このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

オウム真理教をどうするのか
〜より普遍的な法律を整備すべきだ〜

 中島 健

 報道によると、オウム真理教に対する「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(団体規制法、平成11年法律第147号)の観察処分適用について審査中の公安審査委員会は、1月20日、法務省旧本館でオウム真理教(2日前に「アレフ」と改称)側からの意見聴取を公開で始めたという。教団側からは、村岡達子代表及び弁護士、一橋大学教授を含む4人の代理人が出席した。処分を請求した公安調査庁側は、①教団は18日に名称を変更したが、松本智津夫麻原彰晃)被告の教義を実現するという面で同一性に変化はない、②松本サリン、地下鉄サリンの両事件は松本被告の教義によって起こされたもので、その政治目的は明らか、③松本被告をはじめ事件当時の幹部が今も教団活動に影響力を持っている、④殺人をも容認する危険な教義「タントラ・ヴァジラヤーナ」)を保持している、等として、観察処分の適用を主張。これに対してオウム側は、書面等を含めて、教団の危険性や処分内容、松本被告の退任、教義の内殺人を肯定する部分は破棄した等として反論した。また、出席した弁護士は、「証拠も(通常の裁判では認められない)伝聞証拠で、人権侵害」等と語ったという。
 元来、法律147号は事実上オウム真理教に的を絞って制定されたものだけに、今回の公安調査庁側の請求は認められるものと思われるが、それにしても、今回の意見聴取におけるオウム側の主張は、あまりにも誠意が見られなかった。意見聴取直前になって、あわただしく被害者への賠償や教団名の変更、松本被告の関与認定といった動きを示した教団だったが、今回、そうした動きを提示して「教団に観察処分を適用しないでくれ」等と主張するのは、あまりにも「新法逃れの計画通り」すぎる(計画通り過ぎて、これ以上意見聴取が不必要なくらいである)。しかも、21日には、部内の主導権争いのために、松本被告の長男が誘拐されるという事件が発生し、同じく麻原被告の長女ら現執行部に逮捕状まで出されることになった。これまでにも教団は、組織防衛のためなら拉致、監禁から殺人、サリン散布まで反社会的な行為を繰り返しており、この「長男争奪戦」も、松本被告の影響力(長男は「松本被告の長男」だからこそ拉致されてしまった)やその体質がなお変わっていないことを改めてうき掘りにした。これでは、とてもではないが事件被害者への謝罪が出来る体制にはないといえるだろう。オウム真理教が本当に心からの謝罪を表明するのであれば、松本被告をはじめとするサリン事件関係者の永久追放、パソコンショッブの売上の賠償補填(話がそれるが、オウム真理教が既存の不法団体と違って厄介なのは、その資金源が麻薬や不法入国といった不法行為ではなく、情報通信産業にあるからである)等を行い、その上で、観察処分を粛々と受け入れるべきであろう。実際、観察処分は資産状況等の報告の他、特に重い義務を課しているわけではないし、仮に教団内で不法な行為が無ければ、そもそも公安調査官が立ち入ろうが警察官が立ち入ろうが、何等の問題も無いはずである。今回、オウム側があまりにも型どおりの反論をしてしまったことは、却ってオウム側を一層不利な立場に立たせたのではないだろうか。
 今後は、やはり「団体規制法」によって、オウムを徹底的に監視下に置くとともに、末端の信者層に対しては、何等かの「回心」策が必要であろう。既に、各地の住民運動等による強烈な反発によって、オウムには「逸脱集団」としての強いラベルが貼られており、そうしたラベリング(レッテル貼り)によるスティグマ(烙印)が、彼らの違法行為に対する鈍感さを助長し、逸脱アイデンティティを形成して更なる逸脱への躊躇を無くしてしまっている。それ故に、末端層への対策は、社会の側が、松本智津夫のカリスマ性が提供する現実逃避より甘い夢を見せることではなく、信者らの社会化、人間化に向けた一種の再教育によってのみ達成されよう。一つの巨大なカリスマに依存することほど、諸行無常の現実を見ずに苦しまないで済むことは無いのだろうが、それでは人間の人間たる所以を失ってしまう、ということを理解させなくてはならない。現実に立ち向かうことでしか、人間の真の素晴らしさを体験することは出来ない、ということを体験させなくてはならないだろう。
 加えるに、本来であれば、単一団体を狙い撃ちするための処分的な法律は、平等原則に反して憲法違反である疑いが強い。無論、だからといってオウム真理教をこのまま放置してよいとはしないので、私は、この法律は他のカルト教団や破防法に関わる団体等にも(処分の内容を緩和した上で)適用対象を拡大できるようにして改正すべきことを提唱したい。また、今回の意見聴取には、一橋大学法学部の刑事法の教授がオウム側代理人として参加したというが、団体規制法の刑事法学的な問題点を研究することの重要性は措くとしても、今回、オウム側に立って意見聴取に出席したということは、(この法律の合憲性といった法学上の立場ではなく)事実上オウム側の主張する内容(組織の同一性、教団の危険性や問題性)を認めたことになるのであって、国立大学の教授という重要な社会的立場にある者の行動としては首を傾げざるを得ない。疑問なのは「朝日新聞」の報道ぶりも同じで、教団側の主張と公安調査庁側の主張をほぼ半々で紹介しているその紙面づくりには、「オウムといえども人権は完全に保障されるべきだ」とする個人至上主義的な発想が見え隠れしている。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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