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名鉄ローカル線紀行(99年5月)

1日目:5月1日、晴れ。絶好のお出かけ日和である・・・

予定では、7時30分頃に出発するつもりだったのでしたが、同行のFuboo氏(千葉県在住・以下F氏)とともに寝坊をしたため、約1時間遅れての出発となってしまいました。
この日は、主に岐阜県内の路線をまわりました。

1.やはり「鉄道好き」?

名古屋市の東郊にある実家を出て、バスと地下鉄を乗り継ぎ、向かった先は小牧線の始発駅、上飯田(名古屋市北区)。
この駅があるのは、1・2階に、名鉄系のスーパー「名鉄パレ 上飯田店」、3階以上が公団住宅のある、結構古そうな建物で、数年後に開通が予定されている「上飯田連絡線」(地下鉄7号線と乗り入れ)が完成すると、この建物の2階部分にあるホームが、そばの県道下の地下線に移るので、この姿も、あと数年となります。
こじんまりとした窓口で、「2DAYフリーきっぷ」を購入。このきっぷは、名鉄全線(含む、モンキーパークモノレール線)が2日間乗り放題で、料金は3,800円となっています。
自動改札化されていない(先程触れた事情=地下化=があるので、自動改札化はしないのでしょう)改札を通り、ホームへ。
しばらく待った後、犬山方面から、2両編成の「5300系」が到着。この車両は、運転室の後ろに、「展望席」があるので、そこに席を取ります。
すぐ上には、デジタル式のスピードメーターまで付いています。ぷらっと旅(単に、「鉄ちゃん」なだけかも?)派にはもってこいの席であると思います。

上飯田を出てすぐ、矢田川を渡り、守山区へ入るのですが、小牧線はただ通るだけで、駅がありません。
住宅地が続いているのだから、駅を造ってもいいのではないかと思いますが・・・。
そのまま列車は、庄内川を渡り、再び北区へ。古くからの住宅地が続きます。
この近辺は、先程の「上飯田連絡線」関連の工事が行われているので、工事区間が多いです。
高架に上がり、その高架下を、国道302号線がくぐり、上を、東海交通事業・城北線(全線高架複線の立派な施設ですが、単行のディーゼルカーのみしか走らない)と、東名阪(ひがしめいはん)自動車道が乗り越し、春日井市内に入った駅が「味美」。「あじよし」と読むのですが、地元以外の人には、難読なのではないのでしょうか。
この辺りは、名古屋空港に近く、飛行機の着陸コースになっているので、かなり低い上空を、飛行機が飛んで行きます。
車窓はだんだん郊外の様相を呈し、畑や田がちらほら見られるようになってきました。小牧線沿線は、終点・上飯田駅の位置が、他の鉄道とは接続していない、中途半端な場所なので、名古屋市内からわずかな距離でも、まだこのような光景が見られるのですが、先程の「上飯田連絡線」開通で宅地化が進むのではないのでしょうか。

地下に入って、小牧に到着。
ここは、私の実家のある町と同じく、1584年に起こった「小牧・長久手の合戦」の舞台になった街で、小牧山などの史跡があるのですが、何せここは地下。そのようなものを望むべくもありません。
ここから先は完全な単線になって、風景も水田が多くなります。

2.名鉄「電車」のディーゼルカー?とパノラマカーで

犬山に着き、すぐ接続していた、広見線御嵩行きの普通に乗車。今度の電車は、新型の「3700系」でした。
数年前まで、「動く車両博物館」の様相を呈していた名鉄も、最近は新車の導入が進んでいるようです。
犬山市側の水田地帯をのーんびりと進み、愛知・岐阜の県境であるトンネルを超え、可児市側へ進んでしばらくすると、風景が一変します。
ここ可児市は、近年名古屋市のベッドタウン化が進み、沿線にも新しい住宅がぼつぽつと目立ちます。
新可児では、行き止まり式の配線なので、進行方向が逆となります。
御嵩に到着。ホームには折り返し列車を待つ、高校生の大群が・・・。
駅前に出て、駅舎の写真を一枚撮ります。小休止の後、先程の高校生の集団が乗り込んだ列車に乗車。
明智で八百津線に乗り換えます。

