岡山と津山のなかほどに建部町という町がある。車窓から三角形がいっぱい、「54の屋根」という石井が設計した保育園が見えた。
福渡を過ぎると旭川から離れ、中国山地の山間を走る。駅舎から大きな亀の頭のオブジェが突き出た亀甲駅がある。話題うけを狙ったのか、実際見てみると、グロテスク。この駅がある町名は、美咲町というそうなのだが、どこかギャップを感じるね。
[奈義町現代美術館]津山:7:52到着。駅前のバスセンターに行くと、8時ちょうど発の奈義町方面行のバスがあったので、それに乗り込む。
バスは鳥取へ向かう国道53号線を走る。日本原高原というまわりを山に囲まれたなかにあって広々とした農村地帯を行く。陸上自衛隊の駐屯地がある。
津山駅前から35分くらいで奈義町現代美術館前バス停に着いた。開館は9時半からで、広い芝生広場のなかにある美術館の写真を撮ったりして過ごす。
通称、Nagi MOCA、といわれるこの建物の設計は、磯崎新で1994年の開館。「太陽」「大地」「月」という展示室があって、そこに、それぞれ荒川修作+マドリン・ギンズ、宮脇愛子、岡崎和郎の作品がある、というか、作品空間を建物にしたような美術館である。ほかに、ギャラリーや図書館が併設されている。
建物の外観だけで見ると、「太陽」の円筒が築山の上にどでんと横倒しに載っていたり、「大地」はふつうの四角い空間であるけれど、「月」は三日月状なわけで、変わった建物である。しかし、建物配置の軸線などいろいろ考えられているようだ。
9時半前に受け付けに行くと、もう見学してもいいですよ、といわれ、そのおおらかさがうれしい。なんの注意事項もいわれず、監視人も全くいなくて、昨日のベネッセの施設とは大違い。
それぞれの作品を楽しんだあと、ギャラリーでやっていた「奈義の作家展」をのぞき、その上階の町立図書館の様子を見て、美術館をあとにする。
MOCAというのは、Museum of contemporary art の頭を取ったのかな。芝生広場には「モカ」というカフェもある。
[津山]津山駅前行のバスで市街地に戻る。このまま駅まで行っても、姫新線の列車まで少し時間があるので、城東町並み保存地区を歩いてみようと思う。
市街地に入って、天神橋バス停で下車、国道から一本北側の通りが、旧出雲街道で、古い町屋が並ぶ、町並み保存地区。
この町並みは、映画『男はつらいよ−紅の花』最終作となった第48作のロケ地のひとつ、ロケ地となった記念碑が通りに建てられている。津山市街地の観光パンフによると、そのロケ地が細かく紹介されている。また、NHKの朝の連ドラ「あぐり」のロケも行われたそうだ。古い町並みが残っているだけに、絵になる街なのだろう。
[中国勝山]駅で昼食を取ったのち、津山12:46発新見行列車で、中国勝山に向かう。中国山地の山間を、ことこと走る。中国自動車道が平行している。吉井川水系から旭川水系になって、津山市から真庭 市になる。真庭市なんて、あまり聞き慣れない市名だが、平成の町村合併で誕生した市なのだろう。美作落合から旭川に沿う。中国勝山13:34到着。
ここは、三浦藩の城下町、古い町並みも残る。駅から古い町並みの端までいっても、駅前の商店街を通って、20分ほど。町を散策している観光客もけっこう多い。
とはいうものの、どこか、いまいちな印象なんですね。多くの古い町並みというと、道幅もそれほど広くないところが多いけれど、ここは少し広い、土産物並べている町屋が目立つ、とか、「のれん」の町なのだそうで、個性的な「のれん」が下がってのが目立つ、とか、まあ、そんな印象の複合したものだろう。でも、町並みを活かして町づくりをやっている活気のようなものは感じられた。
せっかくなので、町並みのなかほどにある郷土資料館と町並みから一段高みにある武家屋敷を見学する。
郷土資料館には、三浦藩のことや古い商家から持ち寄られた品々を展示、高瀬舟の水運のことなども紹介していた。古墳などが発掘された土器などが並んでいるのを見ると、あれもこれもと郷土を紹介しようという気持ちはわかるが、どうでもいいような気にもなる。むしろ、古い町並みに関係した事柄にしぼったほうがいいのではなかろうか。
谷崎潤一郎が先の大戦末期、しばらく、ここに疎開していたらしいのだが、そういったことも紹介していた。
