このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2001年9月30日をもって、名古屋鉄道の岐阜県下のローカル線が廃止されます。いずれも、木曽三川と称される、木曽・揖斐・長良の各川(支流を含む)のいずれかにほぼ沿って走っていました。私も出身が東海地方なので思い入れも少しあり、混雑覚悟で乗り納めに行きました。このページは、谷汲線の巻です。
9月18日火曜日。谷汲山華厳寺の縁日に合わせ、新岐阜駅前から「谷汲号」が510形の重連で走ることを知り、早起きして大阪からJRでやって来たら、この有様。谷汲号の標識板が黄色地なのをしっかりお見せしたいところですが、ここでは社会現象として全景をどうぞ。
混雑は嫌いですが、この際仕方ない。ラッシュ時の新快速(西日本)にも劣らぬ1時間15分耐久レースを終えて、谷汲駅ホームに吐き出されました。途中、忠節駅から専用軌道を走り始めてすぐ、近ノ島駅で立ち往生するハプニングもありました(「停電」との車内放送)。老骨に鞭打ってのラストランもあとわずか。頑張れ510形。
この電車に折り返し黒野まで乗りましたが、参拝客の皆さんが席取り合戦を終えた後で、またもや立席です。クロスシートでしかも1人掛けもかなりある座席配置なのに、残念。途中、交換駅としてその筋では有名な北野畑駅にて。対向車両も755形の2両編成でした。平日なのに、皆さん仕事よりこちらですね。乗務員さんがこちらのカメラに気づいて位置を変えて下さいましたことにお礼申し上げます。
沿線は稲穂の波で、彼岸花も咲いていました。この画像でも更地(さらぢ)駅のホームの向こう側にちらっと見えます。「此ノ戸 他ノ戸」という名鉄らしいドアスイッチを入れながら。
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