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カリフォルニアでの対日企業賠償訴訟に思う
〜蒸し返される不当な賠償要求は日米関係を損なうだけ〜

中島 健

■1、はじめに
 報道によると、最近、先の大戦中旧日本軍に捕虜としてとらえられ、強制労働をさせらとして、元連合国軍側の捕虜らが日本企業を相手に戦後補償(損害賠償)を求める訴訟を多数提起しているという。既に、アメリカ国内では15件(原告総数は1000人以上)に達しており、三井物産、三菱商事、新日鉄、川崎重工などが被告となっている。これは、米国カリフォルニア州で、「第二次世界大戦中ナチス・ドイツ及びその同盟国による奴隷・強制労働の損害賠償請求の時効を2010年まで延長する」との特例州法(トム・ヘイデン法)が制定されたためで、我が国企業の現地法人などが被告とされ、請求金額の合計は、ある報道によれば100兆円にものぼるという。
 通常、我が国においては、時効は「民法」(第1編、明治29年法律第89号)つまり実体法(※注1)の中に規定されており(※注2)、時効が完成した後に新たな立法によってこれを延長するといったことは出来ないとされている(権利そのものが消滅するため)。しかし、アメリカ法においては、時効は訴訟法上の規定であるため請求権そのものは消滅しない仕組みになっており、これが今回の特例州法の制定を可能としたのである。
  先の大戦後、我が国はサンフランシスコ平和条約等の諸条約を締結して、賠償問題は国家・個人とも既に法的に決着が見られたはずであり、半世紀後の今になって、そうした国際的な約束を反故にするかたちで訴訟が提起されるのは、誠に遺憾という他無い。しかし、よくよく考えてみれば、果たして現在の在米日本企業がそうした賠償責任を負うのかどうか、法律上も疑義無しとはしない。そこで、以下に、今回の訴訟の法的な問題点について論じていきたいと思う。

※注釈
注1:
権利義務関係の実体を定めた法律。それらの権利義務を実現するための手段を定めた法律を「手続法」という。
注2:例えば第167条1項は「債権ハ
十年間之ヲ行ハサルニ因リテ消滅ス」としており、債権である損害賠償請求権もこの中に含まれる。

■2、賠償問題は既に決着している
 我が国の第2次世界大戦の戦後処理については、(「全面講和論」と「多数講和論」との対立でもよく知られているように)、1952年の「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」(昭和27年条約第5号)によって行われた。これは、ナチス政権が崩壊して国際法上有効な政府を失ったドイツとは異なり、我が国には占領下に移されたとはいえ終戦後も制限的な独立主権国家として正統政府が存在していたために可能だった処理であるが、その第14条(b)は次のように定めている。

第14条(b)
 この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、
戦争の遂行中日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。