武家屋敷は、三浦藩の上級武士の家柄旧渡辺邸で、なかなか大きな住宅である。
中国勝山15:37発津山行の列車に乗って、ひと駅、次の久世駅で下車する。旧遷喬尋常小学校校舎を見に行く。あのあたり、と推量をつけてたどり着いたのは、1990年に新築されたほうの遷喬小学校だった。
旧小学校は、これより南500mほどのところ、国道沿いにあった。明治40年に建てられた木造2階建ての校舎がそのまま残され、建物は重要文化財に指定されている。2階にある講堂は二重折り上げ格天井の立派なしつらえで、企画展示などが行われている。訪れたときは端午の節句にちなみ五月人形などが並べられていた。
久世16:33発新見行列車で新見に向かう。この日は、新見市内のBHに泊まる。
[吹屋に向かって]新見6:34発岡山行特急「やくも2号」に乗車。「周遊きっぷ」は特急自由席に特急券なしで乗れるから便利。連休にはいったとはいえ、早朝の特急なので自由席はガラガラだった。高梁川に沿った渓谷を走る。
備中高梁6:59到着。駅前のバスセンターで吹屋へのバスの便を確認すると、休日ダイヤのため、9:55発までない。連休中、備北バスでは、格安の吹屋見物の観光バスを走らせているようだ。事前に申し込まなければならず、これも利用できない。3時間近く待つくらいならと、まず、成羽町まで歩いて行くことにした。
成羽町は、高梁から西へ10kmほど、高梁川の支流成羽川に沿う町で、いまは、高梁市になっている。井原から福山に通じる国道313号線が走っており、けっこう交通量もある。
市街地を離れ、しばらくは、歩道があったのだが、それがなくなると、クルマもそこそこ走っているから、歩きにくい。成羽川の対岸に道があったのでそちらを進むと、クルマも来ず、のんびり歩ける。
2時間あまり歩いてたどり着いた成羽の町並み、ここで立ち寄っておきたかったのは、成羽町美術館である。設計は、安藤さん、1994年にできた。ここは城下町で、美術館のある場所は、城(陣屋)跡の立派な石垣が残るところ。近くには武家屋敷の跡も残っている。
開館時間まで30分ほどあって、先もあることから内部の見学は残念する。最初、吹屋に行くバスは成羽を通るものだと思っていたのだが、バス停の時刻を見るとそんな行き先のバスは通ってなくて、どうも違う道路を走るらしい。今更、高梁駅前に戻るわけにもいかず、このまま歩いて行くことを優先させた。
成羽町から吹屋まで、中国自然歩道のルートになっていて、道標などが整備され、歩くには最適な道である。道標によれば、成羽から吹屋まで15kmほど。
成羽川の支流に沿って、山間にはいっていく。大型車通行不能という、クルマ1台通るのがやっと、というような道なのだが、クルマもほとんど通らず、歩きよい。よくわからないが、このあたり、地学的に貴重な地層があるらしい。取ることを禁じられているが、化石も出るようだ。
羽山渓というなかなか険しい山峡である。針葉樹の緑、落葉樹の若葉、そこに山桜、山ツツジ、藤などが咲いていたりして、美しい眺めを見せてくれる。
最初の素堀の短いトンネルを抜けると、穴小屋という洞窟がある。そこは道路からのアプローチがいい岩崖で、ロッククライミングを楽しむ人たちが何人かきていて、岩壁をよじ登っていた。
もうひとつトンネルをくぐって、さらに行くと丘陵部を縫うように走る広域農道「かぐら街道」というのに出た。こちらは立派な道路だが、交通量は少ない。こちらを経由しても吹屋に行けるような標識がでていたのだが、クルマで行く人のための道路のようなので、自然歩道に指定されているほうに進む。
そこからさらに進むと苗代作りが進められている平地が開け、学校もある集落があって、ようやく、バス道で出ることができた。旧仲田邸という案内が出ていたので立ち寄る。江戸時代の庄屋の伝統を引き継ぐ明治中期の住宅、酒造業を営んでいた当時の醸造蔵なども残され、現在は高梁市が管理する「備中宇治彩りの山里」という農村型リゾートの研修宿泊施設として利用されているようだ。
高梁駅前から歩き始めて、すでに4時間以上経っている。すこしへばってきた。といって、バスはないから、そのまま吹屋に向かって歩くほかない。帰りのバスの時刻を確認できたから、気分的には楽になった。パンと飲料をもってきたので、少しずつ食べながら歩く。
