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仙台・奥羽ひとめぐり

1994.8.12〜8.15


[東の旅]一年ぶりで東へ向かう。大垣発東京行の夜行に乗るまでの間、松坂を歩いてみることにし、大阪8:14発の新快速で出発。やはり夏休みのことで家族連れなど利用者が多いが立つことにはならなかった。

京都、大津を過ぎると天気は曇り空から雨が降り出した。台風接近のせいか天気は不安定の様子。瀬田と草津の間に新駅が設けられるようだ。草津9:03到着。12分の待ち合わせで草津線の電車に接続。今年の暑い夏に冷房車は心地よい。貴生川までけっこう乗っていたがすこしずつすいてきた。

柘植で関西本線の列車に乗り換え。昨年(1993年)導入された新型DCキハ120。かつてのDCなら喘ぎ喘ぎ登っていた加太越えも新しい車両なので軽快感がある。峠を越えると雨も上がって日が照ってきた。
亀山でJR西日本からJR東海に変わる。ワンマン対応の車両が増えた。大きな金額表示板をつり下げている。津を過ぎ松坂11:33到着。

[松坂]松坂には列車の乗り換え時間に降りたことあるくらいで、街をゆっくり歩くのは初めて。まず、駅前をまっすぐ進んで中京銀行松坂支店を探すが、店舗は仮店舗で、建て替えられたようだ。松坂地区医師会館に向かって歩いていると洋風意匠の銭湯があった。カメラを向けるとカメラの電池が切れていた。近くにディスカウトストアがあったので電池を購入することができしてことなきを得る。医師会館は健在。松坂水力電気の本社で大正10年の建物。

駅前で昼食をすまし、松坂城址に向かう。城跡のそばには城警護の藩士が暮らした町並みが残り、御城番屋敷として公開されている住宅もある。城跡の一角に市立歴史民俗資料館がある。明治45年に建てられた和風意匠の建物でもとは図書館だった。松坂といえば松坂商人、三井家がでたところだが、資料館では「着板と暖簾」の企画展をおこなっていた。伊勢おしろい−水銀を原料にしたもの、などの展示もありためになる。また近くには本居宣長記念館があり旧宅が移築されている。
参宮街道の古い町並みや三井家発祥の地などをまわって駅に戻る。

[津]JRで津に向かってもよかったのだが、津駅のある位置が街の繁華街から離れているようなので近鉄を利用することにした。駅に戻るとうまいぐあいに名古屋行の急行があった。

松坂から津までJRは直進するが、近鉄は中川を頂点に三角形の2辺を通るように遠回りをする。でも電車だから早い。津新町で下車。

津新町駅から20分ほど歩いた大門のアーケード街に百五銀行大門支店(大13)とオーデン毛糸店(大11四日市銀行津支店)がある。アーケードに隠れて全体が見えないのが残念。
暑いこともあり、近くの三重会館前バス停から津駅前までバスに乗る。駅に着くとうまい具合に伊勢鉄道経由の快速「みえ」名古屋行があった。この車両も昨年導入された新型DCキハ75だ。

津から伊勢鉄道を経由する。輸送量が多いので一部区間を複線化した。もともと、紀勢線のバイパス線として建設された線路だけに高架部など複線分のスペースをもっていた。紀勢線の一部ではなく、伊勢線という名称になったため国鉄から第三セクター化されてしまった不運な線だ。
津から一時間弱、名古屋17:22到着。名古屋駅は駅ビルが新築工事中でビルのなくなった東側はすっきりしている。

[名古屋市営地下鉄]桜通線が今年(1994年)3月に延長開業した。それに乗る前にすこし早いが夕食を取っておく。

桜通線中村区役所−今池間は1989年9月に開業している。それに初乗りしたのも半年ほどあとだった。名古屋駅から野並に向かう。地下鉄なので全く面白みがなく約25分で終点。

さて、いったん地上へ出てみたものの、ここがどのあたりに位置するのか皆目わからなかった。近くに書店があったので、そこで地図を調べたところ名鉄桜駅から2kmほどのところだとわかった。折り返して地下鉄に乗るのも面白みがないので、桜まで歩くことにした。
名鉄電車で金山まで行き、そこでJR東海道本線に乗り換えた。

[東京から仙台へ]大垣発東京行の電車発車時刻の二時間ほど前に駅に着いた。いったん改札を抜け、名古屋駅で買ってきた「青春18きっぷ」に翌日の日付をいれてもらう。

昨年、この電車を待ったときには夏としてはかなり寒い思いをしたのだが、今年は暑い。臨時も一本走るようになったせいか昔ほどの込み方はしなくなった。ボックス3〜4人で立ち客はでてなかったようだ。大垣22:40に発車。臨時はこの10分前にでるが途中で追い抜いて東京にはこちらが数分早く着く。

名古屋を出てから居眠り始め、浜松、静岡に停車しているのに気がついたものの、冷房が心地好く目が覚めたのは夜明け前の大船だった。横浜の手前で車内放送再開。上野へ乗り継ぐ京浜東北線、山手線の電車の位置が気になってくる。東京駅の場合、電車から降りるのにもたつくと2分乗り換えはきついので、品川か新橋で乗り換えることにしている。品川で山手線の電車と並んだので新橋乗り換えとする。相手は各停なので追い抜くのだ。

上野から常磐線をたどるか東北本線をたどるか迷うところなのだが、乗り換え回数が多いものの仙台に着くのが20分ほど早い東北本線を経由することにした。
この時期、普通電車で東北本線を北上する人がけっこう多い。「青春18きっぷ」のような割安きっぷの存在が知られてきたせいもあるし、最初から込む新幹線より在来線でのんびりと考える人も多いのだろう。途中ですいてくるだろうと思っていたのにあまりへらない。車両の編成が長い黒磯までは楽だが、その先、編成が短くなると席に着けるか不安になる。乗り換えの少ない常磐線経由にすべきだったか、と思ってももう遅い。

黒磯では10分の待ち合わせで郡山行に接続。どっと跨線橋になだれこんで隣のホームへ。かろうじて席にあり着けた。電車は新型の719系。ドアそばのボタンで停車中は開閉できるという八高線形式(昔の八高線のDCがそうだった)。乗客の変化がほとんどないまま約1時間で郡山。12分の接続にまた駆け出す。

福島10:00到着。次の電車まで30分あるので、駅前のスーパーへ朝食の買いだし。戻ってくると車内はいっぱいで、やっとの思いで空席を見つけた。

[仙台]電車に乗り継ぎ乗り継ぎして仙台11:52到着。仙台に来るのは1990年11月以来。仙台でまずすることは、仙台−秋田間の夜行バスの座席の有無確認である。

宮城交通の高速バス案内所にいってみると、夜行バスはJRバスだからそちらへ、とのこと。JRバスの案内所に回って聞くと、満席です、との答え。時期が時期だけにしかたがないか、とあきらめる。
昼食をいつもの牛丼屋で取って、地下鉄を乗りに行く。

仙台市営地下鉄が八乙女−泉中央間の延長開業をしたのが1992年7月で、今までこちら方面に足を向けられなかったので、二年越しの初乗りとなる。新線区間は仙台市郊外の1.2kmで八乙女からは地上を走る。丘陵地に開けた街が見渡せるがあっけなく地下駅に着く。仙山線電車の都合で泉中央に滞在できた時間は10分あまり。次の電車で引き返し、北仙台で下車する。

[山形]仙山線沿線もどんどん宅地化されている。北仙台から乗ったときには座れなかった。陸前白沢で席にありつく。都市間連絡線だけにそれほどすくことはなかった。北山形で下車する。

山形の街を歩いたのは1989年11月だったが、重文に指定されていた旧山形県庁舎は改修工事の最中でシートに覆われ、旧済生館本館も工事をやっており写真が撮れてない。あれから五年近く経つのだからと今回きてみると、県庁舎のほうは外観などは整備されているのだが、室内はまだ工事が行われている雰囲気で、公開はされていなかった。

済生館のほうは工事もなくむかしの姿をみせてくれた。済生館は山形市郷土館としてこの建物のことやもともとが病院であったことから医学、医療関係の資料が展示されている。

山形駅に行くと真室川行の電車があったのでそれで新庄まで行く。電車は新型の701系。ドアの開閉は719系と同じだがロングシートに長時間乗るのは不適だ。
新庄17:59到着。まだ明るい。当初はここで泊まることも考えていたが、次の電車で横手までいって泊まれば翌日の秋田へ一時間早く着けるので、ここから横手のBHへ予約をいれる。次の電車まで一時間ほどあるので夕食をとる。
次に乗った秋田行の電車は日が暮れてしまい冷房がきき過ぎで寒いくらい。乗客も少なく冷え冷えとしていた。

[秋田へ]横手6:38発の電車で秋田に向かう。大曲をでると秋田新幹線の工事が行われている。山形新幹線同様複線の片側のレールの幅を新幹線と同じ標準軌間に改軌するものだ。田沢湖線ではどんな工事がおこなわれているのだろう。枕木をみると、在来線のレール幅の位置に三本目のレールを敷けるようになっている。寝台列車、貨物の運用を考えると今後どのようにしていくのか興味がもたれる。

[秋田]秋田駅には下車したことはあるが、列車の待ち時間に少し駅前を歩いたくらいである。駅前にはデパートなどがあるがほかは銀行などが多いビジネス街のようだ。しばらく歩いて川を越えると一転して飲み屋街だ。その先に旧秋田銀行本店(明45)がある。「赤れんが館」として秋田市の資料館になっている。時刻が早いので見学できないのが残念。その近くには県農協ビル別館(昭4)もある。

そのあと保戸野修道院を見に行こうとしたのだが、正確な地図を持ってなかったので近くまでいきながら到達できず、時間の都合で秋田聖救主教会(昭5)、東光(昭和初期)を見て駅に戻リ秋田9:04発酒田行に乗る。

[羽越本線]酒田まで二時間近く、またロングシートの電車である。寂しげな羽越本線の景色も防風林などは昔のままだが、住宅などは新しくなっているようだ。そのためどこでもありそうな家々になっている。海水浴場最寄りの駅で次々乗客が下車していく。このあたりを通るのも1989年5月以来だ。

酒田で鶴岡行に乗り換え。電化区間なのにDCだ。新型のキハ110系なのが救い。陸羽線と供用している車両だ。次の列車まで一時間半ほどあるのでこの間に昼食を取る。
次にやってきた列車はまたもやDC。それもキハ40・47といった車両で、しかも冷房改造されていない。九州などでは冷房改造がふつうなのに…。

羽越本線は電化方式が村上−間島間で交流から直流にかわるので、むかしから特急以外は電車が走らないところだったが、JR東日本のなかでは一番遅れている区間なのかもしれない。
三瀬からまた海に近づく。あつみ温泉で下車する。下車するのは初めて。ここから2kmほど山のほうに向かったところに温海温泉がある。駅前のバス停でバスの時刻をみると少し間があったので歩いて行くことにした。かなり暑い道のりであった。

訪れたところは「湯之里共同浴場」午後2時からでちょうどよい時刻だった。管理する人はおらず、箱に200円いれる。口開け早々なので温泉の熱いこと。温泉は塩分を少し含んだ単純泉。半時間くらい浸かって、温海温泉センターでバスを待つ。歩いても列車に間に合う時間があったが、もう汗をかく気になれない。バスに乗ると10分もかからないで駅に着く。

次に乗り継いだ列車もDCの新津行。けだるく回る扇風機の車内の暑さにうとうとしてしまう。笹川流れの景観もいつしか寝て過ごしていた。あつみ温泉から新津まで約二時間半。羽越本線を乗り通してきた。新津では夏祭りの花火大会があるらしい。
当初の予定では、新津、新潟あたりで泊まることも考えたが、長岡までいって泊まることにした。新津で冷房のきいた電車に乗り換え長岡19:26到着。
駅前のスーパーはこの時期午後9時までやっており、翌日の食料などを調達しにいく。

[信越・北陸本線]長岡6:43発の電車で出発。信越本線普通の一番電車だ。ホームに停車しているときはすいていたが、新潟から来た電車からの乗り継ぎ客でそこそこの乗車。海水浴や登山などに向かう人が多い。

柏崎を出ると海に沿う。海水浴場は賑わっているようだ。このあたりを普通列車でたどるのは久しぶりだ。昼間、特急で通ったのも6年ほど前だ。
直江津で北陸本線に乗り換え。12分の待ち合わせで、信越本線からの乗り継ぎ客も多い。ここからJR西日本の寝台特急から改造した交直両用の車両だ。冷房装置が付いているから羽越本線の村上付近のようにDCでないだけましかもしれない。

高速道路が海側に張り出して全く眺めがさえなくなってしまった親不知を過ぎ、富山県にはいる。空気が乾燥しているのか、立山の山並みが比較的よく見える。
富山10:34到着。12分の待ち合わせで小松行に接続している。今日は、長岡から出発したので予定より二時間ほど早く進んでいる。加賀か芦原で一風呂あびたい気分になった。
金沢を過ぎ、とりあえず終点の小松までいく。駅構内のうどん屋でラーメンをすすり、次の電車で芦原温泉まで行くことにした。

[芦原温泉]芦原温泉にしたのは時刻表を見るとバスの便が多そうに見えたからである。バス停で五分ほど待つと芦原湯町方面行がやってきた。バスは永平寺から東尋坊に行く急行便で駅をでると10分ほどで京福電鉄芦原湯町駅前に着く。バスの走った道路はかつて国鉄三国線が走っていた跡を道路にしたものだ。

芦原温泉には「セントピア芦原」という公衆浴場、というよりもっと立派な施設だが、がある。ところが、夏休みのそれもお盆のシーズンということで、入場制限するほどの混雑。時間の都合ではいるのを諦めた。駅に戻るとバスの発車時刻を過ぎていたが、バスが遅れてきたのでうまく乗ることができた。
温泉につかることができなかったが、これで当初の予定時刻になった。

[帰路]芦原温泉15:10発の電車に乗ると20分弱で福井。2分の接続で敦賀行がある。北陸本線の普通電車を乗り継いで旅行している人が多いのだが、乗り換えの電車は隣のホームに停車しているので、みな跨線橋を急ぐことになる。相変わらず利用者のことを考えてない。どうにか席を確保する。

北陸トンネルを抜けて一時間ほどで敦賀到着。次の乗り換えにそなえる。ここで約25分ほどの待ち合わせ。乗り継ぎだったので席は難無く確保できたが、発車する頃になると京都、大阪方面等へ帰る海水浴客などで立つひとがでるくらいの込み様。臨時特急運転の関係から発車が3分ほど遅くなっている。長浜での乗り換え時間が3分しかないが、発車が遅れた分、その時間がなくなるのだが、乗り継げるように取り計らってくれるだろう。

疋田のループ線をまわり、余呉潮を過ぎて長浜。ホーム反対側に停車している大阪方面行の新快速に乗り継ぐ。電車の込み方をみて次の電車にする人もいる。途中の車両が通行できないようになっているので、次の田村などでいったんホームに降りて乗り換える人がいる。乗り継ぎに余裕があれば長浜で席があいている前方の車両にいくが、米原までいってしまうとそこでまた込んでくるので、座るためにはこうするほかないのだろうが、電車の遅れの原因にもなりあまりすべきでない。ひとりだと、ひとつ席があいていればいいだけにその点、楽である。長浜ですばやく席を確保してしまうと、大阪まで約一時間半だ。


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