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酔古ざつがく


  結婚式


結婚式での余興
結婚式でびっくりする事といえば披露宴に参列する人の多さであろう。200とか300,多くなれば500人というのもあるらしい。本土ではせいぜい100人程度のものである。復帰当時は料理も派手な物でなく、折り詰めに缶ビールぐらいのものであった。最近はホテルでする事も多くなり、本土化している。変わっていないのは余興の盛大さとカチャーシーぐらいであろう。
本土の披露宴と違う所は両親が最前列の最上席に座ることである。本土ならば末席と決まっているが考え方の違いである。結婚する当人たちが主催する披露宴と家がお客さんを呼び、花嫁花婿を紹介するタイプの披露宴ではおのずと主賓も変わってしまうのだと思う。
親戚の結婚式のとき、大阪に住んでいるという親戚の民謡歌手が偶然ホテルの会場近くで遭遇した。結婚式の事は知らなかったらしい。即、余興に出ることになり、歌を何曲か歌い、披露宴に花を添えたのであった。本当に沖縄的出会いであったと思ったが、彼は今度だす自主制作のCDの宣伝までし、その自分の曲まで披露していったのである。何か芝居じみた出来事であった。

  離婚

沖縄の離婚率は非常に高い。全国一だという。次が北海道である。北と南で高くなっている。面白い現象だと思う。北海道の離婚率の高さはよく分からないが、沖縄の場合は何となく分かる様な気がする。沖縄の女性は非常に働き者である。平和通りや市場で目立つのは働く女性の姿である。男性が目立つのは夜の飲み屋である。それも働いているのではなくお客さんとしてである。南方系の女性は働き者である、東南アジアなどでも働き者の女性が多いという。そして、ここでも離婚率が非常に高いという。働き者の女性そして遊び好きの男性。こんな所に離婚率の高さが現れているように思うがどうであろうか。もっとも働き者の沖縄女性も本土に長く住むと本土化してぐーたらになってしまう人も中にはいるらしい。
那覇の辻に住んでいる友人がいる。この辺りは飲み屋など飲食店が多い所である。小学校の行事などで男手が必要な時はひっぱりだこだという。男親があまりにも少なく大半が母子だけの家庭だという。女性が働く場として飲み屋の多い沖縄としてはどうしてもそうなってしまうようである。

  長男

本土でも長男は総領の甚六つまり、大事にされすぎてお人好しでおろかだという表現がある。沖縄の長男もご多分にもれず、変わらないようである。いや、沖縄の場合は本土より少し度が過ぎている感じもある。沖縄では長男が大事にされすぎているという声を何度か耳にした。財産を使い果たしてしまった長男やいつまでも働かずぶらぶらしている長男など例をあげるのに枚挙に遑(イトマ)が無いほどである。
親戚親族の結束が強く、それはそれなりに沖縄の美風であると思うが逆境の時であればこそ、それなりに力を発揮するのであるが、豊かな時代になるとそれに甘えて来る輩が出てくる。それに対してはどうも良い方向に作用していない気がするのである。

  旧正月 旧暦

沖縄の正月は旧正月が主流であると聞かされていた。確かに那覇の商店など旧正月で休みになるところが多かった。旧正月などあまり気にしていなかった私など、食料の買い置きを忘れ何日かハンバーガーだけで過ごした事があった。食堂などの食べ物屋さんはすべて閉まっている。自分で作るにしてもスーパーは閉まっている。唯一やっているのはファーストフードの店だけである。仕方なしにそれで当座の飢えをしのぐことになる。
しかし、キビ刈り農家などは旧正月の時期がキビ刈りの農繁期に当たっているところから新正月で済ますことが多いようである。一把ひとからげに考えると良く無いようである。旧暦は月の満ち欠けから生み出された暦のため、潮の満ち干と関連が深い。そのため、ウミンチュウ(海人)のあいだでは特に旧正月が盛んなのであるという。

  お風呂

本土の風呂屋
沖縄の住宅街を歩いていると本土の住宅街とは少し違った風景を見ることができる。どの家でも屋根や屋上に必ずと言っていいほどボール状のタンクが取付られている。これは水事情が悪いため、断水に備えた高架水槽である。私がいた80年代のある年はとりわけひどく一日置きの給水が一年近く続いた。夜間は勿論断水であった。私がいたアパートはその様な設備もなく、バケツ一杯の水を汲み置きするのがせいぜいであった。当然シャーワーをあびるのは一日置きで、断水の日は濡らしたタオルで体を拭くのが関の山であった。洗濯なども前もって考えておかないと給水の日と合わず、洗濯物の山が自然とできあがるのであった。
銭湯も何軒か見かけたがアパートからはかなり離れていた。それでもたまには湯船につかりたい時があり、銭湯に出かけて行った。沖縄の銭湯の湯船は真ん中に付いており、東京の銭湯とは雰囲気が違っていた。そして、番台も内側を向いておらず、外側を向くタイプであった。湯船につかる人も少なく、大半の人は湯をかぶるだけであった。暖かい土地柄のせいか、体を湯に沈めて暖める習慣がないのかと思ってしまう。しかし、慢性的水不足で水を大切に使う為とも思える。
離島を旅行した時に泊まった民宿でも、風呂場に浴槽はあったが、お湯は張られていなかった。蛇口からはお湯が出せたが自分はシャワーだけですませていた。北大東島にいた時はバケツ一杯程度のお湯しか使えなかった。それだけですべてを済ますのである。それに比べたらシャワーなど贅沢なほうである。離島の水事情などあまり気にしない本土の旅行者の中にはお湯をふんだんに使う人が時々はいたようである。

  民謡クラブ

波の上あたりには民謡クラブというものがあった。素人のお客さんが民謡を歌う所ではなく、プロの民謡歌手が出演しているクラブである。素人が歌うのはもっぱらカラオケであった。民謡に特別の興味を持っていた訳ではなかったが、参考のため、連れていってもらった事がある。琉球芝居の役者が民謡を歌い、踊りも踊る。そして、有名な芝居のさわりの部分を見せるという歌、踊り、芝居の入り混じったミニショーであった。場内では女性客が多く、ひいきの役者を自分たちのテーブルに呼び寄せ、お酒を飲んでいた。何となく、ホストクラブの雰囲気も漂わせていた。 

  ジーファー

沖縄女性の髪型であるカンプウにさすかんざしである。スプーンのような形をしており、柄の先端は槍状で鋭くとがっている。女性の危急のときには護身用の武器になったとも伝えられている。
波の上近くの食堂に入る。お客さんは誰もいない。がらーんとした食堂で一人黙々と食事をとる。この間店の女の子は退屈げにレジの前にすわっている。女の子の頭を良く見ると、お団子状に丸められた髪にジーファーのようなものが差されている。沖縄の伝統がまだここにも生きているのだと一人得心する。食事も終わり、女の子にお勘定のサインを送る。彼女は伝票を計算しようと、妙なところからボールペンを取り出した。髪の毛に差されていたジーファーとおぼしきものはボールペンであった。ペンは剣よりつかえるしなのであろうか。 
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