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新線乗り歩きと「東京たてもの園」を訪ねて
1993.8.12〜8.14
[東の旅]東京方面に向かうのも昨年(1992年)二月末以来である。前回も地下鉄の新線開業区間の乗り歩きを行ったが、今回もこの一年間に開業した線区の乗り歩きとこの春開館した「江戸東京博物館」の見学を兼ねる。
米原で新快速を乗り継ぎ東へ東へ。平年なら7月か8月の時刻表を購入するのだが、今回は4月号で旅程を立てたあと、詳細の確認をしなかった。米原で乗り込んだ電車は、大垣止まりだろう、との思い込みで、次の接続列車へ跨線橋を急いで渡る。米原で確認しなかったのがいけなかったのだが、JR東海の八月時刻改正で大垣から先、新快速として豊橋まで行く電車だったらしい。大垣駅に着く前に、車内放送があったが、ぼそぼそいうだけで全く聞き取れなかった。(うるさい、との苦情でもあって、音量を絞っているのだろうか)
乗り換えなくてよいところ乗り換えたので、岐阜への到着が数分遅れただけなのだが、きっちり知らせるべきことは明瞭に放送してほしいものだ。
[岐阜]岐阜駅付近は高架化の工事中で、駅も下り線と高山線への接続部が高架になっている。
駅の南の方に行くと旧加納町役場が残っている。武田五一の設計で昭和3年の竣工。この付近は加納城があったところで、中山道が東西に通っている。道標が残っていたりするものの、街道筋の面影は全く残っていない。
駅前から電車通りを北に向かうと、徹明町の交差点。北に伸びていた長良北町への路線は撤去され、東西に向かう路線だけになっている。交差点の西側に十六銀行徹明町支店がある。アーケードが邪魔だが、昭和12年の建物。
柳ケ瀬の繁華街を行く。定休日にあたって、半数は閉店、ひっそりしている。近鉄百貨店は戦前の地元百貨店を受け継いだもので、外壁など改装されているが、アーケードに隠れた部分に未改装の外壁が残っている。司町の岐阜県総合庁舎は大正13年の建物。
岐阜公園には名和昆虫研究所記念館(明39)、名和昆虫博物館(大8)がある。ともに武田五一の設計。
長良北町には久保田邸(昭6頃)もある。長良橋の左岸橋のたもと付近に昔の町並みが残されている。改築も景観を考えた作りでなされている。駐車場のために取り壊された建物がそのままなのが少し残念なところだ。岐阜の町は中心部にビルが並んでいるものの、すこし中心をはずれると二階建て等の昔ながらの町屋が見られる。細かく見ていくとおもしろい街かもしれない。
[東海交通事業城北線・名古屋市地下鉄鶴舞線]岐阜駅に戻り、予定より一本早い電車で枇杷島に向かう。勝川から尾張星の宮まで開通していたのが、枇杷島で東海道線に繋がった。ホームは稲沢の貨物操車場に向かう線上にあり、貨物列車が横を通る。
前回来たときは気が付かなかったが、枇杷島駅ホームの上屋は古い。軒飾りがしてあるところから、大正時代かと思いながら建物に付けられている「建物資産票」を見るとM39.4とある。駅が開設された時期と一緒だ。ホームの下部は創建当時の煉瓦ホームが見える。電車化対応で嵩上げされてきたわけだが、この上屋もそれにあわせて移動させられつつ現在に至っているのであろうか。
枇杷島駅を出ると高架で東海道線を越える。この先、高架が続くので眺めがよい。小田井の手前で名鉄線を越える。高架だけが立派だか何もない小田井駅に下車して北の方へ数分行くと、名鉄上小田井駅がある。
きょう、8月12日から名古屋地下鉄鶴舞線がここまで伸び、名鉄豊田新線と相互乗り入れを始めた。この駅付近も高架になり、駅も新しい。この駅から名古屋(新名古屋)までの運賃は地下鉄が240円に対して、名鉄は230円である。地下鉄の新線だから、駅を出てすぐ地下に潜ってしまうとおもしろくもなんともない。これで、二線区を完乗した。
[東へ東へ]丸ノ内で乗り換え名古屋へ。ここの乗り換えはかなりの歩きだった。名古屋駅で夕食を取り、大垣に向かう。東京行の電車をホームで待ったが、この時期にこれほど寒い思いをしたことがない。大垣発東京行の電車は多客時に臨時を一本走らせるようになったので、かつてほどの込み方ではなくなったようだ。名古屋を出てしばらくまどろんだが浜松から先は眠れなかった。
[横浜地下鉄3号線]川崎4:24到着。4:46発の南武線の一番電車で武蔵溝ノ口に向かう。川崎行の電車にはこんな早朝にもかかわらずそこそこ利用者があるようだ。20分ほどで溝ノ口。ここで東急田園都市線に乗り換える。
渋谷からの一番電車。都市園の私鉄の場合、時刻表には始発と終電しか記載されてないので、時間の読みようが難しい。
あざみ野までの時刻ははっきりしていたが、その先、新線である横浜地下鉄がわからない。この春に開業した地下鉄の駅は東急の駅に接続、迷うことはなかったが、電車の接続はよくなかった。ちょうど出たあとで、10分ほどの待ち合わせ、しかも、横浜まで30分ほどかかることがわかり、横浜での接続が予定より一本あとにずれることがはっきりしてきた。
横浜市の北部の方は丘陵地であざみ野は地下鉄ではあるが、トンネルの中といった感じで、発車すると地上に出た。高架の部分も多い。沿線は、まだ宅地開発が十分されておらず、今後住宅街が形成されていくことだろう。
横浜で総武横須賀線に乗り換え千葉を目指す。
[千葉急行電鉄]津田沼行の快速から普通に乗り継ぎ千葉に7:52到着。昨年(1992年)四月に開業した千葉急行電鉄は京成電鉄の電車がそのまま乗り入れているのだが、始発駅から乗ろうと考えて、JR 千葉駅そばの京成千葉から一駅先の千葉中央駅まで歩く。
千葉駅付近はモノレールの工事たけなわ。これは千葉みなとの方へ向かう路線だ。千葉そごうも新しい建物ができている。一駅歩いた結果、また一本電車を逃すはめになって、約15分の待ち合わせ。
千葉中央から現在開業している大森台まで4.2km、わずか5分。それで210円と割高。路線は複線分の高架等が伸びているが、現在は単線分だけ線路が敷かれている。
大森台は掘割りに作られた駅。駅前にバス停があって、千葉や蘇我方面にそこそこバスの便があるものの出たあとのようで、予定どおり蘇我まで歩くことにする。40分くらいかかるか、と思ったが、予め調べておいたので、30分かからなかった。当初の予定ではここから京葉線と武蔵野線を経由して両国に向かおうと考えていたが、予定より10分ほど遅れていることもあり、まっすぐ千葉から総武線経由で行くことにする。
[江戸東京博物館・たてもの園]両国国技館の東隣にこの春開館した博物館である。錦糸町で快速から普通に乗り継いで両国に着いたのが午前十時だった。東口に降りたのですこし遠回りになった。十時開館で、チケットを買う列は十数人、もっと売り場を増やせばと思う。(11時半頃にはもっともっと長い列になっており、早めに向かって正解だった)
新しい博物館なのでかなりの人出であった。展示物もゆっくり眺められない。内容はかつてもらったPRパンフと同様の展示室に芝居小屋や朝野新聞の建物が再現され、地図、昔の生活用品等が展示されている。銀座煉瓦街の模型など精巧にできていた。昭和30年代などの品々はなじみもあり、けっこう楽しめる。
一時間あまりできりあげて両国から御茶ノ水に向かう。かつてよく食したいつもの牛丼屋で昼食を取ったあと、中央線で武蔵小金井に向かう。
駅から北へ歩いて20分ほどのところに小金井公園がある。大きな木々も多く残された広い公園だ。この一角に「江戸東京博物館」の分館で野外展示施設の「江戸東京たてもの園」がある。まだ開館したばかりなので移築されている建物は少なく、町並みを構成するほどに至ってないのが残念だが先が楽しみな施設だ。看板建築など都心では少なくなっているだけに貴重だ。さらに建物をもってきただけでなく、内部の状況も昔のまま再現されている。旧式の洗濯機、風呂屋のポスターなど、それなりに楽しい。10年くらいして再訪したいところだ。
[西に向かって]「江戸東京たてもの園」をあとに武蔵小金井に戻り東京行快速に乗る。途中、信号機故障で電車がストップするという事態が発生したが、わずかな遅れですみ、結果的には予定していた電車より一時間早い電車に乗ることができた。
東京から快速「アクティ」で東海道線を西へ、平塚で静岡行を捕まえた。静岡18:44到着。いつも利用する駅前のBHも無難に押さえることができた。
[天竜浜名湖鉄道から佐久間へ]静岡発6:24で出発。天気は曇天。掛川では7分の接続で天竜浜名湖鉄道の新所原行がある。もと国鉄二俣線からの転換路線で転換後乗るのは初めて。
遠州の田園地帯をのんびり走る。乗客はぱらぱら。転換されてから駅がいくつか増えているようだが、駅舎、駅名標などそのまま使っているようだ。約40分で機関庫のある天竜二俣に到着。
天竜市は天竜川とその支流二俣川の谷口に開けた町のようだ。天竜二俣は機関庫がある大きな駅だが町外れにある。といって、隣駅の二俣本町も小さな駅だ。結局、浜松方面に向かうにはバスなど自動車が便利ということになる。
佐久間へ抜けるJRバスまで時間があったので小さな町を歩くと大正時代に建てられた医院(斉藤邸)が残っていた。煉瓦造の蔵なども見られる。
天竜二俣駅9:30発のJR東海バスに乗る。バスはいったん天竜川を渡って西鹿島駅を経由し二俣の町まで戻ってきてから国道152号線を天竜川に沿って北上していく。乗客は西鹿島−二俣間で10人あまりいたものの町を出ると数人。寂しい限りだ。
天竜二俣−中部天竜間には佐久間線が建設予定線としてあり、工事が行われていた。地図でもその道床工事の痕跡が読み取れる。船明ダムでせきとめられてできた船明ダム湖には鉄橋の橋脚だけが空しく並んでいる。こんな区間に鉄道を敷設しても利用者あると考えていたのだろうか。秋葉山や佐久間ダムが観光地とはいえ、それほどメジャではなく、観光客の利用も限られよう。
午前九時頃かぽつぽつ降り出した雨が山間に分け入るにつれて激しくなってきた。天竜川沿いの険しい山並迫る国道を一時間あまり走った西渡でバスを乗り換える。運賃はここまでの運賃を払い、乗り換えたバスでは出発駅からの差額を払うようになっている。
接続したバスもすぐに発車するJRバスならではの乗り継ぎシステムだ。西渡から乗り継いだのはひとりだけだった。雨も小降りなり11時過ぎに中部天竜駅前に到着した。中部天竜駅に向かう鉄橋は佐久間ダム建設で飯田線の路線を付け替える前に使用されていた鉄橋のようだ。
中部天竜駅構内に「佐久間レールパーク」というのがある。JR東海が設けた鉄道車両展示スペースで、土・日と夏休み期間中に公開されている。飯田線で使われていた機関車、旧型国電など十六両が並べられている。ここを見学するには入場券か有効な乗車券でよい。つまり入場料は140円ということになる。展示車両とか展示資料などは貧弱ではあるが、ただ、保有してきた古い車両を一般公開するだけでも価値のある施設といえる。
[帰路]園内の食堂で軽く昼食を取って中部天竜12:26発の電車で豊橋に向かう。お盆のシーズンで二両の電車の中はかなり混雑していた。行き違い列車の遅れなどで途中少し遅れがでたものの、豊橋には定刻に到着、米原行に乗り継いで帰路についた。
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