このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
珍しく西日本に出張する機会があり、うまい具合に土曜日の午前中、大阪で時間が取れました。何か面白いことないかな、、、と思っていましたら、NIFTYの仲間が表題の企画を立てていることを教えていただきましたので、参加させていただきました。 |
私が参加したい、と
Kadoさん
にメールをしたら、この企画は10時スタートだけどその前に大阪城でも走りましょう、と都合をつけてくれた。 朝8時、森ノ宮駅集合とのこと。7時50分に荷物を持って駅のコインロッカーへ行く。交差点の向こうの集合場所にはそれらしき人影が、、、集まるのは3〜4人かと思っていたのだが、ずいぶんいる。交差点の信号待ちが長かった。3分くらい待った。ほとんどの人とは初対面。「あと、にぎやかな人が来るから、、、」とのことで、しばし待つ。 そこへ、今回は観客もいないのに仮装したランナーがやってきた。と思ったら、挨拶だけしてきしもとさんはさっそうと去っていった。 まずは大阪城からスタート。城内の銀杏がきれいに色づいていた。ただ、この日は前日の雨がすっかり上がり雲一つない晴天。空の青さもきれいだったが、足下には水たまりが残っていた。「伴走するときは、、、」なんて話しをしながら走っていると、「ビチャッ!」という音と同時に「ぎゃっ!」の声。以降、この声の持ち主は、水たまりがあるたびに、30m離れたところからも大きな美声の持ち主に「Uさん、水たまり!」とガイドしていただくことになる。 中之島、って、本当に中州であることを初めて知った。由緒正しい中央公会堂は木の陰でよく見えなかったが、気持ちの良い遊歩道であった。水上バスのバス停もあって、大阪の別な一面を見た気がした。 淀屋橋から御堂筋に上がり、それから天満商店街(と呼ぶのかな?)のアーケードへ。日本一長い商店街だよ、と教えられ、最初はぴんとこなかったが、なるほど、いつまでも続く。"てんに"から"てんさん"(とそれぞれのブロックを呼ぶそうだ)へと進むうち、どこかで聞いたことがあるような気がして気になってきた。そして「この店、Kさんが来たとき行った店よ」と教えられたとき、不意に思い出した。そういえば、いつぞや、どこかの会議室でそんな呼び名が飛び交っていたよなぁ、、、 「大阪といえば"キツネうどん"だよ」とのことで、"キツネうどん"を食す。走って汗をかいたせいか、最初の一口は味がよくわからなかった。出汁の味を感じない。いくら薄味といっても薄すぎるよなぁ、、、と思いながらアゲをかじる。とても味が濃い。ずいぶん差があるもんだ、と思って食べ進めるうち、だんだん味覚が戻ってきたようで、ツユもおいしい味がしてきた。 |
私がスタートしてから2時間経って、ようやく本編がスタートした。 (実は、森ノ宮駅まで走ってきた人がいて、朝6時に出発したという。世の中には変わった人が結構普通にいるみたいだ。) 本編は、環状線の各駅停車。各駅で記念写真を撮ろう、というもの。環状線を外回り方向に内側を走り出す。ふと、前を走る3人を見ると、背中の色が面白い組み合わせ。思わず前方の信号といっしょに記念撮影。 ところで、本企画の発案は、天満駅の近くに100円ビールがあるので、それをおいしく飲むのが目的に立てられたんだそうだ。走りながら目ざとくそんな看板を見つけるのが得意な人がいて、走りながら、いくつか見つけた。「あっ、またあったぁ!」と言って近づくと、すでに期間が過ぎていたり、、、大阪とは面白い街である。 桜宮駅からは再び大川河川敷を走る。いくつか河川敷を走ったのでどこのことだったかわからなくなってしまったが、桜並木があって、もちろん桜は咲いていなかったが、風に吹かれて落ち葉が落ちてきて、顔に当たって痛かった。花見の季節には、川に飛び込む人もいるんだろうか、、、(でも寒いだろうな)。 京橋からは狭い道に入り、さらに寝屋川にかかる歩道橋を渡る。"大坂橋"なる名前が付いていた。橋を渡り、読売テレビの前のガードレールを乗り越える。「私、そこのビルに健康診断に行くとき、ここを乗り越えたらみんな変な顔してみてた」「スカートはいたままだったんでしょ」
さて、写真、というとき、2人のお姉さんがカメラの奪い合いの真剣勝負をしていた。「私が撮りますぅ!」「いえ、私がぁ!」 これが大阪のおばさんの正しい譲り合いなんだそうである。
大阪城公園駅からしばらく進むと、見覚えのある道になり、すぐに森ノ宮駅に到着した。当初は、ここで荷物を取り出し、皆さんとさよならし、地下鉄に乗って銭湯に向かうつもりだった。しかし、あとから自転車でやってきた佐田さんによると、このルート沿いにも日中からやっている銭湯があるという。「荷物を持ってあげるから、少しでもみんなといっしょに走りなさいよ」というありがたいお言葉を頂き、ありがたく甘えることにした。 最後、佐田さんを荷物持ちにして、500mくらい走ったところに玉造温泉なる名前の銭湯があった。ここで皆さんとお別れ。 |
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