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青森漫歩

1996.4.30〜5.5


[北に向かって]青森へ行こうと思った。前回訪れたのは1990年の秋だったので約五年半ぶりだ。目的は1988年に開館した青函トンネル記念館のケーブルに乗ることだ。単なる観光施設ではなく、れっきとした鉄道としての営業線なのだが、なにぶん竜飛という津軽半島の突端にあって行くのがたいそうで、開業後すでに8年近くたってしまった。そして、帰路に東京に立ち寄って今年(1996年)三月から四月に開業した新線にも乗って来ようと思う。

東京に寄る関係から「青森・十和田ミニ周遊券」(周遊券は廃止された)を利用することにして行きは日本海縦貫線にするか東海道・東北線経由にするか、当日まで悩んだのだが、けっきょく、時間を有効に使いたい気持ちと安く上げようという貧乏性から東海道夜行での出発となった。

駅で快速「ムーンライトながら」の指定券の有無を確認したところ、区間を「大垣→東京」として頼んだので満席といわれた。しかし、この時期、普通車だけの臨時東京行が走っているので指定がとれなくても気にならない。

大阪20:30発の米原行新快速で出発。連休中の中日のせいかそれほどの込みようではない。米原で1分の接続で上り電車がある。大垣で下車して臨時電車の乗り場を確認。待つ人は少しだった。いったん改札を抜けて飲み物を買いに出る。すでにキヨスクなどは閉まり駅前は人影もない。大垣駅のみどりの窓口では「ながら」の指定券をまだ売っていた。「大垣→熱海」の区間にすれば残席があるようだったがここまで来て臨時に十分な座席が見込めるので余分に指定料金を払う気もなくなった。

臨時は従来通りの165系電車。大垣22:54に発車。今までの経験でいえば名古屋で込んで豊橋あたりまで席がいっぱいという感じなのだが、名古屋でもさほど込まず、岡崎ですいてしまった。臨時ということと連休中日のせい、それにむかしに比べて発車時刻が繰り下がり込む時刻からはずれているせいもあるだろう。すいたのをよいことに「くの字」になって座席で寝る。

名古屋駅で「ながら」に先を譲った臨時快速は「ながら」に5分遅れて4:47東京に到着。東京から東北新幹線に乗るのは開業したときの初乗り以来。まだ、5時すぎなので窓口も自販機も寝ている。しかし、一番列車に乗る人がぽつぽつ改札口に並び始めた。構内のきっぷ売り場はJR東海とJR東日本の窓口が並んでる。東日本側の窓口、自販機が先に動きはじめたのでそちら自販機で自由席特急券を購入。ちょっとのことだが、東海と東日本の売上に差がでるところだ。定刻5時半すこし前に改札がはじまり、「やまびこ」にかけこむ。が、連休中日の平日のせいかそれほどの込み方ではなかった。

福島あたりから仙台まで新幹線通学しているらしい学生がけっこういる。仙台から先盛岡まで各駅に止まるが、定期利用者らしい人が目につく。

北上を出たあたりで事故の情報。青森発盛岡行の特急「はつかり4号」が苫米地−北高岩間で踏切事故。東北本線が不通になっているとの第一報。その後、運転再開した「はつかり4号」が折り返しになる、この「やまびこ」に接続する「はつかり3号」は10〜20分発車が遅れる見込み、との案内になった。特急に乗り継ぐ予定でないのでやきもきすることはなかたが、先が思いやられる事故だった。

[渋民]盛岡9:27到着。連休中の日によっては上野を数分早く出て、盛岡に一時間近く早く着く「やまびこ」があって、あとの接続もいいのだが、この日は運転されてないので、花輪線にはいる列車まで約一時間半の待ち合わせ。

盛岡の街は1990年に歩いているので接続していた東北本線の普通列車で先行することにした。朝食がわりに駅弁を買ったが、ロングシートの電車ではさすが包みを開く気になれない。「はつかり4号」の到着遅れ、「はつかリ3号」の先行発車の関係で沼宮内行普通電車の発車が13分遅れた。盛岡−好摩間のどこかで下車し、そのあとの普通で好摩まで行き、花輸線の快速に乗り換えればよいと考えていた。

下車するなら渋民にすることにした。石川啄木ゆかりの地だ。記念館もあるはず。盛岡から約20分弱で渋民に着いた。電車を降りて駅に掲げてある時刻表を見て唖然としてしまった。ダイヤ改正の時刻表3月号で計画を立ててきたのだが、東北本線盛岡−青森間は別に3月30日に改正する旨の注釈が載っていたものの、普通列車は大きく変わることはないだろうと思い、しっかり確かめなかったのがいけなかった。

本線下り普通列車の発車が改正前より遅くなっており、好摩で乗り継ぐ花輸線の快速に乗り継げなくなっている。沼宮内からの折り返しで盛岡に引き返すのが一番で、それまでの約30分ほど駅のベンチで駅弁を食べながら待つことにした。盛岡で買った牛めし弁当(800円)の味はいまいちだったがけっこうボリュームがあった。
なお啄木記念館は好摩と渋民のなかほどにあって一時間くらいの持ち時間では往復できないこともわかった。

渋民駅は駅員無配置駅だが、売店兼用できっぷも販売しており、盛岡までのきっぷを購入する。改定時刻表では盛岡行で盛岡まで戻ると花輸線の快速まで乗り換え時間は5分あるから乗り継ぎに問題はない考えた。ところが定刻になっても電車がこない。さきほどの遅れを引きずっているのか、電車化されてドアの明け閉めに乗客がとまどっているのか、けっきょく、約5分遅れてやってきた。このまま盛岡まで行くと乗り継ぎができない。

花輪線の快速は盛岡の次の厨川に停車するで、盛岡までの切符を買ったが盛岡まで行かず、厨川で下車することにした。厨川は島式ホームだったので、そのままホームで快速「八幡平」を待つ。一時はどうなるかと思ったが、快速に乗ってしまうと、これで予定通りだ。

[花輪線]花輪線に乗るのは1984年9月大館から大更まで乗って八幡平に向かって以来。南側に岩手山が望めるが山の上のほうは雲のなか。桜がきれいに咲いているところもあるが、山間にはいっていくにつれまだ五分程度のところもある。兄畑をすぎ分水嶺を越えると湯瀬温泉。次第に山間から農地が広がって鹿角盆地にはいる。12:51十和田南に到着。十和田湖への南の玄関だが下車するのは初めて。

駅前からは十和田湖行のJRバスが止まっている。しかし、小坂に向かう秋北バスは駅前まではいってこないらしく、駅を出てすこし行く国道筋に十和田南駅入ロバス停があった。

小坂に向かうバスまで30分あまりあったので付近を探索。バス停のそばは公園になっていて錦木塚という塚がある。駅付近の地名も錦木というが、由緒ある塚のようだ。近くに新しい地区センターがあって錦木塚に関する資料室があるようなので覗きにいった。

錦木というのは男が求愛する女性の門口に送った錦を取り付けた木切れのことで、錦木が取り込まれれば承諾の印しとなる。ところが、ある男がさる女性に思いをよせ、三年間通ったものの相手にされず、思い悩んで投身自殺してしまう。その話を聞いた女性は、それほどまで、と後追い自殺する。この悲しい出来事にふたりを弔って塚ができたという。この話がもとになって謡曲「錦木」ができたそうだ。いわれを知ればありがたい。

[小坂]バスで小坂に向かう。小坂には85年に同和鉱業(当時)小坂線を乗りにきたときに訪れているのだが、すぐに移動したので街の様子などまったく見ていない。現在、小坂線は小坂精練の鉄道線になっているが、旅客輸送を廃止して乗れないのが残念。

乗り込んだ秋北バスはいまだに自動運賃表示機が備え付けられてない。運転手の後ろに停留所と運賃が記された対角運賃表があるだけだ。運転手は手元にカード式の運賃表をおいて、乗客の整理券と運賃を確認しながらお金を受け取っていた。

約20分ほどで小坂市街にはいった。旧小坂駅を過ぎ古びた商店街を抜けた鉱山病院前バス停で下車。古びた映画館ではアニメ作品がかかってた。北のほうにすこし行くと鉱山の中心で現在は精練所がある。

鉱山事務所は木造二階一部三階建ての立派な洋館だ。明治39年に建てられた。その向かいには煉瓦造りの銅の電気精練工場がある。小坂マリア園幼稚園(昭8)の通りを行くと康楽館という芝居小屋がある。のぼりが立てられはなやか。建物は明治43年に建てられた。鉱山関係者の娯楽施設として設けられたもので、一時期興行が途絶えたようだが、地方に残る古き芝居小屋のひとつとして現在も興行が続けられている。

そのあと、町立総合博物館「郷土館」に立ち寄った。遺跡などの出土品といった考古資料はどこでもあるが、ここの特徴は小坂鉱山関係の展示である。屋外には軽便鉄道時代に小坂鉄道で使用されていた雨宮のSLと塗装がはげていたいたしい貴賓車が展示され、小坂駅舎のレプリカには鉄道関係の資科も少々。

小坂鉄道があればここから大館にまっすぐ向かうのだがあいにく旅客営業廃止で、また代替バスが走ってるようでもなかった。東北自動車道に高速バスがあるはずだが、インターまで行かねばならず、時刻もはっきりしない。しかたないので、来た道を秋北バスで戻る。

来るとき見た毛馬内にある営林署の建物が古そうだったので、列車まで時間もあることだし途中で下車してみる。毛馬内は1985年に小坂を訪れたさい、ここで下車して十和田湖に向かったところだ。十和田南の駅名はもともと毛馬内といっていたのだが、町は1kmほど離れている。

[青森ヘ]十和田南から再び花輸線で大館に向かう。米代川に沿った途中に温泉場があるほか、たんたんとした路線だ。東大館が市の中心部に近い。なぜ知っているかというと、1988年に十和田湖を訪れたさい、十和田湖から大館まで秋北バスの乗ったのだが、バスが遅れ、接続すべき列車に乗り遅れ、時間を持て余したので花輪線に一駅乗り、東大館から街をぶらぶら大館駅まで歩いて時間をすごしたのだ。

大館では2分の接続で青森行に連絡。県境を越えて青森県。暗くなってよくわからないが、弘前は桜祭りでにぎわっていることだろう。19:32青森到着。駅ビルの食堂街で夕食を取って駅近くのBHヘ。

[竜飛]1979年に竜飛を訪れて以来の再訪になる。その頃は朝8時台に三厩行の列車があったのだが、三厩まで行けるのは一番列車の6:02発の次が10:56発までなく、8時台の列車は蟹田止なのだ。それで、駅前のBHに泊まって早起きし、一番列車で三厩に向かうことにした。

津軽線は青函トンネルができて中小国信号場まで電化され、蟹田で折り返す列車は電車化されている。蟹田行の一番列車も電車で特急車両の間合い運用だった。

北海道との連絡路線となった電化区間は線路状態もよく、乗っている車両が特急車両ということもあって軽快であった。しばらくいくと陸奥湾が見えてくる。列車の振動公害反対の看板があったが、こんなところでも気になる人には問題なのだろう。昔のようにたまにしか列車が通らなかった頃に比べて本数が格段に増えたのはまちがいないから。

蟹田で三厩からの列車の到着を待つ。駅のホームは本屋側の上り線と向かいの島式ホームの三本ある。島式ホームの両側を使えばいいのに、いったん本屋ホームで人を降ろす。青森方面に向かう人は跨線橋をわたって乗り換えなければならない。三厩からきたDCは青森行がでたあと向かい側に回送される。

蟹田をでた列車は中小国信号場でローカル線のままの津軽線になって津軽半島の山間を抜ける。湿地には水芭蕉の群落があってきれいに咲いている。今別をすぎてふたたび海岸近くを走って、8:00に三厩に着いた。

駅前から青森市営バスが連絡していて竜飛に向かう。海岸沿いの国道339線をゆく。天気はあいにくの曇天で北海道などかいもく見えない。竜飛まで乗り通すのは観光客が十人たらずだけ。17年ぶりだが当時の印象はほとんど残っていない。

竜飛バス停から青函トンネル記念館をめざす。海岸べりの質素な住宅から灯台などがある高台に登る石段の小道も国道339線で、国道番号を示す標識にあわせて「階段国道」と案内されている。竜飛の観光名所のひとつだ。

[青函トンネル記念館]階段国道を登りきると見晴らしがよい。天気がいまとつなので遠望はきかないが、風カ発電のプロペラ塔が何本も並びゆっくり回転しているのが望まれる。風の谷のようだ。記念館はそのふもとの谷間にある。

ここを訪れた目的は記念館のケーブルカーに乗ることで、時刻表にも時刻が載っているように鉄道のひとつなのだ。ケーブルは定員制だが有名観光地のように頻発しているように見えず、予定している便に乗れないとあとの予定にかかわる。それであわててやってきたのだが、そのかいあって予定の便のチケットを入手できた。発車まで30分ほどあったので記念館本体の展示を見学する。展示内容は建設の歴史、技術などをパネルや模型、映画で青函トンネルのことを紹介している。

ケーブルカーは9:48に発車。トンネルの排気のため内圧を高めてあるのかトンネルに向かう入口には扉がある。しずしず扉が上がり深い穴が口をあける様は普通のケーブルにはない面白みがある。パトライトが点滅してゆっくり降下していく様は、単なる観光ケーブルではない雰囲気。823mを約9分で下って体験坑道駅に着く。

ガイドに付いて青函トンネルにもつながる坑道に作られた掘削工具、機器、設備などを見学してまわる。約25分で一巡10:25に体験坑道駅を発車して約7分で地上に戻る。ケーブルの扉が閉まるまで建物から外へ出る扉があけられない。かなり圧カ差があるのだろう。

青函トンネル記念館に隣接して東北電カの竜飛ウインドパーク展示館がある。竜飛に設置されている風カ発電設備が紹介されている。
時刻がすこしはやいけれどここで昼食を取っておく。三厩に戻るバスの時刻まで竜飛崎灯台に立ち寄り、ふたたび階殻国道を下る。

三厩までのバスの所要時間は時刻表によると35分だが三厩駅前まで30分もかからなかった。観光客ばかりで乗降がほとんどないのだ。
列車の時刻まですこしあったのでバスの窓から見えた洋風意匠をもつ建物を見に行く。それは増川のそばにある増川営林署の建物である。旧青森営林署の洋館は立派で現在森林博物館になっているが、そういう建物を設計したひとの影響があるのだろうか。

[津軽半島から下北半島へ]蟹田でDCからロングシートの電車に乗り換え青森に戻ってきた。東北本線の電車まで50分ほどあったので、青森市内に残る建物を探しに行くことにした。

青森は先の大戦で空襲にあっているので『総覧』に載っている物件もわずかである。駅から歩いて15分ほどの青森市スポーツ会館を見に行ったが、該当する場所は更地になっていた。近くの青森食糧ビルもなかった。収穫のない散策に時間をついやしてしまい駅に戻るのにすこし慌てた。

盛岡行は今回の改正で客車から電車に置き換えられたものだ。時刻がすこしかわっていたが、渋民の一件でこりて時刻を調べ直している。観光客やら学生の団体やらで車内は大混雑。

しばらくすればすくかと思ったが、通学帰りの生徒の乗り込みもあって、浅虫温泉を過ぎてもさほどすかず、乗るのをあきらめる生徒もでる始末。ひじょうな混雑で乗り降りが手間どり、しかもボタン式のドアの不慣れな人もあったりして、すこしずつ遅れ、乗り換えの野辺地には8分ほど遅れた。

人をかきわけるようにしてやっとの思いで下車、大湊線への乗り換え。大湊線はワンマン運転が主のせいか、大湊線ホームのところで中間改札をおこなっていた。急いだかいあってかろうじて席を確保した。

大湊線に乗るのは1988年青函トンネルを抜けて函館へ行った帰路に大間フェリーから下北半島を下るルートを取ったとき以来だ。野辺地を出ると寂しげな海岸沿いを走る。人家がほとんどない。
一時間ほどで下北。大畑線乗換駅だ。駅前に真新しい立派なシティホテルがあった。

[むつ市]下北駅から500mほど歩くと国道338線にでる。この近くに大湊ホテルがあるはずと見ると外壁のペンキの色も真新しい立派に改修された大湊ホテルがあった。しかし、ホテルとして営業してないことはわかるが、門も閉ざされ、どういうように利用されているか、案内も看板もない。まあ、残っていたことだけでも確認できたことをよしとしよう。

田名部−脇野沢間にはJRバスが走っているので周遊券が使える。建物の写真を撮っているうちに田名部行のJRバスが通過していったので、次のバスを待つ間に次の合同庁舎前バス停まで歩いた。

田名部は下北半島一の街である。駅前にダイエーもある。タ暮れ時に今晩の宿を探しながら歩いて思ったのは、やけに飲み屋が多いことだ。こんな下北半島の辺部な街には多すぎるように思えるくらい大湊に海軍の基地があった時代からのなごりなのかも知れない。

翌朝、田名部駅前から一番のJRバスで桜木町に向かった。海上自衛隊の基地があるところだ。釜臥山には雪がすこし残り、基地近くにたくさん植えられた桜はやっとつぼみが膨らみすこし咲き始めたところだ。いつもの年より一週間ほど遅いらしい。

国立病院前バス停で下車して桜木町界隈に残る建物を探した。大正5年に建てられた石造の官舎が残っている。一棟は空き家、もう一棟はむつ市文化財収蔵館に使われている。十分な時間が取れなかたので総監官舎まで行き着くことができなかったが、資料館になっている北洋館をながめて宇田からバスで大湊駅に戻った。

[下北から三沢へ]連休初日で青森や東京方面やらに向かう人で駅は賑わっていた。大湊7:59発の快速「しもきた」で野辺地に戻る。

陸奥湾に沿って南下。風が強いなと思っていたら途中の陸奥横浜一吹越間を徐行運転。この区間には築堤や鉄橋があって安全運行を考えると徐行せざるをえないのかもしれない。けっきょく、この徐行で野辺地到着が16分遅れ、2分接続の特急「はつかり」には接続しなかった。大湊駅で野辺地−三沢間の自由席特急券を買ったのだか、この時間帯には特急しかないので払い戻す必要もない。こんなことなら大湊でゆっくりすべきだったか、と思ったけれどもう遅い。

とはいえ、野辺地にはこの時間帯に南部縦貫鉄道のレールバスがやってくるのが唯一の救いであった。1981年夏、北海道の帰りに立ち寄っているのだが、その当時とちっとも変わってないのだ。つぎの特急を待つ間、写真を撮ったりしながら時間を過ごした。

一本遅い大湊線の列車は定刻に野辺地に到着した。たまたま、あの時間帯だけの強風で徐行させられたのだろう。予定より一本遅い特急で三沢に向かう。自由席はいっぱいで乗れそうでなく、指定席車両の乗降口から乗り込む。一駅20分ほどだから立っても気にならない。

[古牧温泉]三沢の街は太平洋のほうに伸びているが駅前はひっそりしている。駅前に古牧温泉があってホテルをはじめ公園、博物館、ボーリング場など一大レジャーゾーンになっている。東京から渋沢邸を移築したことでも知られ、ここの博物館を含めてゆっくり見物しようと思っていたところが列車の遅れで温泉につかるだけにする。古牧温泉元湯につかるだけなら300円だ。

温泉につかったあと十和田観光電鉄の写真を撮り、駅前で昼食を取ったあと、ふたたび特急で八戸に向かった。この前まで50㎞までの自由席特急料金は620円だったのが、この3月のダイヤ改正で東北本線盛岡−青森間では25㎞までの区間が半額の310円で乗れるよう改正されたのですこし助かる。

三沢から八戸まで一駅15分ほど。こんども込んでいると困るで最初から指定席車両のところで待つ。しかし入線してくる電車を見ると、自由席もさほどのこみかたではなく、自由席のところで待ってもよかった。移動するのもなんなのでそのまま乗降口のところにいた。

[八戸]八戸の中心街は東北本線の八戸より八戸線の本八戸が近い。この特急から八戸線の接続は悪く、50分ほどの待ち合わせになるのでバスの便がないかと駅前にでてみると八戸市営バスが頻発していた。

駅から市街地に向かう道路沿いに公衆温泉がある。八戸はさほど有名な温泉地でないが、1/5万「八戸東部」「八戸西部」を見ると市街地に温泉記号が見つかる。バスは馬淵川を渡り、根城跡を過ぎて住宅街を行く。地形図のコピーを持ってきて正解だった。どこを走っているかよくわかる。

繁華な二十八日町バス停で下車。鉄道の運賃だと180円だが、バスだと310円だ。イトーヨーカドーの書店に立ち寄って市街地の町名と位置を確認してからすぐ近くの今渕邸を見に行った。ライト風の装飾がほどこされた玄関まわりがすごい。

そのあと八戸酒類の事務所。河内屋橋本合名会社の文字が残る大正の建物。そしてすこし離れた日本聖公会八戸聖ルカ教会堂を見に行く。木の柱の古びに対して煉瓦は新しく、かなり改造されているように思えた。足を延ばしたわりにあまり感激させる物件ではなかった。

国道45線に沿って駅に戻る。NTTのアンテナ鉄塔に鯉のぼり多数取り付けられており、強風に勢いよく泳ぐさまが絵になっていた。

駅に向かう道中にDCのタイフォンと走り去っていくエンジン音が聞こえてきた。まさか、と手帳を見直すと、本八戸駅の時刻と八戸駅の時刻を混同しており、八戸駅の時刻をたよりに駅に向かっていたので列車に乗り遅れてしまったのだ。八戸駅ですこし長時間停車するのでバスで追いかけようかとも思ったが、けっきょくまた乗り遅れる可能性のほうが高いのでいさぎよく次の列車まで待つことにした。

思い違いのもとは、今回の予定表は東北本線の改正前時刻で書いていたので、改正後の訂正書き込みに、今朝の列車遅れによる急逮の変更の書き込みで紙面がきたなくなっていたせいだ。

予定していた列車ならそのまま東北本線に乗り入れ三戸へ行けるところ、一本遅らせたために、八戸からまた特急の世話にならなければならない。ワイド周遊券なら特急の自由席に特急券は不用だが、ミニ周遊券の場合は別に購入する必要がある。特例の適用で特急料金が310円になったのがせめてもの救い。

[三戸]八戸から一駅15分ほどで三戸に到着。今回も指定席車両で待ったがその必要はなかったようだ。

三戸は馬淵川やその支流が合流する山間の町である。駅は南部町にあって三戸町の中心まで2㎞ほど離れている。駅から道路沿いに商店、住宅などが続くだけで中心といっても繁華なところがあるわけでない。途中にアップルドームという体育館のような施設があった。

『近代建築ガイドブック』によれば二物件紹介されていたのだが、到着が予定より30分ほど遅れたせいもあり、そこまで行き着くことができなかった。ただ、駅前にもと旅館だったような洋館を発見したにすぎない。

三戸駅で二戸行の列車を待っていると外装をリニューアルした「はつかり」がやってきた。
この日は二戸ダイエーの隣にあったBHに泊まる。

[二戸から荒屋新町へ]二戸から荒屋新町までJRバスが走っている。初めて乗る二戸線だ。朝7:00発の一番バスにはローカルバスには不似合いな婦人集団。話しぶりから東京あたりから夜行「はくつる」でやってきたらしい。このあたりには、金田一温泉のほか観光地らしいところもないのに、ふつうのハイカーのようでもない。どこに行くのだろうと思っていたら、道中のなかほどにある浄法寺町の天台寺に向かう一行だということがわかった。

バスは束北自動車道の支線八戸道に沿って走る。自動車道は山の中腹をえぐって通してあるせいか、バスの車窓からはあまりめざわりな存在ではなかった。

天台寺の近くでくだんの一行を降ろしてしまうと車内はひっそり。荒屋新町に近づくにつれバスに乗り込む人がちらほら増えてきた。二戸から約1時間で荒屋新町駅前に到着した。

[ふたたび花輸線から十和田湖へ]30分ほど待って十和田南に向かう。花輪線の列車は上り下りこの駅で交換する。この線はまだタブレット交換をしている。

十和田南駅で下車するとちょようど一周したことになる。駅前には秋北バスが停まっていた。JRバスと共通乗車できる「とわだこ号」だが、いちおう周遊券を見せて確認しておく。始発から乗るとバス指定券がいるが、この便は大館始発なので不要。

十和田湖に向かう10人あまりの乗客を乗せて国道103号線を走る。大湯川に沿って十和田湖の外輪山を登っていくが、奥入瀬渓谷に負けず劣らずの数々の滝や渓流が見られる。このルートで十和田湖に向かったのは1977年夏と85年秋の二度あるが、雪解けの流れの荒々しさがなかったせいかその存在に気がつかなかった。88年は同じ時期だが、逆行したせいもあり気にもとめなかった。

美しい発荷峠の眺めから十和田湖畔に下っていく。雪かきされた雪がかたすみに残っていたりする。十和田南から十和田湖に向かう場合は右側に座るのが景色がよい。約l時間で十和田湖駅に到着、GWの人出で賑わっている。このまま青森まで抜けると周遊券が利用できて出費がないのだけれど、黒石に立ち奇りたかたので弘南バスに乗ることにした。その待ち時間の約40分ほどを使って十和田湖ビジターセンターを覗いた。十和田湖周辺の動物、植物、地形などが写真、標本、剥製、模型などで紹介されている。

[十和田湖から黒石へ]十和田湖への観光ルートは青森からの北線、十和田南からの南線、十和田市からの東線、弘前からの西線と四方向がある。周遊券利用だとJRバスが利用できる南北線が余分な出費がなく、今まで十和田湖観光にはこのルート以外使ったことはなかった。今回も当初、十和田湖に向かうつもりはなかったのだが、黒石に向かう経路として西線を初乗りしてみることにした。

バスは十和田湖から弘前に向かう観光客が20人ほど。十和田湖の西岸を走るので、景色は右側がよい。日影には雪が残る。滝沢から外輪山の登りにかかって滝沢峠に至る。ここでバスは数分停車、十和田湖の眺めを楽しむ時間を作ってくれる。

国道102号線にはいり湯川に沿って下って行く。虹ノ潮というダム湖の湖畔にあるパーキングは地元の車で満杯。路線バスの停車位置にまで車を止める不埒な人がいて出入りに手間取る。ここでも数分の休憩。

黒石温泉郷を過ぎる。が、あまり温泉地らしさが感じられないところだ。東北自動車道を過ぎて、リンゴ試験場前バス停で下車する。十和田湖から約1時間40分の乗車で運賃が1860円。

[黒石]りんご試験場にはりんご史料館がある。休日のため休館していて見学はできなかった。建物は昭和6年に建てられたものだ。あっさりした外観の木造建築。

そのあと黒石の市街地に向かって歩く。桜が満開で桜祭りのぼんぼりが下がっている。今回は黒石付近の地図を持ってこなかったのであてずっぽうに歩いた。煉瓦倉庫や奇妙な形をした望楼をもつ消防小屋、洋風意匠を施された商店などあった。当初、弘南鉄道の黒石駅に向かうはずだったが、しだいに町外れになってきて、けっきょく行き着いたのは黒石の次の駅境松だった。津軽富士がくっきり見える。

ほどなく弘前行電車がきたので津軽尾上に向かった。電車はワンマン運転である。尾上で下車するとき料金箱にいれて下車したら、この駅には委託されたおばちゃんの駅員がいた。電車で払ったといったら通してくれた。車内の案内でそのことをいっていたのかどうか、記憶がないが、もめずにすんだからよしとしよう。

駅から歩いて5分くらいのところに盛美園という池泉回遊式庭園がある。そこには庭園だけでなく立派な洋館がある。洋館といっても一階は和式で二階が洋式という一風かわった和洋折衷の建物だ。明治42年に建てられた。

庭園は国指定名勝となっており、入場料300円。しかし、料金を取るだけでチケットのようなものはくれなかった。入場者数の把握などどうしているのだろう。個人がやっているから仕方がないか。

庭園越しに眺める洋館の姿はなかなかの趣き。一時間おきにたった3分だけ、御宝殿、清藤家の祖先をまつるお霊屋が公開される。きんきらきんの豪華さ、左右の壁面を飾る日本一大きいという高蒔絵がある。

盛美園をあとに町内に残る洋館三浦医院を見に行く。正面玄関のポーチ上にバルコニーがついた立派な洋館だ。明治38年の建物。88年の映画「青い山脈」のロケ地になったとか。

尾上、平賀地区には温泉も多いところで、駅前にあった銭湯「大和温泉」にも天然温泉とあった。温泉の正式名称は中佐渡温泉で、料金300円。単純泉である。

温泉でさっぱりして、弘南鉄道で弘前に向かう。おばちゃんがいたので切符が入手できるか、思ったら営業時間が午後3時半すぎまでで、乗ろうとした電車が到着する前に、窓口は閉められていた。残念。

[弘前から青森を経て東京ヘ]津軽尾上から20分で弘前。駅はJRと供用。弘南鉄道の切符が入手できていれば、このまま構内にとどまるところだが、弘南鉄道の改札で運賃を払って外にでる。桜祭りのシーズンで駅ホームも駅舎内もものすごい混雑。

駅前に出てみると駅前は数年前にきたときと大きく変わっていた。駅前再開発の最中で、広い道路ができたり、更地が広がっていたり。道路沿いの新しい店舗に、更地横に昔ながらの商店がかろうじて残っている、といった按配。次回訪れたときにはさらに駅前が変わっていることだろう。駅前のダイエーに立ち寄る。

人でごった返したホームに留まっていた列車によく確かめもせず乗車。席について、この列車が五能線にはいる列車とわかる。込みあったなか、せっかく席にありつけたこともあり、下車するのもバツがわるいので分岐の川部まで乗車する。

川部で青森行電車を待つ間、上りの寝台特急「日本海2号」、「あけぼの82号」が通過していった。川部から乗り込んだ電車は込んでいたが、乗り込めないほどではなかった。

青森駅ビルで夕食を取って、季節列車になってしまった上野行「八甲田」の入線一時間あまり前にホームに行ったが、待つ列は数人であった。

青森19:55発車。ふたり掛け座席にひとり程度の込みかた。座席に横になりたいが、14系なので横になりにくい。どうも寝にくいが、検札がすむと寝入る。

黒磯あたりで目を覚ます。外は昨日の好天に打って変わって曇天、雨模様。大宮の手前から車内放送が再開される。雨の荒川を渡って赤羽下車。

[新規開業線区乗りつぶし]赤羽で京浜東北線に乗り換えて王子で下車する。ホーム中ほどの階段を降りたので都電ホームのところに出た。地下鉄に乗るには赤羽寄りの階段を降りるほうがよくて、こちらは明治通りを越える横断歩道橋を傘をさして通らねばならなかった。

営団地下鉄南北線に王子から乗り込む。南北線の駒込−赤羽岩淵間の開業は1991年11月で、この3月26日に駒込から四ツ谷まで延長された。南北線の特徴はホームドアがあること。王子から南北線は本郷通りを下っていく。東大農学部の前に東大前駅があって、そこから小石川のほうに向かい丸ノ内線と接続する後楽園、ドーム球場の下を抜けて飯田橋、外堀の下を有楽町線と平行して市ケ谷。JRとは飯田橋から四ツ谷まで平行。長いエスカレーターを上ると地上にある丸ノ内線四ツ谷ホームに出た。

南北線はこの先、丸ノ内線と平行して永田町、桜田通りを溜池から赤坂、六本木を突っ切って麻布、清公前から目黒通りにはいって目黒に向かう7.5kmが工事中。

四ツ谷で丸ノ内線に乗り換え、次の赤坂見附で銀座線に乗り換え、日本橋に向かい、さらに東西線に乗り換える。東西線の電車の多くはこの4月27日に開業した東葉高速鉄道に乗り入れている。

東西線に乗るのもずいぶん久しぶりだ。王子駅では東葉高速鉄道線の通し切符を発売してなかったので西船橋まで買ってある。乗った電車は直通だったけれど、乗り入れ本数も多いのでいったん下車して、切符を買い直す。ついでにコンビニへ朝食を仕入れに行く。

東葉高速鉄道は西船橋をでるといったん地下にもぐって、総武本線、京成線をくぐって次の東海神駅は船橋に近い。東北東の方向に一直線に伸びている。千葉の丘陵地帯を行くので地上にでたりトンネルにはいったりといった沿線風景だ。飯山満という地名はすこし読めない。「はやま」といわれればそう読めなくもない。北習志野は新京成線と接続。今まで鉄道のなかった畑、農家、町工場、不便な一戸建て住宅地といったところを過ぎる。これからこの沿線も開かれていくことだろう。工業団地の近くを通り、地下にもぐるって終点東葉勝田台に到着。所要23分。運賃600円。

地上にでると貧相な京成勝田台駅があった。建て替え工事をしているようだ。激しい雨が降っていたので付近の散策はあきらめ、京成電車で西船に戻ることにする。運賃は300円。東葉線の半額だ。東葉線は建設費の債却分が含まれて割高になっているのだろう。 勝田台から26分の所要で西船。300mほど歩いて西船橋に戻ってきた。西船橋からJR武蔵野・京葉線に乗って新木場に向かう。ちょうど間がわるくて20分あまりの待ち合わせ。南船橋行の電車があったので、南船橋乗り換えで行こうかと思ったけれど、うまく接続するかどうかわからず、いさぎよく東京行を待つ。

浦安ディズニーランドや葛西臨海水族園など、臨海部のアミューズメントに向かうひとで混雑。激しい雨も小降りになり天気は回復傾向にあるとはいえ、足元のわるいなか、休みといえばどっとくりだす日本人。

新木場から臨海副都心になる予定の東京テレポートまでこの3月30日に開業した東京臨海高速鉄道に乗る。新木場駅は高架上にあっていちばん上のJRのホームの下がコンコースになっていて、その下に営団地下鉄有楽町線のホームと並んで臨海高速のホームがある。新木場駅をでると地下にもぐる。首都高速湾岸線に沿って路線が伸び次が「ゆりかもめ」の有明駅に近い国際展示場、そして終点東京テレポート。所要わずか7分。本来、世界都市博への足として賑わうはずが、博覧会が中止となり、立派な駅は閑散としている。 地上にでると台場フロンティアビルやポストモダンというか奇をてらったというかフジサンケイグループ本社ビルが近い。駅は東京臨海新交通のお台場海浜公園と青海のなかほどにある。新橋に近いお台場海浜公園から「ゆりかもめ」に乗ってレインボーブリッジを渡る。「ゆりかもめ」に乗るのはこの3月についで二度目。都市博が中止になってもこちらはあいかわらず盛況のようで、一日乗車券の品切れで発売中止のはり紙。新橋駅では乗車待ちの長い行列ができていた。

[帰路]新橋駅近くにあるいつもの牛丼屋で早めの昼食をすまし、新橋から東京に向かう。まだ、世間ではあと一日休みがあるせいか、まだ、昼間の時間のせいか、新幹線はそれほどの込みかたではなかった。



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