八百津線は、元々は電車が走っていたのですが、運行のコスト削減化か何かで、ディーゼル化された路線です。だから厳密には、地元で親しまれている「名鉄電車」という名称は、ここでは当てはまらないのでありますが・・・。
(他に、三河線の末端区間も、電車運行→ディーゼル化された)

列車は、車窓に木曽川のダムなどを見ながら、のどかな雰囲気の中を進みます。

再び、八百津→御嵩→犬山と戻り、今度は新岐阜方面へと向かいます。待っていて来た電車は、運転席が2階部分に上がって、先頭が展望席になっている「パノラマカー」7500系の急行。
木曽川に掛かる、道路と鉄道の併用橋(2000年には道路橋が完成し、各々専用化になります)である「犬山橋」を渡り、岐阜県側へ。渡ってすぐの新鵜沼では、この数日後のダイヤ改正で特急からの引退が決まっている、白帯の入ったパノラマカーが停車していました。
列車は、各務原(かかみがはら)線を快調に飛ばします。

3.名鉄の「動く鉄道博物館」へ・・・

新岐阜に着き、昼食を買い込んでから、市内線〜揖斐線の電車に乗り換えます。2両編成の小さな車体には、帰宅の高校生など、乗客が結構乗っています。
岐阜市街地の、市内線路面区間を過ぎて、忠節から揖斐線に入ると、車窓は郊外の様相に。
黒野では、本揖斐行きの単行(ワンマンカー)に乗り換え。これが時代がかった車両で、名鉄関係の本を見ると、どうも製造が昭和初期とのこと。となると、車齢は約70年!当然、昔ながらの「釣り掛けモーター」の車両です。
電車は田圃が広がる田園風景の中を、5月の風を受け、気持ちよく走ります。

そうこうしている内に、本揖斐に到着。駅舎の写真を撮って、しばらく駅前で休憩。
再び列車で黒野へ。今度は谷汲線に乗り換えですが、止まっていたのは、揖斐線で乗ったのと同じ形式の車両でした。
こちらの路線は先程の揖斐線とは違って、山中へ行くような感じです。列車は、揖斐川に沿って走ります。
途中、カメラを構えたファンの姿が目に付きます。廃線が噂されている為なのですが、それにしても思ったより多かったですね・・・。
揖斐川の対岸には、第3セクター・樽見鉄道の線路が見えます。

約分で終点の谷汲に到着。ここはなんでも、谷汲山華厳寺の門前町らしい。
駅は建て替えられたらしく、結構新しいものでした。その他、同じ建物には、「昆虫博物館」がありましたが、その日は開いていたの・・・かな?

4.ものすごい音がして・・・

このあと、F氏と、列車の写真を撮ろうということになって、駅から少し南下した踏切の近くにポイントを決め、列車の通過を待っていた時の事でした。
お互い、踏切を挟んでカメラを構えて、更に私は、貴重な踏切警報音(我ながら・・・マニアックですね〜)を録音しようと、カセットレコーダーをセットして待っていると・・・

「ブッブ〜!・・・ガラガラ・・・ガッシャ〜ン!!」 

と、線路と並行して走る県道の方から、ものすごい音がしてきました。
まず、「何事か?」と、F氏がそちらへ走っていきました。と、そのうち・・・

「キャア〜!!・・・」

女性の叫び声が聞こえてきました。
「これはただ事ではない!」そう感じ、私も走っていきました。
そこで見たものは・・・県道を走っていた大型トラックと、わき道から県道に入ろうとした、乗用車との衝突事故でした。
トラックの荷台の下に、乗用車の先頭がもぐり込むような感じでした。

警察官が到着するまでの数十分間、F氏と2人で交通整理をしていました。(腕が疲れましたが)