 ここで注意すべきことは、放棄の主体には「連合国」(政府)の他「その国民」も含まれている点である。その代り、第14条(a)で連合国側はいくつかの賠償について定めているし、またこの規定に同意せず別に賠償を請求したフィリピン、ビルマ、ベトナム、ラオス、インドネシア、カンボジア、中華民国(台湾)、中華人民共和国、インド、ソ連等の連合国とは個別の平和条約を締結した(ラオス、カンボジア、中華人民共和国、ソ連等は賠償請求権放棄)。
 そもそも、この対日平和条約は、国際(慣習)法上の「国家責任state responsibility)」を背景として締結されたものである。国家が自主的な判断に基づいて一定の法律又は事実上の行為(作為、不作為)を行った結果、それが国際法に違反するような「国際違法行為internationally wrongful act)」であれば、その国家は国際法上の責任を負う。元々、国家責任の法理は、南米諸国の独立に伴い、在米欧州諸国民の生命・財産を保護するための「自国民保護の法理」として構成されて来た。即ち、自国籍の私人(自然人・法人を問わない)が他国の国際違法行為によって損害を受けたときには、これを自国に対する法益侵害(※注1)とみなして当該私人を保護することが出来るとされているのである。これを国家の「外交的保護権(外交保護権、外交的保護。diplomatic protection)」というが、これを発動するにあたっては、次の2つの前提条件を満たす必要がある。第一に、被害者は、被害を受けたときから外交的保護権が発動されるまで、一貫して発動国の国籍(※注2)を保持していなければならない。これを国籍継続の原則rule of continuous natinality)と呼ぶ。これは、外交的保護権がそもそも属人的管轄権に基づき自国の法益侵害に対抗して発動するものであり、国籍を問わずに保護権発動を許せば濫用されて大国の内政干渉を招く危険性があるからである。第二に、外交的保護権を発動するまでに、被害者が加害国において国内法上利用できる一切の国内的救済手段(local remedies)を尽くしていること(国内法上の措置では救済されないこと)が必要である。これを国内救済の原則rule of local remedies(※注3)と呼ぶ。これは、外交的保護権の発動は加害国内の加害国と被害者との国内紛争を、「自国民保護の法理」に基づいて国際問題に転化するものであり、国内的救済が可能なのに保護権発動を許せば無闇に国際紛争を増加させる危険性があるためである。なお、ある行為が「国際違法行為」と評価されるためには、それが少なくとも外見的には権限ある国家機関又は公務員としての行動であることか、私人の行為であっても「相当の注意due diligence)」を以って侵害行為の防止に努めていなかったこと(領域使用管理責任を怠っていたこと)が必要である(※注4)
 ところで、以上の要件を別の角度から捉えると、「外交的保護権が発動された」ということは、「自国籍の被害者が加害国の国内的救済手段では救済されないことが明かになったから、国家がこれを一括して扱う」ということを意味していることになる(※注5)。通例、国際条約は国家間の取り決めであり、個人が請求権の主体として登場することは例外的であるところ、「平和条約」第14条(b)が「連合国及びその国民」に言及しているのは正にそのことを意味している。連合国政府は国家が蒙った直接的損害と共に国内的救済が不可能な連合国民の損害も併せて我が国に請求権を主張したのであり、かつ、第14条でそれを一括して放棄しているのである。つまり、サンフランシスコ平和条約によって決着が図られた「賠償」には、国家(政府)同志の問題だけではなく民間人のそれも、当然に含まれるのである。これは、現ドイツ連邦共和国政府がワイマール共和国(ナチス・ドイツ)と法的連続性を持たず、連合国との間に「サンフランシスコ平和条約」のような平和条約を締結していないことと対照的である(実は、ヘイデン法のもとになった法律はこうしたドイツの平和条約不在を突いて作られたものであった)。
 もっとも、当然のことながら、連合国側は「何も無し」で賠償請求権を放棄したわけではない。まず、我が国は、連合国側の賠償放棄に対応して、我が国の在外資産(個人の資産も含む)を全て放棄している(平和条約第14条(a))(※注6)。また、連合国側の行動によって我が国政府及び国民が蒙った損害に対する賠償請求権(例えば、軍事目標以外の空爆、核兵器の使用、占領中の行為に関する民事・刑事責任)についても、一括して放棄している(平和条約第19条)(※注7)。現に、アメリカの原爆投下行為に対して損害賠償請求訴訟を提起した原爆訴訟(下田事件)(判例国際法120事件)(東京地裁、昭和38年12月7日判決)でも、原告側は、第19条に基づいて対米請求権が消滅していることを前提として、日本政府に対して国家賠償請求をしている(※注8)。戦争の実際の被害は戦場では双方に及んでおり、かつ、実際に本土を(核攻撃も含めて)空襲・占領された我が国側の民間の損害のほうが本土が安泰だったアメリカ側の民間の損害を上回っていたことを考えれば、第19条で放棄した権利は決して小さくなかったはずである。
 しかしながら、繰り返すが、平和条約では双方とも政府・民間のそれぞれの請求権を放棄しているのであり、この背景には国内的救済の不能に伴う外交的保護権の発動が含意されているのであって、在米日本企業に対する損害賠償請求権は1952年を以って消滅していることは明らかなのである。
 なお、アメリカ合衆国憲法によれば、アメリカ国内においては、条約は連邦法と同位であって州法や州憲法よりも上位の規範であるとされているので、平和条約に反する州法はアメリカ国内においてもまた無効であると言う事が出来よう(※注9)

