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東京新規開業民鉄乗り歩き

1996.3.1〜3.2


[東の旅]昨年(1995年)は地震やらオウムやらでけっきょく一度も東京には行かなかった。東京に向かうのは一昨年(1994年)8月以来。この3月16日のダイヤ改正で東海道本線を走っていた急行「東海」の車両が更新されるのに合わせて特急に格上げになる。車両を「東海」と共通運用されている東京−大垣間の夜行電車は快速として生き残るもののほとんどの区間が座席指定となり、東京行夜行が乗りにくくなるようだ(「青春18きっぷ」使用可能な時期など多客時は従来通り続行の夜行電車が走るようだが)。

東海道本線の夜行に初めて乗ったのは1983年3月で、「青春18きっぷ」を利用した関東圏の未乗線区の乗りつぶしが目的だった。(「青春18きっぷ」は前年の82年2月に新発売された企画きっぷだ)このときは、さらに東京−静岡折り返しで一夜を過ごすというハードなことまでしているのだが、この頃はこのきっぷのなじみも薄く、今ほど込むこともなく、静岡折り返しをしても席にあぶれることはなかった。それ以来、「青春18きっぷ」を使って毎年のように利用してきた電車なのである。このなじみの大垣発東京行夜行に乗るのも最後の機会と「青春18きっぷ」使用可能初日に東に向かうことにした。

夜行に乗るまでの間、まずは桑名の近代建築を見てまわろうと思う。
大阪から新快速に乗り、草津で草津線の電車に乗り継いで柘植から亀山へ。伊勢路をたどる常套ルートだ。卒業式帰りらしい、がらの悪そうな高校生一団が乗り込んでいる。

[桑名]桑名12:28到着。桑名の街を歩くのは二度目だが、前回(1992年)は諸戸邸など近くまで行きながら見ることができずに引き返している物件を再度訪ねることにした。駅前のショッピングビル内の食堂で昼食を済ませ城跡の方に向かう。

手元に『近鉄ニュース(93.5)』から切り抜いた簡単な市街案内図を持ち、まず桑名市博物館に立ち寄る。企画展として「近代文学に描かれた桑名の情景」というのをやっていた。短歌、俳句の短冊、色紙が多く展示されていた。羽柴忠弘の桑名百景の版画がよかった。戦前からの作品に当時情景が活写されている。このひとは京都工繊で建築をやったそうで、設計した学校の模型が別室に展示してあった。無料の展示会ながら立派なパンフを用意していたのも好感がもてる。
この博物館のそばに石取会館というのがあって、もとの四日市銀行桑名支店(昭2頃)の建物だそうだ。

博物館から北に向かうと揖斐川沿いに旧諸戸清六邸を中心とした「六華苑」がある。1993年6月にオープンした施設で、大正2年に建てられた旧諸戸清六邸が立派である。設計はJ.コンドル。洋館、和館、広い池泉回遊式庭園などがある。苑内の土蔵では「桑名の考古資料展」をやっていた。

[一宮]桑名駅に戻り予定していた快速「みえ14号」で名古屋に向かい、新快速に乗り換え尾張一宮で下車する。名鉄から乗り換えたことはあるが下車するのは初めて。名鉄ともどもこの付近は高架になっている。名古屋よりの沿線に尾西毛織工業組合の建物がよく見える。

まず、この建物を見に行く。昭和7年竣工の建物でスクラッチタイルの外壁が渋い。そのあと国島の建物を探すが建て替えられたか発見できず、けっきょく一宮で確認できたのは一宮市役所の旧館(昭5)だけだった。新館の外壁に取り付けられているネットは電波障害対策のものだろう。
街の本屋で東海地区の情報誌を見て、大垣の映画館で何を上映しているか確認して大垣に向かう。

[大垣]日が暮れてしまうと、まだこの時期は冷えるし、大垣発の電車を長時間並ばなければ座れないということもないだろうから、映画を見ることにした。まず、映画館の位置を確認したあと、カレーのチェーン店でかるく夕食を済ました。見たのは大垣シネマで上映していたシルベスター・スタローンの「暗殺者」。三月一日は感謝デーなので千円で見ることができた。映画は午後八時半頃終わったが、電車の発車まで、まだ二時間あった。

[東京から千葉へ]夏場ならビールでも飲んで待つのだが、この時期には似合わない。二時間前、まだ、電車を待つ人の列がわずかなのをいいことに向かいのホームにあった暖付きの待合室で小一時間過ごす。さすが一時間くらい前にはもとのホームに戻り列につくがまだ乗客は繁忙時の半分程度だ。

22:25頃入線、アツアツの缶コーヒーを飲んでしばらくはそのまま過ごしていたが、岡崎あたりで隣に誰もこないことをいいことに、久々に座席に缶をはさんで横になった。こんな寝方をするのはいつ以来だろう。東海道夜行で最近やれたことがない。

豊橋、浜松を知らないうちに通り過ぎ、気がつけば静岡。さらにうとうとするうちに小田原で気がついた。東京まであと一時間。缶を外して座る。横浜の手前で車内放送が再開され終点が近づく。品川を出て、山手線、京浜東北線の電車を追い抜くのを見て新橋で下車する。終点の下車に込み合う東京より新橋のほうがすんなり乗り継げる。

東京駅は中央線が一段高く高架ホームになっている。まだ、暗いのでよくわからないが、東京駅も大きく変わりつつあるようだ。上野で下車。常磐線快速ホームに向かい、取手行に乗る。長い編成だ。朝帰りの人がぱらぱら。江戸川を渡り松戸で下車。まだ外は暗い。

[北総開発鉄道]今回乗るのは昨年(1995年)4月に開業した千葉ニュータウン−印西牧の原間4.7kmである。北総開発鉄道に乗るのは1991年3月に京成高砂−新鎌ケ谷間が開業したとき初日に乗って以来。この鉄道線へのアプローチとしては、都営地下鉄から京成電鉄を経由して行くと、直接乗り入れているのだが、こんな乗り方をすると運賃がすこぶる高くつく。したがって、京成高砂まで通じる前の接続線であった新京成線松戸経由で乗り込む。

松戸5:40発の電車で新鎌ケ谷に向かう。くねくねした新京成線に乗り進むうちに夜が明けてきた。新鎌ケ谷まで約18分で180円だった。ここから印西牧の原まで15分乗るのに560円と3倍もするのだ。

完全夜が明けきるまでひと電車遅らせて北総開発鉄道に進む。この線の沿線は千葉ニュータウンとして開発されてきたところで掘割のようなところを走る。前回(1988年)千葉ニュータウン中央へのアプローチとして成田線の木下からバスと徒歩で向かったときはほとんど造成地で建物も局部的にしか建ってなかったが、だいぶ住宅なりショッピングセンターができ街らしくなっている。しかし、新規開通した印西牧の原付近はまだ造成地ばかりでこれからというところ。この線はさらに東へ延長される予定だ。

印西牧の原からJRなど他の鉄道駅へバスが出てないか期待したが、駅前から出ているバスはニュータウン内を巡回する路線だけのようだった。しかたないので予定通り北へ4kmほどのところにある成田線の小林まで歩くことにした。手元の地図は1989年版で心許なかったが、造成地を突っ切り地方道にでると十分役にたってくれた。地方道はダンプの往来が激しい。丘陵地を越えて小林駅南側の新興住宅街を過ぎ、すこし早足になりながら、小一時間かかって小林駅にたどりつき予定していた7:30発成田行に乗ることができた。

[千葉急行電鉄]成田で千葉行に乗り換え、千葉で一駅乗り継いで本千葉で下車した。前回(1983年)は起点の千葉中央から大森台までのったのだが、今回は別の駅から乗る。新乗車駅を増やすのと新下車駅を増やすために本千葉で下車した。本千葉から千葉寺まで歩く。千葉寺なら蘇我の方がすこし近いが、蘇我はすでに立ち寄ったことがある。駅に向かう途中でコンビニによってサンドを購入、朝食にする。「ヤマザキデイリーストア」のレシートにきょうの天気予報などの情報が載せられているのを発見した。全国的にそうなのか、千葉だけの現象か、興味のあるところだ。

千葉寺9:13発の電車でちはら台に向かう。途中、線路に倒れ込んできた木の除去作業のせいで8分ほど遅れた。鎌取駅東方付近はかなり住宅が建ち並びつつあるようだったが、終点のちはら台付近はまだなにもないところだった。駅前から茂原行の小湊鉄道のバスと鎌取行の千葉中央バスがでていたので鎌取駅行のバスに乗る。バスは千原台団地を経由するもので、千葉急行電鉄のちはら台駅前からはまだ未開発地のような雰囲気のところだと思えたのが、バスに乗って駅から2kmほど東南に位置する実際の千原台をまわってみるとけっこう発展した住宅街であることがわかる。

約20分で鎌取駅前に着いた。バスの運賃は310円で千葉寺から乗った千葉急行電鉄の運賃と同額だった。歩く時間が節約でき予定より早い千葉行電車に乗ることができた。

[千葉都市モノレール]このモノレールは1988年3月に千城台−スポソセンター間が開業し、順次路線を延長してきた。懸垂式のモノレールで足元が不安定な感じ。初乗りは遅れて1989年11月だが、千葉まで開業した91年6月にはすぐに乗りに出かけている。昨年(1995年)8月に千葉みなとまで延長されての初乗り。長いエスカレーターを昇って乗り場に向かう。JR、京成線の高架を跨ぐのでひじょうに高いところを走り、眺めがよい。千葉みなとまで1.5km、所要時間5分である。

[千葉から東京ヘ]千葉県下の新規開業線区を乗り終え、千葉みなとから京葉線で東京に向かう。稲毛海岸、検見川浜あたりは高層団地が並ぶ住宅地、海浜幕張あたりは幕張メッセを中心にビジネス街的な眺め、東京に向かうにつれて工場、倉庫が増えてくる。浦安ディズニーランド最寄りの舞浜を過ぎれば江戸川を渡り葛西臨海公園だ。新木場から東京テレポートヘの臨海副都心線の開業も近い。夢の島を尻目にころしてあけぼの運河を渡り、潮見過ぎれば地下に潜って東京商船大最寄りの越中島で下車する。

有明方面へのバスは頻発しているようなので、いったん500mほど離れた営団地下鉄門前伸町駅付近の商店街まで歩き、いつもの牛丼屋で昼食とする。このあたり地下鉄工事でごたごたしている。バス停の位置も場所が移っていた。

[東京臨海新交通]門前伸町から都バス海01系統に乗って有明に向かう。テニスラケットを持った人も多い。都バスの運賃が200円になっていた。越中島から豊州、東雲を過ぎて有明に近づくと高架の真新しい東京臨海新交通の有明駅が見えてきた。有明テニスの森バス停で下車。

有明コロシアムをまわりこんだところに首都高速湾岸線をまたぐ歩道橋があって、ここから眺められる有明、青海付近に新たに建てられた当世風ビルの数々に目を見張った。もともとここで世界都市博が開かれる予定だったので、それに合わせた、単なる箱型ビルでない物件が建てられたわけだ。デザインは凝っていても安っぽく見えもする。有明付近にはクリーンセンター、東京ファッションタウン、東京国際展示場がそういった建物だ。まだ、公園など整備途上というところで柵などで仕切られたとこも多い。湾岸線に沿って新木場から延長される臨海副都心線の国際展示場駅もでき、3月開業の垂れ幕がかかる。こういった建物見物の人もけっこう繰り出している。

さっそく「ゆりかもめ」の愛称で呼ばれる新交通の有明駅に向かい新橋まで乗ることにする。運賃は360円。新交通システム自体もう珍しいものではない。高架なので眺めがよい。有明の次が国際展示場正門。東京ビックサイトと呼ばれる展示場最寄り駅。東京ファッションタウンビルの横を通り運河を越えて青海。フジサンケイグループ本社ビル、テレコムセンタービル、ホテル日航東京などの建物が点々とそそり建っている。

船の形をした「船の科学館」を見下ろし、先のビルのそばを走り、お台場海浜公園を過ぎると「ゆりかもめ」はレインボーブリッジにかかり東京港をひと跨ぎ。橋を渡るとループ線で高度を下げて芝浦ふ頭。日の出、竹芝は伊豆・小笠原方面の連絡船の桟橋があるところ。旧芝離宮を遠目に東海道本線にそって、かつての汐留貨物駅あとの新橋駅に到着。所要時間約23分、なかなか乗りごたえのある路線であった。

[西武有楽町線]新橋から有楽町まで一駅JRに乗る。東京近郊のJR線は自動改札を導入しているので、磁気きっぷをもっている人にとっては便利なのだが、「青春18きっぷ」のような非磁気切符の場合、いちいち有人改札にまわらねばなず、意外と遠回りされられる。

有楽町から営団地下鉄の有楽町線で小竹向原に向かう。JRの切符をもっているからJRで池袋まで行ってもいいのだが、新橋からだと時間がかかりすぎるので地下鉄で時間を節約する。

現在、営団有楽町線は東武東上線と相互乗り入れが行われているが、池袋−営団成増が開業(1983年6月)した。同年10月西武線との乗り入れをはかる西武有楽町線小竹向原−新桜台間を先行開業し営団有楽町線との乗り入れがはかられるようになった。一昨年(1994年)12月にやっと新桜台−練馬間1.4kmが開業し、ぽつんとあった西武有楽町線が池袋線とつながった。しかし、練馬付近の高架複々線工事がまだ終了してない関係で池袋線内までの直通運転はされてない。

池袋を通り過ぎ、いったん小竹向原で下車。営団有楽町線の駅では乗り入れている東武、西武の駅まで連絡きっぷを買うことができるが、さすがに池袋を通り越して西武線経由で池袋までの運賃の表示がないので買いようがない。西武線の駅でもある小竹向原できっぷを買い直す。営団地下鉄で池袋まで160円だが、西武線経由だと180円だ。

新桜台までは1987年11月に乗っている。新桜台をすぎると地上に出てあっけなく高架になった所沢方面行のホームに着く。練馬駅は高架工事のさなかで池袋方面ホームはまだ地上にあり、構内は複雑な通路になっている。練馬から池袋まで準急で8分。JR改札に向かう。

[京浜急行空港線・東京モノレール]山手線で品川に出て京浜東北線に乗り換えて蒲田で下車する。JR蒲田と京急蒲田はすぐそばだろうと思っていたら1km近く離れていた。駅前はごちゃごちゃしていて一本道でないが、どうにか京急蒲田駅にたどり着いた。

京急空港線は羽田空港の沖合拡張に伴う新ターミナルビルヘの乗り入れのため1991年1月穴守稲荷−羽田空港間0.5kmを休止していた。(このときの羽田空港駅といっても空港ビルから1kmあまり離れていたが)それが1993年4月に海老取川の下をくぐり羽田まで地下線で伸びた(穴守稲荷−羽田間0.7km)。そして羽田は、同年9月新ターミナルビルの開業にあわせて乗り入れを開始した東京モノレールとの接続駅になった。現在、新ターミナルビルヘの工事が進められている。

羽田まで伸びた空港線とはいえ、乗客を見ていると空港連絡というよりは沿線住人の足といった色合いが強い。穴守稲荷までで大半の乗客は下車してしまう。

羽田で東京モノレールに乗り換える。新ターミナルビルに乗り入れる際に旧ターミナルビルに乗り入れていた部分が廃止になっており、厳密にいえば、整備場−羽田空港間が初乗り区間なのだが、未乗区間は次回にまわす。京急とモノレールの連絡改札で羽田空港までの乗車券を購入し空港に向かう。空港までこのまま地下で行くのかと思ったら、しばらくして地上に出て、また地下にもぐり羽田から6分で空港に着いた。

朝5:40の新京成電車から電車、徒歩、バスを乗り継いで、16:03羽田空港に到着した。ほぼ想定した予定通りだった。

[帰路]全日空のカウンターの自動搭乗券発券機でキーを操作するとうまい具合に17:15発の伊丹行に空席があったのでそのまま帰ることにした。

東京−大阪間の運賃は正規料金で新幹線13480円に対し飛行機14600円と千円あまりの差でしかない。金券屋のチケットと比較して2500円程度の差だが、時間の比較は3時間に対して1時間だ。いま羽田空港にいるのに、これから東京駅まで行く気にならない。

乗り込んだジェット機はB747−SR、席は中ほどで窓側でなかったが一時間ほどの飛行だし、暗くなるしでどうでもよかった。
数分遅れて18:20頃無事伊丹空港に到着。


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