このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
加悦鉄道 |
池上線などで活躍していた元サハ3100形です。 いいわけモードですが、写真、ちゃんと撮ったつもりだったのですが、これ一枚しかありませんでした。お恥ずかしい限りです……。 1984年に加悦鉄道の終点にあったSL広場にて撮影したものです。広場にある休憩所として使われていました。こうなると、もう種車もすぐには判別できないほどの改造を受けており、唯一この連結面のみが、「ああ、『東急の電車たち』の本にあった写真通りだ」と、思わせます。 しかし、これじゃ怪しい写真じゃないですか……。一緒にここへ行った福田先輩! このページ見ていらっしゃいますか? ご連絡を!! |
元サハ3100形の改造車イラスト | そんなわけで、少しは解説しようと思います。 元々は大正14年に藤永田造船所制作のモハ100形です。昭和17年の車号変更時にデハ3100となり、昭和30年ころには車体を約17mまで延長、車体更新を受けています。そして1500Vへの昇圧時に電装解除してサハに改造。一部が改造を受けずに地方鉄道へ行きますが、残った9両のサハも昭和45年までに廃車となっています。 |
加悦鉄道へ行ったのは1両のみ。客車としておそらくDLなどに牽引されていたのでしょう。当時の加悦鉄道には沿線に工場があり、通勤時の工員輸送用だったのかもしれません。 昭和45年撮影の写真が掲載されているWebページがありました。『 TOY TRAIN 』リンク許可をいただいたので、ぜひ見てください。 その後用途廃止となり、うちぶれていたところを今で言うトロッコ風に改造、左のイラスト? のように、紅白の幕が下がり、ベンチと机が並び、簡単な休憩がとれるようになっていました。 丁寧な説明版がこの車輌に対しても用意されていて、こんなところで池上線を走っていた車輌と出会うとはと、感動したものでした。 | |
明治6年のイギリス製機関車。ロバート・スティーブンソン社で作られ、官設鉄道である京阪神間開業用として、遠路はるばる搬送されてきたわけです。明治12年頃には横須賀線などで使用、その後明治33年に米子へ転属、その後、簸上鉄道(のちの木次線の一部)に払下げられ、さらに、大正15年の加悦鉄道開業用として譲渡されました。交通博物館にある1号機関車の親戚みたいなもんです。 加悦鉄道でとても大事にされていました。 |
私が加悦鉄道を訪ねたのはこの客車改造のキハ09形がいたからです。運良く営業に入っていて、乗ることもできました。オハフ61改造でしたっけ、重そうな動きで、規格の低い線路をゆらゆらと走っていたのを思い出します。 |
当時のSL広場には色々な気動車、SL、古典客車が展示されていました。地方の場所があまり良くないところなのに、整備も怠らずによくやっていたと感心しました。 |
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