このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



馬頭・館林・ゆりかもめ

[東京4:42着]久しぶりに大垣発東京行夜行快速「ムーンライト」に乗った。始発時点で全席指定の快速、乗り込んだ車両を見れば、すべて座席がうまっている感じ。

横浜の手前から車内放送が再開、まだ、午前4時を過ぎたところで、外は暗い。
品川を出て、山手線と京浜東北線の電車を追い抜くのを見て、ひと駅手前の新橋駅で下車、山手・京浜東北線のホームへ急ぐと、山手線の電車は出たところだったけれど、すぐ京浜東北線大宮行が入ってきた。

それに乗って上野で下車、東北本線の始発電車5:10発宇都宮行に乗り継ぐ。ロングシートの座席に座り、うつら、うつら、大宮を過ぎて少しずつ夜が明けてきた。

小山6:25定刻着、ところが、ここで電車はストップしてしまった。同じホーム反対側には、小山始発5:42発黒磯行が停車したまま。案内放送によると、5時15分頃自治医大駅付近で人身事故が発生、小金井−宇都宮間、上下線とも運転をやめているという。

事故発生から1時間以上たっているから、もうぼちぼち運転再開するだろうと思えた。氏家までの切符を持っているので、黒磯行のほうがよかろうと、向かいの電車に乗り移った。

上り電車は乱れているようだったが、小金井に車庫がある関係で上野行など、ある程度動いていた。
小山に着いて30分以上たち、ようやく7時過ぎ、最初乗っていた宇都宮行を小金井まで運転する、という駅案内放送。
それを聞いて、小金井で運転を打ちきって上り電車にするのだろう、と勝手に思い、乗り移らず、そのまま黒磯行きに座っていた。

そのあと、7:15頃、この電車の定刻に約1時間半遅れで電車が動き出した。ところが、黒磯行を宇都宮で打ちきるという。最初に乗っていた先行した電車に乗り換えたほうがよかったか、と思っても、もう遅い。

宇都宮7:42頃到着。宇都宮始発7:37発黒磯行が出たあと。だから、小山発黒磯行を宇都宮で運転打ち切りとしたのだろう。この電車が定刻に発車したかどうかわからないが、先行電車が、宇都宮まで運転されてたら乗り継げただろうな、と思いならが、とりあえず、次の電車を待つことにした。

しかし、次の電車は宇都宮始発でなく、東北本線の乱れから15分以上遅れているという。待つ気も失せて、いったん、宇都宮駅で途中下車することにした。

今回、最初に訪ねようと思ったのは、馬頭広重美術館である。氏家駅前から馬頭までバスが出ているのだが、バスの始発は宇都宮なので、宇都宮から乗ってもいいなと思ったのだ。バスの時間は、ひと月ほど前、東野バスのHPで調べておいた。

宇都宮には、川崎清の設計になる栃木県立美術館がある。JR駅から西へ2.5kmほどのところだ。歩いて行ってみることにした。

JR宇都宮から西へ1.5kmほどのところに東武宇都宮駅がある。この付近が宇都宮の繁華街で、バス停が方面別に分散してある。バス停案内図で、馬頭方面へのバス停の位置を確認しておく。

東武宇都宮駅からさらに1kmほど行ったところに美術館がある。残念ながら休館期間中で、見学できなかった。

しかたないので、東武駅前に戻る。馬頭方面行きのバス停はすぐ発見できたのだが、バスの時間が変わっているではないか。案内図でバス停の位置を確認するだけでなく、バス停まで行って、時刻を確認しておくべきだった。

バス停に掲示されている時刻表を見ると、10月1日付で改訂されたらしい。ほとんど時刻が変わってないなか、乗ろうと思っていた9時台のバスの時刻だけ、20分くり上がっている。

このままバス停にいても、しかたないのでJR駅に戻る。次の黒磯行は9:54発、これに乗ると氏家着が10:12、東野バス時間改訂前なら、馬頭行氏家駅前10:25発で楽々、間に合うのだが、20分早くなっているので、バスの出たあとに着くことになりそう。
人身事故による電車の遅れから、やることが、どうもズレてきている。

[氏家]定刻氏家駅に到着。案の定、バスは出たあと。次のバスまで1時間半ほどの待ち合わせ。

氏家駅、西側は国道4号線が通り、新開地の風情、東側は家々が立ち並ぶ街である。氏家は、むかしの奥州街道の宿駅で、古い町並みでも残っているかもしれないと、せっかくなので、街を散策。