この後谷汲駅へ戻り、駅のホームのベンチで遅い(午後2時台)昼食をとりました。

5.夕暮れの濃尾平野へ

来た経路を新岐阜まで戻り、特急「パノラマスーパー」(の一般席車・・・)に乗り込みます。
車端部の扉の上にある、LED表示板に現れたスピードメーターに、同行のF氏は感動(?)のご様子。
木曽川を渡り、愛知県に入るとスピードは120km/hの数字を示す様に飛ばします。

新一宮で今度は尾西線の2両編成の電車に乗り換えます。
ちょうど帰宅の時間帯だったので、車内は程ほどに乗っていました。

窓の外は、だんだんと暮れていき、大雑把な物しか見えなくなってきます。

交換待ちをした(この線は「単線」です)とある駅に着くと、F氏がデジカメを取り出して、熱心に何かを撮っています。
聞くところによると、彼の家の本家がこの辺にあって、遠い親戚筋が住んでいるとの由。
帰ったら家の人に、駅の風景などを見せるとの事でした。

すでに真っ暗になった頃、津島で下車。「どうせだから」ということで、この先更に弥富まで行くことにしました。
F氏は疲れてきたのか、ウトウトしはじめたようです。
列車は「地上で日本一低い駅」、弥富に到着。しばらくホームでくつろいだ後、同じ列車で折り返して、新名古屋へと向かいました。
(弥富から名鉄で名古屋へ・・・やはり「鉄」ですね。)

この後、名駅そばのデパートにある飲食店で、「みそかつ」を食べて、地下鉄で実家へと戻りました。

6.まずは三河「山線」へ

2日目:5月2日、この日も晴れて暖かい・・・

この日は、主に愛知県三河地区の路線を回るため、名鉄バスで豊田線・日進駅へと出ます。
(同じ名鉄でも、バスでは「2DAYフリーきっぷは使えない・・・う〜ん・・・)
豊田市行きのホームへ上がり、しばらく駅周辺を見ますが、以前より高層マンションがやたらと増えていました。
名古屋市のベットタウン化が、急速に進行しているようです。
(ちなみに日進市は、94年10月1日に市制施行の、比較的新しい市)

来たのはステンレス車体の、地下鉄・鶴舞線「3000形」車両。
地下鉄の車両ですが、名鉄の区間では、名鉄の電車と同じく、発車時には「チンチン」のベルが鳴ります。
ここ豊田線は、全区間立体交差の路線で、各駅に止まる「普通」列車ばかりとはいえ、駅間では結構なスピードを出します。
三好ヶ丘付近は、都市基盤公団(旧・住都公団)による大規模な開発がなされ、この路線の利用者数の増加にも貢献しているようです。

梅坪で、猿投(さなげ)行きの三河線に乗り換えますが、この先の接続の関係で、すぐの列車には乗り換えず、しばらくこの駅で待機します。
遠くの高架では、愛知環状鉄道(地元では「愛環」と呼ばれている)の、2両編成の電車が通り過ぎるのが見えます。

2〜30分後の電車で猿投へ向かいます。途中は高架化工事をしていて、少しごちゃごちゃしていました。
猿投に着き、しばしの休憩。目の前の車庫で、地下鉄鶴舞線乗り入れ用の「100系」車両が入れ換えをしていました。

しばらくして、「キハ20形」2両編成のディーゼルカーが到着。
「ディーゼルカー」とあるように、ここも先日乗車した八百津線同様、以前は「電車」が走っていたのですが、同じような理由でディーゼルカーでの運行となっています。
ジャージ姿の小学生などを乗せて、列車は一路、西中金へと向かいます。
架線柱(しかも木製)は立っているのですが、架線は張っていない(取り外した)ので、見た目には少し異様に見えました。

風景はちょっとした住宅地から、段々と森の中へ入るような感じになってきました。
矢作川を渡り、いくつかの無人駅を過ぎて、終着の西中金に到着です。

私は以前にも来ましたし、車でも通った事がありましたが、F氏は全くもって初めてだったので、少しばかり駅周辺をまわってみました。
再び同じ列車で猿投へ戻り、向かい側に止まっていた知立行きの列車(5500系)に乗り換えます。

7.続いて三河「海線」から三河湾岸へ

駅毎に乗客を集め、終点知立に近づいたので、碧南行きの列車に乗り換えようと準備をしていたら、
この列車は、知立から碧南行き普通になります。
と、車内アナウンスがありました。つまり、この「猿投発知立行き」が、知立に到着してそのまま「知立発碧南行き」になった訳です。
時刻表では、全く別の列車として表記されているので、これは地元の人でないとわからないですね。

ともかく、そのまま同じ列車に乗車。進行方向が変わって、今度は碧南へと向かいます。
刈谷でJRからの乗り換えか、乗客が結構増えました。
吉浜では、駅の近くにこの地方では有名な人形店のビルが目立っていました。

碧南に到着。まだ昼食をとっていなかったので、駅周辺へ買い出しに出ますが、私は以前この駅で降りたことがあるので、コンビニの類はないことはわかっていました。でも、F氏が探そうとしていました。結局なかったので、何も買えませんでしたが。
駅の近くに醤油工場があるので、その匂いが、辺りにして来ます。

駅に戻り、ここから先は、また「キハ20形」の乗客となります。
車内は、買い物客と少年野球帰りの団体で、2両編成の列車は結構な混雑となりました。
車窓は、田が広がる田園風景となりました。この辺は矢作川の下流にあたり、稲作には適しているのでしょう。

ディーゼルカーは春の三河路を気持ち良くとばし、吉良吉田に到着。ここで駅前にあった店で、うどんを頼みました。お土産にえびせんを購入。

食事の後、西尾からやって来た、蒲郡線の「6000系」ワンマンカーに乗車します。扉が開閉する際のチャイムが、東京の営団地下鉄を思い起こさせるようなものでした。

運転室には、運転士の他にもう1人乗っていました。指導運転士か何かだったのでしょう。そのため、ワンマン改造されて客室とは隔てる扉がなくなっていたので、こちら側にも確認の声が結構聞こえていました。

三河湾を車窓に眺め、終点の蒲郡に到着です。
高架化工事中の関係で、以前のJR東海道線のホームに到着しました。
しばらく休憩したあと、再び同じ列車で今度は西尾へ。

8.岡崎で買い物をし、豊橋でF氏とはお別れ

西幡豆か東幡豆かは忘れましたが、潮干狩りの帰りか、アサリの入った網袋を抱えた団体さんが乗って来ました。
私も小学生の頃、家族でこの辺りへ潮干狩りに来た事がありましたっけ。
西尾からは、同じホームの前よりに待機していた急行に乗車。この団体さんも一緒に移動です。
出発前に、従来の「パノラマカー」の特急が入ってきたので、1枚写真を撮っておきました。
新安城まで乗りましたが、結構とばす急行でした。

新安城で、本線の特急に乗り換えて、東岡崎へ。東岡崎で降りるのは、F氏がどうしても「本場の赤味噌」が買いたいとのリクエストがあったので、お付き合いすることにしました。
東岡崎の駅ビルで、八丁味噌の店を見つけ、F氏はそこでいろいろ品定めをして、結局何やら買ったようでした。

再びホームへ上がり、特急で更に豊橋を目指します。
混んでいましたが、扉そばの補助席に座ることができました。
ここでは一部で、時速120km/hを出すので、その快感を味わっていました。
飯田線と合流し、豊川を渡って終着、豊橋に到着。ひとまず2日間の旅はここで終了です。

しばらく豊鉄線の電車などを見に行ったりしながら時間をつぶし、「数年ぶり」という新幹線に乗って、F氏は東京へと戻って行きました。

その後私は豊橋から「パノラマスーパー」の後展望をわざわざ(物好き?)取り、ほとんど貸し切り状態の中、名古屋へと戻って行ったのでした。

 

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