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神戸便り(12月2日号)
「出会いの1年」
今年も残すとこあとわずかになりました。
みなさんお元気でしょうか。アルベールです。
さきほど退院して、自宅に戻ってきました。
一段落ついて、微妙に退院したという実感がないままこの原稿を書いています。
振り返れば11月20日の深夜に吐血し、体調がかなり悪くなり、
次の日の昼に病院へ行きました。
そのまま入院することになってしまいました。
主治医に約3週間の入院になると言われたときは、ショックでした。
いままで健康であることが当然のように思っていた自分には、
身体的にも精神的にもつらかったです。
たくさんの人からのあたたかいメールなどは、凹んでる僕に元気を与えてくれました。
それからは焦らずにじっくりと今は病気を治そうと思いました。
ほんとに感謝しています。
約2週間の入院生活やったけど、すごく長く感じました。
消化器官を悪くしてたから8日間食べず飲まずやったから、
27日の夕飯の具なし味噌汁の味が、妙に心にしみたり。
11日間点滴をカラカラとひきずりながら過ごしてたから、
点滴がいつも隣にいる“相棒”に感じたり。
胃カメラでけっこう参っていた僕に、
胃カメラやるときのアドバイスをメールしてくれた友人の内容に大笑いしたり。
同じ病室の人が3時間に及ぶ手術前やって、僕にまでめちゃくちゃ緊張感伝わってきたり。
同じ世代の女の子が看護婦として、
頑張って働いている姿を見ていて自分ももっと頑張らなあかんと思ったり。
逃げてばっかりいたら、言い訳ばっか探してたら、いつまでたっても成長できひんし。
隣のおっさんがえらく早起きやったから、不規則な生活だった僕が早朝起きるのに慣れたり。
凹んだ自分の姿を見て、急に声をかけてくれたおっさんの言葉に目頭が熱くなったり。
どうなってんだか。
ほんといろんなことがあった2週間やった。
いろいろ考えた2週間やった。
僕がこの約2週間の入院生活を振り返ってみて、一番感じたこと。
それは、やはり健康であることは幸せなこと。
病気になるのはつらいです。
でも、健康で暮らせるという当たり前のことが、
すごく幸せなことなのだと病気が教えてくれたように思います。
入院中に読んだある雑誌にトム・クルーズのこのようなインタビューがありました。
「ぼくは今、非常に恵まれた立場にいる。
役者として仕事ができることを幸福に思うし、自分が見たいと思う映画をプロデュースすることができる。
でも、こんな状態が当たり前のことだなんて思っていない。
だからこそ、精一杯頑張って、今この瞬間を心から楽しみたいんだ。」
なんかすごいですよね。
当たり前のことを当たり前だと思わない。
これって簡単に見えてすごく難しい。
普段生活していると、自分の周りにある環境やらが当たり前のものだと思い込んでしまう。
入院中、つくづくそう思い知らされました。
それと、僕は寂しがりだということを改めて感じました。
以前、某友人とメールのやりとりをしていて、話の流れのふとしたきっかけから、
僕は寂しがりであるというようなことを送ったら、
僕が寂しがりだということはみんな知っているという趣旨の返事が来た。
ふーん、そうなのか。
みんな知ってるのか。知らんかった。別にいいけど。
だいたい、このフリースタイル日記にしろ、神戸便りにしろ、
メールや絵はがきや電話にしろ何にしろ、
どこかでみんなとのつながりを保っていたいと思ってやっていることなんだろうと思う。
まあ改めて言うまでもなく、明らかに。
ネットを始めるとかなりの時間を使ってしまうのも、その一つの現れ。
そして今こうしてこういうことを書いていることが、
寂しがりであることの一番の証明なのかもしれない。
人は一人じゃ生きられない。
構ってほしい。認めてほしい。
僕というものを。存在というものを。
だからだろうか、求めるのは。そして、求め合うのは。
でも求めることはできても、求められなければ、求め合えなければ、どうなるのか。
余計寂しくなるだけ。辛くなるだけ。心に穴が開くだけ。
分かってはいるけど、それでもどうしようもなく、とめどもなくこみ上げる感情。
この行き場はどこにあるのだ。
どこかにぶちまけるしかないではないか。
じゃあどこにぶちまけるのか。
そもそも本当にぶちまけるしかないのか?わからない。
そもそも求め合うとは何なのだ。気持ちなのか。カラダなのか。存在というものなのか。
そうして話がおかしな方へ動き出し、
考え込みすぎると訳が分からなくなるので、途中で考えることをやめてしまう。
でも考えることをやめてしまうことにも後ろめたさにも似た、でもそれとは違うためらいが残る。
僕も歳をとったもんだ。
最後の入院の夕食後にこんなことを無駄に考えていた。
みんなに、会いたい。
今の素直だと思われる気持ち。
寂しがりな気持ち。
いかん、いかん。
わけわかんことを長々と…。
2003年も残すとこあと1ヶ月を切りました。
この神戸便りも、今年最後になるであろうと思うので、
今年一年を大急ぎで振り返ってみたい。
色々と思い出してみて、今年一年を一言で言い表してみようとすると、
一番ぴったりくるのは、素敵な出会いに恵まれた一年だったということだと思う。
色んなところで色んな出会いがあった。
旅先で土地の人が親切に接してくださったことも、
部活の人と出会えたことも僕にとって本当に素晴らしいものだった。
そして、たくさんのひとに支えられていることを何度も感じました。
人間は決して一人では生きられない。
言い古された、決まり文句ではあるが、
こうして一年を振り返っていると、実感を込めて噛み締めたくなる言葉だ。
今年巡り合えたすべての出会いに。
今年お世話になったすべての人々に。
心から感謝します。
そして、あなたへ。
本当に、ありがとう。
アルベール
例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
残酷に過ぎる時間の中で
きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
桜井和寿
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