※注釈
注1:
在外自国民に対して国際法に従った待遇を他国に尊重させる権利の侵害。保護の水準については、「
文明国(国際)標準主義」と「国内標準主義」が対立している。なお、外交的保護権の発動は、純粋に国家主権の裁量に任されているから、被害者が発動を要請しても外交関係を考慮して国家がこれを発動しない場合もあり得るし、逆に被害者が発動を要請しなくとも、国家は外交的保護権を発動することができる、とされている(1970年の「バルセロナ電力会社事件」国際司法裁判所<ICJ>判決等)。
注2:なお、この国籍は、あくまで本国との「
真正な結合genuine link)」が必要であり、便宜的に国籍を取得している場合は外交的保護権を発動できない(1955年のノッテボーム事件国際司法裁判所<ICJ>判決で明確化された理論)。
注3:もっとも、「上級審では事実審理を行わない」「原判決の破棄が期待できない」「加害国の国民感情や裁判官に偏見がある」「外国人が不利に扱われている」「国家自体の法益が侵害された」といった、国内的救済を期待できない場合には、「国内救済の原則」は満たされたものと解釈することができる。
注4:国連国際法委員会(ILC)が策定した「国家責任に関する暫定条文草案」11条以下では、統治権の一部を行使する私人や地方公共団体も含まれている。
注5:但し、外交的保護権の発動は国家の統治作用の一部であり、国家に対する法益侵害を根拠として発動されるのであって、国家にはそれを行使する・しないの裁量権が認められる。従って、被害者個人の意向とは無関係に、国家は外交的保護権に基づく賠償請求をなすことが出来る。また、これによって得た賠償金は、国家が受けた法益侵害に対する賠償であるから、これを被害者に渡す義務は無い。もっとも、被害者の協力が得られなければ立証も難しいだろうし説得力も生まれないだろうが。
注6:第14条(a)
「日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。よつて、
日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。
(1)次の(2の規定を保留して、各連合国は、次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生のときにその管轄の下にあるものを差し押さえ、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。
(a)日本国及び日本国民
(b)日本国又は日本国民の代理者又は代行者
並びに
(c)日本国又は日本国民が所有し、又は支配した団体(以下、省略)」
注7:

「(a)日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。
(b)前記の放棄には、1939年9月1日からこの条約の効力発生までの間に日本国の船舶に関していずれかの連合国がとつた行動から生じた請求権並びに連合国の手中にある日本人捕虜及び被抑留者に対して生じた請求権及び債権が含まれる。但し、1945年9月2日以後いずれかの連合国が制定した法律で特に認められた日本人の請求権を含まない。
(c)相互放棄を条件として、日本国政府は、また、政府間の請求権及び戦争中に受けた減失又は損害に関する請求権を含むドイツ及びドイツ国民に対するすべての請求権(債権を含む。)を日本国政府及び日本国民のために放棄する。但し、(a)1939年9月1日前に締結された契約及び取得された権利並びに(b)1945年9月2二日後に日本国とドイツの間の貿易及び金融の関係から生じた請求権を除く。この放棄は、この条約の第16条及び第20条に従つてとられる行動を害するものではない。
d日本国は、占領期間中に占領当局の司令に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の政府によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、連合国民をこの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動もとらないものとする。
注8:最近では、元従軍慰安婦らが提訴した損害賠償請求訴訟に対しても、東京地裁は平和条約14条、19条を根拠に訴えを退けている。
(:田畑茂二郎・竹本正幸・松井芳郎 『判例国際法』 東信堂、2000年 513ページ。)
注9:原告側が賠償請求を主張できるのは、第14条(a)に「
戦争の遂行中に」とあるのを根拠として、強制労働が戦争の遂行とは無関係だったことを証明することに成功した場合か(そうすれば、賠償請求権は放棄・消滅していないことになる)、在米日本企業の「国籍」を「米国籍」として扱う場合である。もっとも、ヘイデン法それ自体が「第2次大戦中の請求権」についてしか時効延長を定めていないので、今度はそちらで矛盾を生じるだろう。また、法人の「国籍」については、管理地標準説(会社の国籍は本社機能がある国の国籍である、とする。現地法人も本社と同一国籍となる)と設立準拠法標準説(会社の国籍はその会社が設立に際して準拠した法律を制定した国の国籍である、とする。現地法人と本社は別国籍になる)が対立しているが、後者の立場では在米日本企業も「米国籍」と認定される可能はある。

