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国会混乱の責任
〜審議拒否という野党の罪〜

 中島 健

■1、はじめに
 先月からはじまった通常国会は、冒頭、野党が全審議を欠席するなかで審議が進められるという異常事態に襲われた。
 元々、この混乱は、連立政権の一角を占める自由党の小沢一郎党首が、衆議院定数の削減を主張しはじめたことに端を発する。「衆議院の比例代表部分の議席を50削減する」という自民・自由両党の政策合意の履行を求めて小沢党首が連立離脱騒動をおこしたのが昨年秋。そして、比例部分の削減に反対する公明党に配慮して比例削減数は20議席に後退し、更に「残りの30議席は主として小選挙区を削減する」との付則をつけた公職選挙法改正案が提出された。しかし、ここで民主・共産・社民の野党三党側が「選挙制度改革は十分な論議が必要」として真っ向から反対して全審議を拒否。対立が深まったまま1月27日、定数削減法案は衆議院本会議で可決された。そして、
法案を送付された参議院では、地方行政・警察委員会に付託された議案を委員会審議を事実上省略して本会議に上程、採決し、2月2日成立した(途中、伊藤宗一郎衆議院議長による仲介も不調に終わった)。野党欠席の中定数削減法案が成立したことに対して野党側は猛反発し、法案成立後も代表質問・予算審議も途中までは「野党抜き」で行われたが、結局8日の議長裁定により、2月9日、約2週間ぶりに国会は正常化した。
 今回の事件では、与党側は一貫して「
(野党側の欠席戦術は)国会議員としての責務を放棄した。議会人としての自殺につながりかねない暴挙で、猛省を促す」(森自民党幹事長)等と野党側を批判したが、報道各社の論調は、概ね野党側を庇うものであった。即ち、野党抜きの審議は憲政史上初の出来事であり、国会運営のルールを破ったのは連立与党側である、との論調であった。
 だが、今回の国会混乱の責任は、果たしてどちらの側にあったのであろうか。

▲国会議事堂(東京・永田町)

■2、定数削減問題の本質
 そもそも、今回の比例定数の20削減は、一部で報道されたような「民間もリストラをしているから国会も」といったパフォーマンスの一種ではなく(定数問題は代議制や国民の参政権に関わる問題である以上、単純なリストラ論で定数削減を行うのは、野党側が言うようにおかしなことである)、純粋小選挙区制度へ一歩近づくことであった。選挙制度改革が行われた細川護煕内閣では、それまでの中選挙区制度の弊害(自民党内部での派閥抗争の助長、野党側の堕落、選挙区内の特定支持基盤のみを固めれば当然できることによる金権政治と政権評価の弊害、等)を是正するために小選挙区制度の導入が企図されたが、比例代表制のほうが有利な連立与党各党(社会党、公明党など)に配慮して、小選挙区300議席に比例代表200議席という「お荷物」がくっついた小選挙区比例代表並立制が導入されてしまった。当時、「小選挙区制度」及びそれに伴う「政権交代可能な二大政党制」の導入を一貫して主張していた小沢一郎現自由党党首はその後、自民党との連立を選択した日本社会党・新党さきがけ以外の主要政党を結集して、「政権交代可能な野党」にあたる「新進党」を結党したが、結局これも瓦解。以降、細川内閣当時に政治改革を理論的に主導してきた自由党所属政治家は、「自自連立」という新たな枠組みの中で、仕切りなおしをはかってきたわけである。恐らく、新進党・自由党時代の小沢党首の目からは、「自社さ連立」政権のような野合政権が存続し得てしまった(あるいは、そうして少数政党を過大に尊重しない限り政権が維持できない)ことからも、現行の並立制に対する改革の必要性が強く感得されたのであろう。以上の経緯からすれば、今回の自由党の「20削減」の主張は、細川内閣当時の「小選挙区制度導入による政治改革」の初心にかえった誠実なものであると評価することができよう。これは、小選挙区制度の導入それ自体は中規模政党の自由党にとっては本来不利であるのに、敢えてそうした提案をしているところからも伺えるものである。
 しかも、最大与党・自民党にとっても、そうした方向で選挙制度が改革されてゆくことは好ましいことであり、「50削減法案」に賛成することはむしろ自民党が「連立政権維持という短期的な党利党略で動いているわけではない」ことを証明することになるのである。それは、①以上見てきたように自由党の主張する政策それ自体には正統性があり、かつ、それは自民党にとっても有利なはずで、反対する理由はそもそもあまり無い、②唯一反対する理由があるとすれば、それは比例区を基盤とする公明党を連立政権に留めるためである、③だが、実際は公明党に譲歩したものの「定数の20削減」は実行に移したからである。換言すれば、自民党が腐心していたのは公明党の離脱阻止であって自由党の離脱阻止ではなく(無論、ブリッジ政党として自由党は連立に必要であったが、基本的に自由党が離脱しても自公両党は衆参で過半数を維持できる。しかし、公明党が離脱すると、参議院では過半数を維持できない)、それゆえ削減数が50議席から20議席に低下してしまったこと自体は「連立維持のための党利党略」であったが、基本的にはそれでも削減法案を野党との対決も恐れずに通したことは、党利党略以上のものがあったと評価することができよう(昨年の自由党の離脱騒動は、公明党を説得するため小沢党首が意図的にしかけたものではないかとさえ思えてくる)。

