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岡山漫歩

[「周遊きっぷ」の旅]ここ数年、ゴールデンウィークは、どこもかしこも混むので、旅行に出かけてなかったのだが、今年は久々に出かけてみようと思う。行き先は、岡山県だ。

春休み、夏休み期間なら「青春18きっぷ」を使う手もあるのだが、GWには使えない。遠距離なら1枚の切符にする行程を考えることで、運賃をいくぶん安くできもするが、大阪から岡山のような比較的近距離だと、期待できない。そこで活躍するのが「周遊きっぷ」だ。

「周遊きっぷ」というのは、従来からあった周遊券制度が1998年3月末で廃止され、その4月から登場した新しい企画切符である。かつての「ミニ・ワイド周遊券」のような自由周遊ゾーンがあって、出発地からそのゾーンの指定された入口駅までJR鉄道線に片道201km以上乗る、というのが主な発売条件。

「ミニ・ワイド周遊券」なら自由周遊区間まで、指定された経路のうちから自由に選択(行き先によって、それがない場合もあったが)できたが、「周遊きっぷ」は、切符を購入するときに、どういうルートで行くか、決めておかなければならない。そのあたりは、従来の「一般周遊券」に似ている。

発売当初は、全国67の周遊ゾーンが設けられていたが、その後、廃止されたりして、その数は半分くらいに減っている。まあ、利用者が少ないのだろう。

今回、行こうと思っている岡山県には「岡山・倉敷ゾーン」という、岡山県下のJR路線+岡山市内の路面電車に乗れる、というのが設けられていて都合がいい。ゾーン入口駅までの運賃が、行き、帰りとも2割引きになる。

ただ、大阪市内からだと、新幹線利用の場合の入口駅となる岡山まで200kmない。そういう場合は、大阪市内駅をはずして、合計201km以上の駅を起点にすればいいわけだ。220kmまでの片道幹線運賃3570円が2割引で、2850円になり、大阪−岡山間の運賃2940円より少し安い。

この程度の安さ、旅行の行程次第では、「周遊きっぷ」を使うことで高くなる場合もある。宿など何も決めてなくて、行き当たりばったりの旅行、岡山県下、行ったり来たりする可能性があるので、「周遊きっぷ」の自由度を取ったわけだ。周遊ゾーン内なら特急の自由席にも特急券なしで乗れるし。

GW中の平日、通勤、通学客で少し混雑する在来線から新幹線ホームへ。新大阪8:46発博多行「ひかりレールスター」の自由席は平日ということで、がらがらだった。

[下津井]岡山9:38到着。きょうは、まず、下津井へ行ってみようと思う。新幹線に接続する高知行特急「南風」に乗ってもよかったのだが、高松行快速マリンライナーのホームに降りてしまったので、そのままマリンライナーに乗り込む。マリンライナーは、高松寄り先頭車が2階建てで、2階が展望グリーン席、1階が指定席になっている。

 
岡山から25分ほどで児島に到着。本四備讃線が1988年4月に開業以来、何度か通っているのだが、児島に下車するのは初めて。
駅前に出ると、ちょうど、下津井、鷲羽山方面をぐるりとまわる「とこはい号」という路線バスがあったので乗る。

児島には、下津井電鉄の小ぶりな電車が、とことこ走っていた頃に来たことがある。その下津井電鉄も1990年12月末で廃止され、駅がどこらにあったかよくわからない。

バスは、児島の市街地を外れると、鷲羽山に連なる高台の遊園地やホテルをめぐって、下津井の集落に下っていく。大きな瀬戸大橋が間近に見える。

下津井港バス停で下車。近くに下津井電鉄の下津井駅跡があって、駅舎は取り払われているけれど、駅構内には、昔からの車両などいくつかが、留置されている。駅構内跡は金網に囲われ近づけない。遠目から見る限り、置いてある車両の傷みはあまりひどくないように思えたが、それを覆う建屋の状態がひどい。保存するならするで、きっちりしてほしいものである。

駅跡から海岸に沿って伸びる下津井の町並みを歩く。下津井は、瀬戸内海を行き来していた帆船の風待ち、潮待ちの港のひとつ、そのなごりをとどめる古い町屋がけっこう残っている。江戸時代に建てられた建物を復元した「むかし下津井回船問屋」という施設がある。北前船で賑わった当時の資料などを展示、蔵を使ったレストランもある。せっかくなので、ここで瀬戸内の味覚を味わうことにする。

そのあとも長く伸びる下津井の町並みを東へ東へ、町はずれまでくると、瀬戸大橋の橋脚があって、島伝いに伸びる、本四連絡橋の雄大な眺め、はるか四国の工場群も望める。

児島に戻るバスがやってくるまで、まだ、しばらく時間があったので、海岸沿いの道を瀬戸大橋を眺めながら、鷲羽山の山並みが海へと続く突端久須美鼻に向かって歩く。

まだ、バスがこないものだから、突端からさらに児島のほうに向かって歩き、大畠南バス停でバスを捕まえた。下津井港から6kmほど歩いたことになる。

バスは数分で児島駅に着いた。すぐに、岡山行快速マリンライナーがあったので、そのまま岡山に戻る。

[岡山]「岡山・倉敷ゾーン」の周遊きっぷは、岡山電気軌道の路面電車にも乗れる。せっかくだから乗ってみよう。

岡山は桃太郎である。桃太郎大通りの駅前電停から東山行に乗る。岡山城、後楽園、美術館などに行くには城下電停や県庁通り電停が便利。文化施設の集まるこのあたり、岡山カルチャーゾーン、というらしい。

県庁通り電停のそばに、オーダーを並べたクラシックな建物が残されている。旧日本銀行岡山支店、銀行建築を多く手がけた長野宇平治の設計で1922(大11)年に建てられたもの。いまは、ルネスホールという文化施設として使われているようだ。

近くの中国銀行本店は、建て替えられているのだが、玄関まわりの石材など、前の建物の部材が転用されているようだ。

旭川を渡って小橋電停で下車。川に沿って北に向かい岡山県庁、県立図書館、林原美術館の前を通って城下電停へ。林原美術館は、月曜の休館日だった。

城下電停の近くには、市立オリエント美術館というのがあって、その北側には、県立美術館がある。GWということで、こちらは開館していた。

せっかくなので、県立美術館で開かれていた「国吉康雄展」を見学。国吉は岡山生まれの画家で、若くして米国に渡り、米国を代表する画家なのだそうである。絵画、スケッチ、写真など、多くの作品が並べられ、内容の濃い展覧会だった。

美術館をあとに、旧岡山藩藩校の遺構というのを見たりしながら、JRの線路を越えて県総合運動場に行ってみる。建物としては、屋根に木を植えた建物とか安藤さん風のコンクリート打ちっ放しの建物とか、あった。けっこう目立っていたのがベネッセ本社ビル。

総合運動場には、桃太郎アリーナという施設ができている。岡山は、とことん桃太郎なのだ。前回、ここを訪れたとき、ここにあるはずの旧陸軍第17師団偕行社を発見できなかった。この建物、たびだび移築されているらしいのだが、そのせいだったのかもしれない。今回は、岡山県スポーツクラブとして立派に建っているのを見た。明治の洋館らしい建物である。

ここまで来てしまうと、津山線の法界院駅が近い。津山線の列車の時刻がわからなかったが、なんとかなるだろうと、駅に向かう。法界院駅のそばまで来たところで、岡山行の列車が通過していった。もう少し早く歩くべきだったか。

しかたないので、次の列車までの間を利用して、近くのショッピングビルの食堂で夕食を取っておく。
法界院駅は、岡山大学などが近い。列車通学する学生が見られる。岡山まで1駅、きょうは、岡山駅前のBHに泊まる。

[直島]翌日は、前日と打ってかわって、朝から小雨が降っていた。岡山7:11発高松行快速マリンライナーに乗車、茶屋町で宇野行に乗り換えて終点の宇野にやってきた。

本四備讃線が開業するまで、ここから宇高連絡船が出ていて、四国とを結んでいた。乗り換えのため長い通路を連絡船へ急いだものだった。線路も整理され、いまは、こぢんまりとした終着駅である。

