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四国漫歩

1997.10.18〜10.20


[南に向かって]この(1997年10月)1日に土佐くろしお鉄道の中村−宿毛間が開業した。初めて四国に渡った1978年3月、中村から足摺岬を廻って宿毛に出て、中村に戻るバスの中からから延々と延びる高架線をながめ、ここに列車の走る日はこないのではないかと思ったのだが、あれから二十年近く経て、ついに列車が走るようになったのだ。乗りに出掛けよう。

四国に渡る最も標準的なルートは岡山から瀬戸大橋線を経由して四国に向かうものだろうが、昨年(1996年)夏に通っているので、往路だけでも変化をつけたいと、新たなルートで 四国に向かうことにした。明石海峡大橋が開通すると淡路島を中心としたフェリー航路がほぼ全滅するのでこの機会に淡路島を経由して行こうかと思ったが、乗り継ぎに時間がかかるので諦めて、和歌山港から小松島にフェリーで渡るルートで四国に向かうことにした。

大阪駅の自販機では、社線連絡きっぷは南海和歌山市駅までしか買えず、仕方ないので新今宮までの切符を買って、再度、新今宮で南海の切符を買いなおす。予定より一本早い環状線内回りの電車に乗ることができて新今宮へ。新今宮では7:22発和歌山港行特急「サザン1号」に乗り継ぐことができた。前のほう和歌山寄りの車両がリクライニングシートの指定席車両で、余計に座席指定料がいるが、後よりは普通のロングシートの座席車で乗車券だけで乗れる。込んでいればあとの急行にしてもよかったのだが、空いていたのでこれに乗る。新今宮を出ると堺、岸和田、泉佐野、みさき公園、和歌山市に停車するだけで、終点和歌山港に至る。

和歌山港8:22到着。この電車には8分の待ち合わせで徳島行の高速艇が接続している。駅から連絡船乗り場へは連絡通路を通ってすぐだ。高速艇の所要時間はフェリーの半分ほどだが運賃は倍になる。最初から9:20発の小松島港行のフェリーに乗り継ぐつもりだから慌てない。フェリーの切符売場はは電車の改札窓口と兼ねていて、連絡通路の先には待合室があるだけだ。乗船の時刻までしばらく新聞を読んだりして過ごす。出航時刻が迫ってくると団体客など乗船口に集まってきた。

乗船時刻になって船内にはいると、二等船室は桟敷席だ。待合室にいた人達だけならがらがらかなと思っていたら、自動車、バスからはきだされた人で船内はいっぱいになった。小松島まで二時間。今日は高知で泊まることを考えているもののその先の計画は定まらないまま、ガイドブックを見たり文庫本を読みながら時間を過ごす。

[小松島から穴吹へ]11:20定刻に小松島港に着岸した。かつては、港のそばに牟岐線中田駅から分岐したわずか 1.9kmというミニ路線小松島線の小松島港駅があった。この駅は小松島駅から延長された臨時駅の扱いで営業キロ数が設定されておらず、フェリーに利用者の利便をはかるためだけに設けられた駅だった。1978年3月に一度乗ったきり、この線は1985年3月に廃止されている。現在は、港からバスが南小松島駅まで連絡している。その駅のあとを探しに行く。竹輪売りがいたホームの痕跡はなく、道路になってしまったらしい。すこし西に向かうと、廃線跡が遊歩道に整備されていた。貨車の車輪が車の侵入を阻むように歩道に並んでいる。

『近代建築総覧』によると千歳橋の東側に公会堂があるらしいのでいってみるが、なにもなかった。駐車場になっている広い空き地がそれだったのかもしれない。南小松島駅に向かいながら適当にぶらつくが発見はなにもなかった。

当初の予定では小松島で昼食を取ろうと考えていたのだが、ちょうど徳島行列車があったので、窓口で高知までの乗車券を購入して先に進む。南小松島から高知まで3080円で、大阪からの運賃の合計は、環状線 170円、南海 890円、フェリー1730円で、しめて5870円。JR線で岡山経由の運賃は6020円だから少し安く上がったことになる。

徳島に向かう列車には学校帰りの生徒や用務客がそこそこの乗っている。徳島駅に着く手前で線路沿いに見える洋館三河病院本宅は健在。ドイツ風貴族邸宅がをモデルに昭和初期に建てられたもの。県庁舎など徳島市内の有名な近代建築の多くは建て替えられたようであまり見るべきものは残っていない。

この列車には徳島で穴吹行列車が接続。昼食を取りたかったが、ホームでサンドウィッチを買って先行する。徳島本線の歴史は古く、明治32年徳島−鴨島間を開業した徳島鉄道に始まる。明治40年に国有化され、佃まで全通したのは大正3年のこと。駅舎には開業当時からの建物や大正時代頃に設けられたと見える跨線橋もけっこう残っているようだが、改修されたりして無人化されている駅も多い。13:24穴吹到着。

[脇町]卯建(うだつ)のある町並で有名な脇町まで駅前からJR四国のバスが出ているが、その前に徳島西部交通のバスがあったのでそれに乗ることにした。吉野川北岸を阿波池田に向かう路線バスだ。乗客はほかに誰もいない。駅から脇町まで3㎞ほど、吉野川を渡って西に折れ、約12分で撫養街道の阿波藍の集散地として栄えた脇町の町並みに入る。バス道はどってことない町並みなのだが、その南町に東西に延びる町並みは88年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された卯建が見事な町屋が並ぶ。脇町はまた、97年正月映画として公開された「虹をつかむ男」の舞台となった町でもある。

町の西外れの阿波銀行前バス停で下車して南町を歩く。郷土資料館は以前あった洋風の脇町税務署に似せて建てられた建物で、藍の集散地として賑わった当時の文献や町並みの保存、改修状況の写真パネルなどが展示されている(無料)。

町並みは約400m、作り物の町という感じはしなくてふつの生活が営まれている町並に見える。ただし、道路の舗装をやめて砂利を突き固めただけにため風か吹くと砂埃がすごく、水まきしている人がいたりする。昔の町並みを表現するために舗装してないなら、この通りで生活している人にとってひどい話だ。

通りを西に向かうと「ふれあい館」がある。旧野崎家を改修したもので公開されている唯一の町屋だ。「虹をつかむ男」のロケ現場の写真パネルなどが展示されていた。この映画の舞台となった「オデオン座」こと脇町劇場は吉野川の支流大谷川に面して建っている古い劇場だ。映画撮影のため正面は化粧直しが施されているが、建物自体相当老朽化していて、危険な状態、もちろん、映画館としての役目もとうの昔に終えている。この映画のおかげて劇場を復活させる話があるとかないとか…。穴吹駅に戻るときはJRバスの脇町駅からJRバスに乗った。

[穴吹から高知へ]穴吹15:22発の阿波池田行の列車に乗る。吉野川の南側をたんたんと走る。川の北側にはすでに徳島から脇町付近まで開通している自動車道の延長工事が進められている。JRに取っては脅威になるのだろう。対岸、遥か彼方にに箸蔵寺のリフトが見えてくると佃で土讃線に合流して阿波池田に16:12到着。

阿波池田からこの時刻高知方面に向かう普通列車はなくて16:41発の特急「南風9号」に乗車する。自由席には十分な空席があった。日暮の迫るなか大歩危、小歩危の眺めを車窓から楽しむ。山越えをして高知平野に下る頃には暗くなり1752高知到着。

夕食を取ろうと繁華街をぶらつくが、あえて郷土料理を食べたいわけでもなく、うろうろした挙げ句、けっきょく駅に戻って、駅の食堂で代り映えのしない定食を喰うことになる。今晩は高知のBH泊り。

[四万十・あしずり・宇和海フリーきっぷ]このフリー切符は、JRの窪川、宇和島をはさんでその南側、JR予土線、土佐くろしお鉄道線の列車や高知県交通、宇和島自動車の主路線バスに自由に乗り降りできるものでフリー区間だけの切符の料金は3600円、高知からフリー区間を経て松山まで(この逆もある)の切符は特急の自由席にも乗れて5000円という破格な値段なのだ。

中村から足摺岬を往復するだけで3860円かかるのだからフリー区間だけの切符でも十分もとがとれ、その安さがわかるだろう。高知−宿毛間だけで運賃は2960円で、その間を特急の自由席に乗ると1750円となり、すこしバスに乗るだけで楽々もとが取れる計算になる。

最初、フリー区間だけの切符と片道+フリー区間切符の値差がたったの1400円しかないのを見て、てっきり高知または松山からフリー区間までの片道のことかと思ってしまった。なにしろ、高知−窪川間の運賃だけで1410円し、フリー区間だけの切符+片道の料金として辻褄があったからだ。実際は、高知発の場合、宇和島−松山間にも乗れて、これは全くおまけみたいなものだ。

この切符を使って、土佐くろしお鉄道の新規開業区間とまだたどったことがない宿毛−宇和島間のバスに乗ることは最初から考えていたが、その前後をどうするか、出発前まで確定してなかった。この値段だからあちこち廻らなくてももとはとれるのだが、貧乏性というか、できるだけ乗ってやろうという気になってしまう。高知のBHで時刻表を片手にあれこれ考え続けた。

[土佐くろしお鉄道]翌朝7時前にBHを抜け出し、ちょうど太陽が昇りはじめた頃で、十分な明るさがなかったけれど、土佐電鉄の路面電車の写真を撮ったり、日曜日に開かれる朝市をぶらつく。野菜や果物、乾物、切り花などの露店が追手筋に並ぶ。駅に戻って、駅ビルの喫茶店でモーニングを取ったあと、高知8:10発宿毛行「あしずり1号」で出発する。「あしずり」の名称はかつては急行の名であったが、今は高知以西だけを走る特急の名に使われている。

高知から西に向かう区間は、昨年(1996年)の夏、夜行で高知にやってきて、市内の近代建築めぐりをしたあと、土讃線から予土線を経由して宇和島に向かったときに通っており、一年ぶりになる。四国は平野部が狭く、山麓の傾斜がきつい山々がすぐに迫ってくる。鉄道路線は海岸線を走る区間は少なく、谷筋を登ってはトンネルで次の谷筋に移るという具合で進んで行く。「あしずり1号」の自由席、座席がほぼ埋まるくらいの乗車。天気は上々。高知から三十分ほど走って、須崎に近付くと海が見えてくる。土讃線で少々長く海のそばを走るのはここくらいで、あとはトンネルとトンネルの間からすこし見えるくらい。四国は山また山の車窓風景が続く。

約一時間あまりで土讃線の終端窪川に着く。ここから土佐くろしお鉄道に乗り入れ、乗務員も交替する。車掌は女性だ。予土線が分かれる若井の先の川奥信号場を過ぎるとループトンネルに入る。窪川−若井間を除いて旧中村線に乗るのは、初めて四国を廻った78年春以来、もちろん、1988年4月に土佐くろしお鉄道に転換してから乗り通すのは初めてだ。伊トンネルを抜けると与木川に沿って下り海岸辺りの土佐佐賀に着く。ここから土佐入野付近までは比較的海に近いところを走る。

窪川から四十分ほどでかつての終点中村に着く。ここからこの十月一日に開業した新線区間。といっても、高架区間などの部分は二十年くらい前に完成していたところも多いので、コンクリートに経てきた古びが感じられる。中村市街の南側をトンネルで抜けてほぼ国道56線に沿って西に向かう。高架、築堤、掘割り、トンネルが続く。1978年春に中村から足摺岬を経て宿毛を回って中村に戻るバスのなかから眺めた建設途中で打ち棄てられたかに見えた高架。ここに列車が走ることはないだろうと思ったあの時から約二十年、感無量である。

宿毛市街の南側をトンネルで抜けて、宿毛10:18到着。市街地とフェリー乗り場のある片島の中ほどに高架の駅が作られている。市街地から2㎞ほど離れた場所だ。駅は端頭式、二面二線の構成、開業二十日ほどしかたってないので真新しい。駅前から中村、土佐清水、宇和島方面のバスが連絡している。市街地から駅が離れていることは、市街地に住んでいる人に取って利用しにくいかもしれない。バスの便がしっかりしていれば、観光客などを中心に利用者が増え、まだ空き地が広がる駅周辺も栄えてくるかもしれない。

[高知県交通・宇和島自動車]フリー切符の特典を生かして、まず、高知県交通のバスに乗る。まず、宿毛駅前10:37発の片島からやってきたバスで中村に向かう。駅から5分ほど走ると宿毛BC。時刻表にBCとあるのはふつうバスセンターの略だが、宿毛の場合は「文教センター」というバス停だった。