古い町並みが残っているように見えなかったが、駅から少し離れたところに洋風塔屋をもつ明治期の建物があった。栃木県文化財に指定されている瀧澤家住宅である。

瀧澤家は、1892(明25)年、氏家で陸軍大演習が行われたさい、明治天皇の休息所となったそうで、そのさいに新築あるいは、改築されたらしい。行在所となった鐵竹堂、塔屋をもつ座敷蔵、長屋門が文化財になっている。

敷地内にある比較的新しい建物は、いまも瀧澤氏の住居として使用されている。文化財に指定されている鐵竹堂は、資料館として公開されているようなのだが、訪れたときは、「休館」の看板がかかっていた。

駅に戻り、駅近くの国道沿いにいつもの豚丼屋があったので、少し早めに昼食を取る。

ところで、氏家のあるあたりは、平成の大合併で「さくら市」というようになったらしい。どういう経緯で、この名前になったのか知らないけれど、「さくら」というと、千葉県の佐倉市が、すぐに思い浮かぶ。距離的にも、比較的近いのだから、ただ、平仮名にするだけでなく、もうすこし考えるべきでないのかな。

確かに、氏家のあるあたり、<桜野>の地名があり、「さくら」と無関係というわけでないと思うけれど、よそから来た者から見ると、安易というか、地名をないがしろにしいるようにしか、みえない。

[馬頭へ]氏家駅前バス停で、宇都宮からやってきた東野バスに乗る。バスなどに「108」と描いてあったりして、東急のもじりみたいで、なんだろうと思っていたのだが、よく考えると、「とうや」なのだ。「東野」の漢字だけ見て「ひがしの」と読んでいたので、すぐに気付かなかった。

バスは、国道293号線を走る。氏家から喜連川までは旧奥州街道らしい。鬼怒川に沿って広がる平野部から那珂川水系へと変わる丘陵を越える。バスで通ってしまうと、どってことない丘陵部だけど、弥五郎坂という名前がついている。何か、由緒があるのだろう。

この坂を下り、那珂川水系の荒川を渡ったところが喜連川の町である。ここには城があったようだ。それに、ここには町はずれに温泉もあって、氏家からバスの便がある。

バスは、那珂川水系の小さな支流と丘陵部を横断するように進む。那珂川を渡ったところあたりに散在しているのが馬頭温泉郷といわれるところである。道の駅を過ぎ、氏家駅前から40分ほどで馬頭の町並みにはいった。役場前バス停で下車。

[馬頭広重美術館]このあたり町村合併で那珂川町というようになったらしい。案内に従って行くと、クルマでいっぱいの広い駐車場越し、神社などがある里山を背にして美術館がある。この駐車場の賑わいを見て、美術館を訪れる人がこんなに多いのかと思ったけれど、じっさいは、役場などを訪れる人の駐車場でもあるのだろう。

駐車場越しに見た美術館の建物は、地味である。雑誌などで発表された写真を見ているので、どんな外観的特徴があるか知っているのたが、遠目から見ると、目立ったところがまったくない。むしろ、目立たないような建物として建てられたものだろう。

ここの収蔵品は、「広重」ということでわかるように浮世絵である。浮世絵の展示は、作品保護のため、照明が落とされることが多い。美術館の目立たない地味な雰囲気は、そういったことと関係しているのかな。

建物の外観的特徴というのは、屋根、外壁に地元産の杉角材が等間隔で並べられていることだ。開館して6年ほど経っているから、木材が経年変化の色合いと角材の作る光と影の微妙な色調変化がおもしろい。

並んでいる角材が遠目から見ると、その色調といい、トタンの浪板のように感じられ、大きな農業倉庫のようにも見える。

たぶん、多くのクルマが並んだ広い駐車場越しに見るから、そんな思いがわいてくるのだろう。この駐車場が、芝生広場だと、また印象は違ったものになるだろう。

建物の格好は、東西に長細い四角い平面で、建物のやや左手のほうを「広重街道」と名付けられた通路が南北に貫通していて、南側の町並みと北側の里山をつなぐ意識が感じられ、また、その通路が、建物内の展示室部分と土産物ショップ・レストラン部分とを分けてもいるわけだ。
建物の設計は、隈研吾、2003年日本建築学会の作品選奨に輝いている。
展覧会も見学。訪れたときは、開館6周年記念特別展として「広重を生んだ画派 歌川派の時代展」が行われていた。内装材も烏山和紙や床材として芦野石など地元産の自然素材が使われている。照明などにもデリケートな「浮世絵」を展示する工夫が凝らされているようだ。

