このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

東京歯科大学


東京都港区三田4丁目
碑文から

歯科医学教育発祥之地
 高山紀斎は米国留学で得た理想を基にここ東京芝区伊皿子町七十番地に明治二十三(1890)年一月, わが国最初の歯科医学校として高山歯科医学院を設立した。 この学院には, 後の世界的細菌学者野口英世も教壇に立っている。 その後, 血脇守之助がこれを継承し, 東京歯科医学院, 東京歯科医学専門学校, 東京歯科大学として現在に至っている。 この地に端を発した近代歯科医学教育の精神は高山歯科医学院開設以来百有余年,脈々と今に引き継がれている。
     学校法人 東京歯科大学




 明治末の地図 東京芝区伊皿子町七十番地   goo古地図より
高山 紀齋(1851年~1933年)は明治時代の歯科医で備前岡山藩(現・岡山県岡山市)出身。幼名は彌太郎と言う。岡山藩家老日置家の家臣・高山紀次の長男として生まれた。 1870年上京して慶應義塾に入塾し英学を修めると、1872年にアメリカに渡り歯科医学を学んだ。1878年に帰国した後、東京市京橋区銀座(現・東京都中央区銀座)に高山歯科診療所を開業した。1890年、東京市芝区伊皿子坂上(現・東京都港区三田4丁目)に高山歯科医学院を設立し歯科医学教育の体制作りに尽力した。 
 
発祥碑は古東海道といわれる二本榎木通りと伊皿子坂上の角にあるが旧住所の伊皿子町七十番地は碑の裏手の路地を入った所(地図赤丸)になる

港区 伊皿子坂

 
東京歯科大学 東京都千代田区三崎町
沿革
1890年 - 高山紀齋によって現在の港区高輪(「月の岬」上の伊皿子坂)に日本で最初の歯科医学校である高山歯科医学院創立
1899年 - 高山、血脇守之助に学院の運営を委譲
1900年 - 神田小川町に移転の上、高山歯科医学院を東京歯科医学院に改称
1901年 - 東京歯科医学院の校舎を神田三崎町に移転
1907年 - 東京歯科医学専門学校の設置認可
1920年 - 財団法人化
1929年 - 水道橋校舎新築落成
1946年 - 東京歯科大学(旧制)設置認可
1949年 - 東京歯科大学歯科衛生士学校開校
1952年 - 新制大学となる
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