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北陸漫歩

1994.10.8〜10.10


[北に向かって] 『近代建築ガイドブック』をもとに多くの県庁所在地の建物見物に出かけているが富山と福井を歩いたことがないのででかけることにした。「北陸ワイド周遊券」(周遊券は廃止された)を利用するので当初、夜行で出発、中央本線から大糸線経由で行こうかと思ったが、世間の三連休は込むことが確実なので諦めた。金曜日、切符の購入時に北陸本線の臨時夜行「リゾート立山」の指定があるかと尋ねたが満席、夜行「きたぐに」の自由席に立つことになるのもいやなので、土曜日の電車ででかけることにした。

当初の予定では夜行で出かけて、入善から順に北陸本線を南下して来ようと考えていたが朝の出発のため魚津から始める。
大阪7:40発の「雷鳥」は金沢行なので次の8:10発の新潟行「雷鳥」に乗るため小一時間待つことになる。すでに、三十人くらいの列ができている。この時期、六分後に臨時長岡行の「雷鳥」があるのだが、乗り込むべきか、次のにすべきか迷うところ。自由席一車両の座席は四十人分余りあるばずで、乗車が始まると乗り込む人数を確認してから乗り込んだ。

次に臨時があるので大阪を発車したときには立ち客もなかったが、京都から込んできた。車内販売もいつもの台車が通行できないとみて、弁当や土産物などだけ抱えて販売にきていた。車掌もなかなかまわってこない。敦賀に着く前にやっとまわってきて、大阪−敦賀間の自由席特急券を購入する。ワイド周遊区間にはいると自由席は自由に乗れる。
金沢あたりで少しすいたが、途中の駅からの乗降もあって座席があくほどのすき方にはならなかった。

[魚津]宇奈月温泉の方に向かった時、ここで乗り換えをしたことがあるが、下車するのは初めて。JRの駅は町の繁華街から離れている。駅の近くには日本カーバイトの大きな工場がある。

まず、駅前で昼食を取って、魚津港のほうに向かう。そこに「魚津埋没林博物館」がある。港が整備されるさいに地中から大きな木の根っ子が発見された。埋没林である。特別天然記念物に指定されている。本来土砂に埋もれて朽ち果てるところ地下水が豊富な土地がらで、大きなまま残ったらしい。それらが乾燥された状態や水中に浸けられた状態で保存展示されている。

それに館内のミラージュシアターで、蜃気楼の実演実験が行われている。蜃気楼は雪解けの冷たい水が海中に流れ込む春から初夏、晴れて暖かく、風のない日に見られるが、自然現象だけにそう見られるものでなく、これが現れた日には新聞などでも報じるくらいだ。密度の違う空気の層を作りだすことによって光の屈折が起こり蜃気楼現象になる。それを実験的に見せるわけだ。ただし、シアターで見せるために子供だましのストーリーをくっつけているので、実験にあまり感動できないのは残念。単純な実験だけでも子供も感心するのではなかろうか。

博物館をあとに、『近代建築総覧』に○印の付いてる魚津教会を見に行くが、該当の住所は空き地のようで、建物は発見できなかった。
そのあと、富山地方鉄道の電鉄魚津駅に行く。電車の時刻を見ると滑川方面よりJR魚津方面の方が先に電車があったのでそちらに向かう。JR電車への接続もあった。たった一駅だが170円と都市部の民鉄やJRに比べて高い。
魚津から普通電車、25分で富山。

[富山]6年前、立山黒部アルペンルートを経て松本に向かったさい、富山駅に下車、地鉄に乗り継いでいる。そのとき、地鉄駅の変貌に驚いたのだが、今回駅前を歩いてみて、新しいファッションデパートができているのにさらに驚いた。以前はどんな建物が建っていたのだろう。

富山市は戦災にあっているので残っている近代建築は少ない。まず、県庁をめざす。その途中に、寺院風の銭湯「観音湯」があった。県庁は昭和10年の建物。富山城址のそばを通って西町へ。富山の繁華街の角地に建つ大和富山店は昭和7年の建物。戦前らしい装飾を施された建物だ。

電車通りを北に向かうと電気ビルがある。昭和11年の建物。富山に残る建物はこれくらい。富山駅に戻ると上り普通電車があったのでそれで高岡に進む。

[高岡]今晩は高岡に泊まるつもりでBHに電話するが、どこも満員と断られる。富山県下で生涯学習かなにかのイベントが行われているようで、そのせいかとも思われる。BH泊まりを諦めて、氷見線で伏木に向かう。古い港町だし駅前旅館くらいあるだろうと考えた。ところが、日が暮れかかってきたものの、駅前には旅館はなかった。

伏木にある商工センターをまず見に行くことにする。土蔵二階建ての銀行だった建物だ。この建物の近くには銅板を張った看板建築や洋風意匠の建物がいくつか見られる。この近くに「北条旅館」というのを見つけた。訪ねた最初は、風呂は沸かしてない、とかいわれ断わらそうになったが、銭湯に行くからと、辛うじて泊めてもらえた。荷物を整理して、近くの銭湯「伏木温泉」にでかける。あとはテレビを見て寝るだけ。

[如意の渡し]小矢部川の河口近くに「如意の渡し」がある。伏木港湾交通が運行している。渡しがあるのは5万分の1地形図『富山』に載っているので知っていたが、そういう名称ということは初めて知った。

この渡しは由緒ある渡しだそうで、義経一行が山伏の姿で奥州に逃れるさい、ここの渡し守に義経であることを見破られそうになったとき、弁慶が扇で義経をさんざん打ちのめし、疑いを晴らしたところなのだそうだ。それがのちに謡曲「安宅」、歌舞伎「勧進帳」に創作されたのだという。近くに義経、弁慶の銅像がある。

渡し賃は200円。7時の始発を待つ間、渡し船の船員兼切符販売係の人がお茶をいれてくれた。日曜日ということで、乗客はひとりだけだった。船が動きだすとほんの2、3分で対岸に着く。加越能鉄道沿線にある二上山の万葉歴史館、新湊の「海王丸」などをむすんで電車・バスフリー切符が発売されているが、このフリー切符で乗れるそうだ。

 対岸は加越能鉄道の中伏木駅のそばである。このあたりはNKKの工場や飼料倉庫などのある殺風景なところだ。めざす牧田組の事務所は住所を頼り歩いていると六渡寺駅前にあった。日本海側有数の海運業者南島商行の社屋だった建物で第一次大戦後には没落し、牧田組の社屋になったらしい。木造煉瓦張り、様式は簡略化されているとはいえこんなところに残る建物としては立派なものだ。

六渡寺から加越能電車で高岡駅前まで乗る。駅前でモーニングを食し、どこへ行くにも中途半端だったので予定より早めに普通電車で石動に向かう。

[石動]小矢部市の中心。『総覧』によると北国銀行石動支店があるらしい。ただ、あたまに旧と付いているので、すでにないだろうと思えたが、とにかく行ってみる。

石動の町は駅前を中心に幅広い道路を通そうと再開発され、駅前の町並は陳腐で雑然とした、どこにもでもある駅前風景である。駅からしばらく歩くと、昔ながらの車が一台しか通れない道幅の町並みが残っている。その手前まで道路幅が広げられ特徴のない新しい町並みになっているところをみると早晩昔ながらの町並みも失われるのは間違いない。

もう十数年前になるだろうが、時の市長が建築屋だったこともあり、学校など市が建てる建物を世界の有名建築を模した外観にし、それがかなりの数にのぼったことから当時週刊誌等でも取り上げられ話題になった。もちろん今もそれらの建物は健在で、砺波平野の散村風景のなかで場違いな洋風意匠の建物が目についたりする。

小矢部の観光案内の立て看板に「ロマンとメルヘンの町」とあり、ひとつひとつの建物へのこだわりはおもしろいのに、駅前から続く再開発された町並みにはなんの趣向もない。町並みは、単なる公共物件への取り組みとはちがう難しさがあるにせよひと工夫できなかったものだろうか。そんなことを考えながら井波行のバスを待つ。

[井波]かつて石動から福野を経て庄川町まで加越能鉄道のDCが走っていたが昭和47年に廃止されている。現在、その廃線跡はサイクリングロードになっている。廃止後は加越能鉄道のバスがレール跡に沿うように走っている。

 福野駅前を経て井波まで約40分。井波バス停の近くにある井波町物産展示館はもとの井波駅舎だ。昭和9年に建てられたもの。井波は瑞泉寺の門前町として栄えた町で駅舎は寺院風。町の伝統工芸としては獅子頭、欄間など木彫りが有名で、展示館にはそういった工芸品が展示されている。

展示館の近くに東洋紡の井波工場があって、ここの工場事務所はハーフティンバー調の建物だ(昭和7年)。町外れの展示館から瑞泉寺の方に向かって歩いていくと木工作業をしている家々が並んでいたりする。門前の通りに富山銀行井波支店(大正14年)がある。近くの井波美術館は北陸銀行井波支店(昭和18年)の建物だったようである。

あとの時間の都合で、瑞泉寺の門前で引き返し、バス停近くのショッピングセンターで早めに昼食を済ましてバスで砺波に向かう。

[砺波]バスは国道156線を北に向かう。てっきり砺波駅を経由するものと思っていたら、駅には寄らず、そのまま国道を高岡に向かうようだった。地図を見ながら乗っていたので、適当なところで下車できた。

下車したバス停は砺波体育館前で、チューリップ公園に近いところだった。この公園のなかに旧北陸銀行砺波支店が移築され、郷土資料館として活用されている。建物は明治42年に中越銀行本店として建てられたもので土蔵造り二階建て。内部は洋風意匠が施されている。一階部分に各種展示がなされている。二階の部屋は公開されてないので残念だが、下から見上げると立派な部屋のようだ。

秋の草花の咲く公園をあとに砺波駅に向かう。砺波の町も石動同様市街地の再開発が行われ古い町並みが見られない。本来、このとき郷土資科館になった北陸銀行も取り壊されることになっていたのだ。貴重な建物ということで移築され残った。ちょうど列車がでたあとで、スーパーを往復したりして時間をつぶしたあと福野に向かう。

[福野]まず、福野高校へ行く。井波に向かう途中にバスの車内から建物の存在を確認していた。県立農学校の本館だった建物で明治36年に建てられた木造二階建ての洋館。現在、福野高校の記念館になっている。

そのあと西方寺に寄る。この境内には授眼蔵図書館がある。寺の私設図書館だ。建物の設計をしたのが福野出身の吉田鉄郎。東大の学生だった頃の作品(大正9年)ということだ。

[福光]福野から福光に向かう。駅前の雰囲気から城端線では砺波以上に繁華な町のように見える。ここから金沢までバスで一時間という位置が関係しているのかもしれない。駅前の市街案内図に棟方志功記念館が載っていた。こんなところに記念館があるとは、どういう由緒があるのだろうと行ってみることにした。

そこは「愛染苑」という名のついた小さな美術館。案内によると戦争中の昭和20年4月に福光に疎開、26年までここで創作活動をしていたそうだ。その時代の作品が展示されている。
福光美術館がこの8日に開館、棟方志功展等が行われ、10日まで無料公開というポスターが張ってあった。正確な場所の記述はなかったが、金沢に抜けるバス道の途中にありそうなので行ってみることにした。場所は志功が疎開した方林寺で地図によれば2.5㎞くらいと思って案内矢印に従って歩きかけたが、いけどもいけどもたどりつかない。

市街地から小一時間、すこし山間にはいってやっと美術館へ通じる分かれ道があって、坂を登ったところに美術館があった。無料公開なので辺りは訪れた人たちの自動車が路上にまであふれて、展覧会場は多くの人で賑わっていた。

開館記念として棟方志功、地元出身の日本画家石崎光瑶、彫刻家松村秀太郎の作品が展示されていた。一番おおきなスペースは志功でかなり内容が濃いものだった。バス停の位置を正確に確認してなかったので足早に一巡する。

[名金線]このバス路線は名古屋から岐阜、郡上八幡、蛭ケ野高原、白川郷から五箇山、城端、福光を経て金沢に抜けるものだ。むかしは国鉄バスが走っていたが、現在、この区間を通して走っているのは名鉄のバスだけでJRバスは、名古屋−鳩ケ谷間と福光−金沢間に分断されている。

福光美術館から国道に戻りすこし行くと川合田温泉バス停があった。美術館帰りの人もあって金沢に向かうバスの座席は半分近く埋まっている。金沢近郊を走るのでそこそこ利用者があるのかも知れない。バスは国道304号線を走る。ところどころまだ道幅の狭いところもあるが改修工事が順次行われているようでバスは快調に走る。

福光から金沢まで約一時間。森本から金沢まで25分ほどかかるので電車に乗り換えたほうが早いように思えたが、電車の時刻がわからないのでそのまま金沢駅前まで乗ることにした。

金沢駅の旅館案内の窓口には「満員です」の張り紙がしてある。金沢駅の食堂街で夕食を取って北陸本線を上ることにする。予定では小松で泊まることを考えていた。

ホームで待っていると「スーパー雷鳥10号」の自由席に席を見つけて座っていたら、金沢の次は福井まで止まらないとのアナウンス、慌てて下車した。けっきょく、次の特急「きらめき4号」に乗る。「きらめき」は座席改良車で、窓の位置と座席の位置がずれているところがあるが、座席は申し分ない。小松まで20分。
泊まるところは決めてなかったが、駅前の貧相なステーションホテルに行くとすんなり泊まることができた。

[小松]翌日、小松市内を歩く。市役所のそばに小松市教育委員会があった。昭和初期の建物。その近くにある石川商銀信用組合小松支店はスクラッチタイル張りで円筒形の塔屋と直方体の本屋とを組み合わせた構成。小松城址の北側に小松高校があってここの記念館が旧県立第四中学校の木造二階建ての校舎で明治32年の建物。門があいていたので勝手にはいって写真を撮る。

[山中温泉]小松の主な近代建築巡りを終え、小松7:07発の電車で粟津に向かう。山代温泉方面へのバスは小松から出ているが粟津に寄るのでそこから乗ることにした。

時刻表にもあるようにバス停は駅から少し歩いたところにあったが十分な余裕があったのであわてず見つけることができた。近くにコンビニもあり、そこで朝食を購入する。かつては、粟津から山代温泉方面に電車がでていたが、昭和37年に、大聖寺から山中温泉に伸びていた電車は昭和46年に廃止になっている。

バスの車窓から粟津、山代温泉の雰囲気を眺めてみたが、大規模な近代的ホテル旅館が建ち、温泉街の情緒も乏しく泊まりたいな、という気にはなれなかった。山代温泉東口で山中温泉方面行のバスに乗り換える。バスは北陸鉄道から分社したらしい加賀温泉バスの運行だった。

山中温泉は山代温泉から二十分近く山間にはいったところで他に比べて温泉情緒があった。この温泉には戦前からの洋式ホテルがあるらしいので見にきたのだが、河鹿荘はすでに現代ホテルに建て変わっていた。公衆浴場である山中町総湯「菊の湯」に行く。武田五一の設計で昭和5年に建てられた和風の建物だ。入浴科は300円。はいってみると内部は改修されたようできれいである。

大聖寺に向かうバスまで少し時間があったので、5万分の1地形図『大聖寺』に載っているロープウェイを探しに行うとしたが、道がわからず残念する。バス待合所にある観光案内図などには載ってないのですでに廃止されているのだろう。どうなったか確認したかったが残念。

[大聖寺]再び加賀温泉バスに乗って大聖寺に向かう。かつては温泉への玄関駅だったのに加賀温泉駅が整備され、特急もほとんど止まらなくなっている。

駅名からしてお寺が多そうな町だ。駅前付近はもともと町外れにあたるせいか賑やかさがないのだが、町のほうに向かっても駅前通りを整備したせいで面白みのない町並みである。
本通りから横道にそれたところに織田理容店があった。もと大聖寺町物産館(大正4年)だった建物で屋根に塔屋が乗っている。しかし、木造のため外壁は改修され面白みに欠ける建物になっていた。そのあと、中央公民館を見に行くが、すでに建て替わっていた。大聖寺の駅前で早め昼食を取って福井に向かう。

[福井]今日は朝から全く晴れ間のない曇天だったのが、福井を歩き始めるとぽつぽつ降り出してきた。駅前の電車通りを少し行くと、中央信託銀行福井支店がある。風格のある銀行建築だ。その近くのNTT市外局はすでになく、駐車場に替わっていた。

そのあと、足羽川に沿って九十九橋までいくと足羽山のほうに大きな洋館の廃虚が見えた。旧三崎小児科医院である。昭和10年に建てられた鉄筋三階建ての建物だが、戦災で内部を焼失するなどしたらしい。まだ、残っているとは思わなかった。

そのあと、北に転じて福井三一教会を見に行く。小ぶりなゴシック風の教会で昭和6年の建物。電車通りを福井駅の方に向かうと福井地方裁判所があった。『総覧』に載ってないので戦後のものなのだろうが、角地にあって威厳をもった雰囲気を醸し出す造りになっている。

福井城址にある県庁を横切って駅に戻る。福井から「雷鳥」に乗る。自由席で席にありつけたのでこのまま大阪まで乗って帰ってもよいなと思えたが、雨も上がったようなので予定通り武生で下車。

[武生]まず、駅前の平和堂へフィルムを買いに行く。24枚撮り2本でことたりるだろうと考えていたらつまらないものを撮ったりしたおかげてフィルムがなくなった。36枚撮りが650円と非常に高いがしかたがない。余分を持ってくるのだったと悔やまれる。

まず、林病院看護婦宿舎を探すが、すでに建物はなく病院の駐車場になっている様子。しばらく歩くうちに、下見板張りの洋館、笠原邸に出くわした。大正3年に建てられたもとの武生郵便局の建物らしい。商店街に出ると引接寺の案内が出ていたのでそれに従う。この境内にある丈生幼稚園の建物は明治時代に建てられた福井警察署の建物を移築したもの。その近くには木造二階建ての井上歯科医院がある(明治41年)。壁面は洗出し仕上げ。

商店街に戻るとミドリドレスメーカー女学院があったが全体が見えないうえに改変が著しいものだった。商店街を南下すると大井洋装店が見えてきた。まわりの商店から浮き立って見えるのは近代建築に目がないせいか。天王町に行くと福井銀行橘支店がある。もとの大和田銀行の建物で昭和2年に建てられた。その隣の武生優良店会事務所も大和田貯蓄銀行の建物で同時に建てられたものだ。駅に戻る途中には武生市公会堂(昭和3年)を見つけた。現在改修工事が行われているようだ。

[帰路]当初の予定より一時間ほど早く駅に戻ってきた。三連休最終日なので、大阪方面への特急の自由席はいっぱいに違いない。まず、普通電車で敦賀まで行くことにする。このまま普通電車を乗り継いで米原回りで帰ってもよかったのだが、敦賀から京都まで約一時間だし、なんなら途中の堅田で下車してもいいし、と敦賀から特急「雷鳥」に乗ることにした。駅の案内放送では、自由席はいっぱいなので指定席の通路とデッキを開放するとの案内に禁煙指定席車両の位置に並ぶ。

電車は近江塩津から湖西線にはいり約40分で堅田。停車している接続電車をみるとそちらもいっぱいなので下車するのをやめて京都まで乗り通す。堅田と京都までの特急料金は同じなのだ。
京都で下車。大阪にはあとの新快速が早く着くとわかっていても、空席のある快速に乗り継げたので快速に乗って大阪に向かう。新快速で立つことになってはかなわない。たった4分ちがうだけなのだ。ここまで帰ってきたのだから慌てることはない。


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