このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



徳島・香川近代建築めぐり

1993.9.10〜9.12


[四国に向かって]阪神青木駅で下車して青木港のフェリーターミナルに向かう。ここから甲浦を経て足摺に向かう室戸汽船のフェリーが出ている。四国方面に向かうには値段も安く、時間が有効に使えるのでありがたい。出航の二時間くらい前にフェリーターミナルに着いた。予約してなかったが二等乗船券は難無く手に入った。金曜日の夜のせいか一時間くらい前になるとターミナル内は乗船券を買う人の長い列ができていた。釣り客、巡礼の姿も見られる。

足摺からのフェリーが22:40頃に着岸、これが折り返し四国に向かう。乗客、車を下船させてから乗船となる。かなり大きな船だ。船内では甲浦で下船する人と足摺まで行く人の客室を分けている。浴室などもあるようだが、座敷に横になって寝てしまう。

青木港を23:30に出航。穏やかな航海であった。四時間寝たか寝ないかわからないうちに室内に案内放送が流れ、甲浦港に定刻4:20着岸した。
高知方面へは4:40発という早朝バスが連絡している。

[阿佐海岸鉄道]海部−甲浦間の阿佐海岸鉄道は1992年3月に開業した。もともと室戸をまわって高知まで結ぶ阿佐線という計画路線だったが、地方交通線の廃止問題で頓挫。ほとんど建設が終わっていた阿佐東線海部−甲浦間を第三セクターで運営することで開業にこぎつけた。阿佐西線のほうは後免−奈半利間の工事が続けられ、土佐くろしお鉄道の手で運営される予定だが、両線が結ばれる予定はない。

始発は甲浦6:40発で二時間ほど間がある。フェリー客相手の喫茶店で一服してもよかったのだが、駅の位置を確認しておく必要があったので、夜が明け切ってない町を徘徊する。道路標識が角々に出ていたので迷わずに港から20分ほど歩いて駅にたどり着くことができた。そこは町外れで、高架線が伸びてきており、そこに駅があった。高架下に待合室のような建物があり、高架上には片面のホームがある。

午前6時半頃に一両のワンマンDCが海部から回送されて来る。この列車は牟岐まで行くのだが、発車までの間、運転手が阿佐海岸鉄道内(といっても、穴喰は有人なので甲浦−海部間だけ)のきっぷを販売していた。印刷された軟券だが、きっぷが入手できたのがうれしい。

列車はローカル新線特有のトンネル、切り通し、高架の路線を軽快に走り、新線区間8.5kmを十分ほどで乗り終えた。列車はそのまま牟岐まで乗り入れ、JRの列車に乗り換え徳島に向かう。

[徳島]徳島8:59到着。牟岐を発車したときはそれほどの込みかたではなかったが、徳島に近づくにつれ込んできた。駅前の喫茶店でモーニングサービスの朝食を取る。

徳島に残る近代建築を探すが、県庁等の建物はすでに建て替えられていた。線路沿いに三河邸の立派な洋館が残っていた。
駅前からしばらく歩いた感じからは古い建物が残っているようには感じられなかった。

[高徳特急バス]今回の旅行ではフェリーで出発したこともあり、周遊券等のJRきっぷを用意せず、また、乗車距離が長くないので通しきっぷを購入してもさほど割安にもならず、乗るたびにきっぷを購入することにした。五千円のオレカだと三百円のおまけが付いている。

徳島−高松間のJR運賃は1260円だがバスだと1150円と110円も安い。時間的には列車によってバラツキがあるが二時間前後かかり、バスも同じくらいだ。特急列車だと一時間ほどで行けるが、特急料金1130円(自由席)が加算される。運転間隔も特急は一時間に一本近く出ているが普通列車は時間帯によって間があく。ちょうど十一時前後が空白なのだ。バスだと一時間に一本ある。

三河邸から戻ってくるとそんな時刻に当たっていたのでバスで高松に向かうことにした。高徳特急バスは、徳島バス、大川自動車、コトデンバスの三社共通運行で、11:15発のバスは大川自動車のバスだった。千円を超える区間を乗る場合、千円の回数券を買うと千百円分利用でき割安になるのだが、徳島バスしか利用できないのでこの考えはだめだった。

バスは国道11号線を走る。徳島空港に立ち寄り、鳴門市内から瀬戸内海に沿った海岸線を快走、美しい眺めだ。引田付近から高徳線と併走するようになる。志度付近で徳島11:56発の特急「うずしお10号」に追い抜かれた。特急はやはり速い。高松市内に近づくにつれ道路が込んできて、高松駅前に到着したのは予定より五分ほど遅れた13:25頃だった。駅で遅めの昼食を取る。

[高松]高松駅の近くの高松築港には関西汽船高松支店、玉藻ビル、高松港港務所の三つの建物が並んでいる。みな昭和三年に建てられたものだ。三越の近くには香川県丸ノ内分庁舎がある。もとは警察署だった建物。アーケード街には銀行が二軒。上部がアーケードに隠れて残念だが、第一勧銀と百十四銀行の高松支店がある。

