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大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

筑波大学 ・ お茶の水女子大学



近代教育発祥の地 解説版
東京都文京区湯島1-4-5
解説文から

 江戸時代, 学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部, 昌平黌跡である。 寛政9年(1797) 現在地に学寮, 宿舎が建てられ, 旗本の子弟や 全国から藩士の子弟が 青雲の志を抱いて集まった, 昌平坂学問所である。
 明治維新後, 政府に引継がれ, 昌平学校, 大学校, 東京大学と発展していった。
 明治5年(1872)に文部省が誕生し, 我が国学校教育の原点となった。 明治7年 師範学校が設置され, この地に 後の 東京高等師範学校, 東京女子高等師範学校 が置かれたが, 前者は 明治36年大塚窪町に移転し, 後に東京教育大学(現筑波大学)となり, 後者は 昭和7年大塚に移転し, 後に新制大学として発足の折, この地名を校名に冠し, お茶の水女子大学 と称し現在に至っている。。
  東京都文京区教育委員会 昭和63年3月           

 5千分一東京図 明治始めの地図 神田区駿河台及び本郷区湯島近傍 の一部


筑波大学



東京高等師範学校 大塚窪町
 1872年5月(明治5年4月)、文部省は学制公布とともに近代教育を広く行き渡らせるために小学校教員の養成を目指し、官立の師範学校を昌平坂学問所跡に設置した。後の東京教育大学、現在の筑波大学である。
1903年(明治36年)、東京市小石川区大塚窪町(現・文京区大塚三丁目)に移転
左の地図は大塚窪町に移転した時のもの。この地は筑波に移転後は東京キャンパス文京校舎と教育の森公園になっている。
筑波大学
・1872年7月 (明治5年5月29日)、東京府第四大区五小区宮本町(東京市神田区宮本町、現・千代田区外神田二丁目)の昌平黌(現湯島聖堂)移転跡地に、小学校の授業の方式を授けるという目的で師範学校が創設された。
・1886年(明治19年)4月、官制により高等師範学校に改称
・1902年(明治35年)、広島高等師範学校が設置されるとともに東京高等師範学校に改称
・1903年(明治36年)、東京市小石川区大塚窪町(現・文京区大塚三丁目)に移転
・1949年(昭和24年)新制東京教育大学が開学。文学部・理学部・教育学部・農学部・体育学部の5学部を設置。
東京高等師範学校(高等師範学校、東京文理科大学(旧制文理科大学、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校の4校を包括し、新制大学として開学した。
・1973年(昭和48年)10月筑波大開学
・1978年(昭和53年)3月31日 東京教育大学閉学。

柔道で有名な嘉納 治五郎は1893年(明治26年)より通算25年間ほど東京高等師範学校の校長ならびに東京高等師範学校附属中学校の校長を務めている。

筑波大学 大塚

お茶の水女子大学



東京女子高等師範学校
・1932年(昭和7年)1923年の関東大震災で校舎を焼失したこと、また、東京女子高等師範学校の敷地の一部を間借りしていた東京高等歯科医学校(現在の東京医科歯科大学)が建物の拡張の必要に迫られたことなどから、東京師範学校とともに現在の大塚の地に移転した。
地図では陸軍弾薬倉庫の跡地に移転している。
お茶の水女子大学
・1875年官立の東京女子師範学校が開校した。
・1885年に東京師範学校の女子部となり合併された
・1890年に分離し女子高等師範学校となる。
・1908年、奈良女子高等師範学校(現 奈良女子大学)の設置に伴い東京女子高等師範学校と改称する。

・1949年(昭和24年)5月31日- 国立学校設置法により、お茶の水女子大学(新制大学)となる。

お茶の水女子大学 大塚
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