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97年夏 九州・四国の旅(97年8月)

1.ムーンライト九州

京都〜博多間を結ぶ、多客期になると運転される臨時の夜行快速で、九州・四国旅行の第1日目の宿として利用しました。
運転最終日にもかかわらず、指定席車内の荷物置き場が「開放式簡易個室寝台」になるほどの盛況でした。
車掌氏が「明日のあさ(朝)あさ(厚狭)から停まります」と車内放送を流したとき、前の「個室寝台」にいた2人連れの若い女性が、何か不思議そうに声を上げていました。確かにこの時期、この列車に乗っていると、厚狭の付近で朝を迎えるような感じですので。

列車は夜の山陽路をひたはしり、下関で機関車の付け替えのため、12分間停車。その間、ホーム上は「鉄ちゃん」らしい人たちが、機関車の付け替えを写真に撮ったり、気分転換をしている人たちで賑わっていました。
この後、関門トンネルをくぐってめでたく(?)九州に上陸。のどかな田園風景の中を進み、7時28分、終着、博多駅に着きました。

2.福岡市

約3時間ほどの時間があったので、博多駅を起点に海の中道から博多湾を渡る「市営渡船」に乗って、博多湾をぐるっと一周するコースをたどりました。「海の中道線」はまさに砂浜の真っ只中を走るような感じでした。
「市営渡船」のスピードは意外と速く(高速船?)、デッキで風に吹かれながら、海の上から、対岸の福岡ドームや福岡タワーなどが集まったベイエリアの風景を楽しみました。

この後、福岡に住んでいる、小学校時代の同級生に電話を掛けていたら、長電話ををし過ぎて博多からの列車に危うく乗り遅れるところでした。
(走って発車1分前に乗り込むことができました。)

3.長崎市

博多から普通列車を乗り継いで約4時間あまり、九州の西にあるこの街に着いたのは午後も3時を10分以上経った頃でした。行き止まり式のホームが、いかにも「終着駅」を誇示しているようでした。早々に今晩の宿を見つけ、1乗車なんと100円の路面電車(しかも市営ではなく、長崎電気軌道という私鉄が経営しています)に乗って宿に向かい、2時間近く休憩した後、長崎名物ちゃんぽんでも食べに行こうと、徒歩10分位の所にある、新地中華街へ向かいました。規模は横浜の中華街よりもかなり小さく、10分もあれば一周できました。その中の一軒で、焼飯と共にちゃんぽんを注文しました。
具がたっぷりで、お腹がいっぱいになりました。

店を出てちょっと散策した後、歩いている途中で、あるビルの前で人が集まっていました。何かと思って見ると、そこは「長崎国際テレビ」(NTV系)の局舎で、ちょうどそのころ、「24時間テレビ」のエンディングで、中ではおそろいの黄色いTシャツを来た人たちが、例のエンディング曲を合唱していました。
誰かアイドルが来ているらしく、追っかけの女の子らしい人がキャーキャー騒いでいました。

その後、夜景の名所である稲佐山へ向かいました。
山へ登るロープウェイのガイドのお姉さんが、浴衣を着ていたのが印象的でした。
夜景はものすごくきれいで、わざわざ来る価値はあったと思いました。

翌日は出島の跡や、大浦天主堂、めがね橋などを見て、昼の1時過ぎに長崎を後にしました。

 

4.島原半島〜島原市〜熊本市

諫早からは、島原鉄道で島原市へ向かいました。

沿線はここ数年、全国的に雲仙・普賢岳の噴火や、諫早湾の干拓などで、話題になった地域です。その中を、2両のディーゼルカーはのんびりと走って行きます。干拓による広大な田、おだやかな有明海・・・。車窓は変化に富んで、飽きる事はありませんでした。

1時間余りで島原に到着。島原城のバックに、あの普賢岳がそびえたっていました。
「鯉の泳ぐまち」などを散策し、島原外港へ向かいましたが、フェリー乗り場で時刻表を見ると、時刻の変更があったらしく、乗る予定だった三角(みすみ・熊本県)行きのフェリーは5分程前に最終便が出港したらしく、JR三角線経由で熊本へ入る計画はパーになってしまいました。
幸い、熊本港行きの便が40分後にあったので、熊本へ渡る事はできそうですが、この日の分の18きっぷが、長崎〜諫早間450円で終わってしまったので、大損をこきました。
まあ、5日間トータルで考えると、十分もとを取っているのでいいのですが。

快適な1時間のフェリーの旅を終え、熊本港に上陸。バスで市街地へ向かったのですが、ものすごく遠く、普通に走って30分以上かかりました。この日は宿に直行しました。

 

5.別府から四国へ

翌日は、熊本から豊肥線で途中、立野の3段スイッチバックを体験しながら、阿蘇へ。ここからは、九州産交のバスで阿蘇山を登ります。
草原に放牧されていた牛には、直に何やら数字が書き込まれていました。バスのテープ案内によると、持ち主の名前か何からしいでした。
草千里ヶ浜を過ぎ、途中でロープウェイに乗り換えて、阿蘇山の火口へ到着です。そこでは・・・

「ガス注意報」

なるものが発令されていました。(By 阿蘇火山防災会議推進協議会)
火口から、火山ガスの香ばしい(!?)香りが、風に乗って来て、思わず咳き込んでしまいます。
その中を、ヘルメットを被った、どこかの研究所らしき人たちが、火口へ向かって斜面を降りて行ってました。仕事とはいえ大変ですね。

次に、一度は行ってみたいと思っていた、草千里ヶ浜へ向かいました。
ロープウェイ乗り場から、歩いて3〜40分位でしょうか。途中、放牧中の牛が後に付いてきたので、通り掛かりの車の人が、「おたくの牛?」などと聞いてきました。(そんな訳ないだろ!)

着いてみると、所々に何かが・・・牛の糞だけでなく、タバコの空き箱や、菓子袋などのゴミが散らかっていました。
観光地くらい、こういう事はあって欲しくありません。

再び山をおりて、阿蘇駅へ戻ったのでした。

 

6.別府から四国へ

豊肥線〜日豊線を乗り継いで、大分県は別府に到着です。
この日の夜は、別府からフェリーに乗って移動するので、夕食と入浴を兼ねて立ち寄ったものでした。
駅前で、「だんご汁定食」を食べ、そこから至近距離にあった、町内会が管理しているという「駅前高等温泉」で「高等」でないほうの、入浴料100円のこじんまりとした方の温泉に浸かってから、バスで別府観光港へ向かったのですが、降りるバス停を間違えてしまい、15分位余分に歩いてしまいました。
ターミナルで約2時間近く待ち、愛媛県・八幡浜行きのフェリー(宇和島運輸)に乗船しましたが、船室を見渡した限り、1つのます席(カーペット敷き)に1人、多くて2人しかいませんでした。おかげでゆったりと横になれ、ぐっすりと眠れることができました。

船内で休憩をされている方は、下船の準備をお願いいたします。」との船内放送で目が覚めました。
時間は午前5時前。このフェリーは、八幡浜にはすでに午前3時前には到着していて、午前5時まで、船内での休憩が可能だったため、この時間まで寝ていられたのでした。船室には、人はもういませんでした。

船から出て、歩いて八幡浜駅へ向かって歩いたまではよかったのですが、いつまでたっても、地方都市の駅前にだいたいある、商店街が全く現れず、だいぶ歩いて道を間違えた事に気づき、25分のところを50分近くかかってしまいました。

7.八幡浜〜高知

5時59分発の、たった1両編成の宇和島行きに乗車。途中で200m先が見えないと思ったら、晴れているところがあったりと、急激な天候の変化の中を過ぎ、宇和島に到着。乗り換え時間の間、朝食のパンを購入したりしました。
窪川行きの、これまた1両編成のワンマンカー、しかも旅人には迷惑な横長のシートの列車に乗り込みます。
仕方なく、この迷惑な横長シートで、車内がある程度空いたところで朝食をとりました。シートがシートだけに、車窓を見るにも首が疲れます。
途中、四万十川に沿って走りましたが、車内から見た限りでは、思ったほどきれいには見えませんでした。

窪川から須崎の間は、普通列車が2時間以上ないので、仕方なく特急を利用しました。さすがにスピードは速く、「振り子式気動車」なのでよく揺れます。車内は混んでいました。

須崎から再び普通列車に乗り換えましたが、またあの横長シートの車両です。これにはもういい加減に飽きました。旅人は車窓が見たいのです。非日常を求めて旅に出ているのに、首都圏の通勤電車と、まるで同じです。これでJR四国にはあまりいい印象を持たなくなりました。「四国内は車で旅をしましょう」、なんてね。
ともかく退屈な時間を過ごし、12時過ぎに高知に着きました。

8.高知市

やってきました土佐は高知。昼食(なぜか喜多方ラーメンの麺に、とんこつスープのラーメン)を済ませ、案内所でパンフレットをもらい、荷物を預け、南国の雰囲気たっぷりの駅前から、冷房のない路面電車で、中心地のはりまや橋へ向かいました。運賃は180円でした。

ここからは、バスに乗って高知県の景勝地、桂浜へ向かいましたが、ものすごい裏道を通ったりして、約30分以上もかかりました。
到着後、早速海岸に出ましたが、海の色が、エメラルドグリーンというか何というか、ものすごくきれいでした。ただ、波が荒いので海水浴場には向かないようですが。ここでしばらく海に見入っていました。

坂本龍馬の銅像などを見たりして、しばらく周辺を散策しました。そういえば、「土佐闘犬センター」の呼びこみが、変わった節で繰り返していたのが印象に残りました。入場料が高そうだったので(このときの所持金が1万円ちょっと)入りませんでしたが、桂浜を訪ねた際は、行ってみてはどうでしょうか。

再び市内へ戻り、川のない橋、はりまや橋を見て、路面電車を乗り回したり、写真を撮ったり、夕食に、かつおのたたき定食を食べたりした後、ビジネスホテルの1階部分にあるという珍しい銭湯で汗を流し、「地方の夜は早い!」と思いながら高知駅へ向かいました。

9.ムーンライト高知

初日に乗車した「ムーンライト九州」と同じく、高知〜京都間を、多客期になると運転される夜行快速で、こちらは全車指定席なので、人であふれ返るということはありません。
午後11時4分、高知駅出発。「南国土佐を後にして」ということになりますか。車内で、「四国丸飲み生」という缶ビールを飲み、真っ暗で何も見えない外の景色を見ながら(何のためにって・・・)ほろ酔い気分になり、瀬戸大橋を渡り始めた辺りで眠ってしまいました。

翌朝目が覚めると、列車は神戸の須磨海岸の辺りを走っていました。
大阪を過ぎて、「今日もいい天気だ!」なんて思いながら、6時26分、列車は新しい駅ビルのオープンを間近に控えた京都駅に着いたのでした。

10.北陸から上越、そして帰宅の途へ

京都からは、琵琶湖の西岸を走る湖西線を通り、北陸線へ抜けましたが、この辺りは普通列車よりも特急列車の本数の方が多いので、何回か通過待ちで数分待たされたりしました。景色が単調なので、まぶたが重くなってきます。こういう時は、一人旅よりも、誰かが一緒にいた方がいいですね。
昼食は金沢駅の立ち食いそばで、つゆは関西風の薄味でした。

富山では、約10分の乗り継ぎ時間の間に、好きな駅弁の五本の指にはいる、「ますのすし」を買い込み、再び列車に乗ります。
親不知の海岸を過ぎ、筒石のながーいトンネルを抜けて、新潟県は直江津に到着。ここからはJR東日本のエリアに入ります。
これで今回の旅行において、JR北海道以外のJR線に乗車した事になります。(出発はJR東海・御殿場線の松田駅)

2駅行った犀潟で、今年の3月に開業したばかりの北越急行(ほくほく線)に乗り換えます。ワンマンの列車(レールバスではありません)は最新の車両で、某関東私鉄の車両よりもよっぽどいい車両だと思いました。

 

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