琴電に沿って写真を撮りながら瓦町まで歩く。この駅は長尾、志度方面の支線が分かれるジャンクションになっている。駅舎は大きく、琴電ストアがはいっているが、廃線跡の駅の残骸のような雰囲気で、全体的に古さが暗さを生じていた。もうすこし、明るくならないものか。

ここから琴電で琴平に向かうことにする。この沿線にはレオマワールドというテーマパークがある。




[琴平・善通寺]琴平に来るのは五年ぶりである。金刀比羅さんの門前町でけっこう賑わっている。金刀比羅宮の宝物館が近代建築らしいので見に行く。参道にある旅館には木造三階建てのものや洋風意匠を施したものもある。宝物館は明治38年の建物。和風である。町のなかにも三階建ての洋館があった(都村邸 大正12年)。琴電の琴平駅舎は建て替わってしまったが、JR琴平駅舎(大正11年)は立派である。JR琴平駅から一駅、善通寺に向かう。

善通寺は旧陸軍第11師団が置かれたところで、現在も自衛隊がその後を引き継いだ格好だが、当時の建物が残っている。偕行社(明治36年)は市立郷士資料館として活用されている。訪れた時刻が遅かったので内部まで見学できなかった。

自衛隊の敷地内には木造の建物や煉瓦造りの倉庫が残っている。町を歩くと洋館の写真館(水尾写真館昭和2年)があった。善通寺を早々に切り上げて丸亀に向かうことにする。

[丸亀]駅前のBHに予約をいれ、夕食を取った後、丸亀駅の北側をすこし歩く。かつて、花街があったところのはずだが、洋風意匠の建物は一、二しか見られない。
 翌朝、花街跡を見て歩く。たぶん、JR線の高架と道路の新設で失われたのだろう。あまり、色濃く残っていない。

そのあと、丸亀高校に向かう。途中のアーケード街に銀行が二軒。百十四銀行と丸亀信用金庫があった。丸亀高校には明治26年に建てられた校舎の一部が記念館として保存されている。こまかく歩けばいろいろ発見できそうな街であるが、岡山に進むことにする。

[JR西日本管内に向かって]高松に向かう本数は朝八時前後にけっこうあるのだが岡山方面に接続する電車が少ない。特急はあるのだが、坂出で40分ほど待つ。

岡山に途中下車するつもりでなかったので、岡山の近代建築の所在を調べてこなかった。そこで、久しぶりに倉敷に行こうと考えた。カードを用いて自動販売機から倉敷までのきっぷを買うとき、気にもとめずふだんどおり運賃ボタンを押したのだが、出てきたのはJR四国線1090円のきっぷ。

改札を抜けてから気がついたのだが、これで西日本管内に乗り入れられるのか。別々のきっぷを買うようにという注意書きがあったようには見えなかった。境界駅近くの駅の自動販売機では、同じ運賃の区間でもボタンの色を変えて別々のきっぷを販売していた記憶がある。

本四連絡橋を渡り、岡山で電車を乗り継ぎ倉敷で下車。けっきょく、そのまま改札で件のきっぷを渡してでてきたのだが、倉敷の自動販売機付近を観察してみると、別々のきっぷを買うように、案内があるようには見えなかった。会社同士できっぷを集計、清算しあうのではなかろうか。気をまわしすぎたにちがいない。

[倉敷]四年ほど前に大原美術館付近に残る近代建築の写真を撮ったことがあるが、大原美術館を見学するのは、1974年以来だから二十年近くも前のことだ。当時は本館、新館(現代美術)、東洋・工芸館の3館が別々だったが、今は共通券の形になっているらしい。前回は、本館だけしか入らなかったが、教科書でしか知らない西洋の画家の作品に接し、いたく感動したものだった。前回、訪れたとき見た作品がそのまま展示されており(あたり前だが)、その当時の感動が蘇った。

大原美術館に収められている西洋、日本、現代絵画をはじめ、工芸品をじっくり見てまわる。さすが、倉敷は有名観光地だけあって、観光めぐりのひとつとして美術館にきている人が多いのは前回とおなじだ。

[帰路]岡山から新幹線を使って帰ってもよかったのだが、時刻も昼をまわったところだし、普通電車を乗り継いで帰ることにした。倉敷から自動販売機で買えるもっとも遠い駅は英賀保で、網干からは電車の本数も増えるので、この駅で下車してもさしつかえないわけだ。

岡山から赤穂線まわりの相生行が接続していたのでそれに乗ることにする。赤穂線に乗り通すのは1987年夏以来だ。一度だけ乗った片上鉄道も廃止になり、廃線跡は草に埋もれていた。

相生では岡山からの電車にすぐに接続。英賀保で下車。20分ほどで次の電車があった。このまま大阪方面に向かってもいいが、せっかくだから姫路から山陽電鉄経由で帰ることにした。山陽電鉄の区間利用は今までもあったが、姫路−神戸間を通して乗るのは1972年以来かもしれない。けっきょく、新開地で阪神電車に乗り継いで出発点の阪神梅田に戻ってきた。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください