このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

中央大学


江戸切絵図

明治始め

中央大学は1885(明治18)年7月、東京府神田区神田錦町2丁目2番地に、英吉利法律学校として創設された。
校舎は旧旗本蒔田家の屋敷で、818坪の敷地に約300坪の家屋を使用したものだった。
1889年に「東京法学院」、1903年に「東京法学院大学」、1905年に現在の「中央大学」 1926年8月駿河台校舎を完成させ、神田錦町から駿河台へと移転。

1978年4月、文系4学部(法・経済・商・文)は多摩校地へ移転している。



明治末



中央大学発祥地 現電機大学
明治始めの「五千分1東京図」では画面では少々わかりづらいが中央大学跡地は三菱商業学校と記されている。この学校は三菱の岩崎彌太郎により明治11年に設立され、一時期の明治14年に明治義塾と改称したが明治17年に廃校となっている。中央大学創立者である増島六一郎は四千円余でこの跡地を買い取り、校舎を半分に分け、英吉利法律学校と東京英語学校(官立の東京英語学校とは別)の設置願いを出した。東京英語学校はその後、校名を 日本中学校と改称し、戦後、現在の日本学園中学校・高等学校となっている。
左の写真の東京電機大学の位置は神田警察署西隣に相当している。

駿河台校舎跡の碑

現中央大学 八王子市
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