この美術館のそばに馬頭郷土資料館があるのでついでに見学。こちらの建物はコンクリート打放しの外観。展示物は、遺跡、古墳からの発掘品や古文書、小砂焼という地元の陶芸など。この近くで金が産出していたという紹介は興味深かった。

[馬頭温泉から滝へ]帰りのバスまで時間があるので、馬頭温泉につかりに行くことにした。温泉郷には町営の施設もあるのだが、市街地からかなり離れている。それで、市街地から2kmほどの比較的近いところにある「八溝温泉」という施設に行くことにした。

最寄りの「川崎入口」というバス停でバスの時刻を確認し、那珂川のほうへ少しいったところにある「八溝温泉」に向かう。木立に囲まれた日帰り温泉施設で、温泉につかるだけなら400円。

ここの泉質は、アルカリ性単純泉で、少し加熱されているらしい。消毒臭がないのがいい。アルカリの湯らしくぬめりがある。訪れたときは、誰もおらず、のんびりできた。

馬頭に入ってくるバスは、宇都宮・氏家方面からの東野バスだけかと思ったら、烏山からJRバスも来ていた。

烏山からのJRバス、国鉄バス時代だったかもしれないが、かつては、馬頭を経て水郡線の常陸大子駅とを結んでいた。それが路線縮小され、『時刻表』の索引地図から「馬頭」の文字がいつの間にか消えていたので、てっきり廃止されたと思っていた。

いまの『時刻表』の索引地図には、「藤沢」という地名が出ているのだが、藤沢バス停は馬頭の市街地を通り越して、少し先にあるらしい。馬頭には、美術館や温泉があるのだから、『時刻表』には「馬頭」の地名を残しておいてほしかったものだ。

馬頭方面からのバスは、東野バス、JRバスとも平日運転の15時台のバスは、ほぼ同じ時刻にやってくる。たぶん、学校帰りの生徒輸送の関係じゃないかと思う。

乗り込んだJRバスは、ほかに誰も乗っていなかった。バスは、国道293号線を氏家方面に向かって走り、那珂川を渡って、小川から国道294号線を南に向かう。

しばらく走ったところで、小学校低学年の集団が十人あまり乗り込んできて、車内が賑やかになった。しばらく乗って、三々五々下車していく。 

烏山の市街地に近づくにつれ、バスに乗る人がちらほら。馬頭から30分あまりで烏山駅前に運ばれた。

バスに接続するように烏山線の宝積寺行があったが、1本遅らせて、次の列車で宇都宮に戻ることにした。

烏山を訪れるのは、今回で3度目かと思う。初めて訪れたのは烏山線の初乗りのときで、このときは、すぐの列車で折り返しているのだが、2度目のときは、烏山と真岡線の茂木を結ぶJRバスに乗っている。真岡線が第三セクターに転換される直前のことだった。バス停の様子も、駅の様子も、そのころと変わってないように思える。

烏山駅から隣の滝駅まで、レールは丘陵をまわりこむように敷設されているから営業キロ数だと2.9kmあるが、直線距離だと2kmほど。丘陵頂部には、小学校、中学校がある。

町並みを出ると木立のなかを学校への坂道が続く。毎日の上り下り、生徒にとってはたいへんだろうな。学校のそばを通って反対側に下ると滝駅である。

滝駅は片面1線のホームだけの無人駅である。駅から歩いて5分ほどのところに、「龍門の滝」という滝がある。秋の日が暮れ、薄暗くなりかけたなか、滝を見に行く。

大蛇が住むとかの伝説のある滝は、けっこう落差も幅もある大きなものだった。暗くなってきたので、早々に駅に戻る。

烏山線には下野花岡駅から烏山駅まで7駅あるけれど、各駅七福神と関係づけられ、ホームに駅名標と同じようなイラスト案内板が立てられている。滝駅は、弁天さんで、龍門の滝にちなみ、竜に乗った弁天さんのかわいいイラストになっている。

もう、真っ暗になったなか、宇都宮行列車の時刻が迫る頃、ホームにちらほら乗客がやってくる。たぶん丘の上の学校関係者だろう。

宝積寺から東北本線にはいり宇都宮18:36着。人身事故による列車の遅れから、当初の予定からまったく想定外の展開になってしまったが、馬頭への行き帰りに違う経路をたどれたし、久々に温泉にもつかれた ことだし、これでよしとしよう。きょうは、JR駅近くのBHに泊まる。

[多々良への道]翌朝、東武宇都宮駅まで歩く。駅近くに、ふたつの尖塔があって外壁に大谷石が使われた松ヶ峰教会がある。立派なな教会である。ヒンデルの設計で、1932(昭7)年に建てられた。国登録文化財になっている。

東武宇都宮6:47発新栃木行に乗車。東武宇都宮線に乗るのは、初乗り以来じゃないかと思う。途中に、おもちゃのまち、という少し変わった駅名の駅がある。

宇都宮線は単線で、行き違い待ちをするのだが、反対列車が遅れたとかで、途中で、3分ほど遅れた。きのうのことがあるだけに、列車が遅れる、というのは気が気でない。

この電車に新栃木駅で接続する浅草行快速は、この電車を待って発車したので3分ほど遅れた。3分ほど乗って、次の栃木駅でJR両毛線に乗り換える。

栃木駅付近は、東武、JR線とも高架になっている。ここでの接続はよくて、ふつうなら5分ほどの待ち合わせがあるのだが、電車が遅れているからせわしない。次の電車にしてもいいか、とも思ったのだが、乗り換えの高校生たちにつられるように、階段をかけ降り、そして、切符を買い直し、階段をかけ上がり、ぎりぎり間に合った。この駅を利用する高校生らの乗り降りがあったので、かろうじて間に合った格好 だ。やれやれ。

20分ほど乗って、こんどは佐野駅で下車。北側に東武佐野線のホームがあるのだが、館林方面行電車がはいってきたのが見えたので、この駅は橋上駅化されているのだが、あわてて階段をかけ上がった。また、切符を買い直し、東武電車のホームにかけ降り、電車に飛び込んだ。しかし、電車は動き出さない。行き違い列車の待ち合わせをしていて、それが少し遅れているらしい。やれやれ。

宇都宮から佐野まで、東武電車とJRを乗り継いでやってきたが、JR電車を小山で乗り換えてもよかった。宇都宮出発時刻は、ほぼ同じなのだが、運賃を比較すると、JR宇都宮−佐野間は950円、東武、 JR乗り継ぎだと、400円+320円=720円で、こちらのほうが安かった。

佐野からふたたび東武電車に乗って館林に向かう。下り葛生行が遅れた関係で、この電車も少し遅れて発車。

渡良瀬川を渡り、館林着。この電車に伊勢崎線下り太田行が連絡していたのだが、接続待ちしていたので乗り継ぐことができた。特急電車の遅れ接続待ちもあって、けっきょく館林を6分ほど遅れて発車した。

このようなダイヤの乱れは、いつものことなのか、よくわからないが、律儀に接続待ちしてくれると、乗り継ぐほうの身にとってはありがたい。
次の多々良駅で下車する。

[群馬県立館林美術館]多々良駅から南へ1kmほどのところに美術館がある。電車からでも見える。駅からゆっくり歩いても20分ほど。

開館は9時半なので、そのまえに建物の外観を観察。東西に長細い四角い建物と大きさのちがう円弧をもとにした建物の組み合わせ。広々とした芝生を前にし、伸びやかに広がっている、っていう感じがいい。 南面にガラスが多用され明るい通路を作っている。壁面は、下部が石材、上部が金属系の組み合わせ、すっきりとうまくまとめられている感じ。

別館として、小さな洋風石積み小屋風建物があって、ポンポンのアトリエをモデルに「彫刻家のアトリエ」を再現した部屋やワークショップ室がある。
美術館へのアプローチも、円弧状建物に沿う水盤を見ながらの緩やかなカーブ道、なかなかいい雰囲気を出している。

