このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
 
Travel Dialy| about Myanmar
 アイム オリヤーマン イン ミャンマー 

 夫婦でミャンマーに行ってきました。長らくバックパッカーをやっていましたが、インド世界にはまりすぎた
 せいで今更ながら初ミャンマーです。しかし、そのインドでの経験が思わぬ所で役(?)に立ちました。
 少々ボケが寒いかもしれないですが・・・

インドのオリッサ州は偉大である。
「おい!ミャンマー関係のHPとインドに何の関係があんねん、こら!」
と、お思いの方はどうぞご遠慮なく こちら をクリックして下さい。自爆します。
私がここで、あえてこんな事を書かせていただくのは、わずか一週間のミャンマー滞在期間の中で余りにも多くのオリッサとの共通点を見つけ、妻と議論を交わした結果、ある結論に達したので、この場をお借りしてそれを発表したかったからである。どうぞみなさん、広い心で付き合ってやってください。

さて、ご存知の通りミャンマーには強制両替という、大変不条理な、ミャンマー政府にとっては大変都合のいい制度がある。我々は空港で400ドルもの大金をFECなる外国人専用通貨に両替させられた。一週間でこんな大金がつかえる筈がない。
途方に暮れた私達は空港でいきなりハイヤーをチャーターし、1週間貸りきるという、バックパッカーとしてあるまじき暴挙にでた。
運転手はアウン ミンという人物。なかなか、というかかなり親切な奴で、私達のわがままにも文句一つ言わず付き合ってくれた。そして彼の車はかなり旧型のトヨタクラウン。この車でヤンゴンからピヱ、バガン、ポパ山をまわり、再びヤンゴンに戻ってくるという、走行距離約1500Kmの強行突破インパール作戦である(インパールは関係ないけど)。彼は8年前にこの車を購入したらしいがまだ車代の半分しか稼げていないらしい。車代をペイするにはあと8年もかかるのか。恐ろしく気の長い話である。大丈夫なのか?アウン ミン。余計なお世話だが、この車があと8年ももつのか?
そして、後部座席の窓ガラスには「グッドドライバーの章 埼玉県警察本部 交通安全協会」のステッカーが貼ってあった。そうか。お前は埼玉の交通安全協会からグッドドライバーとして認められているのか。そうかそうか。さらにフロントガラスにはご丁寧に日本の車検ステッカーまで残されていた。
しかし私は見逃さなかった。車検が平成6年11月で切れているということを。

さて、ヤンゴンを抜け出し、農村部をひた走る私達が最初に感じた事は、どことなく風景がオリッサに似ているという事だった。果てしなく広がる田園、ターラ、ヘナ、マンゴ、バニヤンの木々など、オリッサの文化とは全然関係ないけどそっくりである。しかし、農村部の家の造りが似ているのは関係なくはないだろう。素材、姿形などそっくりである。
これらミャンマーの風景とオリッサの風景の間で大きく違うのは、インドは左側通行だがミャンマーは右側通行であるという事である。しかし、ミャンマーで走っている車はほとんどが右ハンドルの日本車である。左ハンドルの車のパーセンテージはもしかすると日本の方が高いのではないか?
そこで私は思った。それならいっその事、左側通行に変えてしまえばいいのではないかと。バカじゃないのか?子供でも分かりそうなことである。なにかこだわりがあるのか?頑固なのか?それともただ単に面倒臭いだけなのか?
まあ、それでもやはりオリッサの風景にそっくりではある。初めて来た国という感覚が全然ないではないか。ええい。こうなりゃヤケクソじゃ。ここはオリッサじゃ。ワシはオリッサにいると思う事にするぞ。と、思ったのもつかの間、ピヱの町を過ぎると風景は一変し、田園は消え去りターラの木ばっかりになってしまった。こんなに圧倒的なターラの木々はオリッサでも見た事がない。う〜む。ならばケーララ(インド南西部に位置する州)ならぬターララというのはどうだ。ファイナルアンサーで。
と、いうわけでインドに新しい州が誕生しました。州名はターララ州です。パチパチパチ。
おっと。ここインドじゃなかった。ミャンマーだった。しかしもう遅い。ファイナルアンサーで答えてしまったではないか。せめてライフラインのオーディエンスでも使ってから答えるべきだった。もはや私の中ではここはインドのターララ州なのである。 しかし、考えてみると、ケーララとはバナナの国という意味だと聞いたのだがどう見てもヤシの方が多いではないか?なぜヤシの国ではなくバナナの国なのだ?どなたか分かる方がいらっしゃれば 筆者 までお願いします。

ギャギャギャギャギャギャ〜!!
な、何事じゃ〜!!謀反か?闇討ちか〜?
ええい皆の衆、であえ!であえ〜い!!

前方を見ると、急ブレーキで停止した車の陰から一匹のブタが慌てて飛び出して行った。どうもブタをひきかけたようである。
アウンは一言、
「ポーク」
と言った。 食う気かい!! ポーク(豚肉)はないだろう、ポークは。ピッグと言わんかい。
しかしその数時間後、彼はまたしても、今度は犬をひきかけた。 犬も食う気かい!! と、まあそんな事はどうでもいい事であって、とにかく私達は世界3大仏教遺跡の一つ、バガンの遺跡群にやってきた。
バガンに着いた私達はひとまずアウンお勧めのレストランに連れていってもらい、夕食をとることにした。そこで目にした物はミイェという、タケノコをつかった料理であった。西オリッサと全く同じ料理ではないか(ちなみに東オリッサではタケノコは全く食せず、西オリッサ人を原始人と呼んでばかにするらしい)。このミイェはインド系移民がもたらした料理ではなく、もとからミャンマーにあった、純ミャンマー料理であるらしい(アウン談)。その他の料理も、食材、調理法共にどことなくオリッサ料理に似ている。ミャンマー料理はピーナッツオイルをふんだんに使った煮込み料理が中心なのだが、このピーナッツオイルもオリッサではよく使う。後に、マウントポッパに向かう道中で、ピーナッツ作りマシーン(と、いっても木製の原始的なものだが)を見かけたのだが、これもオリッサと全く同じだった。
しかし、驚きはこれだけでは終らない。ミイェの料理を皮切りに、私達夫婦は次々と衝撃のシーンに出くわすことになる。
我々から勘定を受け取ったレストランの主人は、お釣を手渡す際にオリッサ人特有の礼儀作法を見せた。それは、片方の手を、手渡す方の腕の肘辺りに添えるという礼儀作法である。というか、オリッサでもこんなに丁寧な手渡し方をする人は老人ぐらいしかいない。若者はもはや、よっぽど目上の人か、神に手渡す時ぐらいにしかしないのが現状だ。しかし、この辺までくるともうミャンマーはオリッサの影響を受けていると断定しても差し支えないのではないか?しかし、さらにその翌日、我々はニャウンウーのマーケットでとどめを刺されることになる。
ニャウンウーのマーケットで買い物をしていた私達は、どこかで見た様な柄の布を見つけた。サンバルプーリーイカットである。
今まで色んな国のイカット(絣織り)を見てきたが、ここで売られていた物はオリッサのサンバルプール地方のイカットと柄が全く同じだった。
念の為、店の女主人に、「これはインドから仕入れたものか?」と尋ねたら、答えはノーだった。ミャンマーの特産品らしい。これにはさすがの私達もびびった。
さらに衝撃のシーンは続く。
私達が買い物をしていた店の向かいの店で同じく買い物をしていた韓国人らしき巨乳美女が突然つかつかと私の所へやってきて、
「ワッチュアネーム?」
と尋ねた。
「パ、パードゥン?」
「ユアネーム?」
「へ?マ、マイネーム?」
突然の出来事にあっけに取られていると、巨乳美女は急に顔を赤らめて何事か呟きながら小走りで走り去っていった。横で見ていた妻は呆然とその光景を眺めるのみだった。
何なんだ、一体?訳が分からん。訳が分からんけど妻さえいなければすぐに後を追いかけてきっちりナンパしたのに。くそー。 と、まあここまでざっと、ミャンマーの中で見つけたオリッサとの共通点を書いてきたが、ここで一つの疑問が浮かぶ。ミャンマーがインドの影響を少なからず受けているというのは誰でも知っている事実だが、でもどうして隣国のマニプルやナガ、或いは海を越えてインド文化が入ってきたとしてもどうしてベンガルやタミルではなく、オリッサの影響がここまで強いのか?実はその答えはミャンマー入国直後に見つけていたのだ。
我々がミャンマーの空港を出た直後、ゴールデンランドという言葉を目にした。はっきりした文は覚えていないが、英語でゴールデンランド、ミャンマーにようこそ、みたいな事が書いてあったのだと思う。

ゴールデンランド…。そうか!そうだったのか! 紀元前三世紀頃、オリッサを中心地として繁栄を極めたマガダ国のアショカ王は、仏陀の教えを広める為ビルマ、タイ、カンボジアなどに使者を送ったとある。それらの国はパーリー語(或はサンスクリット、オリヤー語)でスバンナブーミー、つまりゴールデンランドと呼ばれていたことが当時の文献から分かっている。
マガダ国といえばインド史の中でもかなりの強大な仏教王国であった。ミャンマーに与えた影響も絶大なものであっただろうと推測できる。その中心地がオリッサなのだから、ミャンマーの中にいまだにオリッサ文化が残っていたとしてもなんの不思議もない。そういう事だったのか。
ちなみにこの結論を導きだしたのは妻である。そしてその夫はなにを隠そう、この私である。別に深い意味はないが、ファンレターの類は前述のメアドにお願いする。 ミャンマー滞在最終日。空港へ向かうアウンの車の中で私はある言葉を思い出していた。それは昔、インド帰りの飛行機の中で知り合った仏跡巡りツアーのおばさんの言葉だった。おばさんは、「日本の仏様は非常に厳しい目つきで、なにかこう、私達を天上界から見張っているという感じがする。でもインドの仏様や神様は優しい目つきで、すぐ隣にいそうなぐらい人間味溢れる顔をしている」と言っていた。そのとうりだと私も思った。そしてそれは、ここミャンマーで信仰されている上座部仏教にもいえる事だと思った。そういえばインドの人達は神に対してアープ(あなた)ではなく、トゥ(おまえ)という言葉を使っていたっけ。何か悪い事が起こった時、神に対して真剣に怒っている人を見た事もあった。「神よ。おまえはなぜ私を助けてくれないんだ?」と。しかし、それは本当に神が憎いからではなく、むしろ最も親しみのある存在であるからこその言葉だったのだ。 インドとゴールデンランド。神々が微笑む原色の国。人々の溢れるパワー、降り注ぐ太陽光線。 強烈なバイブレーション。 日本から近いようでまだまだ遠い国。

私の心の中で今、新たな関係が始まろうとしている(意味不明)。


これがピーナッツオイル作りマシーン。
牛が引き回す。

ターラの木々。
実から採れる天然酒がうまい!

written by う〜やん

 

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