■3、野党側の対応の問題点
 一方、野党側には、今回の問題に関して積極的に評価できるところがほとんど無い。
 例えば、そもそも民主党は、自分自身では小選挙区制度の導入に賛成しておりながら、昨年暮の与野党協議では「議論を尽くしていない」「与党案には賛成できない」等と無理な主張を重ねて、野党共闘を維持しようとしてきた。こうした主張の背景には、言うまでも無く与党案の成立を阻止することによって自自公の連立を動揺させるという意図があったからだが、国民から理解を得られなかったのは明かであろう。無論、与党側としても、小選挙区一本化に賛成している民主党と反対している共産・社民両党を分断しようという意図もあったことは確かだが、しかしそれだけで自由党が「50削減」を主張していたわけではなかった。翻って野党側は、政策論争のための議論ははじめから全面的に拒否し、「議論が尽くされていない」等と主張して冒頭処理反対の姿勢を崩さなかったが、これは正しく政局運営だけを考えた近視眼的な対応であったと評することができよう。比例区に基盤を持つ共産・社民両党が与党案に反対なのはまだ理解されたとしても、こうして「永田町の論理」(この言葉は与党だけではなく野党にも使われるべきである)を優先して矛盾する態度をとった民主党は、かえって信頼を失うことになったのではないだろうか。
 しかも、今回の事件で野党側は、法案審議は勿論のこと予算案審議まで出席を拒否し、国会のルールを歪めた。国会議員は国民全体の代表であり、「国政に参画したい」旨の熱意をアピールして選挙に当選してきた人々であって、そしてその「国政参加」は、具体的には国会での審議によるというのが議会制民主制度の根幹ではなかったのだろうか(もっとも、民主集中制を掲げる共産党がこうした議会制民主制度を踏みにじる行為に出たとしても、驚くにあたらないが)。報道されているところによれば、今回の「欠席戦術」では、野党側は①大阪府知事選挙の結果与党側が敗北すれば、政権批判のチャンスになる、②野党側が欠席すれば与党の強行姿勢が明らかとなり有利(元々比例定数削減に乗り気でない公明党も躊躇する)、といった目算があったようだが、単なる「永田町の論理」に過ぎないだろう。国会運営の主目的はあくまでも「議会での議論」であり、議院運営問題はそれに奉仕するための手段に過ぎないのであって、いやしくも「永田町の論理」でそれを覆すというのは本末転倒も甚だしい(実は、こうしたことは、2月9日の民主党秘書会会合の席で羽田孜幹事長が、「国会審議に早く復帰したいが、残念ながらその環境にない」と述べていることからも、民主党自身重々承知していたことであった)。野党側は、戦前の帝国議会において、尾崎行雄や斎藤隆夫といった著名な代議士は、自自公連立政権など比較にならない軍部翼賛体制下においても、「もう一つの国会」などという猿芝居を打つことなく演説を繰り返していたことを想起すべきであろう。

■4、おわりに
 以上見てきたことからすれば、国会を「民主主義の死滅」に追いやったのは正に野党側であり、猛省すべきは、連立与党ではなく、民主、共産、社民の野党三党だったと言えるのではないのだろうか。現在、国会は、警察腐敗問題や小渕総理秘書官のNTTドコモ株問題で議論が続いているが、野党各党の党首は、そうした「他人の」問題に首をつっこむ前に、まずはこれまでの自らの行動についての総括と国民に対する申し開きをすべきであろう。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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