このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください







身延山は、今からおよそ700年の昔、日蓮大聖人がその晩年を すごされた霊山です。
建長5年(1253年)4月28日、32歳で房州清澄山上に御開宗を宣言 された日蓮大聖人は、以来鎌倉に伊豆に房州に、さらには死は必定 とまでいわれた3年間の佐渡御流罪など、わたしたち凡人には 想像もできない御難苦心の20年を送られました。
佐渡御流罪より帰られた聖人は、幕府に3度目の諫暁をなされました が受け入れられず、「三度いさめて容れられざれば去る」との 古来の聖賢にならって、甲斐の国波木井郷の領主、南部六郎実長の 招きをいれ、文永11年(1274)6月17日、草深い身延の山に入山され、 南部公心づくしの御草庵に入られました。聖人53歳のこの時を 身延山の開創紀元としています。
南部公は弘安4年には18米四方の大堂を建設し、大聖人は始めて 身延山妙法華院久遠寺と御命名になり、「日蓮が弟子壇那等は この山を本として参るべし、これ即ち霊山の契りなり」と 述べられ、この山はお釈迦様が法を説かれたインドの霊鷲山にも 劣らぬ名山であると称され、こよなく愛されたのです。又、 身延山の四季は素晴らしく、春の桜、秋の紅葉は特に秀でています。

桜紅葉十六羅漢像初詣年中行事

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