このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

おきなわの鉄路

 沖縄軌道

与那原から泡瀬までの沖縄軌道は最初与那原から小那覇までが人車軌道として1914年11月に開通した。翌年の1915年2月には津覇まで軌道は延ばされ沖縄馬車軌道となった。泡瀬まで開通したのは資料が無いため時期は不明であるが1922年の旧版地図には泡瀬まで記入されている。与那原から泡瀬まで開通し社名は沖縄軌道となった。人車軌道とは人が客車を押して乗客を運んだもの。馬車軌道は鉄道馬車と呼ばれたもの。
下の地図では与那原の停車場の南側に軽便鉄道の与那原線の停車場が記入され、両者の停車場はすぐ近くだった事が見てとれる。
泡瀬付近

国土地理院保有の旧版地図
上図右図 大正12年発行 5万分の1 
地形図 「与那原」の一部を複写

沖縄軌道の軌道跡
JA与那原支所前の道

県鉄 与那原駅
手前の線路は沖縄軌道のもの

鉄道馬車

明治15年(1882)に日本橋〜新橋間に、東京馬車鉄道会社の鉄道馬車が開通した。
鉄道馬車は二頭立ての馬車でレール上の客車を馬が引く乗り物で路面電車の前身をなすものであった。各地方の都市や近郊で発達したが電車やガソリンカーの出現により衰退した。図は新橋付近を描いた鉄道馬車の錦絵である
 

沖縄軌道 ルート図

与那原から泡瀬までのルートはピンクのラインで示している。
ルートはほぼ国道329号線に沿ったものであるが泡瀬の市街地付近では道路は大幅に変わっており、旧道は残っていない。中城公園入口付近の中城村泊、安里間や中城村南側の和宇慶、西原村の中部製糖間では現在の道とルートは違っているが今も残る旧道を通過していた。
停留所名は
泡瀬、殿内前、比屋根、与儀、渡口、和仁屋、熱田、久場、伊舎堂、添石、屋宜、高江洲、当間、安里、奥間、津覇、津覇浜、和宇慶、仲伊保、小那覇、我謝、与原、与那原
グリーンのラインは沖縄県鉄道「与那原線」
 
国土地理院保有の旧版地図
大正12年発行 5万分の1 地形図 「与那原」の一部を複写

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