しばらく行くと、「広兼邸」の案内が出ていたので、そちらに向かう。山をひとつ越えた先にあって、歩きにはきつい道のりだった。
「広兼邸」は、山の中腹にあって城郭のような石垣がある建物である。江戸末期に建てられた建物は、このあたりの庄屋だった広兼氏の住宅で、銅とベンガラで巨万の富を築き、今残る豪邸を建てたらしい。
この建物をもうひとつ有名にしているのは、横溝正史原作の映画『八つ墓村』のロケに使われたことだろう。2度の映画のほかテレビドラマでも使われたようだ。
ここで、吹屋の有料観光スポットをめぐる「吹屋ふるさと村周遊券」というチケットを売っていたので購入。5カ所の施設に入れ、個別に見学料を払うより安い。
広兼邸から2kmほど行ったところにあるのが、「吉岡銅山 笹畝坑道」である。
吹屋は、ベンガラの街として、よく知られているが、もともと、黄銅鉱、硫化鉄鉱を産出していた。銅の発見は平安時代というから古い。戦国時代は、尼子氏と毛利氏が争奪戦を繰り広げ、江戸時代には幕府の天領となり、明治時代には、三菱が鉱山経営をやっていたが、昭和初期に閉鎖されたようだ。
公開している坑道は、江戸時代から大正時代に採掘されていたもので、ヘルメットをかぶり、狭く薄暗い坑内にはいっていくのは、けっこうおもしろい。
江戸時代の採掘の様子を再現した人形があるのは、どこの観光坑道でも見られる展示だけど、頭をぶつけそうなところにはいっていくのがいい。けっこう距離があったように思われる。
そこから1kmほど行くと、「ベンガラ館」という施設がある。江戸時代から始められたベンガラ生産拠点だった吹屋、ベンガラの製法などを紹介する施設である。建物は明治時代のベンガラ工場を復元している。隣接してベンガラ陶芸館というのがあって、赤色顔料としてのベンガラを使った絵付けなど、陶芸が楽しめる。
ベンガラとは、酸化第2鉄、つまり、鉄の赤錆びと同じものだけど、古くから赤色顔料としてベンガラ格子や土壁の着色はもとより、瓦、陶器、漆器など多くの用途に使われてきた。吹屋では、銅山からの捨石、硫化鉄鉱石から偶然発見されたらしい。
製法は、硫化鉄鋼石から硫酸鉄、これを緑礬(ローハ)というらしい、を抽出し、これの緑色の結晶を、700℃くらいで加熱焙焼することで、赤褐色の酸化鉄ができる。これを水洗などして製品になるわけだ。
この製法を見ると、今でこそ、このあたり緑豊かな山里だけど、その当時は、ベンガラを作るために、まわりの山々から薪にする木を切られ、また、焙焼で発生する亜硫酸ガスのため、木々は育たず、このあたりハゲ山だらけだったんじゃないだろうか。
ここからさらに2kmあまり歩いてようやく吹屋の町並みにたどりついた。吹屋は、江戸時代から銅に加え、ベンガラの生産で栄えた町である。
ここの町並みは1977年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。300mほどの通りの両側に古い町屋が並んでいる。重伝建地区に指定されるだけあって、感じのよい町並みが残っている。
町並みのなかほどにある「郷土館」と「旧片山邸」が見学できる。ともに、町並みを代表する商家である。
この町並み、クルマ1台ほどしか通れない道幅に面しているのだが、町並みを避けるバイパスがない。観光客は、町並みの手前に設けてある駐車場にクルマを停めて、徒歩で町並み散策するわけだ。しかし、通過するクルマもあるし、路線バスもはいってくる。
たまたまクルマ同士が、町中で行き違うことになると、片方が余地のあるところまでバックしたりせねばならず、なかなかたいへんなことになる。連休中でそこそこ訪れる人も多いのだが、辺鄙な山間、まだ交通量が少ないので、大混乱にならずにすんでいるのだろう。
吹屋15:45発高梁駅前行のバスに乗る。これが吹屋からの最終バス、午前中にバスでやってきた人など、座席がさらりと埋まるくらいの人が乗り込んだ。
バスは、ところどころ新しく拡幅された区間もあるけれど、クルマ1台ぶんくらいの道幅しかない県道を走る。運転手は幅狭い道路でも慣れたものだ。
午前中に歩いた宇治の旧仲田邸のそばを通り、山を越えて高梁川の支流河戸川に沿って東に下って行く。成羽とはまったく方向がちがっていた。
このまま高梁駅前まで乗って行ってもよいのだが、今夜も新見泊まりなので、国道180号線に出て、伯備線の駅に近いところで下車しようと思っていたら、バスは国道をそれて備中川面駅前を通過する路線だっ た。吹屋から35分ほどバスに揺られ、備中川面駅前で下車した。
きょうは、歩き疲れたので、新見行普通電車を待って、そのまま新見に戻る。
[足守]昨日同様、新見6:34発岡山行特急「やくも」で出発。きょうは、連休編成なのか、3両増結されてやってきた。編成が長くなると停止位置が変わり、前寄りの自由席車両に移動せねばならないのか、と思ったら、増結分は指定席車で、自由席車はふだん通りのホーム位置に停まった。やれやれ。
備中高梁で特急から普通電車に乗り継ぎ、さらに総社で吉備線の普通列車に乗って、足守駅で下車した。本来、無人駅だが、駅員がひとり改札をやっていた。近隣の駅から派遣されてきたのだろう。
足守は、『時刻表』にも、「周遊おすすめ地」としてバス路線の時刻が載っているから、観光地、なのだろう。でも、バスの本数は少なく、足守へ行くバスは午後までない。
しかたないので、足守駅から足守の町並みまで4kmほどの道のりを歩くことにする。まだ、午前8時前だし、どうせ見学できる施設が開館するのも9時頃だろうから、ちょうどよい。
1時間ほど歩いて足守の町並みに着いた。まだ、朝早いせいもあって、観光客の姿も見られず、ふつうの町のたたずまい。
ここは、足守藩2万5千石の城下(陣屋)町である。街道沿いには古い町屋が並んでいて、奥まったところに武家屋敷が残っている。さらに、「近水園」という江戸時代初期に築庭された庭園も残されている。
ここを治めた木下家は、豊臣秀吉の正室北政所(ねね)の実兄家定が木下姓を賜ったことにはじまり、関ヶ原の合戦後、この地を領有したのだそうだ。
まず、「旧足守藩侍屋敷」というのを見学する。木下家の家老杉原家の屋敷で、江戸時代中期の武家屋敷である。
岡山県指定の名勝近水園は、足守川から水を引き入れた池泉回遊式庭園で、池には鶴島、亀島がある。池に面して吟風閣がある。
その近くには、白樺派の歌人・木下利玄の生家がある。また、足守は、適塾を開いた緒方洪庵の誕生地でもある。
県指定の町並み保存地区のなかほどにあるのが、旧藤田邸である。醤油製造をやっていた商家で、江戸末期の建物。醤油製造の資料なども展示されている。
足守中之町10:41発の岡山行の中鉄バスに乗る。このバス、土休日運転というもので、これを逃すと午後までない。座席がさらりと埋まる人が乗っている。岡山へ買い物、遊びに行く人の足を考えた運行なのだろう。10分足らずで足守駅前に運ばれる。ほかに下車する人なし。このバス、吉備線には接続しておらず、岡山に向かう人は降りないのだ。
[岡山を経て和気へ]足守駅のベンチで文庫本読みながら小一時間過ごす。足守11:42発の列車で岡山に向かい、軽く昼食を取ってから、岡山12:45発和気行に乗り込んだ。
和気13:14着、駅には「藤まつり」の案内がなされている。和気駅から東へ3kmほどのところに藤の名所があるらしく、臨時に連絡バスも運行されている。
駅の近くに旧大國家住宅というのがあるので見に行く。この建物は国指定の重要文化財で、江戸時代後期に建てられた、酒造業、運送業で栄えた大國家の住宅だ。建物は、入母屋造りの屋根をふたつ並べ、その間を一段高い屋根でつなげた、規模といい、平面構成といい、全国的にも例のない独特なものらしい。
この建物、いまは、町が管理しているようなのだが、藁葺き屋根など傷みが激しい。たぶん、そんな状態だから公開もされいないのだろう。重文指定の建物なのだから、改修工事をしっかりやって、公開、活用をお願いしたいものである。
[帰路]「かえり」の切符は、新幹線を経路としているが、このまま、在来線経由で帰ることにする。「周遊きっぷ」は、基本的に経路変更できないのだが、新幹線の運賃計算距離は、在来線と同じだし、同じJR西日本内での変更なのだから大目に見てもらおう。
和気から相生行に乗る。新快速が播州赤穂まで入るようになって、相生が山陽本線の岡山方面との乗り換え駅となっている。すぐの接続で大阪方面行きの新快速に乗り継げる。始発駅に近いから座れるのが ありがたい。相生から大阪まで1時間20分ほどだ。(2006.5.1.〜5.5.)
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