このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
ぐるっと北海道
1995.8.10〜8.14
[北に向かって]北海道へ行ったのは六年前(1989年)のゴールデンウィークだった。その前年に開業した札幌市営地下鉄の初乗りとついでに廃止になる各線に乗ろうという目的でワイド周遊券(周遊券は廃止された)を利用して行った。また、ちょうど十年前(1985年)の8月には「青春18きっぷ」を利用して北海道に渡っている。もちろん、当時は青函トンネルは完成しておらず連絡船が本州と北海道を結んでいた。、
今年(1995年)のゴールデンウィークに北海道へ行きたいと考えていたのだが、今年は地震やオウムやらぶっそうな雰囲気なので遠出を見合わせ、けっきょく8月になってしまった。
当初は、十年前との変化を実感するため「青春18きっぷ」を使って、同じ道程をたどろうかとも考えたが、青函連絡船が廃止になり、この区間がうまく繋がらない。青函フェリーがあるが、青森、函館とも駅からかなり離れており心許ない。
また、目的の第一は昨年(1994年)開業した札幌市営地下鉄や開業から3年たつ千歳空港枝線の初乗りにあるが、さらに小樽の近代建築めぐりをやろうと考えていた。そこで、どうせ北海道に渡るまでに二晩かけるのなら乗り換えの煩わしさがない舞鶴−小樽間のフェリー利用を第一候補とし、乗れない場合に東海道夜行からの列車乗り継ぎで北に向かうことにした。旅程を短縮できる八戸−苫小牧間のフェリー利用も頭にいれておいた。
十年前の帰路は、函館で特急「白鳥」の指定券を入手できたので、連絡船内で乗車券を購入して大阪に戻っている。今回は飛行機が第一候補だ。そのため、ワイド周遊券の特急が使えるメリットは捨てがたいが、日数が限られているせいもあり利用しないことにした。
最近の旅行では第二、第三案も含め、かなり明確な旅程を立てるので、重く荷物になる時刻表は持ち歩かないのだが、今回は持って行くことにした。本来、北海道だけなら道内時刻表で充分なのだが、不確定要素が多く、途中でどうなるかわからないので大判のほうにした。
「青春18きっぷ」を使って福知山線の下り電車に乗車。舞鶴発のフェリーの予約はまだ取っていない。
[福知山]福知山11:43到着。市内に残る近代建築を見るのと昼食のためいったん途中下車。駅前のショッピングビルの食堂で昼食を取ったあと、由良川の方へ歩いていく。
松村建設は福知山が発祥の地だそうで、大正10年に建てられた松村邸の洋館は松村建設福知山営業所になっていた。門の外からだと木立が邪魔で建物がよく見えないので勝手にはいって写真を撮る。
そのあとあてずっぽうに歩いてグンゼ福知山工場に向かう。アーケード街に銀行だったらしい建物があったが前面は改装され、その雰囲気は側壁の窓くらいだ。
御霊神社の北側にあるグンゼ福知山工場の事務所は昭和4年の建物。神社の南側は飲み屋街。そこに木造三階建ての建物があった。現在も旅館の看板がかけられているが花街のなごりだろう。
[綾部]福知山から綾部に移動する。グンゼの本社のあるところで、まず、駅北側のグンゼ綾部工場へ行く。ここには、昭和8年の本社屋、大正6年の記念館(旧郡是本館)、本工場正門、旧郡是蚕事所本館(大正後期)が残っている。記念館は毎週金曜日に開館しているらしい。
そのあと、市街地に向かう。再開発が進められているが、そのキャッチフレーズが「田舎の町の都会道」というのである。こんなところでも都会への憧れがにじんでいるのだ。あてずっぽうに歩いているうちに近代建築ガイドブックに紹介されている芦田邸(明治8年)を見つけた。
芦田邸から駅に向かう途中、雨がポツリポツリと落ちてき始めたと思うまもなく激しい夕立になった。激しくなる寸前にアーケード街に逃げ込んだので濡れなくてすんだ。駅まで500m、雨のなか駅まで歩くのは、いやだなと思っているうちに小降りになり、ほとんど雨が上がったので助かった。ほんの5分ほど降っただけだった。
綾部から「北近畿リレー号」の愛称がついた普通列車で西舞鶴に向かう。
[舞鶴]フェリー乗り場は時刻表の記述から東舞鶴駅からタクシーで10分という位置にあることは知れたが、正確な位置がわからず、手元にある1991年発行の昭文社エアリアマップ『ニュータイプ京都区分地図』の西舞鶴中心部を見ると第二埠頭のところに「新日本海フェリー」と記されていたので、てっきりそこがフェリー乗り場と思い込んでいた。
二年前に西舞鶴の市街を歩いているのである程度勝手がわかる。それで、駅を出て地図を頭に描きながらそのフェリー乗り場めざして歩いて行ったのだが、該当する辺りに来てもフェリーに乗船待ちをしている自動車の列といったフェリー乗り場らしさがまったくない。
おかしいと商店街の本屋にとってかえして最新の地図を確認したが、まちがいない。ふたたびもとのフェリー乗り場と思える付近をうろついていると英語とロシア語で記された案内地図看板が立っていたのでよく見ると、フェリー乗り場は東舞鶴港のほうにあることがわかった。一時間あまり意味もなく町を右往左往していたわけだ。
西舞鶴駅に戻ったときにはすでに、東海道夜行に乗るために大垣駅に1時間40分前に着ける乗り継ぎ列車は出たあとだった。次の乗り継ぎ列車は25分前に着けるというもので席にありつけるか、大いに不安なのだ。列車を待つ間、駅前に見えたJTBトラベランド舞鶴支店に、だめもとのつもりで、しかし最後の望みを託して本日のフェリーのチケットが入手できるか、確認に行くことにした。
窓口で端末を使って確認してもらうと、暗に違わず希望のB寝台券があっさり入手できたのだった。ついでに乗り場について尋ねるとタリフの該当ページをコピーしてくれた。これで慌てなくてよい。乗船手続きをする午後十時頃まで自由に使える。
西舞鶴17:12発の列車で東舞鶴に移動する。まず、駅前の食堂で早めの夕食を取り、そのあと映画を見ようと考えた。
東舞鶴には、東宝系の八千穂館と松竹系の浮島劇場があった。比較的新しい建物になっている八千穂館にはふたつの劇場があって「ダイハード3」と「学校の怪談」をやっていた。もうひとつの浮島劇場はすこし離れた市民病院の裏手(北側)にあって、昭和30年代には建っていたといえる古い建物で、こんなところでほんとに映画をやってるの、と思えるような劇場だった。番組は「アポロ13」でこれを見ることにした。舞鶴といえどかかっている番組は大阪などの一番館と同じなのだ。最終回が始まるまで時間があったので近くのスーパーへ明日の朝食にするパンなどの買い出しにいって時間を潰した。
劇場にはいると二階席もあるが今は使われてない様子。床は板張り。座席は取り替えられたのだろう、それほど痛んでいない。場内の時計は12時49分19秒を指したまま止まっている。禁煙の案内灯も切れている。一昔も二昔も過去を感じさせる空間だった。観客は二十人足らず。がらんとした場内にブザーが鳴り、予告編についで「アポロ13」が上映された。
午後九時半前に映画が終わり、フェリー乗り場に急ぐ。海岸通りの対岸には乗船する予定のフェリーが停泊しているのが見えるのだが、フェリー埠頭までの道路は大回りしている。フェリー乗り場が近づくにつれ乗船待ちのトラックや乗用車など、西舞鶴港にはなかったフェリー埠頭特有の雰囲気が夜のライトに照らしだされている。
十時前にターミナルビルにたどり着くと、窓口は多くの人が並んでいた。乗船カードに必要事項を記入、JTB発行のクーポン券を乗船券に交換。B寝台を確保しているので慌てなくてよいのが助かる。
[新日本海フェリー]乗り込んだのは愛称「フェリーらべんだあ」という名のフェリーで総トン数は2万トンに近い大きな船だ。船のパンフから雑魚寝の2等より2等寝台の定員が多いことを知る。船のなかには食堂はもとより風呂、サウナ、プール、ラウンジなどの設備が備わっている。