宇野駅前のフェリー乗り場から直島に渡る。直島は、宇野の沖合3kmほどのところにある島で、香川県である。島の北側には三菱マテリアルの精錬所があって、荒涼とした様子が、対岸の宇野からもうかがえる。いまは、産廃の中間処理施設や有価金属リサイクル施設もあって、申し込めば見学もできるらしいる。産廃で有名な豊島は、この島から5kmほど東にある。

島の中ほど、西側に宮浦、東側に本村という集落があり、宇野港から宮浦までフェリーで20分ほど。

ここを有名にしているのは、ベネッセの芸術活動だろう。1992年、世界の安藤さん設計になるベネッセハウスが設けられ、95年に別館、2004年には地中美術館が開館した。そして、この5月には、さらに新館が開館するようだ。また、本村地区の古い民家などを改修して、空間を作品化した「家プロジェクト」なんてのも行っている。

直島の宮浦には、8時40分ころに着いた。地中美術館などベネッセの施設は、島の南部にある。宮浦から「すなお君号」という町営バスが、町役場のある本村を経由して美術館まで走っている。宮浦から地中美術館まで海岸に沿って歩いても2kmあまり、開館時間は、10時からのはずで、急ぐ必要はなく、ゆっくり歩いて行っても間に合う。

朝方の雨は、あがったものの、曇天。30分あまり歩くと、地中美術館の門前に着いた。門番小屋にいた係員から、チケットは、ここからすこし下ったところにあるチケットセンターで購入して下さい、といわれる。きょうは、9時半に開館するようだ。

門前からすこし下ると駐車場があって、そこにチケット発売窓口がある。駐車場には町営バスのポールもあって、本来、バスでここに着いて、チケットを買って、坂を登って行くのが、正式な美術館の見学ルートのようだ。しかも、チケットを購入する前に、敷地内での注意事項、写真を取るな、触るな、といった説明を聞かなければならない。

室内写真撮影禁止、というのはよくあるが、ここは、敷地内禁止、というから徹底している。この美術館のひとつの特徴が、地中にある、ということから、あたりかまわず、ストロボを発光されたりすると、せっかくの雰囲気が壊れるからだろう。

なんか、そういう姿勢が、美術館として、お高くとまっているようにも感じられる。ボランティアなのだろうが、若い人たちの館内監視人もたくさんいて、目立つ。

この美術館は2004年7月に開館、建物の設計は、ほかのベネッセ施設と同じく安藤忠雄、建物の大半が地中にあるのが特徴。打放しコンクリートの壁、空が見える明るい通路、薄暗い建物内の通路、という明暗のコントラスト、迷路のような通路構成、展示室配置といい、建物としてのこだわりが感じられる。

展示作品としては、モネ晩年の「睡蓮」がある。現代美術のほうでは、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品があって、これらの作品と建物は、一体のものとして、作られている。

モネの睡蓮と安藤さんの組み合わせとしては、大山崎山荘があるけど、むかし、そこを訪れて、コンクリート打ち放しの反響しまくり展示室に閉口したけれど、ここは、そこらへん、改善されている、というか、壁面が白く、漆喰かなにかで塗られていて、隅の線がでないようなおさめ方がなされ、なかなかいい空間になっている。床は、3cm角くらいのサイコロ状の石を、バレルかなにかで角をおとし、それが展示室とその前室に敷き詰められている。かなり手のこんだ展示室だと思える。

「睡蓮」のほかは、現代芸術、ぽっかりあいた天井から空が見える部屋、タレルの「オープン・スカイ」とか、奥行きがあるのかないのか、そんなあいまいさを感じさせる空間「オープン・フィールド」、それに広い階段状の部屋の真ん中に大きな石の球体がどでんと置かれ、金色の柱がならんでいるマリアの「タイム/タイムレス/ノータイム」とか。
作品に触らないかと、監視しているたくさんの若い人が、実に目触りである。

地中美術館からベネッセハウスに移動。海岸べりなどに、屋外展示の作品がいくつかある。ベネッセハウスは、安藤さんの設計で、1992年、最初に建てられた建物。宿泊施設となる別館が95年に建てられ、今月にはさらに新館がオープンするようだ。それだけ人気ある施設ということなのだろう。

ベネッセハウスは地階、1、2階の3層に分かれていて、そこを自由に見て回れる展示室が配され、現代芸術作品がいろいろ並べられている。平面構成は四角、円といった幾何学的な形を組み合わせた安藤さんのスタイル。

新館のそばを通って、東側のゲートのほうに向かうと、海岸べりに水玉模様のかぼちゃが置いてある。野外展示作品のひとつ、草間彌生の作品。

町営バスで本村に向かってもよかったのだが、歩いて行くことにした。ベネッセの東ゲートから2kmあまり。ほかにも歩いている人たちがいる。

昼になったのだが、食堂が限られ、アート見る人たちでいっぱい。コンビニもない。しかたないので、おにぎりを売っているところがあったので、昼食は、それで間に合わす。

本村の町並みのなかに「家プロジェクト」というのが公開されている。見られる作品は3件、古い町家を改築、薄暗い室内に数字が点滅している宮島達男の作品「角屋」、小高い神社に設けられた、ガラスの階段が地下の石室から伸びる「護王神社」、これは杉本博司の作品。真っ暗な小屋、しばらく暗闇のなかで、じっとしていると、微かな光を感じることができるという趣向の「南寺」、タレルの作品で、建物の設計は安藤さんの手になる。小さな港町なのだが、こういった作品めぐりを行っている人たちがうろうろしている。

本村の町外れに、唐破風をデザインした屋根をもつ、すこし目立つ大きな建物がある。直島町役場である。いわゆるポストモダンというやつで、引用されているのは、京都西本願寺の飛雲閣。石井和紘の設計で、1983年に建てられたものだ。直島には、石井が設計した学校など公共施設がいくつかある。本村と宮浦と通じる道路沿いに見られる。

[宇野・茶屋町]宮浦16:02発宇野行フェリーで島を離れる。宇野線電車まで40分ほどの待ち時間があったので、駅前に見える、北側がガラス張りの階段室になっている、すこしおしゃれなビルに行ってみる。たぶん、宇高連絡船の桟橋ホームなどがあったあたりかとも思うのだが、そんな痕跡なにもない。

ビルはいろいろ事務所などが入っていて、観光施設というわけではないようだったが、1階にレストランがある。ビル玄関ホールに少し古びていたが、宇高連絡船が発着していた頃の宇野駅構内を再現した模型がおいてあった。

茶屋町駅で途中下車。この駅、いまは本四備讃線の分岐駅となって高架駅になっている。ここから宇野に向かう本来の宇野線区間のほうがローカル線になってしまったような感じ。かつては、ここから下津井電鉄のローカル線が出ていた。

高架駅だからながめがよくて、駅の近くに煉瓦造の建物がたくさん残っている工場があるので行ってみる。「セイショク」という会社の工場らしい。
岡山に戻り、きょうも駅前のBHに泊まる。

[津山へ]岡山6:39発津山行快速「ことぶき」に乗車。きょうは、昨日の曇天に比べて、天気がよい。

列車は市街地を離れると旭川に沿って山間にはいっていく。この川、なかなか豊かな水量のある川である。

岡山と津山のなかほどに建部町という町がある。車窓から三角形がいっぱい、「54の屋根」という石井が設計した保育園が見えた。

福渡を過ぎると旭川から離れ、中国山地の山間を走る。駅舎から大きな亀の頭のオブジェが突き出た亀甲駅がある。話題うけを狙ったのか、実際見てみると、グロテスク。この駅がある町名は、美咲町というそうなのだが、どこかギャップを感じるね。

[奈義町現代美術館]津山:7:52到着。駅前のバスセンターに行くと、8時ちょうど発の奈義町方面行のバスがあったので、それに乗り込む。

バスは鳥取へ向かう国道53号線を走る。日本原高原というまわりを山に囲まれたなかにあって広々とした農村地帯を行く。陸上自衛隊の駐屯地がある。

津山駅前から35分くらいで奈義町現代美術館前バス停に着いた。開館は9時半からで、広い芝生広場のなかにある美術館の写真を撮ったりして過ごす。

通称、Nagi MOCA、といわれるこの建物の設計は、磯崎新で1994年の開館。「太陽」「大地」「月」という展示室があって、そこに、それぞれ荒川修作+マドリン・ギンズ、宮脇愛子、岡崎和郎の作品がある、というか、作品空間を建物にしたような美術館である。ほかに、ギャラリーや図書館が併設されている。

建物の外観だけで見ると、「太陽」の円筒が築山の上にどでんと横倒しに載っていたり、「大地」はふつうの四角い空間であるけれど、「月」は三日月状なわけで、変わった建物である。しかし、建物配置の軸線などいろいろ考えられているようだ。

9時半前に受け付けに行くと、もう見学してもいいですよ、といわれ、そのおおらかさがうれしい。なんの注意事項もいわれず、監視人も全くいなくて、昨日のベネッセの施設とは大違い。

それぞれの作品を楽しんだあと、ギャラリーでやっていた「奈義の作家展」をのぞき、その上階の町立図書館の様子を見て、美術館をあとにする。

MOCAというのは、Museum of contemporary art の頭を取ったのかな。芝生広場には「モカ」というカフェもある。

[津山]津山駅前行のバスで市街地に戻る。このまま駅まで行っても、姫新線の列車まで少し時間があるので、城東町並み保存地区を歩いてみようと思う。

市街地に入って、天神橋バス停で下車、国道から一本北側の通りが、旧出雲街道で、古い町屋が並ぶ、町並み保存地区。

この町並みは、映画『男はつらいよ−紅の花』最終作となった第48作のロケ地のひとつ、ロケ地となった記念碑が通りに建てられている。津山市街地の観光パンフによると、そのロケ地が細かく紹介されている。また、NHKの朝の連ドラ「あぐり」のロケも行われたそうだ。古い町並みが残っているだけに、絵になる街なのだろう。

[中国勝山]駅で昼食を取ったのち、津山12:46発新見行列車で、中国勝山に向かう。中国山地の山間を、ことこと走る。中国自動車道が平行している。吉井川水系から旭川水系になって、津山市から真庭 市になる。真庭市なんて、あまり聞き慣れない市名だが、平成の町村合併で誕生した市なのだろう。美作落合から旭川に沿う。中国勝山13:34到着。

ここは、三浦藩の城下町、古い町並みも残る。駅から古い町並みの端までいっても、駅前の商店街を通って、20分ほど。町を散策している観光客もけっこう多い。

とはいうものの、どこか、いまいちな印象なんですね。多くの古い町並みというと、道幅もそれほど広くないところが多いけれど、ここは少し広い、土産物並べている町屋が目立つ、とか、「のれん」の町なのだそうで、個性的な「のれん」が下がってのが目立つ、とか、まあ、そんな印象の複合したものだろう。でも、町並みを活かして町づくりをやっている活気のようなものは感じられた。

せっかくなので、町並みのなかほどにある郷土資料館と町並みから一段高みにある武家屋敷を見学する。
郷土資料館には、三浦藩のことや古い商家から持ち寄られた品々を展示、高瀬舟の水運のことなども紹介していた。古墳などが発掘された土器などが並んでいるのを見ると、あれもこれもと郷土を紹介しようという気持ちはわかるが、どうでもいいような気にもなる。むしろ、古い町並みに関係した事柄にしぼったほうがいいのではなかろうか。

谷崎潤一郎が先の大戦末期、しばらく、ここに疎開していたらしいのだが、そういったことも紹介していた。

武家屋敷は、三浦藩の上級武士の家柄旧渡辺邸で、なかなか大きな住宅である。

中国勝山15:37発津山行の列車に乗って、ひと駅、次の久世駅で下車する。旧遷喬尋常小学校校舎を見に行く。あのあたり、と推量をつけてたどり着いたのは、1990年に新築されたほうの遷喬小学校だった。

旧小学校は、これより南500mほどのところ、国道沿いにあった。明治40年に建てられた木造2階建ての校舎がそのまま残され、建物は重要文化財に指定されている。2階にある講堂は二重折り上げ格天井の立派なしつらえで、企画展示などが行われている。訪れたときは端午の節句にちなみ五月人形などが並べられていた。

久世16:33発新見行列車で新見に向かう。この日は、新見市内のBHに泊まる。

[吹屋に向かって]新見6:34発岡山行特急「やくも2号」に乗車。「周遊きっぷ」は特急自由席に特急券なしで乗れるから便利。連休にはいったとはいえ、早朝の特急なので自由席はガラガラだった。高梁川に沿った渓谷を走る。

備中高梁6:59到着。駅前のバスセンターで吹屋へのバスの便を確認すると、休日ダイヤのため、9:55発までない。連休中、備北バスでは、格安の吹屋見物の観光バスを走らせているようだ。事前に申し込まなければならず、これも利用できない。3時間近く待つくらいならと、まず、成羽町まで歩いて行くことにした。

成羽町は、高梁から西へ10kmほど、高梁川の支流成羽川に沿う町で、いまは、高梁市になっている。井原から福山に通じる国道313号線が走っており、けっこう交通量もある。

市街地を離れ、しばらくは、歩道があったのだが、それがなくなると、クルマもそこそこ走っているから、歩きにくい。成羽川の対岸に道があったのでそちらを進むと、クルマも来ず、のんびり歩ける。

2時間あまり歩いてたどり着いた成羽の町並み、ここで立ち寄っておきたかったのは、成羽町美術館である。設計は、安藤さん、1994年にできた。ここは城下町で、美術館のある場所は、城(陣屋)跡の立派な石垣が残るところ。近くには武家屋敷の跡も残っている。

開館時間まで30分ほどあって、先もあることから内部の見学は残念する。最初、吹屋に行くバスは成羽を通るものだと思っていたのだが、バス停の時刻を見るとそんな行き先のバスは通ってなくて、どうも違う道路を走るらしい。今更、高梁駅前に戻るわけにもいかず、このまま歩いて行くことを優先させた。

成羽町から吹屋まで、中国自然歩道のルートになっていて、道標などが整備され、歩くには最適な道である。道標によれば、成羽から吹屋まで15kmほど。

成羽川の支流に沿って、山間にはいっていく。大型車通行不能という、クルマ1台通るのがやっと、というような道なのだが、クルマもほとんど通らず、歩きよい。よくわからないが、このあたり、地学的に貴重な地層があるらしい。取ることを禁じられているが、化石も出るようだ。

 
羽山渓というなかなか険しい山峡である。針葉樹の緑、落葉樹の若葉、そこに山桜、山ツツジ、藤などが咲いていたりして、美しい眺めを見せてくれる。

最初の素堀の短いトンネルを抜けると、穴小屋という洞窟がある。そこは道路からのアプローチがいい岩崖で、ロッククライミングを楽しむ人たちが何人かきていて、岩壁をよじ登っていた。

もうひとつトンネルをくぐって、さらに行くと丘陵部を縫うように走る広域農道「かぐら街道」というのに出た。こちらは立派な道路だが、交通量は少ない。こちらを経由しても吹屋に行けるような標識がでていたのだが、クルマで行く人のための道路のようなので、自然歩道に指定されているほうに進む。

そこからさらに進むと苗代作りが進められている平地が開け、学校もある集落があって、ようやく、バス道で出ることができた。旧仲田邸という案内が出ていたので立ち寄る。江戸時代の庄屋の伝統を引き継ぐ明治中期の住宅、酒造業を営んでいた当時の醸造蔵なども残され、現在は高梁市が管理する「備中宇治彩りの山里」という農村型リゾートの研修宿泊施設として利用されているようだ。

高梁駅前から歩き始めて、すでに4時間以上経っている。すこしへばってきた。といって、バスはないから、そのまま吹屋に向かって歩くほかない。帰りのバスの時刻を確認できたから、気分的には楽になった。パンと飲料をもってきたので、少しずつ食べながら歩く。

しばらく行くと、「広兼邸」の案内が出ていたので、そちらに向かう。山をひとつ越えた先にあって、歩きにはきつい道のりだった。

「広兼邸」は、山の中腹にあって城郭のような石垣がある建物である。江戸末期に建てられた建物は、このあたりの庄屋だった広兼氏の住宅で、銅とベンガラで巨万の富を築き、今残る豪邸を建てたらしい。

