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糸魚川・アルペンルート・岩瀬浜

[立山黒部アルペンきっぷ]今年(2006年)4月29日に、富山ライトレールが開業した。2月末で廃止されたJR富山港線の線路を使って路面電車が走っているのだが、一部区間は道路上に新設された路面を走る。これの初乗りに行こうと思う。

富山まで行くついでに、立山黒部アルペンルート、黒部貫光の立山トンネルトロリーバスにも乗っておこうと思う。以前、黒部ケーブルと関電トロリーバスの初乗りを目的に、「立山黒部アルペンきっぷ」を使って、このルートを通ったことがあるのだが、その当時、ふつうのバスが走っていた立山トンネルの区間にトロリーバスが導入された。十年前の1996年4月のシーズンからである。

鉄道路線の新規開業、というと、すぐ乗りに行けないことも多いが、1、2年のうちには、足をしるすようにしている。ただ、この路線、相手が、鉄道の一種とはいえトロリーバスであるし、なにより「立山黒部アルペンルート」は、運賃もけっこうかかるので、なかなか足を向けることができなかった。それで、新規開業後すでに10年もたってしまったのだった。

ちなみに前回、訪れたときのは、富山から信濃大町に抜けている。今回は、逆ルートをたどることにしよう。

大阪で発券される「アルペンきっぷ」は、北陸線往復タイプと北陸線・中央線経由タイプがある。前回は、北陸線・中央線経由タイプの切符を使い、大阪から夜行「きたぐに」で富山入りし、室堂から立山登頂をはたしたあと、そのままアルペンルートを抜けて、信濃大町から松本に出て、夜行「ちくま」で帰阪するという、そうとう過激な旅程だった。

今回は、北陸線往復タイプ、糸魚川から大糸線で入るルートにする。もう立山登頂をめざす元気はないから、ただ、アルペンルートは通過するだけになるだろうけど。

「立山黒部アルペンきっぷ」を買って、朝8時20分頃、北陸方面の特急などが出る大阪駅11番ホームに上がる。この切符、特急普通車指定席が使えるのだが、乗りたい大阪8:42発富山行「サンダーバード7号」は、すでに「満席」、仕方なく「自由席」にねらいを定める。

しかし、8:12発金沢行「雷鳥5号」が出たあとなのに、すでに自由席を待つ人の列が、ずらっと伸びている。席があるかないか、微妙な長さの人の列、急ぐわけでもないから、次の9:12発金沢行「雷鳥9号」にしておこう。そのあとの9:42発富山行「サンダーバード11号」まで待っても、あとの接続は同じになるのだが、大阪駅でさらに待つより、電車に乗ることにした。

大阪駅を出る時点で、自由席は少し空席もあったが、新大阪駅で満席、京都からは立ち客少々。すぐあとに臨時「雷鳥」もあるせいか、そんなに混まない。

北陸・湖西線の最近の話題というと、10月21日、敦賀までの交流電化区間が直流電化に変更され、京阪神間で運転されている「新快速」が敦賀まで運転されるようになったことだろう。湖西・北陸線の運転本数も増え、便利になったようだし、新型の電車も投入されるらしい。

北陸線の敦賀というと、かなり遠いところのように思えるのだが、大阪駅などで、「新快速」の行き先が「敦賀」とアナウンスされ、表示に「敦賀」とあるのを見ると、なんか近くなったような感じがする。

直流と交流の切り替わるデッドセクションは、敦賀駅を出て、北陸トンネルに入る手前にある。
北陸線の新疋田駅付近は、むかしから鉄道写真を撮る有名ポイントのひとつだが、ここに限らず、最近、鉄道沿線、あちらこちらで沿線でカメラを列車に向ける人たちをよく見る。

鉄道写真撮る人たちは、むかしからいたわけで、珍しい車両でも走るときなど、沿線に人が並ぶという光景をよく目にしたものだけれど、そういう特別な日というわけでもないのに、線路沿いにカメラを構えて立っている人たちが、最近、また増えているように思える。ブームというほど騒がれてはいないと思うけど、鉄道写真趣味が広がっているのかな。デジカメなどがより身近に普及したという影響なとがあるのかもしれない。

金沢12:02到着。この電車に接続する各停富山行に乗ってもよかったのだが、後続の富山行「サンダーバード11号」に途中で追い抜かれるので、これは見送った。特急を待つ間、駅ホームの立ち喰いソバ屋で「白山そば」をすする。

金沢から乗り込んだ特急は、座席がすべて埋まるような混みかたで座れなかった。富山まで30分あまりなので気にならないけれど。

倶利伽羅トンネルを抜けて砺波平野へと下っていく。かつては、屋敷林に囲まれた特徴的な散村風景が広がり、富山だなあ、と感じられたのだが、そんな風景より、いま、沿線から見える住宅の並びは、個性がなくて、まったくつまらない。

富山駅は、まだ、むかし通りの平地駅のままである。富山港線などがあった駅北側が更地になっているが、これから金沢駅のように新幹線開業を見越した高架工事が行われるのだろう。

富山から直江津行各停電車に乗り換える。かつては、北陸線の急行などに使われていた交直両用の車両だけど、かなりくたびれた電車だ。

敦賀直流電化で交直両々の電車を新製、11月から投入することになっているが、このあたりを走る寝台電車を改造した電車ともども、早く車両の更新をしてほしいものだね。

親不知の難所を過ぎ、14:37糸魚川到着。

[谷村美術館]駅前の駅周辺地図で所在を確かめ、谷村美術館に向かう。駅から歩いて15分ほど、住宅が並んだ街区からはずれ、田んぼ、畑と家々とが混在するようなところに木立に囲まれた美術館があった。

谷村美術館は、糸魚川の実業家谷村繁雄氏が1983年に設けた美術館である。美術館ができる前に谷村氏は、翡翠園と玉翠園という庭園(設計は中根金作)を造っていて、ここを訪れた澤田政廣が激賛、この地に仏像を中心とした美術館をとの話があって、玉翠園に隣接して設けられることになった。

美術館の設計は村野藤吾。澤田が村野にまかせたらしい。村野にとっては遺作になった建物である。ちなみに、施工は谷村建設、自分のところで行っている。

入口を入ると、シルクロードの砂漠をイメージした石灰石の砕石が敷かれた広い庭の向こうに建物がある。仏像が安置された石窟、という雰囲気がなんとなく感じられる建物だ。角張ってなく、粘土をこねて大小適当に並べたような感じで、明かり取りのスリットが岩壁に掘られた石窟のようにも見え、そういったことが壁面になんともいえない陰影の変化をつけている。

建物内部の展示室も、角張ってなく、しぜんな、岩窟のような雰囲気を出し、そこに置かれた仏像などを見て回るようになっている。展示されている澤田政廣の仏像作品との関係もよく考えられているといえよう。

こんな美術館があったとは、と改めて感心してしまった。こういう建物の存在を知っておれば、訪れておれば、美術館を課題とした設計演習のとき、酷評されずに済んだかも・・・。当時の無知が、悔やまれるなあ。

美術館の次は玉翆園である。レストハウスから庭を眺めるようになっている。石組み、水の流れ、木々のながめ、近くに世俗的な住宅があるようなところに、この庭があるとは思えない光景だ。

このレストハウスには、美術館のスタディ模型とか、建築工事の写真や村野の注意書きが記された図面などがおいてあって、自由に見ることができる。

もうひとつの庭園翡翠園は、美術館から歩いて10分ほどのところにある。このあと、翡翠園にまわりたいところなのだが、閉園時刻が迫ってきたので断念する。

美術館から北に向かって、しばらく歩くと日本海が広がっている。海岸べりを国道8号線が走っている。
国道沿い、海側を広くガラス張りにした建物があったので立ち寄る。ビーチホール「まがたま」というホールをもつ「糸魚川市ふれあいセンター」だった。ホールでは、ちょうど、写真、絵画、書などの市民展が開かれていた。

「まがたま」というのは、古墳などから出土する例の勾玉をホール名としたのだろう。糸魚川市を流れる姫川は翡翠の産地として知られ、勾玉は翡翠で造られたりしているから、糸魚川市と無関係といわけでないんだけれど、なんとなくビーチホールらしくない名前だなあ。建物の格好を勾玉に似せているわけでもないようだし。

明日は「立山黒部アルペンルート」を越える。食事が取れるかどうかわからないので、市内のスーパーで食料、飲み物を調達しておく。暗くなると歩き回る気にもならず、早々にBHへ。

[立山黒部アルペンルート]糸魚川6:18発南小谷行に乗る。上りの一番列車だ。

ホームには、ディーゼルカーが2両、オレンジ一色の塗色の車両とオレンジとクリーム二色に塗り分けられたむかしの塗色の車両が停まっていた。

むかしの二色塗りは、リバイバルカラーとかで、復活されたものだけど、こちらのほうが、味がありますね。こちらの車両は、20分ほどあとの平岩行として運行される。
糸魚川駅構内には煉瓦造の車庫が残ってる。車庫には除雪車がスタンバイしている。

南小谷行は、夜行「きたぐに」から乗り継いだらしい山行装束の客などを乗せて発車。姫川に沿って山間に分け入る。糸魚川から大糸線に乗るのは、ほんと久しぶりである。

沿線は谷間、まだ太陽の光が十分に射し込んでなくて、とびりきの発色というわけでないけれど、山の木々はほどよく色づいているように見える。高い山の頂上部には白く雪が積もっている。

南小谷7:24到着。大糸線、ここから先は電化されていて、JR西日本からJR東日本にかわる。松本行電車に乗り換え。信濃大町あたりの高校へ通う高校生らも乗ってくる。

より明るくなって、青空に白馬岳などの山並みが映え、車窓を眺めているのが楽しい。途中の駅で、行き違い電車の遅れから、この電車は5分ほど遅れた。乗り継ぎに余裕があるから、この程度ならかまわない。
青木湖、木崎湖のそばを通って、南小谷から1時間、ようよう信濃大町駅に着いた。

信濃大町駅前から扇沢に向かうバスは、9:00発、駅前バス停で待つ人は数人、混んでなくてよかった、と思った。
駅前を発車したときはそうだったのだが、途中の大町温泉郷から、どっと人が乗ってきて、車内は空席がなくなってしまった。

赤沢岳のほうに向かって30分ほど走ると扇沢駅である。『時刻表』では所要時間40分であるが、30分ほどで着いた。
切符売り場には長い列ができている。手元には「立山黒部アルペンきっぷ」があるから、いちいち切符を買う必要もなく、列を横目に改札口へ。

扇沢9:30発黒部ダム行関西電力のトロリーバスが、まだ発車してなくて、まだ、乗せてくれそうだったので、それに乗った。車内はぎゅうぎゅう詰め状態。どうせ、トンネル内を15分ほど走るだけ。外の風景を楽しめるわけでもないので、それでかまわないのだ。先を急ごう。

トロリーバスは、数台が続行して走る。当初の予定より、1本早いのに乗れたことになっているが、多客時には、『時刻表』はあてにはならないかもしれない。あとのことを考えると、少しでも前に進むほうがよいのだ。

黒部ダム駅から黒部ダムの堰堤上を歩いて、放水の様子を少し覗いたり、あたりの風景にも目を向けながら、黒部ケーブルカーの黒部湖駅に急ぐ。いちいち展望台などに立ち寄ったりしない。

このルートのなかで黒部ケーブルと立山ロープウェイは、ひとつの箱の定員が限られるため、ピストン輸送しているけれど、多客時には、どうしても、ここで待たされてしまうのだ。

ここから立山駅までは、立山黒部貫光の管轄で、「立山黒部アルペンきっぷ」を窓口で見せて、立山黒部貫光の専用チケットをもらう必要がある。そのチケットにはバーコードが印字されていて、乗車人員の確認のとき、それを読みとらせている。人数の確認とあわせて、そのチケットをもった人が、どこにいるか、ある程度把握するのに使っているのかもしれない。ここでは、ロープウェイの整理券も渡された。

黒部湖駅では、30分ほど待たされた。待ち客を退屈させないよう、職員がひとり出てきて、漫談よろしく、観光案内とかやってくれる。毎日のようにやっているのだろう、手慣れた口調で、巧みに笑わせてくれる。最後には、オリジナル写真集の販売もあって、そこそこ売れていた。
逆方向に向かうときは、ロープウェイの大観峰駅で同じような口演をやっているはずだ。

地下ケーブルに5分間ほど乗り、やってきたのが、黒部平駅、次に乗るロープウェイ、ここでも30分ほど待たされる。

建物の外に出ると西に立山、東に赤沢岳などの雄大な眺め、このあたりはもう紅葉の盛りは過ぎてしまったような感じ。駅待合室も乗り物を待つ人で混雑している。

ぎっしり満員のロープウェィで大観峰駅に運ばれる。所要時間は7分ほど、途中に支柱がないことで有名で、黒部平の標高1828mから2316mまで、標高差500mほどを一気に登る。駅の展望台からは、眼下に黒部湖が見下ろせる。

こんどは立山トンネルトロリーバスに乗り換え。この区間がトロリーバスに変更されての初乗りとなる。数台のバスが続行するので、ここでは座ることができた。全線トンネルの中を走るから風景を楽しめるわけではない。立山の直下を抜けてます、といった観光案内テープが流されるけれど。10分ほどで室堂駅に着く。

室堂の標高は2450mで、この観光ルートのなかでは一番高い位置にある。ここから500mあまり登れば立山山頂に至る。
ホテルなどがはいった室堂ターミナル駅から外に出てみる。立山の雄大な姿が眼前に広がる。数日前に降ったという雪が日陰など解けずに少し残っている。

じっとしていると、少し肌寒い。もっと寒いのかと思っていたけれど、それほどでなかったのは、快晴の天気に恵まれていたからだろう。室堂周辺を散策している人も多い。

ちょうど昼どきなので、持参のパンなどをかじって昼食とする。ほぼ想定した時間でここまで来ることができた。

ターミナルに隣接して、県の立山自然保護センターがある。無料の施設で、ここでは、雷鳥をはじめとする動植物や自然、立山信仰、登山の歴史など、いろいろな資料が展示され、立山のことが紹介されている。雷鳥の足形を刻印してくれる記念入館証がおもしろい。

1時間ほど室堂を散策したあと、室堂12:20発美女平行立山高原バスに乗る。高原バスでは、乗客数をみて、バスの続行運転を行い乗客をさばいてくれるので、これまでのようなぎゅうぎゅう詰めの大混雑のなか移動する、ということはないと思うのだが、それでも混み合わないうちにアルペンルートを抜けたほうがいいだろと考えたのだ。

道路に沿って長さ10mくらいの棒杭が立てられている。来春の除雪のとき、道路の存在を示す目印になる棒杭なのだろう。もう冬支度が進んでいるのだ。

標高が下がるにつれ、低い、地べたをはうような草木が生えたところから、大きな木立が林立するように、しだいに植生が変化する。美女平の標高は、977mなので、室堂との標高差は1500mほどあって、そんな自然の変化が楽しめる。

日本一の落差があるという称名滝が眺められるポイントでは、バスを停めてくれる。室堂から40分ほど(『時刻表』では所要50分であるが)で美女平駅に着いた。改装工事が行われている。そのまま立山ケーブルカーに乗り換える。

美女平駅では、たいして待つこともなくそのまま乗り継げた。混んではいたけれど、座れた。まあ、立って風景を楽しみたい人が多いから空いていたのかもね。たった7分だから、どうでもいいけど。
立山駅の標高475mで、一番高い室堂からだと標高差が2000mほどあって、気圧変化のせいで、途中から耳の奥が少し痛くなってきた。

美女平駅から7分ほど、信濃大町駅前を9:00発のバスでスタートし、13:17富山地鉄立山駅に着いた。想定した時間でアルペンルートを抜けることができた。

[立山カルデラ砂防博物館・立山博物館]まず、駅近くの「立山カルデラ砂防博物館」に立ち寄る。ここは、砂防のことなどを紹介するスペースは無料で、立山カルデラの資料展示や大型映像ホール上映番組を見学するのは有料となっている。

立山カルデラというのは、さきぼと高原バスで室堂から下ってきたが、その南側にある大きな窪地で、その出口は常願寺川の上流にあたる。

1858(安政5)年に起きた大地震で山が崩れ、その後、カルデラにせき止められた水が土砂流となって常願寺川を下り、流域に大きな災害をもたらしたのだそうだ。そういったことなど、立山カルデラ展示室では紹介している。

砂防展示室では、ここで行われてきた防砂の歴史などが、日本各地で起きた土砂災害の様子とあわせて紹介されている。
また、ここでは、立山砂防軌道が紹介されている。現物の機関車も並べられていたけれど、「トロッコ」に乗っているような臨場感ある映像が楽しい。この軌道、途中に18段スイッチバックの区間などがあったりし、むかし、一度、乗せてもらったことがあるが、その映像がなつかしかった。

次に「立山博物館」に行くことにした。この博物館、どうも便のよい立地ではない、らしい。最寄り駅は地鉄千垣駅で、徒歩2kmとのこと。

地鉄立山駅15:15発電鉄富山行に乗る。ごろごろと大小さまざまな石が河原を埋める常願寺川に沿って電車は走る。電車は2両編成のワンマン運転だ。
立山の次は、本宮、かつてはその間に粟巣野という駅があったはずだが、廃止されたらしい。利用者がいないのだろう。

「立山黒部アルペンきっぷ」は、富山地鉄電鉄富山−立山間はフリー乗降区間なので途中下車できる。
常願寺川にかかる鉄橋を渡り、立山駅から15分ほどで千垣駅に到着。ここは無人駅、運転手に切符を見せて下車。片面1線のホームに古びた駅舎が建っている。手入れがほとんどなされておらず、朽ちかけた、といったらいいすぎだが、そんな雰囲気が漂っている。

ここまで鉄道が延びてきたのは、1923(大12)年だけど、この駅舎が開業当時に建ったものなかのよくわからないが、それくらいの年期がはいった駅舎である。壊しもせず、よく残しているな、という気すらする。

この駅から立山方面に向かう道路を戻ることになる。しばらく歩くと雄山神社があり、道路に沿って少し人家の並ぶ集落があって、ようよう立山博物館に着いた。駅から30分近く歩いた。

建物の外観は、少し変わっている。玄関上部のモザイク状のサッシは、立山の山並みを表したものではなかろうか。緩やかにカーブした壁面に細い縦長窓が階段状に続いていてそこが、階段なのだろう、と想像できる。屋根にはガラスのピラミッドが載っており、明かり取りになっているようだ。壁面は瓦のような色調の大型タイルで全面被われ、屋根と一体となって、全体的な印象は、巻き貝のような建物。

「さざえ堂」というお堂建築があるらしい。まだ、実物は見たことないのだが、まさに、現代風にアレンジしたそれではなかろうか。わざわざ足を運んでよかったな、と思える建物だった。

この博物館のある芦峅寺は、立山信仰で訪れた人たちが泊まる宿坊が並んでいた集落らしい。博物館の隣りには、そのひとつ「教算坊」という江戸時代後期に建てられた宿坊があり、レンタルスペースとして使えるようだ。

博物館のなかにはいると、ガラスのピラミッドの下が廻り階段になっていて、そこを3階まで登って順に展示を見ていく。ちょうど、この階段室のまわりに展示室があてられ、ひとめぐりすると、もと来たところに出て、正面側壁面に沿ったもうひとつ別な階段があって、それで下の階に降り、2階の展示を見て、また、ぐるっと回って、下へ降りるとエントランスホールに出る、という構成なわけ。

3階では、立山信仰の舞台としての自然を、2階では、立山信仰のことを中心に紹介している。1階には、企画展示室があって、訪れたときは、「立山と真宗−御絵伝がつなぐ二つの世界」という、親鸞らの伝記絵巻物を展示していた。

 
この芦峅寺集落のなかに「遙望館」という施設がある。博物館と同じ色調のタイル貼りスレート葺きの映像ホールである。博物館が巻き貝なら、こちらはアワビのような感じの建物。墓地のそばにあって、少し異様な感じもするけれど、そこには、かつて、「おんば堂」というお堂があったらしい。

山間のことで、午後4時をまわると日が陰り、薄暗くなってきた。また、約2km歩く。博物館から距離的には、千垣駅も有峰口駅も変わらないように思えるので、常願寺川を渡って有峰口駅に行く。駅にたどりついた頃にはあたりは暗くなっていた。

有峰口駅も古びた駅舎が残る無人駅。千垣駅と同時代の建物なのだろう。建物妻面に駅名が書かれているのだが、それは「小■駅」(■は文字が無くなっている)とあり、「有峰口」と改称される前の駅名「小見」のなごりだ。

有峰口17:24発電鉄富山行に乗る。もう、真っ暗。人家の灯りも全く見えないようなところをごとごと走る。岩峅寺を過ぎると富山平野の田園地帯になる。人家の灯りは感じられず、沿線は田んぼが広がっているばかりなのだろ。
電鉄富山18:11到着。きょうは、駅前のBHに泊まる。

[富山ライトレール]翌朝、富山駅北側の富山ライトレール、富山駅北電停にまわる。車両は、2両連結で走るスマートで軽快な電車、という感じ。地鉄の路面電車とは大違い。白いボディに車両の出入口部分、赤く塗られた写真が紹介されていたのを見て、みんな同じ塗色かと思っていたら、出入口部分の色はいろいろあって、たぶん、全部違うのだろう。

最初にも述べたように、富山ライトレールの路線の大部分は、JR富山港線の線路を引き継いでいる。富山駅北からインテック本社ビルの前を通って、奥田中学校前電停近くまでは、道路上に新設された軌道を走る。元の富山港線内にも電停が新設されていもいる。

まず、富山駅北7:00発の電車に乗って岩瀬浜まで、全線乗り通す。運賃は、200円均一、しかし、2007年3月末までは、平日の昼間と土・休日は終日半額の100円の特割り運賃になっている。

奥田中学校前電停近くから、もとの富山港線の線路にはいる。旧来からの駅では、駅舎が取り払われ、従来の電車用高いホームから上屋があるだけ低床電車用のホームに作り替えられている。

岩瀬浜まで24分。富山港線時代に2度ほど訪れているが、はるかむかしのことで、どんな駅舎があったか、記憶が定かではない。

岩瀬浜電停から南西の方に向かうと、岩瀬カナル会館というのがある。岩瀬運河に面して建つ観光物産販売所。まだ、時刻が早くてひっそり。
さらに南西のほうに向かうと、古い町並みが少し残る一帯がある。北前船で栄えた港町だったなごりで、そのなかの森家住宅は、国重要文化財に指定されている。

町並みのなかには、修景された建物もある。某銀行のように、変な修景をしているのもあるけれど、町並み保存の取り組みが感じられる。大事にしてほしいものである。

町並みから東岩瀬電停に出る。電停のそばに富山港線時代の東岩瀬駅舎が残されている。いまは、改修工事が行われていたが、当時の駅名標や電車用ホームも取り壊さず、一部残されているところを見ると、富山港線資料館として使われるのではなかろうか。

東岩瀬から電車に乗って、越中中島電停で下車する。電停から西へ15分ほど歩いたところに、中島閘門というのがあるので見に行くことにした。国重要文化財に指定されている。

富山市を流れる神通川、いまは、富山湾に向かってまっすぐ流れているが、むかしは大きく蛇行していたらしい。それを明治の中頃、治水で名高いオランダ人デ・レーケの指導のもと、いまのような川筋に改められた。

東岩瀬から富山駅北側まで富岩運河を掘り、運河沿いを工業地帯にし、そして掘った土砂を使って蛇行時代の川筋の土地改良をする、という計画が立てられたのが1928(昭3)年のこと。1930(昭5)年から工事が進められ、1934(昭9)年に完成、水位調整のためこのとき造られたのが中島閘門だったのだ。

しかし、昭和30年代になると水運の機能も失われ、運河の水質も悪くなり、運河埋め立て計画が立案されたりしたらしいが、その後、近代化遺産として見直され、また親水空間としての環境整備が進められてきた。この閘門も1998年改修工事が行われ、国重要文化財に指定された。昭和の土木建造物としては全国初の指定らしい。

運河沿いには遊歩道などが設けられ、散歩、ジョギングしている人たちも多い。富山駅のほうに向かって歩いていくと、富山富岩運河環水公園となり、天門橋という大きな橋がかけられている。
運河の先には、体育館や公共施設など新しい建物が建っている。

[富山県立近代美術館]富山駅北口に戻り、地下通路を通って南側にまわり、地鉄の富山駅前電停から南富山行路面電車に乗る。

先ほど乗った富山ライトレールとは大違いのぼろっちい電車である。どっこいしょと乗り込む旧式の路面電車に、富山ライトレールの低床式電車、その乗りやすさがきわだつ。将来的には、地鉄の路面電車も富山ライトレール仕様が電車が走るようになることだろう。

繁華街の西町を経て、10分ほど、西中野電停で下車。運賃は200円、地鉄のほうは割引運賃でない。
電停から住宅地のあいだを抜けて西のほうに行くと、富山県立近代美術館がある。隣接して富山市科学文化センターもあるが、こちらは現在改修工事が行われており、閉館している。

美術館の外観は四角い建物である。訪れたときは、企画展として「美の殿堂−日本芸術院所蔵名品展」というのをやっていた。せっかくなので常設展と合わせて見学する。

企画展の会場は1階、常設展は2階。まず、企画展のほうから。会場にはいってこの美術館の展示空間のありようにすこし驚いた。

美術館のよくあるスタイルは、いくつかの部屋に分かれてい、展示作品を順々に見ていく、というものだけど、ここは、広いフロアがひとつ、というもので、フロアの中央に、8本の円柱が円状に立っていて、そのなかに円形に吹き抜けがあり、2階の上にも円柱が伸びているのが見え、吹き抜けの上を見上げると、ドーム状に鉄骨が組まれている。

外観だけからは、四角いどこにでもあるふつうの美術館かと思っていたら、その内側に古典ともいえるドームとか柱を内包していて、それにすこし驚いたのだった。

芸術院展には、日本画の人、洋画の人、彫刻の人、60点ほどの作品が並んでいた。知らない人のほうが多かったけれど。
そして常設展、この美術館のコレクションの目玉は、「20世紀美術の流れ」というもので、展示室の2階があてられている。ここフロアの吹き抜けから下の企画展が見下ろせるわけだ。

はいったところにピカソの作品があった。<20世紀>だから、印象派とかのあとにでてきた、フォービスム、キュビスムの人たちからということか。デュシャン、ミロ、デルヴォーなど、ダダとかシュルレアリスム、それに抽象表現の作品が並べられ、そっち方面への関心の深さが感じられる。

これは、たぶん、富山出身の瀧口修造にちなんでいるのではなかろうか。ここには、瀧口の所蔵品など、資料が並べられた展示室もある。
常設展の別の部屋でも、いろいろテーマを決めて、作品が並べられている。幅広く作品を並べており、けっこう楽しめた。

美術館の前に「富山ミュージアムバス」のバス停がある。富山市内の美術館・博物館をまわる無料巡回バスで1時間おきに走っているようだ。こういうバスがあるのを知らなかったので、ここに来るとき、地鉄の路面電車を利用したのだが、帰りはこのバスを利用することにした。

このバスに乗るには、専用パンフレットが必要で、それは美術館窓口でもらえた。そのパンフによると、市内には、むかしからあった富山城の郷土博物館のほか水墨美術館、民俗民芸村といった施設があり、城跡の南側にある富山市民プラザ(その隣りには富山国際会議場がある)内には「トヤマグラスアートギャラリー」というのがあるようだ。

<ガラスの街とやま>というキャッチフレーズがあるようで、そんなことまったく知らなかった。高岡の銅器に対抗したのかな。

やってきたきたバスはマイクロバスで、美術館にやってきた人たちが下車、かわりに乗り込む。マイクロバスで間に合うほどの利用者しかないのかもしれないけれど、ありがたいバスではある。

美術館から所定の施設をまわり、15分ほどで、このバスの基点になる富山駅南CiCビル横に運ばれた。このバスが巡回する施設、ゆっくり訪ねてみたい気もあったが、連休最終日、帰りの電車の指定席が取れていない身としては、早めに帰路についたほうがよいと思え残念する。

[帰路]駅近くのいつもの豚丼屋で少し早めの昼食を取り、富山駅へ。

富山12:07発大阪行「サンダーバード26号」自由席、ホームでは待つ人の列が伸びていたが、座れそうなのでそれに乗ることにした。
こんかいは、鉄道の初乗りと美術館・博物館めぐり、満足度の高い旅行だった。(2006.11.3.〜11.5.)



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