自分の寝台の位置を確認してからすぐ風呂に行くことにした。無駄に歩き回ったりもしたので汗を流したかった。風呂からでるとそのまま寝台で横になった。大部屋のように周りを気にしなくてよいのがありがたい。地震のような揺れを感じたと思っているとフェリーは岸壁を離れ一路北海道をめざしていた。エンジン音もさほどうるさくなく早々に寝てしまった。
翌朝7時頃には目が覚めたが、とりたててやることがない。昨日買ったパンをかじり、あとはベッドで誰きがねなくごろごろ、持ってきた文庫本を読んだり、時刻表を開いて計画をねったりしていた。
船内では、退屈しのぎにと、ラジオ体操やらクイズ大会、ビデオ上映の案内などが流され、いたれりつくせりの趣向が用意されている。
朝食の時間帯から食堂があいていたが、昼食の案内があった11時半すぎに食堂に出かける。食堂は各自が食べたいものを盆に取ってあとで清算するカフェテリア方式。値段も良心的で昼食は軽くカレーライスで済ます。昼食を取ってからプール(狭い)、スポーツデッキ(アスレチック機器が置いてある)などを一巡、ビールを飲んで昼寝。
夕方5時半頃になると夕食の案内。肉じゃがとかさしみとか適当に取って夕食とする。そのあと、風呂へ行ってまたビールを飲んで寝る。なにしろ早朝の4時着岸なのだ。夜にはクイズの抽選会とかカラオケ大会が催されたようだ。
予定より15分ほど早着するとの案内に下船の支度をして午前3時半頃にはロビーで待つ。まだ夜は明けきってなく薄暗い。ターミナルビルとの連絡橋が繋がり下船、六年ぶりの北海道に上陸。天気は曇りのようだった。
[小樽]ターミナルビルで残っていたパンをかじり、明るくなるのを待つが一向にその気配がないので歩き出す。午前4時すぎには明るいという印象があるだけに、今年の北海道は前線が居座って天気がよくないのだろう。
まず、南小樽駅をめざす。その途中にあるのが旧小堀商店(昭7)。現在は居酒屋のようである木骨モルタル造の二階家。南小樽駅からたらたらと坂を下ると斉田産業の三階建てのビル(昭7)。そして入船の五差路に行く。この角地には小樽オルゴール堂がはいっているルネッサンス様式の木骨煉瓦造りの建物(明45)、土産物屋のようになっている旧戸出物産のビル(昭元)、北一硝子が使っている木骨石造倉庫などがある。古い建物を観光資源として大いに活用している。
住之江の水上邸(昭7)を見たあと国道5号線を小樽駅方向に取り、北洋銀行(昭10)の角を小樽公園のほうに向かうと小樽公園通教会(大15)、小樽市役所(昭8)がある。さらに登ると小樽区公会堂(明44)がある。
いったん坂を下って商大に向かう坂を登るとその途中に富岡教会(昭4)がある。地獄坂と呼ばれる坂を登りきったところに小樽商大がある。木造の建物はもうないようだ。来た道を引き返して海岸の方に向かうと立正佼正会(旧後藤邸明35)、小樽警察署(昭12)がある。函館本線を越えて繁華街になるが、デパートの外観からは古さが見えない。
さらに行くと小樽のウォール街といわれる地区で辰野金吾設計の日本銀行小樽支店(明45)、北海道中央バス(旧北海道銀行本店明45)、同第二ビル(旧三菱鋼行小樽支店大11)、旧北海道拓殖銀行小樽支店(大12)、旧第一銀行小樽支店(大13)がある。西方に向かえば、さくら銀行(旧三井銀行小樽支店昭2)、旧越中屋ホテル(昭6)がある。
東方の堺町に向かえば千秋庵(旧第百十三銀行小樽支店明41)や岩永時計店、林屋製茶倉庫などの建物がある。
運河沿いを行けば小樽博物館になっている小樽倉庫(明23〜38)がある。重文に指定されている旧日本郵船小樽支店明39)を眺めて駅に戻る。小樽駅は昭和9年の建物。
小樽市街地に残る近代建築の多くは保存され観光資源として活かされてる。大きなビルも多い。神戸では大きなビルの場合、壊され建て替えられる例が目立ったが、小樽では大きなビルもふくめ所有者の理解や市当局などの働きがあるからなのだろう。
小樽駅にたどり着いた時刻はまだ午前8時過ぎ。博物館など立ち寄りたい気持ちもあったが、開館までの時間を持て余すので「青春18きっぷ」を使って当初予定の初乗り区間をまず片付けようと思った。
[札幌市営地下鉄・東豊線]小樽8:20発の快速「マリンライナー」で出発。蘭越始発のDC。石狩湾に沿って走る。小樽−札幌間の運賃は560円で、バスの500円に比べ割高になっている。時間的には鉄道のほうが速い。
手稲で先行の普通を追い越し札幌8:56到着。高架になってホームが北側にすこし移動しているので駅前にでるのにかなり歩いた気になる。案内に従い駅前バスターミナルから地下にもぐって東豊線のさっぽろ駅に向かう。
六年前には東豊線の豊水すすきの−栄町間に乗っている。今回は昨年(1994年)10月に開業した豊水すすきの−福住間の初乗り。地下鉄だから変化なく13分で終点だ。
地下鉄のホームを上がるとバスターミナル。市営バスではなく北海道中央交通が主のようだ。最寄りのJR駅行のバスは札幌駅だけで、地下鉄で往復するよりいいだろうと札幌駅前バスターミナル行の特急バスに乗る。駅前でなく、単なるバスターミナル行だと地下鉄大通駅の近くだから一駅歩かなければならない。
バスは郊外からやってきたらしいもので、国道36号線を走る。豊平で定山渓鉄道の駅だったらしい建物が残っているのが目についた。たぶん豊平駅なんだろう。豊平川を渡り時計台の前を通って駅前バスセンターに着いた。運賃は地下鉄220円に対して190円とバスのほうが安い。
[新千歳空港]札幌10:19発快速「エアポート102号」で新千歳空港に向かう。運賃の比較でいうとJR940円に対してバス750円とバスの方が大幅に安いのだが、快速でわずか36分という時間と定時性はバスに勝っている。
札幌から10分も走ると人家の見えない林の中を突っ切る。緑の大地を実感する。北広島から恵庭付近は札幌の郊外住宅地といったところか。南千歳、元の千歳空港から新線にはいると地下にもぐる。トンネルの壁面にLEDのまんがディスプレーが設けられていた。ホームから階段を登ると空港ターミナルビルで土産物店、飲食店や各航空会社のカウンターが並んでいる。
関空もそうだが、ターミナルビルに鉄道が乗り入れているとほんとに便利だ。
[旭川へ]千歳空港11:17発の快速でいったん千歳まで戻る。駅は高架になっていて駅前はがらんとした感じ。もっと賑やかなところかと思ったが駅前商店街の雰囲気がない。すこし離れたところにニチイがあったのでそこの食堂街で昼食。
そのあと千歳から苫小牧に向かう。ちょうど室蘭本線岩見沢行の時刻とタイミングがよかったので久しぶりに乗ってみる。沼ノ端で下車してもよかったのだが始発から乗らないと席がない可能性があったので苫小牧まで行くことにした。
苫小牧13:19発の一両のDCは思ったとおり座席がみなうまって発車した。稲作、トウモロコシなどの畑など坦々とした風景が流れ、早朝から歩きまわっていたのでうとうとしてしまう。みっつの栗駅を経て万字線の分岐駅だった志文を過ぎ函館本線が近づいてくると終点、岩見沢。
旭川行の電車まで45分ほどあったので駅の北側にある旧岩見沢機関区工場を見に行くことにした。現在、レールセンターという施設の建物に使われている煉瓦造りの建物は明治29〜33年に建てられた北海道炭鉱鉄道の工場として建てられたものだ。北海道のシンボルマークの星が輝いている。
岩見沢15:27発の電車で旭川に向かう。特急列車の本数は多いのだが、旭川まで普通でいこうとすると昼間は2、3時間に一本しかない。特急に2本追い抜かれて旭川17:10到着。小樽を出て288.2㎞、通し計算で4840円分乗ったことになる。
[旭川(1)]大雪山系に登山するのか山行きの装備をした人が目立つ。夏休み期間中なので宿がないと困るな、と思いながら六年前にも泊まったグリーンホテルに電話するとあっさり予約が取れた。日暮れまですこし時間があるので市街地に残る近代建築を見て歩くことにする。
駅前から北方向に伸びる道路は買物公園と名付けられた道路で小公園にベンチ、彫刻などが配された通りになっている。このあたりだけを見た感じでは近代建築は残ってないのだろうと、前回すこし歩いたとき思ったのだが、『近代建築ガイドブック』を参考に駅から東方の市街地を歩いてみるといくつか発見することができた。
北海道の鉄道駅の多くは駅近くに石造り、煉瓦造りの倉庫が建っている。小樽でたくさんの石造りの建物を見た目にはそういった近代建築のめずらしく思う気持ちが薄らいでしまったが、旭川でも駅から東方線路沿いに数分行くと、上川倉庫の倉庫群(明44〜大2)が建っている。煉瓦倉庫をビアレストランに転用したらしい建物もあった。旭川四条近くの北の誉酒造の工場があったと思われるところは更地になっていたが、煉瓦、石造りの倉庫はいくつか残っていた。
旭川四条駅までたどり着いたので列車の時刻を確認、次の列車までの間に近くのイトーヨーカ堂で夕食、買い物をすますことにした。
旭川四条−旭川間1.8㎞はきょうのおまけみたいなものだ。
[帯広・釧路・網走]当初の計画では「青春18きっぷ」を使わず小樽、札幌に時間をかけるつもりだったが、小樽駅に早くたどりついたものだから「18きっぷ」を使い、札幌を飛ばして旭川まで来てしまった。あと道内一泊分の余裕があるので、どういう行動がとれるか考えた。
旭川駅で廃止間近の深名線(1995.9.3.限りでバスに転換)の記念台紙付き入場券、乗車券を発売していたが、深名線に乗ることも考えた。しかし、本数が極端に少なく、その時刻にあわせた行動より、旭川から帯広、釧路を経由して網走まで普通列車でいける、乗る方を選んだ。
旭川7:42発の二両編成のDCの一両は富良野で滝川からの快速「狩勝」に併結されて帯広まで行く。北海道では富良野付近を中心に「田園休暇ふらの」のキャンペーンをやっており、展望リゾート仕様車両を使い臨時快速「田園休暇ふらの」を走らせたりしている。ラベンダーの花の時期なら美しい眺めが堪能できたりする。また、テレビドラマの舞台にもなったところで訪れる人も多いようだ。しかし、車窓からながめた観光地としての雰囲気は地味な街だ。
石狩山地の西側、畑作が中心の沿線風景。天気は曇り空で山並は雲の中。今年の北海道は前線が停滞しすっきりしない天気の日が多いらしい。この沿線は比較的人手が入っているので原野を走ることはない。「田園休暇」ののぼりが並んだ北富良野で十勝岳方面へ登るらしい登山者のグループが下車する。
富良野盆地にはいると水田が広がる。約一時間で富良野。滝川からの快速の到着を待ち、ホーム転送、併結、そして帯広に向かう。
過去に北海道を旅行したときはワイド周遊券を利用し、夜行列車の走る区間、とりわけ根室本線、石北本線の主な区間は宿替わりに使うため昼間にはほとんど乗っていない。これから乗る富良野−新得間は昼間乗るのは初めての区間だ。富良野盆地の南端から空知川に沿って山間を分け入る感じになってくる。金山駅を出てしばらくすると金山ダムの近くを通り、ダム湖の金山湖の湖畔まで登って湖を渡る。さらに山間を分け入ったところが落合で、狩勝トンネルに入っていく。このトンネルの中でで石勝線と合流。トンネル内で反対列車の待ち合わせをした。
トンネルを抜けると十勝平野が一望できるはずなのだが、曇天で、眺望はいまいち。日本三大車窓風景といわれる場所だけど、天気がいまいちで、いまだ感嘆できる日に乗り合わせたことがない。
新得へ下っていく途中のカーブが風で特急が脱線したところかとの思いで通り過ぎる。新得を過ぎると牧場や畑作地帯で広々とした北海道的風景が広がる。
帯広11:44到着。約30分後に発車する釧路行DCが一両だけでホームの反対側に停車していたので荷物で席を取り、駅弁を買いに行く。「とかち収穫弁当」は十勝の農水産物を使った幕の内弁当だった。さっそくたいらげてしまう。
帯広12:14発車。十勝平野の畑作地帯。天気は雨が降り出しそうなうっとうしさ。ワイン城の池田を過ぎ、十勝川流域を走っていたのが新吉野からすこし方向転換して浦幌、ここを過ぎるとあまり人家もみえなくなってさびしげな車窓風景になってくる。シカが一頭線路沿いにいるのが見えた。
トンネルを抜けて厚内川に沿って下ると厚内で海が見えてくる。曇天で人気のない海岸はひっそりさびしげだ。
帯広を出て二時間半、白糠線が分岐していた白糠で釧路方面に向かう人がすこし乗ってきた。駅本屋の壁に「白糠線があったことを知っていますか」の文字。白糠線が廃止されてすでに12年近く経つ。
釧路15:31到着。釧網線の時刻まで一時間ほどあったので久しぶりに釧路の市街地を歩く。1981年夏以来14年ぶりだ。前回歩いたといっても駅から1kmほどの幣舞橋を往復しただけであまり印象に残ってない。今回も結果的には幣舞橋を往復しただけだ。近代建築は見当たらなかった。
道路は広く取ってある割に交通量は少なく、人出もあるにはあるが、過密でないことが閑散とした感じを与える。雨が降りだしそうな雲がたれこんだ日なのでよけいそう感じてしまう。幣舞橋のそばにはフィーシャーマンズワーフという商業施設ができていた。
釧路16:30発車。隣のホームの帯広行が同時に発車する。釧路あたりで買い物に出ていた人達で二両のDCにそこそこの乗車である。
東釧路を過ぎ、しばらく走ると左手に釧路湿原が広がる。遠矢と細岡の間に釧路湿原という臨時駅が設けられ、この列車からも下車する人がいた。ホームだけの乗降場でなくログハウス風の待合室が造られていた。
茅沼はタンチョウが飛来する駅として有名。1982年3月に北海道に来たとき、タンチョウの飛来を待ち、3時間ほどすごしたことがある。こないかもしれないタンチョウを待ちながら、そのタンチョウがやってきたときのうれしかったこと。あの当時は時間に対するゆとりがたっぷりあったことを羨ましく思える。
摩周17:58到着。摩周は弟子屈から1990年11月に改称された駅名。乗った列車は川湯温泉行で次の網走行まで一時間ほどあったので摩周で下車した。地図から駅に近いところに温泉浴場のあるのがわかったからである。駅にも温泉が引かれており手洗いや飲むことができるようになっていた。
駅から弟子屈温泉浴場まで800mほど。単純泉のあっさりした湯だった。じっくりつかりたかったところだが、このあとの行程を考えると食事ができそうでないので途中の農協スーパーで弁当を購入しようと思い早々にあがった。温泉上がりのほてったからだに、すこしひんやりした空気が心地よかった。
摩周18:58発の列車が動きだすなりスーパーで買った寿司をつまみビールを飲む。そんなものしか残ってなかった。すでに日は落ち真っ暗。人家の少ないことがうかがえる。
斜里を過ぎるとオホーツク海が広がるはずだか暗やみがあるだけだった。入場券を買うと大きな貝殻に手書きの通行証をくれた北浜駅に駅員はなく、待合室は使い古しの定期券などが貼られ、駅務室のほうは喫茶店になっていた。
網走までやってきた。第一案はここで泊まること。第二案は夜行バスで札幌にでること。第三案は特急「オホーツク」で札幌方面に向かうことだった。網走のひとつ手前の桂台のほうが市街中心部に近そうだったのでそこで下車。
午後8時半すぎ、この時刻になると街はひっそりしている。バスターミナルに向かう道すがらあるBHに立ち寄ってみたところ満員と断られ、その雰囲気からどこも満員だろうと泊まることを諦めた。バスターミナルで受付の始まる時刻まで待つが、夜行バスも満席で、けっきょく網走駅まで歩き、特急のお世話になることにする。駅の軒下では寝袋を出して寝ているサイクリングやオートバイの人が多数いる。
駅舎のなかにはいるとすでに改札口のところから荷物の列がずらっと伸びている。ざっと見積もって30〜40人、特急車両には5〜60座席あって「オホーツク」は自由席が2両あるから充分座席にありつけると判断。「18きっぷ」だと特急には乗れないから乗車券と特急券を別に買う必要がある。
当初、普通列車に接続する岩見沢まで乗ろうかと思ったが、旭川3:45到着というのは、フェリーで小樽に着いた時刻と変わらない、どうせ夜行列車は寝られないから下車しそこねることもあるまいと、旭川までのきっぷを購入する。運賃4530円と自由席特急券2270円の合計で6800円。バスだと網走−札幌間6100円だからかなり高い。
けっきょくこの日一日で「18きっぷ」を使って乗車した距離は476.3㎞、通し運賃で7210円分だ。
改札が始まるなり周遊券等自由席狙いの人が自由席めがけてかけていく。手前の禁煙車両に座りたかったが、人が多そうなので一番前の喫煙車へ。充分に席があいていた。
網走22:15発車。北見から先では減灯され、車内放送の音量も下げられた。寝られそうで寝られないまま、気がつくと常文トンネルを越えて生田原に停まっていた。
遠軽で進行方向を逆転させ、次に気がついたのは上川だった。層雲峡の入り口にあたる駅だが、末だにいったことがない。石北本線もこのあたり昼間乗ったことがない。あと、一時間ほどだと目をつぶる。
[旭川(2)]当麻で寝るのをやめて旭川3:45下車。まだ、十分に夜が明けきってない。函館本線の上り普通列車の始発が6:30なので、その間二時間半ほどかけて旧第七師団偕行社まで往復することにした。片道約6kmある。
買い物公園を行くと徹夜で騒いでいたらしい若者がベンチに腰を下ろしていたり、まだ騒いでいる連中がいたりと、あまり雰囲気がよくない。途中のコンビニで朝食を仕入れる。
常磐公園そばのロータリーから石狩川に掛かる旭橋を渡る。昭和7年にかけられた橋だ。かつては旭川電気軌道の市電が走っていたはずだ。国道40号線、右手にスタルヒン球場などがあるスポーツ公園、左手には陸上自衛隊旭川駐屯地。ちょうど駐屯地をまわりこんだところに旧第七師団偕行社(明35)があった。
この建物は旭川市郷土博物館のあと現在は彫刻美術館として活用されている。そのそばには旧竹村病院六角塔(明34)が移築されている。写真を撮るのもほどほどに駅にとって帰す。自衛隊の駐屯地をぐるっと一周、旭橋を渡り、買物公園のあたりまで戻ってくると、騒いでいた若者達の姿はもうなかった。すでに夜は明け六時を過ぎていた。
[空港へ]旭川駅に戻ってきたのは発車の10分ほど前だった。昨日同様改札口で「18きっぷ」に日付を入れてもらい旭川6:30発小樽行普通電車で出発。
深川、滝川、美唄とあまり乗り降りがないようだったが、岩見沢を過ぎ、江別あたりから札幌に向かう人が増えてくる。すこし遅めの通勤電車といったところで、札幌9:00到着。四分接続の新千歳空港行快速「エアポート90号」にかけこむ。
空港行は15分おきに出ており、36分で空港ターミナルビル地下に到着するからたいへん便利だ。この時刻だとまだ空席がある便が多いことを出発便表示で知る。全日空の窓口に行くと自動搭乗券発券機があり、女性係負の説明を聞いて画面をタッチしていく。当初、すぐの便で帰るつもりだったが、押し間違え、また一から始めたとき、15:05発関空行にまだ空席があったのでその便の窓側の席を入力し、搭乗券を入手できた。
すると、今が十時だから搭乗手続きをするまで約4時間、札幌往復の時間を考えても約3時間近く札幌で時間をすごすことができると考え、その足で再び地下のJR乗り場へ。「18きっぷ」を使い始めているから余分な出費がない。
[札幌]10:38再び札幌到着。6年前立ち寄っていない箇所を中心に駅から東方の方へ歩いて行った。
最初めざしたところがサッポロビール第一工場だ。その近くに福山石油の建物(明40代)もあった。この工場は高架になったJR線の電車からでも見える。現在、工場は生産をやめているが、煉瓦造りの建物や新たなビルが「サッポロファクトリー」というショッピング、飲食店などが集まった施設の一部として活用されていた。煉瓦造りの工場は明治25年の建物。
そこからさらに東に行くと永山公園があり、そのなかに旧永山武四郎邸(明13頃)がある。隣の洋館(昭13)ともとに三菱鉱業セメント札幌寮として使用されていた。現在、資科館になっているらしいが月曜休館ではいれなかった。
さらにそこから南に向かうと札幌教会がある。明治31年に建てられた石造の司祭館、大正5年の教会堂、司祭館として使用されている旧大島邸(昭11)が並んでいる。このあたりは明治中期に住宅地として開かれたらしいが古い建物は残っていない。
そのあと付近を散策するが古い建物は発見できないまま、途中で見つけたいつもとは違う名の牛丼屋で昼食を取り、量販店で安売りのビールを飲み、三越、パルコなどが並ぶ札幌の繁華街から北に向かい、大通公園を経て札幌中央警察署(昭9)、北海道文書館分館(大15)、NTT総支社(札幌逓信局 昭14)を見てまわる。
そして、北大植物園にまわったが、ここも月曜休園、門のところから洋風の門衛所があったのでこれだけ写真に撮っておく。ここでフィルムがなくなったので、本日はうちどめとして駅に戻る。
駅のショッピング街の書店で機内の退屈しのぎに文庫本を購入し、札幌13:34発快速「エアポート134号」で新千歳空港に向かった。
[帰路]新千歳空港14:10到着。地下ホームから全日空のカウンターへ。朝来たときには「空」の表示もされていた搭乗案内がすべて「満」になっている。早めにチケットを購入してよかった。
搭乗手続きをすませ、そのまま荷物検査、金属探知機のゲートをくぐり、待合室で搭乗案内を待つ。到着便の遅れから搭乗開始が遅れ、出発が15分ほど遅れた。
使用されている機体はB767−300、二百数十人乗りのジェット機だ。席は翼の付け根よりすこし前の窓側で申し分のない席だった。窓側でも窓のない席があるし、翼の上では下界が見下ろせない。隣の席が空席だったくらいでほぼ溝席。
15:20頃、そろそろと動きだし、滑走路へ。エンジンのうなりが高まるにつれ加速、ふわりと浮き上がる感覚あって、あとはぐいぐい上昇、すぐ雲の中に突入、抜けると下界は雲しか見えない。 水平飛行に移り移ってしばらくすると茶菓子と飲み物が配られる。
雲が多くて下界が見えず、どこを飛んでいるか皆目見当が付かなかったが、雲の切れ間から見える下界から判断すると、日本海の海岸線に沿うように南下しているらしかった。
一時間くらいたった頃、雲ひとつない晴天域にでたところ、下界の地形から所在が的確に判定できた。機からはちょうど、黒部扇状地から富山市の方が見渡せた。そして富山新港、高岡上空と思う間もなく金沢、小松、三国から越前海岸が過ぎて行く。するとまた雲間にはいって下界がよく見えなくなった。
機は若狭湾の北方をつきって鳥取付近を南下したらしく、晴れ間から見える下界の風景はやけに蛇行した川であった。たぶん岡山市を流れる旭川ではないかと思えた。すぐに海上にでて、前方に大きな橋が見え、太陽の向きが変わり、とするうちに着陸まであと15分と案内、最後はどのような経路で飛行したのかつまめないまま二時間後の17:10頃無事関空に着陸した。
関空も便利な空港で、手荷物だけだからそのままゲートを抜けてJR乗り場へ。きっぷは旭川で使い始めた「18きっぷ」が有効で、関西空港17:32発天王寺行関空快速に乗り継げた。天王寺で環状線に乗り換え大阪へ。
きょう一日で乗車したキロ数は札幌往復も含め333.3㎞で、通し運賃では5360円となる。行きに31時間もかけて北海道に渡ったのが、帰りはひとっ飛び二時間、運賃は大きく違うけれどジェットは速い。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|