ここは宇和島方面行きのバスの始発場所で、かつてのバス待合所だったバスセンターの書かれた建物も残っているのだが、ここには宿毛歴史館や図書館などを併設した施設、市立宿毛文教センターがある。

市街地を抜けると国道56号線を東へ、あるかないかわからないような峠を越えて、特急も停車する新駅平田に立ち寄ったりしながら四万十川水系の中筋川の川筋を走る。このバス路線は78年春にも乗っているところだ。土佐くろしお鉄道も南に北になりしながら並走する。四万十川を渡り中村市街地の南側をかすめて約50分で中村駅前に到着。ここまでの運賃は1020円。すでに駅前バス乗り場には足摺岬行きのバスが停車していてそれに乗り継ぐ。待ち時間は5分。

中村駅前を11:35に発車。しばらくは来た道を引き返して、四万十川を渡ってから川に沿う国道 321号線を走る。川は蕩々とした流れだ。川から離れて土佐清水市との市区界を峠のトンネルで越えて、別の谷筋を下ると海岸線にでる。約10㎞ほど太平洋の大海原の眺めが楽しめる。約一時間で足摺岬の付根の土佐清水市街地にはいり、清水バスセンターで下車する。ここまでの運賃は1400円。

ここで昼食を取ろうと考えていたのだが、市街地の商店は、日曜日のせいか、ほとんどしまっていた。食堂も喫茶店もあいてない。しかたなく、バスセンターそばのスーパーで弁当でもと考えたのだが、これがみな売り切れ。けっきょく、食パンにフライのお惣菜を買ってサンドイッチにして食べるという惨めな昼食になってしまった。

足摺岬まで行ってしまうと、あとの接続が遅くなってしまうので、清水BCから13:30発の宿毛BC行きのバスに乗る。清水から20分ほどで海中展望塔などの施設が集まる竜串。奇岩海岸見残までグラスボートも出ている。このバスは竜串から小才角を経由する海岸線を行くもので、78年春にも乗った路線だ。当時は、国道とはいえ、車が二台通るのがやっとというような道幅しかなく、くねくねと曲がりくねった、それでいて美しい海岸線の眺めが堪能できた素晴らしいバス路線だった。

それから約二十年、道路は大幅に改良され、海岸沿いに大回りしていた道路はあっけなくトンネルやら橋梁やらでショートカット。叶崎の眺めは相変わらずの雄大な太平洋を見せるのに、くねくね道をたどって目にした二十年前ほどの感激はなかった。二度目だからということではない。

松崎からは海岸を離れて山間を行く。拡幅され、よくなった道は軽快に続く。小筑紫あたりからリアス式海岸の一端が見え隠れする。湾内に浮かべられている規則正しい浮きははまちの養殖場の仕切りらしい。清水BCから一時間あまりで土佐くろしお鉄道の宿毛駅にやってきた。バスで一周したことになる。ここで宇和島方面のバスに乗り換えられるが終点の宿毛BC(文教センター)まで乗る。一時間二十分乗って、運賃は1830円だった。

宇和島方面行きのバスまで約二十分の待ち合わせ。かつてのバスセンターだった建物の裏手にふつうの民家とは違ったすこし擬洋風的な感じのする建物があった。案内によると明治22年に建てられた林有造邸だった。林有造は板垣退助の片腕として知られ、自由党の領袖として活躍、逓信大臣などを努めた。ここで生まれた林譲治は衆議院議長などを努めた人だ。幕末の倒幕、明治の自由民権運動など歴史にかかわりの多かった土佐の地ということもあろうが、明治以降、宿毛市出身の政治、官界などで活躍したらしい。地方の小都市としては例がないほどとか。吉田茂も宿毛市出身ということを知った。

宿毛BCから乗った宇和島方面大洲行きの宇和島自動車のバスは、高知県交通の路線バス然としているのに比べ高速バスのような感じのバスだった。長距離バスだからかもしれない。この路線に乗るのは初めて。バスは、宿毛駅に寄ったあと、国道56号線を宇和島市方面に向かう。従来からの町並みに立ち寄る旧道は別にして、道路はもう狭い道幅のところはなく、すこぶる快適である。三十分あまりで城辺。宿毛市、宇和島市間ではいちばん繁華なところだろう。さらに進んだ平城の町並みのなかに元銀行のような建物を見かけた。御荘湾を跨ぐロープウェイのある南レク御荘公園。このあたりは宇和海・西海観光の中心地である。内海では真珠の養殖が行なわれているようだ。

約二時間で宇和島市街地にはいる。バス車庫近くの市民病院前バス停で運転手が交替し、た。さすがに乗っているだけでも疲れる。宇和島BCをやり過ごして宇和島駅前で下車する。運賃は1750円。バスだけで、なんと6000円分乗ったことになる。
宇和島市に来るのは昨年(1996年)夏以来、約一年ぶり。宇和島駅は建て替えの最中で、仮駅になっていた。この日は、前回泊まったBHに泊まる。

[予土線]宇和島から松山へ向かう権利がこのフリー切符にはあるのだが、松山付近は昨年二度も通っており、目先を変えて、予土線に乗って窪川に向かうことにした。今まで予土線に乗るのはいつも窪川側からばかりだったので変化があってよい。窪川でこの切符の権利放棄しても、十分に元は取れているし、端末印字の切符とはいえ手元に残る。窪川−大阪間の運賃は松山より五百円ほど高いだけで、フリーに使った金額からしたらたいした差ではない。

宇和島7:21発の列車で出発。月曜日なので通学の高校生がたくさん乗り込んでいる。乗客の八割がたは生徒だ。霧で視界が悪い。北宇和島から予土線に入る。近永まで大正3年に開業した宇和島軽便鉄道がもとで、その後吉野生まで延長、昭和8年に国有化され、軌間を 762㎜から1067㎜に変更されている。軽便鉄道だったせいか、北宇和島から務田までの約6㎞は最大30‰の急勾配、最小半径 160mの急カーブの連続で、スピードも30㎞/Hくらいしか出せず、そばの県道を走る車に次々追い抜かされる。

務田まで登りきると四万十川水系に沿って谷筋に線路が延びる。近永で高校生がどっと下車してしまうと、車内は十人くらいに減る。相変わらず霧ですっきりしない車窓風景のなか、列車はとろとろ走る。

真土と西ケ方の間で愛媛県から高知県にはいる。次の江川崎までは昭和28年に開業した区間。列車にはトイレが設けられてないので、トイレ休憩を兼ねて江川崎で数分停車する。ここかに四万十川本流に沿って走るが、昭和49年に開業した線区は、これまでの区間と違って線路状態が格段によくなり、橋梁、トンネルが多用され、蛇行する川を串刺しにして走る。スピードも早くなり軽快だ。植林された山々も多いが、雑木林もところどころ残されておりあり、紅葉時分にはなかなかの眺めになるのでなかろうか。九時頃になってようやく霧が晴れて青空が見えてきた。きょうもよい天気だ。

家地川を過ぎると長い菊地川トンネルを抜け、土佐くろしお鉄道との分岐点である川奥信号場に到る。ここで、「あしずり1号」宿毛行の通過を待って、くろしお鉄道に乗り入れる。

予土線は若井までだが、信号場−若井間はくろしお鉄道との共用区間になっている。窪川以西を中村線という独立した線名にしてしまったため、国鉄再建法により廃止対象とされ、くろしお鉄道に転換されたわけだが、ワイド周遊券、青春18きっぷといったJR線しか乗れない乗車券では、若井−窪川間別払いということになる。でも、そのまま乗り継いでしまうと、ウヤムヤにしてしまう場合も多いのではなかろうか。フリー切符は両社乗れるので問題ない。窪川到着9:37。

フリーきっぷを使うのはここでやめて、窪川から大阪市内までの乗車券を購入する。次に接続している列車は10:01発岡山行「南風8号」で普通列車は二時間ほどない。昨年(1996年)夏、佐川で下車したとき、時間がなくて見られなかった旧青山文庫の建物を見に行ってみようと思い、佐川までの自由席特急券も購入した。

[佐川]宿毛からの「南風8号」は三両編成で自由席に空席のないのを見て、運転席後の通路に立つことにした。佐川まで40分ほどだし、ここはなにしろ臨場感あふれる前方の車窓を楽しめる特等席なのだ。佐川到着10:38。

旧青山文庫は、佐川の町並みからすこし離れた運動場、図書館などがある総合文化センターに移設されている。駅から歩いて15分ほどのところ。近くに、月曜日休館ではいれなかったが「佐川地質館」という施設がある。

この旧青山文庫の建物は、もとももと明治19(1886)年須崎警察署佐川分署として建てられた木造二階建佐川町上町に建てられたもので、昭和5(1930)年に青山文庫の民具館として活用するため移築された。青山文庫は佐川出身でのちに宮内大臣を努めた田中光顕の収集した幕末・維新関係の資料がもとになっている。青山文庫を佐川町立資料館として整備するため昭和53(1978)年民具館は、総合文化センターに再度移築された。現在も民具館としてあるようなのだが、一般公開はされてない。この建物のそばに自衛隊のジェット練習機T−33(Tバード)が並べられていた。

駅に戻ると11時すぎ。今回の旅行、一度も昼食は食堂で取れてない。今日もまともに取れなさそうなので、機先を制して(というほど大層なことではないが)駅近くのスーパーで弁当を買ってきてすますことにする。佐川11:48発の普通列車で次は伊野に向かう。

[伊野]伊野は仁淀川べりの土佐和紙の産地で、現在も製紙会社の工場があり、「いの町紙の博物館」という施設がある(月曜休館)。また、土佐電鉄の路面電車の西の終点でもある。少し町を歩くと、明治22年に建てられた土蔵造りの町屋・紙問屋「見附屋」の旧土居邸が修復されていたり、紙の町として賑わっていた名残が感じられる町屋が見られる。

[帰路]駅に戻ると、ちょうど伊野1307発高松行「しまんと8号」の時刻だったので、それに乗って帰ることにする。高松行なので岡山方面に向うには坂出で乗り換えとなるが、新幹線の乗り継ぎ割引は受けられる。平日の昼間の上り列車のせいか、自由席は空いていた。来たルートを逆にたどる。

この列車は、多度津で松山発岡山行の「しおかぜ」に接続しているが、この乗り継ぎをすると別に特急券が必要になる。四国内だけの特急乗り継ぎなら改札を出なければ、通しの特急料金ですむのだが、会社が違うJR間をまたがるとこういうサービスも違ってくる。

JR時刻表10月号のコピーを持って、列車に乗っていたのだが、同じ頁、同じ列に土讃線から坂出乗り換え岡山方面への電車の時刻が、接続列車のように書かれている。ほとんどが接続可能のだが「しまんと8号」の場合の坂出着は15:32で、岡山行快速「マリンライナー」の発時刻は15:32。同じホームに着けて乗り換えの便をはかっているのだろくらいの安易な考えでいたのだが、多度津で接続する「しおかぜ」が数分遅れ、これで接続してくれるのだろうか、やきもきしてしまった。

坂出に着く前に(この付近は複線になっているのだが)、岡山方面に走り去る電車と行き違い、ああ間に合わなかった、と思ったものの、坂出に下車してみると、実際は接続列車でもなんでもはなく、ただ時刻表の記述が紛らわしいだけであったということがわかった。やきもきして損した。

昨年(1996年)夏、坂出駅に途中下車したときは、まだ高架になってなかったが、今回来てみると二面四線の高架ホームに替わっていた。上りと下りの列車が同じホームに着くことはできず、岡山方面の電車に乗り換えるには階段を降りて昇らなければならいのだ。

次の岡山行快速まで約25分あったので、いったん改札を抜けて、駅近くにある鎌田共済会郷土博物館(大正13年)の建物を見にいくことにした。この建物は線路沿いにあって電車からでも見える。以前は、隣接して坂出市立図書館などがあったはずだが…。北に向うとアーケード街があって、百十四銀行など古そうな物件が目に付いた。坂出は、電車で高架線を走っているとき目に付いた大きな木造の建物(旧坂出商業学校本館か?)もあり、ゆっくり歩いてみてもよさそうな街だ。慌ただしく駅に戻り改札を抜ける。このとき、今持ってる切符では、本来途中下車できなかったのではないか、ということが気になったが、フリーきっぷを途中で権利放棄したのだから大目にみてもらおう。(帰って時刻表のピンクの頁を見ると、途中下車不可とあった)

坂出駅から岡山行き快速「マリンライナー」に乗車。本四連絡橋をものの10分あまりで渡り岡山に16:45に到着。この時間帯は大阪方面の「ひかり」がなく、岡山17:02発の「こだま」に乗った。15分ほどあとに出た「ひかり」に途中で追い抜かされたが、ゆっくり座れたからかまわない。


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