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臨時0系ひかり 「ひかり313号」乗車記(99年7月)
在りし日の0系Yk編成(写真はYk29編成) 小田原にて
1964(昭和39)年10月1日の、東海道新幹線開業とともに営業運転を開始し、長い間親しまれてきた「0系車両」でしたが、1999(平成11)年9月18日を以って、東海道新幹線(東京〜新大阪間)での営業運転からは引退する事となリ、それを前にしてJR東海では、「さよなら0系」のイベントの一環として、0系で運転の臨時「ひかり」号を下り1本(後に上下1本ずつ運転が追加されましたが)運転することとなりました。
私はその臨時0系「ひかり313号」に乗車しましたので、その時の乗車記を記してみました。
▲当日の指定席券 ▲当日、すべての乗客に配られた記念乗車証
(同行の(い)氏の苦労のたまものでした)
●1999(平成11)年7月31日 「ひかり313号」 (列車番号・9313A 使用編成・0系Yk41編成 幹オサ)
東京11:07入線/11:28発→名古屋13:21着/23発→京都14:06着/07発→新大阪14:23着
(16番線) (17番線) (13番線) (22番線)
当日は、上記のダイヤで運転されました。
11時7分、カメラを構えた鉄道ファンが大勢待ち構える中、東京駅16番ホームに、この日「ひかり313号」として運転される0系が入って来ました。
私も写真を撮りましたが、結果は・・・。
同行の(い)氏と共に、指定された11号車に荷物を置き、ホームから編成全体の様子を散策(+写真撮影)します。
▲当日の東京駅16番線の様子▲
やはり人が集まっていました・・・
上記の写真の通り、ファンや家族連れが結構見に来てました。(もちろん「乗客」もいたでしょうが)
なお、普段は見られない、「2号車」の「指定席」という表示も見ることができました。
▼この時の列車の方向幕
指定された11号車へ戻ると、車内は満席・・・と言いたいところですが、「ほぼ」満席で、少しばかりの空席が見受けられました。
デッキには、JR東海の腕章をしてスーツを着た、係員らしき人が数人立っていました。
定刻の11時28分、「ひかり313号」は静かに東京駅16番ホームから発車しました。
しばらくしてから、お決まりのチャイムが流れ、車掌氏によるアナウンスがはじまりました。
「皆様大変お待たせをいたしました。今日もJR東海新幹線をご利用くださいましてありがとうございます。 この電車は全車指定の0系臨時ひかり313号、新大阪行きです・・・」
臨時の「0系ひかり」である事を「さりげなく」触れていました。停車駅や車内の案内などを済ませたあと、次のようなアナウンスがなされました。
「この電車は、昭和39年10月1日の、東海道新幹線開業時から35年間活躍している、新幹線0系車両で運転する臨時「ひかり」号でございます。新幹線0系車両は、開業時は、最高時速は210km/h、東京〜新大阪を4時間で結んでおりましたが、本日は最高時速220km/h、2時間55分で運転をいたします。なお現在、新幹線0系車両は、定期列車では「こだま」号でのみ、上下各2往復運転しており、「ひかり」号では運転されておりません。また現在運転中の0系「こだま」号も、この9月18日を以って東海道新幹線から引退する予定となっております・・・。」
この後、記念乗車証の配布、記念オレンジカード販売、0系部品通信販売の案内が続き、
「0系ひかり号の旅を、どうぞお楽しみくださいますよう、お願いをいたします。また、東京〜新大阪間で、2時間55分で参りますが、車内ではお怪我の無いようお過ごしくださいますようお願いをいたします。」
で、アナウンスが締められました。さすが臨時の「イベント列車(?)」ですね。
そうこうしているうち、列車は多摩川を渡り、新横浜を通過していました。
車掌氏による検札のあと、先ほどデッキに立っていた係員が「記念乗車証」を配り始めました。
その後今度は、普段は0系には乗務しない「パッセンジャーズサービス」(SPS)の係員が、「寡黙な証人」と題した、0系部品の通信販売のパンフレットを配りました。その中には、方向幕(車体横の「ひかり 新大阪」などを表示する幕)そのもの、というのもありました。(これは値段がかなりのもので・・・)
関東地区での新幹線撮影の「名所」(?)、小田原を通過する際に上りホームを見ると・・・大勢のファンがカメラをこちらへと向けていました。
更に車内では、車掌氏が記念オレンジカードの販売にやって来ました。これはほとんどの人が購入していた様で、車掌氏の進むスピードは遅かったです。
私ですか?もちろんご多分に漏れず、1セット(1000円カードが2枚の2000円)を購入しました。
この車内で、(い)氏も言っていましたが、「まだ走りっぷりは問題ないじゃない?」と思わせるほど、快調な走りを続けながら、列車は夏真っ盛りの静岡県内を走ります。
この日は富士山がよく見えていました。と言う事は、沿線に・・・と思い、富士川の河原を見ると・・・いました、カメラを構えた人が。
「富士川鉄橋を走る0系と富士山」、日本の代表的風景でもあったりしますからね。
今度は、SPSの販売員によるワゴン販売がやって来ました。ワゴンに積んでいるのは、どうやら新幹線グッズの様です。
SPSの販売員は、通常は0系には乗務しないので、何やら手書きの「編成の案内」のコピーを持ちながらの販売でした。
また、乗客が1箇所に固まってワゴンの品を見ていたので、ワゴンがなかなか進んでいませんでした。
(販売員さんは「後でそちらにも伺いますので・・・」と言っていたのにもかかわらず)
途中駅でもカメラの放列を目撃しながら、最初の停車駅(と言っても、あとは京都しかありませんが)である、名古屋に着きます。
「ここは私の地元なので、ひとまずホームに降りなければ!」という変な義務感で列車から降りてみますが、やはり人が多かったでしたね。
▲名古屋駅ホームの様子
再び車内へ戻り、0系ひかりの旅を続けます。濃尾平野を過ぎ、冬は降雪でネックとなる関ヶ原付近を通過すると、「こんな山の中に?」というところにまで、カメラを構えた人がいました。
14時06分、京都に到着。驚いたのは、ここから乗ってきた人がいたことでした。
普段でしたら、京都〜新大阪は、JR西日本が力を入れる「新快速」が走っているので、新幹線で移動する人はほとんどいないのでしょうけど。
京都を出てすぐ、進行方向左側に五重塔を見て、いよいよ新大阪まで1区間となり、ラストスパートをかけます。
途中で阪急電車と競争(?)しますが、やはりこちらは新幹線。まもなく抜き去って行きました。
100系や300系の中に、山陽区間用の0系が休む車両基地の横を通過すると、終着新大阪は間近です。
車掌氏の、通常の新大阪到着のアナウンスがあって、東京から2時間55分、定刻通り新大阪駅22番線に到着し、「ひかり313号」の旅は幕を閉じました。
列車はファンが見送る中、大阪の車両基地へと回送されて行きました。
▲新大阪に到着 ▲回送される0系
その傍らでは、山陽新幹線の0系「ウェストひかり」や「こだま」が何事も無く出入りしていました。
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