このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

那覇 辻 2


辻遊郭 「辻の前の毛通り」

 辻遊郭
大通りと思われるので端道 中道 後道のどれかに該当するのであろう。

現在の波の上宮
妓楼名の分かっているものを列挙すると新屋(ミーヤー) 左馬(サマ) 四つ竹(ユチダキ) 渡名喜(トナチ) 雲登竜(ウンドルウ) 海老爺(ハイ・ロウ・ウイ) 助右衛門殿(シケェ・ウェ・エムン・ドウン) 染屋小 薬矢楼などがあった。旧辻遊郭は「チージ」と呼ばれていた。その跡地にある遊興街は住所こそ辻であるが一般的には「ナンミン」で通っている。これは波の上宮を指す言葉であるがこの辺り一帯を表す地域名にもなっている。
復帰後の旧辻遊郭界隈
1975年本部で沖縄海洋博が開かれている頃、私は上之蔵大通りを少し入ったナンミンと呼ばれる所にに住んでいた。戦前辻(チージ)という所があり尾類(ジュリ)がいたのは知っていた。そのナンミンと辻が同じ場所だったと分かったのはだいぶ後になってからだった。当時ナンミンはやや寂れた歓楽街であった。しかし、ステーキ屋の前だけは観光客で賑わっていた。昼間のナンミンは人通りもまばらな場所で、飲み屋は当然シャッターを降ろしており寂しさを増幅させていた。その中でスーパーやレストランだけが昼から営業をしていた。昼間シャッターを降ろしていたサロンやバーの大半は夜になってもシャッターを降ろしたままで昼間と対して変わらない風景であったが何人かの客引きがあちらこちらに立ち始めるとナンミンの夜が始まった事を知るのである。これらの店は本当に潰れてしまった店と表向きは閉鎖しているが裏では営業している店であった。これらの店は怪しげな映像を見せる事を売り物にしていた。また、ホステスも何人か薄暗がりに待機していた。彼女らの収入はお客さんにおごってもらうドリンクが主であった。沖縄でも他にこの様な営業形態をとっている場所は無くナンミンは特異な場所であった。また海岸寄りの一帯には旧辻遊郭の後継者たるお風呂屋さんが建ち並んでいる。

那覇  東町

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