このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

満願寺一里塚

甲州道中

満願寺一里塚 


満願寺一里塚

改修前
満願寺の一里塚は甲州道中から離れたところにあり、不思議な感じを受けるが当初の甲州道中は府中の四谷あるいは青柳下から多摩川を渡りこの一里塚を経て日野宿に通じていた。一里塚は街道の両側に対になって造られたものであるが満願寺一里塚では南側のみが残されている。北側の塚は昭和43年に取り壊されてしまったという。塚の前を通っていた古い時代の甲州道中もわずか数メートル残されているだけで前後の道は消えている。
以前にも甲州道中の一里塚として紹介したが最近訪れてみたら、すっかり変わってしまい驚いてしまった。塚を覆っていた雑木もすっかり取り払われ作りたての塚になっていた。以前と変わっていたのはその形だけでなく、江戸日本橋より十里とあったものが九里と変更されてしまっている。どうした事であろうか。確かに甲州道中の九番目の一里塚は不明である。単純な間違いであったのであろうか。そうだとすれば長年の疑問もすっきり解決するのであるが。なんとも釈然としない。
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