このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2001年9月30日をもって、名古屋鉄道の岐阜県下のローカル線が廃止されました。1ヶ月たってから、あらためて谷汲線と揖斐線末端区間の廃線後の様子を見に行ってきました。このページは、揖斐線の廃止された中之元、清水、本揖斐各駅を訪れた記録です(大部分、2001.11.12撮影)。このページの行程は こちらで(Mapion) 。揖斐線廃止区間は黒野駅から西へほぼ幹線道路の少し南を直線的に走っていました。地図中心点が旧中之元駅、「清水」の下あたりが旧清水駅、そして「三輪」の下のあたりが本揖斐駅跡です。
揖斐線廃止区間は一部代替バスの助けを借り、中之元駅からスタートです。この写真は前回(10月25日)に回った際のもので、中之元駅の少し黒野寄りだったようです(当日は駅を見失い、夕暮れの中ひたすら黒野駅へと歩きました)。見事に直線ですね。
旧中之元駅です。ちょっと見にくくなっていますが、踏切にある「貯金は農協へ」の「農協」の部分だけ削り取られている看板を入れたくて、こんな構図になりました。別に「JA」と上書きされているわけでもなく、「農協」のままでも間違いではないでしょうに。近くの駄菓子屋さんで遅い昼食用にミニドーナツ4ヶ入りを買ったら、1袋30円(税別)。感激し、もう1袋追加しました。おばさんとのやり取りもいいですね。昭和40年代の幼き日を思い出しました。さあ、西へ。
中之元駅から清水駅まで、線路沿いの道なりに歩きました。途中、茶畑があったので、パチリ。北の山肌には茶畑(揖斐茶)をよく見かけましたが、旧揖斐線沿いでは、ここぐらいじゃないでしょうか(全線くまなく見たわけではありませんが)。向こうが中之元・黒野方面です。
中之元駅から徒歩15分で清水(きよみず)駅に着きました。桜でおなじみの駅。春日局ゆかりの地ということで、ハイキングコースも設定されていたようです。この後、また代替バスのお世話になり、本揖斐駅に回りました。
「本揖斐」に到着した揖斐線電車代替バスの黒野駅行に高校生が乗り込むところです。もちろん、本揖斐駅の看板はありません。駅構内は線路の状態も含め、廃止前とほぼ同じでした(立ち入り禁止、ホームの駐輪場も使用不可)「富有柿」の看板が季節感を醸し出します。
おまけ。これは10月25日、長瀬〜谷汲間を歩き、谷汲から名阪近鉄バスで本揖斐に到着した直後(16時40分頃)に撮影した写真です。バス停の左下あたりの女子高校生が見えますか?実は、上の写真を撮影した際も、バスが到着する前、このような地べたのあぐら・立て膝座り姿を初めとして、得も言われぬ光景に圧倒されました。わしらの高校生時代のグレ方は、髪の毛を染める、パーマをかける、鞄はペシャンコ、スカートなら地面に擦りそうなくらい長めに、といった感じだったかな。最近は不良とか優等生といった階級・身分が消えて、大衆化したのかもしれませんね。きっとこれも時代を象徴する画像なのでしょう。
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