このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

松山2003年夏〜かなり変貌しました〜


  8年間過ごした四国・松山(住んでいる時は、住人としてこのような呼び方が差別的で嫌でしたが、離れてみると、これがピッタリ)。いなくなってからもう7年もたちますが、今後さらに距離的にも心理的にも遠い思い出になりそうなので、今のうちにと日帰りの強行軍で訪れました。いやあ、ほんの2,3年前と比べても、大きく変化しているなあという印象ですが、緑の多いのどかな町という基本線は維持されています。


松山観光港

  夜行のダイヤモンドフェリーで朝7時、松山観光港着(昔は6時着でしたが、フェリー会社の倒産、路線統合で今治にも寄港するようになったんですね)。船を下りてからトラックを気にしながら岸壁を延々と歩いた記憶がさっそく粉砕!空港のように立派なロビーと通路になっていました。あの古ぼけたコンクリートの頃が懐かしい。


衣山駅

  伊予鉄高浜線の衣山(きぬやま)駅を発車した横河原行が高架部分にさしかかります。ここはかつての住居の最寄り駅で、当時は電車がいる地点に地上のホームがありました。電車を利用しなくてものんびりできる雰囲気でした。


ノンステ

  伊予鉄バスも中型ワンステに始まり、中型ノンステ、小型ノンステ(日野オンリーの伊予鉄ですが、リエッセだけは見かけませんでした)、そして行き先表示も液晶化されたものと、新車の嵐です。路線もコミュニティ型が多数新設されていて、びっくり。私がいた頃は市内線10系統のうち、かなりのものが廃止された時期で、これが形を変えて復活した格好でしょうか。石手寺の南にて。


昔の主力

  私のいた頃の中型主力タイプです。いつまでこんなぼろいのなんだよと思ったものですが、四国のバス会社はどこも物持ちがよかったですね。今では各社とも、一掃されていますが。衣山のJR予讃線沿いにある廃車体ですが、数年前に訪れた時とほとんど変わらない形状で保管されています。廃車も物持ちがよい。


豆腐1

  市内電車にも新風が。こちらも私のいた頃は呉や京都のお古も含め、3種類の車両で一切動きがありませんでしたが(旧南海和歌山市内線のが引退した直後だったそうで)、こんな新車が登場していました。VVVF車は伊予鉄初でしょう(平成7年頃に導入された郊外線の新車すら、インバータ方式ではなかったので愕然としましたが−予讃線では平成元年から早々と「うなり電車」が走っていました)。環状線赤十字病院前〜鉄砲町間にて。


豆腐2

  同じく、道後温泉駅にて。2003年8月19日撮影。


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