このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


水戸偕楽園と黄門様の西山荘(せいざんそう)

2003年3月15日



水戸 偕楽園

梅の見頃、水戸の偕楽園に行ってきました。
偕楽園は、水戸藩徳川斉昭が自ら構想、設計をおこない造園されたもので、
日本三大名園の一つです。

好文亭

偕楽園の中にある斉昭が、特に意匠を凝らしたという御殿。二層三階の建物。

庭や三階の楽寿楼からは、千波湖が陽の光を受けて輝いて見えました。


偕楽園の梅園

偕楽園といえば、梅の名園満開までもう少し吐玉泉
偕楽園の中にある湧水。


西山荘

偕楽園からさらに20kmほど北に、水戸光圀公が隠居していた西山荘(せいざんそう)に向かいました。

突上ご門
光圀公が考案したという質素な門。ここが正門
上から見るとこんな感じ。
使用人が通る通用門の方がりっぱなのだが、私はこっちの方が好き

西山荘
屋根は萱葺きで質素な建物。江戸城で副将軍という幕府最高職にまでついていたが、隠居後73歳で死ぬまでの10年間をここで過ごした。テレビの「水戸黄門」の旅の出発地に出てくる所です。

光圀公お手植えの田んぼ。西山荘に入る手前にあります。


助さんの住居跡
助さんは彰考館の史臣として光圀公に仕え、全国を訪ねて古文書を収集し、『大日本史』の編纂に力を尽くした。
西山荘にも近く、毎日黄門様のところに出仕していたのでしょうか。使っていた井戸の跡もある。





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