このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

はじめての沖縄


 私は日本各地を出かけてきたが、そういえば沖縄が残っていた。現在沖縄には鉄 道がないことが、私を遠ざけていたような気がする。最近は、以前ほど鉄道に拘ら なくなってきたこともあり、ついに行くことになった。  私が年末年始に沖縄に出かけたいなと思っていると、この話しに乗るという方が 現れ、一緒に行動することになった。ただし、日程が重なるのはごくわずかだが。  沖縄への伊丹発着のANAを利用することにした。岡山発着のJTAの航空券が 購入できなかったからだ。年末年始は往復割引もないので、とにかく高かった。最 終便限定の割引があったが(値段は魅力的だった)、空港から遠い私には使いにくく、 高い料金を払う事にした。  島内の移動にはレンタカーを使う事にした。現地のレンタカー会社は安いらしいと いう話は聞いていたが、今回は大手のレンタカー会社を利用することにした。オリッ クスレンタカーがインターネット割引をしていて、軽自動車も扱っていたので、これ を利用する事にした。利用期間は沖縄入りから合流するまでとした。  宿は、プランの関係で北部2泊と、中南部で1泊、那覇1泊。このうち、那覇1泊 は用意していただいている。北部2泊は名護のホテルを予約した。中南部での1泊は 結局当日の晩電話して、那覇市内のホテルに宿泊した。安宿の情報が掲載された本を 参考にして決めたのだが、名護市内のホテルは大変安かった。なかなか凄いホテルで した。   それでは、この旅の記録を日毎に記してみよう。 2000/12/29   伊丹空港までは、新大阪まで新幹線で行きそこからバスに乗換えた。この日は天気 大変よく、那覇空港着陸直前に飛行機から眺めた海は、南国らしい美しい海であった。 気分は盛り上がる。  那覇空港ターミナルは、とにかく人でいっぱいであった。レンタカー利用者が多い のか、各社の係員が看板を掲げていた。その中から、オリックスレンタカーの看板を 見つけて、営業所まで運んでもらった。  レンタカーの手続きが終わると出発。今日は名護までひたすら走るだけだが、高速 道路のICに着くまでが結構時間がかかった。  高速道路では、軽自動車の私に抜かれる車が続出(途中からは抜く車も増えてきた が)。本州では抜かれっぱなしの90km/h前後なのに。沖縄では安全運転の車が多 いようだ。 日本最南端のS・Aである伊芸S・Aで休憩。ここで沖縄ではチェーンのアイスク リーム「ブルーシールアイスクリーム」を試してみた。食べたのは、ライムとシーク ワサーのダブル。シークワサーは何か分からず食べたのだが、美味しかった。以後シ ークワサーにはまるきっかけとなった。  許田ICからは国道58号で名護市内へ向かった。名護市の人口はそれほど多いわ けではないが、県北部の中心地の風格がある街であった。市役所も沖縄らしい建物で あった。 今晩泊るホテルの場所を探すのに少し時間がかかった。チェックイン後、夕食のた め出かけた。折角なのでソーキそばを食べた。和そばとは違った麺を楽しんだ。   12/30   この日は朝から太陽が見えずガッカリ。でも、行くしかない。この日は沖縄県北部 「やんばる」をレンタカーで行く。途中からは国道58号をひたすら北へ進む。  まず最初に訪れたのは、塩屋湾。国道58号は、二つの橋で塩屋湾をまたいでいる。 湾の北側にある六田原展望所から眺めてみることにしたのだが、そこへ行くまでの道 の急坂なこと。何とか登り終えて眺めてみた。太陽が出ていないので海は死んでいた のは残念だった。それでも、島がポツポツと浮かび橋がかかっている風景は絵になる。 この展望台付近にはホテルもあるようだが、そこへは立ち入れないような感じだった。 ひょっとしたら、営業を止めていたのだろうか。  再び国道58号に戻り北上。天気は悪いとはいえそれでもそこそこには海は綺麗だ った。もし天気が良かったなら、どんなに素晴らしいのだろうと思ったりする。オク マビーチの方にちょっと寄り道してから、今度は沖縄最大の滝比地大滝を目指した。 雨対策ということで雨合羽を着て歩いた。今では遊歩道が整備されているので、亜熱 帯植物の中を歩くハイキングコースとなっている。天気が悪いとはいえパラパラと訪 れていた。落差も30mとそこそこあり見栄えもよいので、違った沖縄を味わいたい 方にはおすすめだ。自動販売機でさんぴん茶というジャスミン系のお茶を購入したが、 私の口に合わなかった。  この後、茅打ちバンタという断崖へ行くが、風雨が激しくなって来てあまりいい印 象がなかった。午前中最後に訪れたのが沖縄最北端の地辺土岬。隆起珊瑚礁によるで こぼこの岩肌と草原が印象に残った。ただ天気が最悪で、強風のため傘を持っていて も意味がない状態だった。写真撮るのにも苦労した。雨合羽を身に付ければ良かった のだが、そうしなかっため大分濡れてしまった。ここのレストハウスで昼食とした。 沖縄の野菜ゴーヤを使ったエスニック料理と昨日覚えたシークワサーのジュースを注 文した。料理の味付けは良かったが、ゴーヤは私には合わなかった。それに対し、シ ークワサージュースは美味い!ますます気にいった。  食後再びドライブ開始。ずっと北上して国道58号は国頭村の奥というところまで である。そこには、一般国道58号モニュメントがあり、ここが沖縄本島内の国道5 8号の起点となっている。ちなみに、この国道58号は鹿児島市が起点で、種子島、 奄美大島を経て沖縄本島のこの地から南下し、那覇市の明治橋に至るのである。  ここを過ぎると国道58号ではなくなったので、道が悪くなるのでは心配したがそ れは杞憂に終わった。東海岸の県道はカーブこそ多いもののセンターラインもある、 立派な道路だった。私の持っているガイドブックには、「やんばる」東海岸にタナガ ーグムイの植物群落という国天然記念物が載っていた。興味はあったが、ガイドには 足元が悪い時は控え置くべきと書いてあったので、今日の天気を考え断念した。  さらに南下し、新川ダムでトイレ休憩して、慶佐次のマングローブを見物すること にした。マングローブは西表島が有名だが、沖縄本島ではここが最大という。内地で は見られない風景、写真を撮ろうとした。ところが、シャッターを押しても写真は撮 れなかった。  辺土岬を過ぎた頃から調子が悪かったが、とうとう本当に撮れなくなってしまった。 多分風のためだろう。旅はまだまだ続くし、何よりここの風景を収める事ができない のは悔しい。ということで、近くにあった共同売店で「写るんです」を購入し、散策 開始。川岸に遊歩道が整備されていて、そこを歩いた。  散策後、峠を越してホテルのある名護へ戻る事になるが、時間が早かったので屋我 地島に渡ってみた。駄目で元々で壊れたカメラで屋我地大橋の写真を撮るためシャッ ターを押してみると、今度は撮る事ができた。さっきまで撮れなかったのは何故だと 思いつつ、でも嬉しかった。  名護に戻ってからは、ヒンプンガジュマルの写真を撮った。これは、名護大通りの 東は市にある巨木で、道路の真中にある。従って、その地点では道が曲がっている。 夕食後、昨日と同じホテルに宿泊した。  12/31  20世紀最後の日も天候は今一つ。こればかりは仕方ない。この日はまず本部半島を巡 ることにした。海に沿った国道449号を運転していると、橋が見えて来た。瀬底大橋と いう橋で、ここで写真を撮った。  さらに車を進めると国営沖縄公園が見えて来た。これは、1975年に開催された国際 海洋博覧会跡地に作られた公園である。今回は中には入らないことにした。この近くには 備瀬のフクギ並木があり、立ち寄ってみた。ここは風が強い所なので防風林としてフクギ という木を家の周りに植えているようだ。  本部半島の北側には今帰仁(なきじん)村がある。沖縄は読みが難しい地名は多いが、 今帰仁はその代表格とも言えるのではと私は思う。当初本部半島は行くつもりでなかった が、昨日道路標識で今帰仁の文字を見て、この地名に興味を持ち訪れることにした。  名所は今帰仁城跡である。首里城などとともに世界遺産に指定されていて、観光客も思 ったよりも多かった。そう思うのは、私が沖縄の歴史を知らないから、その価値がどのよ うなものか分からないというのもある。言える事は、本土の城跡とは少し違った雰囲気が あった。ここは桜の名所でもあるらしく、いつかその時期にも訪れてみたいものだ。  本部半島を一周して、名護に戻って着た。ガソリンが僅かになったので、給油した。私 の地元に比べると安かった。    国道58号を南下してゆくと、ザ・ブセナテラスリゾートがあり、訪れることにした。 天気は悪いとはいえ、ここの海は結構綺麗だった。マリンスポーツを楽しんでいる人もい た。  先端の部瀬名岬の沖には、海中展望塔があり様々な魚を見ることができた。海中展望塔 を出ると、強風の中の雨によりびしょ濡れになった。少し雨宿りしてから、丘の上にある 万国津梁館を訪れた。建物を見ると、何か見たことあるなぁと思った。実は夏に行われた 九州・沖縄サミットの会場だったのだ。中に入ることはできなかったが、少し感動した。  さらに車を南へ走らせて行く。右手には次々といろいろなビーチが現れて行く。恩納海 岸の景勝地「万座毛」で休憩した。「万人が座するに足る毛(野原)」に由来する。よく 言われているように像の鼻のようにも見える所があった。    恩納村の仲泊というところで、国道58号から離れ、東海岸の石川市を目指した。峠を 越すと石川市であった。あまりにあっけなかった。地図を見れば、このあたりは沖縄本島 で最も東西方向の幅が短い所であり、納得。車から見た石川市の印象は、さびれた活気が ない小さな地方都市だった。  具志川市のファーストフードチェーン店で昼食とした。ピザ・カレー・スパゲティーが 食べ放題の店だった。  この後、海中道路に向かった。海中道路とは、与勝半島と平安座島を結ぶ土手を築いて 敷かれた海上道路のことである。道路の両脇は海であり、景色を楽しみながらドライブし た。    平安座島から南の方向にある橋を渡って浜比嘉島へ行った。ちなみにこの橋は1997 年に開通したようで、比較的新しい。ここでは、シルミチュー霊場を見物した。  再び平安座島島に戻り、今度は北の方向、宮城島を経て伊計島へ行った。伊計大橋の写 真を撮るために、少し離れた所にある広い駐車場に停めた。橋まで行き、写真を撮った。 撮り終えた後、駐車場に戻り車に近づくと、パトカーが近づいて来た。おまわりさんに、 この辺りでは車上荒らしが多い、と注意を受けた。この話しを聞くまでは、ここで一晩過 ごそうかとも思っていたが、物騒なのでやめた。  来た道を引き返し、海中道路を経て与勝半島へ戻った。今日はどこに泊まろうかと迷い つつ、南の方向へ車を進めた。  具志川のジャスコで買い物を少しして、車をさらに進めた。この時点で、那覇まで行け ると思った。  那覇市内でホテルに電話を入れ、今日の宿を確保した。途中道を間違えて、波之上臨海 道路を通ったが、泊大橋が高くて恐かった(高所恐怖症なもので)。  ホテルに着いてから、遅い夕食を食べた。店の雰囲気が庶民的な雰囲気の店で、みそ汁 を食べた。みそ汁と言っても本土の人が想像するものとは異なり、具がたっぷりでこれを 食べるだけでも腹を満たすことができる。  店の方に「ゆっくりして行きなよ」と言われ、紅白歌合戦を途中まで(一部が終わるま で)見てから、ホテルに戻った。  ホテルでも少し紅白歌合戦を見てから、眠った。こうして20世紀最後の時は那覇のホ テルで迎えた。
DIARYのページへ戻る
旅のページへ戻る
目次へ戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください