このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
6月で梅雨の時期に入っているため、うっそうと草が茂っていた。何か、駅が草々に飲み込まれているかのように思えた。また、上屋の中も少し見てみたが、白熱灯がぶら下がっていたり、木材の切れ端が放置されていたりで、荒れ放題だった。もう、ここも長くはもたないのだろうか...
草がよく茂っている 左は踏切の台石と思われる。その前後の鉄道路盤跡には右の写真のように枕木が今も残っている。駅や建物などの構造物はわずかしか残っていないが、鉄道路盤跡は今でも各所に残っている。
下付知駅舎の内部には、現在も地元のお店の看板が掲げられている。おそらく鉄道時代の遺構だろう。また、その横には鉄道の晩年時代の時刻表も掲げられていて、通学ラッシュの朝と夜(夕方)だけ電車が走っていたのが分かる。昼間はすでにバス運行のみとなっていた事から、すでにバスが恵那北部の交通の中心になっていたのだろう。
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