このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

12階

浅草 12階

明治23年(1890)に出来た凌雲閣は通称を12階と呼ばれ当時東京市中を一望できる最も高い建物であった。高さ67m、10階までは八角形のレンガ造りで、その上の11,12階は木造であった。また、8階まで日本最初の電動式エレベーターも取り付けられた。しかし、故障続出のため2年後には撤去されている。建物の設計者は英国人のW・K・バートンである。初代社長は江崎礼二。浅草のシンボルであった12階は大正12年(1923)の関東大震災で途中の8階から折れ、その後工兵隊により爆破された。
明治44年地形図と現在図(緑線)を合成12階模型

明治44年の地形図
浅草12階は浅草東映の西北約50mの地点にあったといわれ、上段左図ではあかの線で囲まれた部分にあたる。当時と道路の区画は変化しており、わかりにくいので当時の地図と現在図を重ねてみた。12階があった辺りには案内板や碑も無くただの裏通りにすぎないのは少し寂しい限りである。

突き当たりの浅草東映の裏手に12階はあった。
明治44年の地図を見ると凌雲閣の文字の左下に常設国技館の文字がある。明治45年に出来たものであるが国技館として機能した時期は短く大正3年には売却され遊楽館となっている。
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