訪れたときは「夢のなかの自然−昭和初期のシュルレアリスムから現代の絵画へ−」という企画展が行われていた。初めて目にする画家のほうが多かったけれど、シュール作品をまとめて見ると、興味深かいの が並んでいた。

「シュルレアリスム」は、大正末から昭和初期にもたらされた芸術思潮、ダリとかの影響を強く感じる。関連資料展示も展覧会を補足する内容で、まとまっていた。

芝生広場に面した明るい展示室には、ポンポンの動物彫刻や立体作品が展示されている。

[多々良から新橋へ]美術館から東武多々良駅に戻り電車で都心に戻る。次の目的地は、今年(2006)3月27日に延長された「ゆりかもめ」に乗ること。新橋へのルートはいろいろ考えられるが、東武電車で浅草へと向かう。

久喜で、東急田園都市線中央林間行急行に乗り継ぐ。東武から東京地下鉄半蔵門線を経由して東急の路線へ繋がっているのだが、なんとなくすごいな、と思える。

東武動物公園駅で後続の区間快速が、急行より早く浅草に着く、との案内があったので乗り換える。

浅草には、以前乗り降りしたことがあるので、きょうは、浅草ひとつ手前の業平橋で下車してみようと、北千住で下車、連絡していた各停浅草行に乗り換えた。

北千住から隅田川と荒川の間の住宅密集地をくねくね走る。東武電車の博物館が高架下にある東向島駅を経て曳舟へ。

この電車、曳舟で、最初乗っていた中央林間行電車に連絡していたから、東武動物公園で乗り換えた意味はなくなってしまった。まあ、いいけど。

次の業平橋駅で下車。曳舟、押上、業平橋付近は、東武と京成・都営地下鉄の路線が接近してい、そこに東京地下鉄も加わっている。

『時刻表』によると東武業平橋駅と押上駅は乗り換え・連絡駅として案内されている。業平橋駅には、押上駅への道案内がされている。しかし、押上駅は以前利用しているので、きょうは、都営本所吾妻橋駅に行くことにした。距離は500mほどだ。

都営浅草線には、京浜急行、京成など各社の電車が乗り入れ、行き先もいろいろあり、ややこしいといえばややこしいけれど、車両の塗色などバラエティで、おもしろい。

新橋で下車。「ゆりかもめ」の駅間距離は短く、新橋の隣、汐留駅から乗ろうかと思ったのだが、この路線、いつも混雑しており、途中からだと座れないのが確実だから、おとなしく始発の新橋駅に向かった。

[ゆりかもめ]新交通システムのこの路線、新橋−有明間が開業してから、もう11年近い。最初、東京臨海新交通という会社名も、路線の愛称「ゆりかもめ」にちなんで、社名変更してからも、ずいぶんたつ。

今年(2006)3月27日有明−豊洲間が延長されての初乗り。相変わらず利用者は多い。電車は頻発しているから、1本見送ると、たいてい座れる。

この路線、高架線を走るから見晴らしがいい。汐留の高層ビル街から竹芝、芝浦の臨海部を走り、レインボーブリッジへと進む。お台場あたりは、フジテレビなどいろいろ観光スポットがあって下車する人たちも多い。

ぐるっとまわって、観覧車のある青海から東京ピックサイトのそばを通って有明へ、新規開業区間にはいり、有明テニスの森近くには、五輪選手村予定地の看板が立てられた空き地が広がっている。はたして、 東京で行われるのだろうか。東雲運河を渡り、新橋から30分ほどで豊洲に到着。豊洲駅近くに新しい商業施設がオープンしたらしく、この駅界隈も人出が多い。

これで、今回の旅行の目的は達成、豊洲から東京地下鉄有楽町線で有楽町に出てもよかったのだが、久々に京葉線に乗ってみようと新木場に向かった。地下鉄の運賃は、どちらも同じ。JRの切符を買うのに、新木場駅のみどりの窓口のほうがすいているだろうな、という思いもあった。

JR新木場駅、思ったとおり、すぐ切符が買えた。大阪市内までの切符だと、都区内発の切符になるから、有楽町駅で買おうと東京駅で買おうと同額だ。

京葉線も利用者が多い。東京駅京葉線地下ホームから長い長い連絡通路を歩いて、ようやく新幹線乗り換え改札口にたどりつく。新幹線自由席ねらいだから、歩く距離、少しはましだけどね。(2006.10.19〜10.21)


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください