券なら2片券それぞれの有効日数を合算した日のうちに乗ればいいのだけど、こうやって乗車日を指定されてしまうと、その日に乗らないとキップが無効になってしまう。
係員に意見して、作り変えさせてもよかったのだが、ごたごたして電車に乗り遅れるのもいやなので、今回は大目にみてやることにした。

だいたい、『時刻表』のピンクページにJRの営業案内が記されており、そこに連続乗車券のことも書かれているのだから、それを無視した係員がいい加減すぎる。

「時刻表検定試験」というのがあるけれど、窓口に座る係員には、検定2級以上の合格者を配すくらいのことをしてほしいね。少なくとも、『時刻表』に記されていることくらいきっちり理解しておいてほしいものだ。

それとも、あの係員は、連続乗車券のことは知っていたけれど、端末操作ができなかっただけかもしれないね。いまは、端末の操作だけで、いちいちキロ数計算しなくても、運賃いくらと出るようになっている。窓口に備え付けられた端末は、多くの機能を持っているから、ふだん使わない切符の発券でマニュアル確認したりして手間取るより、安易な方法を取ったのかも・・これもありうる。

むかしは、常備している切符以外、複雑な経路の乗車券とかは、窓口の係員が手計算で運賃計算していた。乗車券を買うこちらも、複雑な経路の場合、紙に経路とかを描いて、すこしでも早く切符を作ってもらえるよう配慮したものだった。いまの係員は、細かい運賃計算しなくてもよいけれど、端末操作はそれなりにたいへんなのかもしれない。

[サンダーバード7号]大阪8:42発和倉温泉・富山行「サンダーバード7号」に乗車。金沢で分割して、前寄り3両が和倉温泉行、後寄り6両が富山行となる特急である。途中で分割する列車に乗る場合、行き先をよく確かめて乗る必要があるが、金沢で途中下車するので、どちらの編成に乗ってもよい。ホームで並んだのは和倉温泉行の禁煙自由席車だった。充分座れるくらいの人しか並んでなかった。

大阪から北陸方面への特急看板列車は「雷鳥」である。確か東京オリンピックの年、1964年10月誕生したものだ。実際の運転は、年末からだったらしい。北陸本線の急行列車が消え「雷鳥」一本だったのが、いっとき「スーパー雷鳥」というのが走り、それが681系新型車両の増備にあわせて「サンダーバード」になった。もう十年ほど前のことだったと思う。

「雷鳥」という愛称は、もともと立山連峰などに生息する「雷鳥」にちなむもので、いっとき流行ったイラストヘッドマークも<雷鳥>が描かれていた。それを直訳的に横文字にしたわけか。「サンダーバード」は「雷鳥」の正式英名ではないと思うけれど・・・。
「サンダーバード」というと人形劇を思い出してしまいますね。この電車が登場したとき、その人形劇がCMに使われていたような気もする。

それでも「サンダーバード」はふつうの「雷鳥」よりスピードは速くて、この電車の場合、京都を出ると、金沢まで、福井に停まるだけなので、30分前に出た「雷鳥5号」とは金沢で5分しかちがわない。

[金沢]金沢11:09到着、途中下車。金沢駅は高架になっている。高架にかわったのはずいぶん前だけど、在来線ホームの東側にはすでに新幹線の駅が作られている。といってもまだ使用できる状態ではもちろんない。

在来線の駅を高架にするとき、将来伸びてくるはずの新幹線高架駅とあわせ、高架下の空間もひっくるめていっしょに作ったわけだ。高架下には、土産物屋やレストラン街などとなっている。

金沢駅から高架に沿って南に1kmほど行ったところに金沢市民芸術村という施設がある。犀川に近く、電車からでも見える。もともと大和紡績の工場があったところで、線路沿いの煉瓦倉庫を活かして、音楽、演劇、アートなどさまざまな創造空間として利用できるレンタルスペースとしたものだ。24時間オープン、廉価などの特色がある。

設計は金工大の水野一郎で、日本建築学会1999年度の作品選奨に選ばれている。線路沿いに並ぶ大正末期から昭和初期にかけて建てられた大きさも形も異なる煉瓦倉庫6棟をもとに、木造の架構を存分に見せながら、耐震補強や使用用途に応じて内部の設えが行われている。

もと工場の敷地の大半は芝生広場となっていて、ゆったり広々とした憩いの場になっている。せっかくなので、ここの煉瓦倉庫を使ったレストランで昼食を取る。

芸術村をあとに、長土塀町、長町へと歩く。金沢の繁華街香林坊の西側長町界隈はかつての武家屋敷街で、行き交う観光客も多い。資料館のたぐいもたくさんあって、こういろいろありすぎると、いちいちはいる気になれない。安価な共通観覧券が売られているようだが・・・。

市役所の隣にあるのが、金沢21世紀美術館である。全面ガラス張りの円筒形の建物である。まず、ぐるっとまわりを歩く。ガラス張りだからすけすけなのである。建物内部は、適当な大きさの部屋に分かれているのだが、縦横に走る通路が見通せたり、見通せなかったり、有料、無料の仕切もガラスだがら、内部を行き交え人もすけすけ。外壁はガラスだし、光庭もあって、ほかにはない明るい美術館だと思えた。設計は妹島和世+西沢立衛/SANAA、開館して1年ほどになる。

少し気になったのは、床が土間コンなので、けっこうヒビがはいっているといことかな。コンクリートにヒビがはいるのは仕方のないこと。ふつうはタイルカーペットとかを敷いたりフローリングにしたりして、直接ヒビが見えないようにするものだろうけど、そういったことをせず、ヒビが見えるから少し安っぽい建物に見える。

せっかくなので、展覧会も覗く。企画展として「ゲルハルト・リヒター展」をやっていた。モノクロ写真のイメージを精密に模写したのや微妙にぼかした絵画からグレイに塗った作品などいろいろ。ガラス板を立てかけたものなど、これがなんで芸術やねん、と人に思わせそうなものもある。

もうひとつ収蔵品展は「アナザー・ストーリー」というタイトルで、いろいろ興味深い表現など、これがなんで芸術やねん、的作品といえども、美術館に並べられるものは芸術なのだ、という感じで並べられていた。観覧者が多く、会期末のせいか、いただいたチラシはコピーしたものであった。美術館の人気ということでしょうかねえ。

この美術館内では、これらの展示会のほか、新聞社主催の古代エジプト展とか市民ギャラリーでキルト展とかも行われていた。
美術館からタテマチ、カタマチ商店街を通って、犀川大橋を渡り、北陸鉄道石川線の野町駅へ行く。

[鶴来]国道から少し引っ込んだところにある北鉄野町駅に行くと電車が出たあとで、次の電車まで20分ほどあったので、1kmほど離れた隣の西泉駅まで線路沿いを歩く。野町駅のそばには大きな工場がある。

西泉駅から加賀一の宮行の電車に乗る。かつては、加賀一の宮駅から白山下駅まで名金線が延びていたが、廃止されてしまった。水害の影響だったかで、鉄道営業できなくなり、代行バスが走るようになったが、けっきょく、その後列車が走ることもなく1987年4月に廃止となった。

電車は、いったんJR北陸本線の西金沢駅そばの新西金沢駅に寄り、南へ下って行く。沿線は新興住宅街のような住宅がかたまって建っているところが点々と続き、農地もあるものの、郊外住宅地になっているようだ。それだけ住宅があるから、乗る人もいて営業できるのだろうけれど。

かつて北陸本線の寺井駅へ伸びていた能美線(1980年9月廃止)が分岐していた鶴来を過ぎ、30分ほどで加賀一の宮駅に到着。鶴来の町は手取川の扇状地の谷口にある町で、そこから少し山あいにはいる。乗っていた乗客は、みな鶴来駅で下車しまい、終点まで乗っていたのはひとりだけだった。

加賀一の宮駅は寂しげな駅である。もちろん無人駅であるが、近くに白山比咩神社があって、玄関ポーチの照り起り屋根から参詣駅として作られたことが感じられる。駅舎がそこそこ立派な造りだけによけい寂しげだ。

駅前から東のほうへ、15分ほど坂道を上って行くと、パーク獅子吼がある。冬場はスキーで賑わう獅子吼高原へのゴンドラ駅もあって、地場産業を紹介したり、食堂や土産物を販売したりする建物がいくつかある公園施設である。その中心的な施設が獅子吼の山並みを背景に建つ「獅子ワールド館」である。

ここでは、加賀伝統の木彫り獅子頭をはじめ、国内はもとよりアジア各地から集められた獅子舞の頭や装束などが展示されている。

建物の設計は先にみた金沢市民芸術村と同じく水野一郎で、日本建築学会1998年度の作品選奨に選ばれている。木を多く使っているところ、山間という地域性を感じさせる。水盤、円形スロープ、扇形柱廊、四角い展望楼、形の組み合わせとか、よく考えられているなと感じながら見て回った。

パーク獅子吼をあとに、鶴来の町へ向かう。このあたり、市町村合併により今年(2005年)2月から白山市というようになったらしい。

市街地を避けるバイパスのような鶴来レインボーラインという県道を行くと、「石川県ふれあい昆虫館」というのがある。この施設、県立高校の跡地に設けられた施設だそうで、体育館など使える建物はそのまま残されている。開館時間が過ぎていたので内部は見学できなかったけれど、展望塔からのながめはよさそう。

かつては通学路だったはずの坂道を下って鶴来の街にはいる。「菊姫」の蔵元があったりし、ところどころ古い町屋が残っているが、市街地中心部は道路拡幅のため建て替えられたところが多い。
鶴来駅から電車に乗って野町に戻り、きょうは野町駅近くのBHに泊まる。

[金沢から七尾へ]翌朝、野町から金沢駅まで歩く。 北鉄石川線のターミナルは現在、野町駅だが、かつては白菊町という駅があった。野町−白菊町間0.8kmが廃止されたのは1972年9月だから30年 以上経つ。手元にある国土地理院1975年発行の1/50000地形図『金沢』には、廃止されないままの状態で載っていて、せっかくなので、跡地を見に行ってみよう。

犀川大橋の西側には西茶屋街があって、修形されたお茶屋さんが並んでいる。有名な東茶屋街ほど規模は大きくないけれど。少し洋風意匠をもつ検番だった建物が残っていて、現在は西茶屋街の組合の事務所に使われているそうだ。登録文化財になっているようだ。

白菊町駅は住宅が建て込んだところのはずれに駅があったらしい。北鉄関連会社が管理している駐車場あたりが駅跡かと思うが、駅の痕跡はまったくない。白菊町には室生犀星記念館がある。

新橋を渡り長町の武家屋敷跡地区を抜けて金沢駅へ。駅東広場には、もてなしドームというガラス張りのドームがあって、木を複雑に組んだ柱の門とか、観光都市の玄関口らしい装い。広い地下通路が作られ、そこに地下に潜った北鉄浅野川線の金沢駅がある。

金沢7:37発七尾行電車に乗る。金沢から夜行列車に乗るつもりなので、切符は別に買った。
金沢駅を出てしばらくすると高架から平地に降りるが、併走している新幹線高架は金沢駅付近は工事が続けられていたり、その先になると立派な高架が続いていたりする。こういう光景を見ると、すぐにでも新幹線が走りそうに思えてくる。

津幡から七尾線にはいる。電化方式の交直切り替えデッドセクションを通るので、室内灯がしばらく消える。
たしか、七尾線を走る3両編成の電車は、山陽線などを走っていた直流用の電車を改造したものでなかったか。北陸本線の「雷鳥」などで使っていた特急電車を山陰、福知山線の特急として走らせるとき、そこから余計な交流整流装置を移し替えて改造したような話をきいたことがある。ボディの塗色が日焼けして、だいぶくすんできたように思う。

特急の停まる宇野気駅のあたりは河北市というらしい。市町村合併で新しい市名がいろいろできて、古い地理の記憶だけだと、ぴんとこなくていけない。

羽咋から能登半島を横切る。能登部という駅がある。ここは「おにぎりの里」なのだそうである。かわいいおにぎりのイラストが駅にかかっている。

9:11七尾到着。小雨模様。
きょうは、能登島へ行こうと思っている。能登島方面のバスの時刻は『時刻表』にも載っているが、時刻が変わっているといけないので、最新時刻の確認のためバス停へ行く。ところが、駅前のバスターミナルには乗り場がないのである。ここは北鉄バスだけの乗り場のようで、能登島交通のバスはここに、はいってこないらしい。

駅前には、市がやっている「まりん号」という循環バスの乗り場とかもあったりし、能登島交通のバス停を探すのに駅前を少しうろうろしてしまった。めざすバス停は駅前ユニーの前にあった。

『時刻表』に載っている時刻をもとに、ぎりぎりに乗り場にやってきて、乗り場がない、と慌て乗り遅れるより、何事も確認第一だ。でも、バス乗り場を統合してわかりやすくできないのかなあ。

まず、石川県七尾美術館を訪れる。市がやっている「まりん号」という循環バスも立ち寄るらしいが小雨が降ったりやんだりのなか歩く。前田利家が能登領主となったとき築いた小丸山城のそばを通って、20分ほど、体育館などがある地区にある。

美術館の設計は内井昭蔵、こぼっこぼっと連続した屋根が並ぶのが印象。七尾という地名が七つの尾根からきているとかで、イメージされたそうで、小高い芝生に覆われた築山、水盤などの外部空間とあいまって、模範的な公共建築なのだろうな、と感じさせられる。

せっかくなので、館内の様子も見てみよう。建物は2階建て。地形を活かして入口は2階にある格好になっている。玄関をはいって左手にはホールがある。展示室へは少し長い廊下を進む。展示品への期待を高める効果をねらったものですね。

展示室は、2階の一室と階段を下りて1階にもう一室、斜路を少し戻るように歩いて市民ギャラリーがあって、階段を上がるとエントランスホールに出る、という、ほんと素直な構成である。

訪れたときには開館10周年記念「2005イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」というのをやっていた。ボローニャで行われている絵本原画コンクールの入選作品を並べたもの。日本を含め世界各国から寄せられたもので、夢のあるイラストなど、けっこうおもしろかったです。

美術館をあとに、七尾駅に戻り、バスまで時間があったので、七尾港のほうへぶらぶら歩いた。港には「能登食祭市場」というのがある。海産物などの土産物屋や飲食店などがはいった施設。また、七尾湾めぐりの遊覧船が出ている。せっかくなので、ここで昼食。

[能登島]食祭市場前に能登島交通のバス停があったので、駅前に戻らずここからバスに乗る。バスは国道に出て、JR七尾線に沿って走り、和倉温泉駅に寄り、温泉などに向かう人を乗せる。和倉温泉は、JR駅から2kmほど離れていて、バスは温泉街をぐるりとまわってから能登島大橋を渡って能登島にはいる。島の中央を縦断して、七尾北湾から少し高台にある美術館前バス停で下車。七尾から40分ほど。

 石川県能登島ガラス美術館が見えてきたときには、すごい建物だな、と思った。設計は毛綱毅曠、1991年の開館だからすでに14年ほどたっているわけか。卵形の建物とか、ちょっと変わった建物が並んでいる。美術館のパンフには「宇宙船」なんてコトバが使われているけれど、先ほど見てきた七尾美術館の模範的な美術館とは大違い。
建物の印象としては、高崎正治先生の作品に近いものを感じた。

鉄の扉をあけて展示室にはいると、地中に潜っていくトンネルのような感じの下り勾配、先すぼまりの部屋、小さな丸窓があちこちあいている。その窓には、この建物の設計図面の断片が描かれている。くねった照明設備などに、言いようのないこだわりを感じますね。

渡り廊下を進んで、次の卵形の展示室、丸、三角の窓からおちてくる光にコンクリートを打設したとき残るセパレータの窪みにところどころアルミ箔がいれてあって、それがあやしく光る。柱に九谷焼の陶片を散りばめてあったり、ふつうの美術館ではない。

渡り廊下でつながるもうひとつの展示室には、液晶のガラス窓がある。液晶だから電気のON/OFFで透明になったり乳白色になって、外が見えたり見えなかったりする趣向。一瞬の変化ではなく、じわっと変化すると、もっとおもしろいのでは。

ここは半円形の展示室、天井のプリズムガラスを通して光が落ちてくるらしいけれど、きょうは天気がわるくて、その妙味は感じられなかった。
隣接してあるミュージアムショップの格好も変わっているし、とんがったピラミッド状のオブジェとか、あまり手入れされてないみたいだけど、枯山水の広場とか、美術館全体がこだわりの集積場のようだ。

そうそう、美術館の展示としては、ピカソら巨匠の原案に基づくガラス彫刻とか、ガラス工芸家のさまざまな作品、中国清朝のガラス製品などが並べられている。

七尾に戻るバスがあったが、それには乗らず、少し歩くことにした。能登島は、かつては能登島町だったが、七尾市の一部になったようだ。

島の中央部を縦断する道路沿いに温泉スタンドというのがある。ひょっこり温泉という泉源名である。能登島の形がヒョウタンに少し似ているところ(かなりデフォルメしていると思うけれど)を、例の人形劇にあやかって「ひょっこり温泉」としたのだろうか。バスで美術館に行く途中、能登南湾べりに「島の湯」という施設に立ち寄ったけれど、ここから湯をもってきているらしい。

温泉スタンドのそばには、足湯とか、自由に温泉たまごを作れるようになっているところもある。せっかくなので、足湯に足をつけてみた。鉄分が多いのか、湯船は赤茶けている。

せっかくだから「ひょっこり温泉島の湯」でひと風呂浴びよう。休憩室もあるようだからバスの時間までゆっくりできる。ほんとは、和倉温泉の「総湯」に、はいろうかと思ったが、込んでいるとゆっくりできないので、ここでのんびりしようと思う。

最近、各地に温泉施設ができて、温泉といっても珍しいものではなくなった。しかし、多くの温泉施設は循環風呂方式だから、湯を消毒するため、塩素など使っていて、湯が塩素臭く、温泉本来の湯につかった気になれない。本来の効能があるのかどうか?だから、最近はあまり温泉に足を向けなくなってしまった。ここもそうだったけれど・・・。

温泉につかったあと、能登島交通のバスで和倉温泉駅前まで戻る。バスはこのまま七尾駅前まで行くのだが、金沢に戻るには、ここで下車したほうがトータル運賃は安くなる。

和倉温泉駅まではJRの営業線なのだが、特急ははいってくるものの、普通列車は、すべて七尾止まりで、その先は、のと鉄道の列車しか走ってない、不思議な路線である。運賃計算はJR線とし計算するから、鉄道会社をまたがる割高なところがない。金沢からだと、運賃は七尾も和倉温泉も同額なのだ。

バスからの接続もよくて、七尾行がすぐあって、七尾で特急に追い抜かれはしたものの、接続よく、午後6時半頃に金沢に戻ってきた。

[急行「能登」]今晩の宿は、急行「能登」である。最近、ダイヤ改正のたびに夜行列車がなくなっているのだが、寝台特急列車「北陸」ともども、この10月改正でも残った。

発車は22:12で、3時間半以上ある。金沢駅高架下の食堂街で夕食を取ったあと、暗くなった市内を徘徊。

東海道線の夜行に乗るとき、映画を見て待ち時間を過ごしたことが何度かあるのだが、金沢でも、と駅近くの映画館へ。ほんとは、事前に映画館の場所とか調べておけばよかったんだけど、そんなことを最初から考えてなかったので、いきあたりばったりでたどりついた「駅前シネマ」。

そこはピンク専門館で、サービスデーの低料金でも、これから夜行に乗ろうというのに、ピンクは不向きと回避せざるをえなかった。

しかたなく、もうすぐ閉店するというダイエー金沢店に足をしるしたりしながら、発車の2時間くらい前には駅に戻ってきて、ホームで並ぶことにした。もちろん誰も並んでいない。

列車のはいってくるのや出ていくのをぼんやり眺めながらホームで過ごす。午後10時前になると自由席に数人並んだ程度でガラガラ、少し遅れて特急寝台「北陸」もあるけれど、観光都市金沢と東京を結ぶ列車として、時期によっては、それなりの利用者があるのだろう。

急行「能登」は電車である。機関車を付け替えたりする手間がいらないせいか、ホームに入線してきたのは発車の少し前だった。隣のホームには少し遅れて発車する特急寝台「北陸」が早めにはいってきて停まっているのに。

車両は489系という、かつては特急「白山」などに使われていたもの、だけど、かなりくたびれた感じ。車内はがらがらで、転換シートを反転させてボックスにして使える。リクライニングシートとあわせ、足が伸ばせ、かなりゆったりした気分で寝られる。

金沢22:12発車、検札が済むなり寝てしまった。気がつくと長岡に停車していた。電車の進行方向が逆転するので、座る位置を変えてまた寝た。知らないうちに清水トンネルを抜け、高崎あたりまで来ていて、しばらく、うつらうつらするうちに、5時過ぎの熊谷で身体を起こし、昨日ダイエーで買ったパンなどをほうばりながら、下車の体勢を整えた。東のほうから徐々に明るくなってきて、今日はまず、大宮で下車する。

[つくばへの道]「つくばエクスプレス」に乗るのに、単純に秋葉原−つくばを往復したのではおもしろくない。今までたどったことのないルートで行ってみたい、と考えたのは、古河駅前から出ているJRバスに乗ることだ。

この路線、1日3往復走る下妻上町行東古河線のバスで、下妻上町で土浦行に連絡している。つくばセンターには寄らないが、適当なバス停で下車して歩けばよいと思ったのだ。

大宮5:39到着。東北本線の下り1番電車が出たあとなので20分ほどの待ち合わせ、いったん改札を抜けて切符を買い直す。

大宮6:01発小金井行に乗って古河に向かう。車内は、サタデーナイトフィーバーしてきたらしい若いもんとか朝まで飲んで、ぐたっと横になったサラリーマンとかが乗っている。35分ほどで古河に到着。

駅前のバス停を確認して、バスの発車まで駅付近を散策。東口にあるモニュメントはかつて駅で使われていた跨線橋を転用したもののようだ。

古河駅前7:12発車、駅前から乗った乗客はほんの数人。バスは古河駅東口から東へ東へ、猿島郡総和町、三和町という地域も古河市になったらしいけれど、それらの町を貫く県道を走る。地図を見て、古河から下妻に行く国道125号線を走るのかと思っていたが、ちがうようだ。いくつもの集落を抜けて茨城県の農村地帯を行く。鉄塔がいっぱい並んだ送信所があった。

砂沼のそばを通って下妻の市街地にはいり、1時間ほどで下妻上町バス停に着いた。乗り継ぎバス停だから待合室のあるようなところかと思ったら、ふつうにポールが立っている町中のバス停だった。土浦行に乗るにはここで待っていればいい、と運転手が教えてくれた。待ち時間が20分ほどある。

下妻の街は、前に歩いたことがあって、桜の名所でもある砂沼とかにも行っているのだが、JRバスが走っているのは『時刻表』に載っているので知っているものの、こんなところにJRバスのバス停があるとは気がつかなかった。関東鉄道下妻駅前までJRバスがはいってればわかりやすいのだが、関鉄のバス拠点だから、JRバスは、はいってないのだ。

下妻駅は町外れにある。かつて歩いたことがあるのでバス停の位置は理解でき、駅から500mほど離れたところだ。次のバスを待つ間に駅まで行ってみることにした。
下妻は、『下妻物語』という映画の舞台になったところで、駅に行くとロケ地の案内などしてあった。駅前はバスターミナルになっていて、うまい具合につくばセンター行のバスがすぐにあった。これに乗れば、地理不案内なバス停から歩いてつくばセンターに行く必要がないので、JRバスをやめてこちらのバスに 乗ることにした。

バスは関東鉄道から分社したらしい関鉄パープルバスという会社で、なにが「パープル」なのかよくわからないが、まあ、つくばセンターまで乗せてもらえるだけでありがたい。駅前から数人の乗客を乗せ、駅前通りから先ほどバスを降りたバス停の前を通り過ぎ国道へと進む。こちらの下妻上町バス停はJRバスとは少し離れたところにあった。

下妻市内の国道125号線は拡幅されていて、クルマががんがんとばしている。先の映画でも出てきたジャスコもある。しばらく東に向かって走り、国道408号線にはいって南下、筑波研究学園都市に向かう。

研究機関が点在しているものの、林や畑、それに農家などもあって、車窓から見るには、都市らしくない、おかしな町だ。筑波大学の近くになって、学生向けなどの集合住宅が並んでいたりもし、少し都市らしくなってきて、下妻駅前から50分ほどで賑やかなつくばセンターのバスターミナルに着いた。学園都市にはいってから少し乗ってくる人が増え、そこそこの乗客が乗っていた。

つくばセンターはバスターミナルになっていて、近くに西武、ジャスコなどいろいろ商業施設もあるのだが、開店が10時からで、まだ、30分以上ある。しかたないので、そのまま、つくばエクスプレスの初乗りを行う。

 つくばエクスプレスの乗り場はその地下にある。ちょうど、つくば9:41発秋葉原行快速があったのでそれに乗る。停車駅は関東鉄道常総線の接続する守谷駅、東武野田線と接続する流山おおたかの森駅、JR武蔵野線と接続する南流山、そして北千住から秋葉原までの各駅で、所要時間は45分。運賃は1150円。東京駅前−つくばセンター間の高速バスは1250円だったからそれより安い(鉄道開業にあわせて同額に値下げしたらしいけれど)。

所要時間に関しては、高速バスは道路の混み具合によってどうなるかわからないから鉄道が勝るといえよう。つくばセンターから高速バスに乗ったことはないけれど、常磐道の上りは混むからね。

しばらく地下というかトンネルの中を走った電車は、高架を走る。通過する「みどりの」「みらい平」なんて駅名だけではどこを走っているのか、見当がつかない。まだ、雑木林とかが多い地区で、駅付近は宅地造成が始まっていたりする。守谷の手前だったかで、車内灯が消えた。この路線はJR常磐線同様交流と直流で電化されているらしい。

だいたい常磐道と平行して走っている。住宅が増えてくると地下を走る。「六町」「青井」という駅があるが、まったくなじみがない地名だ。荒川の手前でいったん地上に出て、常磐線と東武伊勢崎線の間を通って北千住駅に着く。南千住まで常磐線と併走して、また地下に潜る。次が「浅草」だけど、他の鉄道と接続するように案内してないところを見ると、ほかとはかなり離れたところに駅があるのだろう。都営大江戸線に接続する新御徒町を経て、終点の秋葉原に所要45分で到着した。

いくつものエスカレーターを乗り継いで地上に出る。出たところは、JR秋葉原駅の昭和通り口のあたり。電気街側の改札口した使ったことがないのでとまどってしまう。駅前にヨドバシカメラが、どーんと店を構えている。神田青果市場跡地には新しいビルが建てられている。秋葉原の電気街も大きく変化したのだろうな、などと思いながら、昭和通りに出て、地下鉄日比谷線に乗って六本木にいくことにした。

[東京]昨年(2004年)4月から帝都高速度交通営団が民営化されて東京地下鉄道になった。通称を「東京メトロ」といい、営団時代はSをマーク化していたが、メトロになってMの新しいマークになっている。

茅場町、八丁堀、銀座などを通って20分ほどで六本木に着いた。改札を抜けて、六本木ヒルズと出ている案内に従って進む。今回は、東京の地図を持って来てないので、位置がいまひとつわからない。地下コンコースを進むと、メトロハットという特徴的なガラス張りの建物のところに出た。

 目の前に高い森タワーが建っている。50何階建てかの高層ビルだ。ビルを見上げ、そのまわりをぐるりとまわる。いろいろなショップや飲食店などが集積しているのだろう。多くの人たちが行き交っている。裏手にはレジデンスがある。高層住宅だ。超高級マンションというものなのだろう。東京タワーが見える。

六本木ヒルズのある六本木六丁目は、ちょうどバブルの頃だったと思うのだが、66計画とかいう開発計画を聞いた気がする。バブル崩壊で、のびのびになったのだろうが、あれから約15年、すごいのができたものだ。

森タワーの上のほうに美術館があるらしいのだが、今回はパス。渋谷に向かって歩く。森タワーの前に首都高速3号線が走っていて、それに沿って歩けば渋谷に行くはず、と歩き出す。

しかし、高速の下を歩いても、まったくおもしろくないので、西麻布の交差点で北に向かう。むかし、この界隈を歩いたことがあるはずなのだが、記憶が消滅している。どこになにがあるか、まったく検討がつかない。

しばらく行くと墓地があって、青山霊園のようで、適当なところを左におれて、住宅街を行く。立派な住宅があるなと思ったら根津美術館だった。
けっこう人通りの多いみゆき通りを行くと安藤さんの設計になる建物を見つけた。

この通り、けっこう個性的な建物があるなと思いながら進むと、プラダプティック青山店があった。菱形の大きなガラスブロックを積み上げたような、けったいな外観をした建物である。今年度(2005年)の日本建築学会賞に輝いている。

東京の街歩きするのに、もう少し下調べしてくるんだったな、と思いながら、表参道の交差点を西におれて、青山通りを渋谷へ下る。人が多い。途中に、いつもよく利用する豚丼屋があったので、昼食。豚丼、10月から10円値上げになっていた。

宮益坂を下ると「コテコテの大大阪博覧会」とかいう幟がいっぱい。デパートかどこかで、大阪の物産展を行っているようだ。そういえば、通天閣のビリケンさんが東京に出向くというのがニュースになっていた。

渋谷に出て、白井晟一の松濤美術館に立ち寄ってみようと思い、あのへんだったよな、とうろ覚えのなか、よく歩いた道玄坂から百軒店、ホテル街の円山へと進むうちに神泉町の住宅街に迷い込んだ。京王井の頭線神泉駅近くにあった案内標識をたよりに松濤美術館にたどり着いた。ところが、展示替えで休館日になっていた。残念。

渋谷まで歩いても、たいした距離でないのだが、どっと疲れたので、神泉駅から渋谷まで京王電車に乗ることにした。この駅、ほとんどトンネルの中、という駅である。

京王井の頭線から東京メトロ銀座線の乗り場に移動、地下鉄、といっても銀座線は3階にあるけれど、に乗る。赤坂見附駅で丸ノ内線に乗り換えて東京駅へ。新幹線で大阪に戻ることにする。

自動券売機で新大阪までの自由席特急券を買って、京都市内行の乗車券といっしょに自動改札に通すと、特急券と乗車券の行き先が不一致ということで、通れなかった。係員がやって、例の京都→大阪の乗車券をあわせて見せると、出るときは有人改札を通って下さい、と言いながら改札を通してくれた。乗車券に記された予定どおりの日付だからそれ以上のことはなにもいわれなかった。

あとの「ひかり」にしてもよかったのだが、停車している500系「のぞみ」を見ると、座れそうだったので、それに乗ることにした。東京から新大阪まで2時間40分ほどだから速くなったものだ。(2005.9.30.〜10.02)


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