この建物をもうひとつ有名にしているのは、横溝正史原作の映画『八つ墓村』のロケに使われたことだろう。2度の映画のほかテレビドラマでも使われたようだ。

ここで、吹屋の有料観光スポットをめぐる「吹屋ふるさと村周遊券」というチケットを売っていたので購入。5カ所の施設に入れ、個別に見学料を払うより安い。

広兼邸から2kmほど行ったところにあるのが、「吉岡銅山 笹畝坑道」である。
吹屋は、ベンガラの街として、よく知られているが、もともと、黄銅鉱、硫化鉄鉱を産出していた。銅の発見は平安時代というから古い。戦国時代は、尼子氏と毛利氏が争奪戦を繰り広げ、江戸時代には幕府の天領となり、明治時代には、三菱が鉱山経営をやっていたが、昭和初期に閉鎖されたようだ。

公開している坑道は、江戸時代から大正時代に採掘されていたもので、ヘルメットをかぶり、狭く薄暗い坑内にはいっていくのは、けっこうおもしろい。

江戸時代の採掘の様子を再現した人形があるのは、どこの観光坑道でも見られる展示だけど、頭をぶつけそうなところにはいっていくのがいい。けっこう距離があったように思われる。

そこから1kmほど行くと、「ベンガラ館」という施設がある。江戸時代から始められたベンガラ生産拠点だった吹屋、ベンガラの製法などを紹介する施設である。建物は明治時代のベンガラ工場を復元している。隣接してベンガラ陶芸館というのがあって、赤色顔料としてのベンガラを使った絵付けなど、陶芸が楽しめる。

ベンガラとは、酸化第2鉄、つまり、鉄の赤錆びと同じものだけど、古くから赤色顔料としてベンガラ格子や土壁の着色はもとより、瓦、陶器、漆器など多くの用途に使われてきた。吹屋では、銅山からの捨石、硫化鉄鉱石から偶然発見されたらしい。

製法は、硫化鉄鋼石から硫酸鉄、これを緑礬(ローハ)というらしい、を抽出し、これの緑色の結晶を、700℃くらいで加熱焙焼することで、赤褐色の酸化鉄ができる。これを水洗などして製品になるわけだ。

この製法を見ると、今でこそ、このあたり緑豊かな山里だけど、その当時は、ベンガラを作るために、まわりの山々から薪にする木を切られ、また、焙焼で発生する亜硫酸ガスのため、木々は育たず、このあたりハゲ山だらけだったんじゃないだろうか。

ここからさらに2kmあまり歩いてようやく吹屋の町並みにたどりついた。吹屋は、江戸時代から銅に加え、ベンガラの生産で栄えた町である。

ここの町並みは1977年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。300mほどの通りの両側に古い町屋が並んでいる。重伝建地区に指定されるだけあって、感じのよい町並みが残っている。

町並みのなかほどにある「郷土館」と「旧片山邸」が見学できる。ともに、町並みを代表する商家である。

この町並み、クルマ1台ほどしか通れない道幅に面しているのだが、町並みを避けるバイパスがない。観光客は、町並みの手前に設けてある駐車場にクルマを停めて、徒歩で町並み散策するわけだ。しかし、通過するクルマもあるし、路線バスもはいってくる。

たまたまクルマ同士が、町中で行き違うことになると、片方が余地のあるところまでバックしたりせねばならず、なかなかたいへんなことになる。連休中でそこそこ訪れる人も多いのだが、辺鄙な山間、まだ交通量が少ないので、大混乱にならずにすんでいるのだろう。

吹屋15:45発高梁駅前行のバスに乗る。これが吹屋からの最終バス、午前中にバスでやってきた人など、座席がさらりと埋まるくらいの人が乗り込んだ。

バスは、ところどころ新しく拡幅された区間もあるけれど、クルマ1台ぶんくらいの道幅しかない県道を走る。運転手は幅狭い道路でも慣れたものだ。

 
午前中に歩いた宇治の旧仲田邸のそばを通り、山を越えて高梁川の支流河戸川に沿って東に下って行く。成羽とはまったく方向がちがっていた。

このまま高梁駅前まで乗って行ってもよいのだが、今夜も新見泊まりなので、国道180号線に出て、伯備線の駅に近いところで下車しようと思っていたら、バスは国道をそれて備中川面駅前を通過する路線だっ た。吹屋から35分ほどバスに揺られ、備中川面駅前で下車した。
きょうは、歩き疲れたので、新見行普通電車を待って、そのまま新見に戻る。

[足守]昨日同様、新見6:34発岡山行特急「やくも」で出発。きょうは、連休編成なのか、3両増結されてやってきた。編成が長くなると停止位置が変わり、前寄りの自由席車両に移動せねばならないのか、と思ったら、増結分は指定席車で、自由席車はふだん通りのホーム位置に停まった。やれやれ。

備中高梁で特急から普通電車に乗り継ぎ、さらに総社で吉備線の普通列車に乗って、足守駅で下車した。本来、無人駅だが、駅員がひとり改札をやっていた。近隣の駅から派遣されてきたのだろう。

足守は、『時刻表』にも、「周遊おすすめ地」としてバス路線の時刻が載っているから、観光地、なのだろう。でも、バスの本数は少なく、足守へ行くバスは午後までない。

しかたないので、足守駅から足守の町並みまで4kmほどの道のりを歩くことにする。まだ、午前8時前だし、どうせ見学できる施設が開館するのも9時頃だろうから、ちょうどよい。

1時間ほど歩いて足守の町並みに着いた。まだ、朝早いせいもあって、観光客の姿も見られず、ふつうの町のたたずまい。

ここは、足守藩2万5千石の城下(陣屋)町である。街道沿いには古い町屋が並んでいて、奥まったところに武家屋敷が残っている。さらに、「近水園」という江戸時代初期に築庭された庭園も残されている。

ここを治めた木下家は、豊臣秀吉の正室北政所(ねね)の実兄家定が木下姓を賜ったことにはじまり、関ヶ原の合戦後、この地を領有したのだそうだ。

まず、「旧足守藩侍屋敷」というのを見学する。木下家の家老杉原家の屋敷で、江戸時代中期の武家屋敷である。
岡山県指定の名勝近水園は、足守川から水を引き入れた池泉回遊式庭園で、池には鶴島、亀島がある。池に面して吟風閣がある。

その近くには、白樺派の歌人・木下利玄の生家がある。また、足守は、適塾を開いた緒方洪庵の誕生地でもある。

 県指定の町並み保存地区のなかほどにあるのが、旧藤田邸である。醤油製造をやっていた商家で、江戸末期の建物。醤油製造の資料なども展示されている。

足守中之町10:41発の岡山行の中鉄バスに乗る。このバス、土休日運転というもので、これを逃すと午後までない。座席がさらりと埋まる人が乗っている。岡山へ買い物、遊びに行く人の足を考えた運行なのだろう。10分足らずで足守駅前に運ばれる。ほかに下車する人なし。このバス、吉備線には接続しておらず、岡山に向かう人は降りないのだ。

[岡山を経て和気へ]足守駅のベンチで文庫本読みながら小一時間過ごす。足守11:42発の列車で岡山に向かい、軽く昼食を取ってから、岡山12:45発和気行に乗り込んだ。

和気13:14着、駅には「藤まつり」の案内がなされている。和気駅から東へ3kmほどのところに藤の名所があるらしく、臨時に連絡バスも運行されている。

駅の近くに旧大國家住宅というのがあるので見に行く。この建物は国指定の重要文化財で、江戸時代後期に建てられた、酒造業、運送業で栄えた大國家の住宅だ。建物は、入母屋造りの屋根をふたつ並べ、その間を一段高い屋根でつなげた、規模といい、平面構成といい、全国的にも例のない独特なものらしい。

この建物、いまは、町が管理しているようなのだが、藁葺き屋根など傷みが激しい。たぶん、そんな状態だから公開もされいないのだろう。重文指定の建物なのだから、改修工事をしっかりやって、公開、活用をお願いしたいものである。

[帰路]「かえり」の切符は、新幹線を経路としているが、このまま、在来線経由で帰ることにする。「周遊きっぷ」は、基本的に経路変更できないのだが、新幹線の運賃計算距離は、在来線と同じだし、同じJR西日本内での変更なのだから大目に見てもらおう。

和気から相生行に乗る。新快速が播州赤穂まで入るようになって、相生が山陽本線の岡山方面との乗り換え駅となっている。すぐの接続で大阪方面行きの新快速に乗り継げる。始発駅に近いから座れるのが ありがたい。相生から大阪まで1時間20分ほどだ。(2006.5.1.〜5.5.)


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