■3、現存利益は存在しない
 更に、ヘイデン法の背景には、時効延長を認める理由として「現在の企業は、当時の強制労働によって利益を受けている」(現存利益がある)ということが挙げられているが、終戦間際まで連合国軍による空襲で工業施設を徹底的に破壊された上で再建された現在の日本企業に、半世紀前の戦時強制労働による現存利益があるとはとても思えない。経済史的には、むしろこうした徹底破壊が却って新規設備の導入を促進したり、「国民皆労働」を奨励して戦後復興の原動力となったことが指摘されているくらいである。その他、我が国が戦後復興できた理由はいくつか存在するが、いずれも自由貿易体制による恩恵やアメリカからの援助、あるいは技術移転によってもたらされたものであって、戦時中の強制労働がこれに貢献しているということは到底出来ないであろう。
 更に、法的には、昭和21年法律第38号戦時補償特別措置法」により、臨時軍事費特別会計による軍需品の納入に対する代金支払い債務を事実上相殺する税率100%の「戦時補償特別税」が創設されており、多くの軍需企業は、この法律によって自動的に、利益は勿論のこと必要経費の債権までも放棄されられていた(※注1)。つまり、占領下のわが国で、「戦争によって利得を得てはならない」とするGHQの発案により、既に主要な利益は相殺させられておったのであり、当時の軍需産業は、軍需生産の廃止と共に、既に一旦完全に滅びているのである。
 以上のことを考えれば、大戦当時強制労働を行った日本企業に、法上も事実上も現存利益があるとは到底言えないであろう。

※注釈
注1:
無論、この措置で会社や金融機関が突然赤字を蒙るので、それに対する必要な立法措置もとられたが

■4、おわりに
 興味深いことに、2000年3月6日づけの「朝日新聞」朝刊によれば、米クレアモント・マッケンナ大学のアルフレッド・バリツァー教授の最近の世論調査で、60%のアメリカ国民が「日本は新たな補償をしなくてもよい」(29%が「新たな補償必要」と回答)と答えているという。しかも、米兵捕虜経験者に対する同様の質問でも51%が「不必要」(35%が「必要」)と答えている。「アメリカの良識」の一端を示す結果といえよう。
 だが、一方で、カリフォルニアでの訴訟は数十件に及ぶ見通しで、州司法当局の対応にもよるが、解決には至っていない。もしアメリカ側がこうしたこと(平和条約を明らかに無視するような訴訟)を続けるのであれば、我が国も、例えば広島県条例で原爆被害者とその遺族に米軍事企業に対する賠償請求権を与えるであるとか、もっと極端な例としては「四国艦隊下関砲撃事件」で被害を蒙った者の遺族に米軍事企業に対する賠償請求権を認める山口県条例でも作らなくてはならなくなる(もっとも、前述したように、我が国では「時効」は実体法上の権利そのものを消滅させる効果を持っているので、それにも関わらず訴訟を起こせるようにするには、何等かの概念操作が必要であるが)。
 しかし、現在の日本企業も現在のアメリカ企業も、ともに現代の人間が勤務し企業活動をしている存在であって、過去の賠償問題、それも条約上明文で妥結した問題を蒸し返すのは良識あるアメリカ人のすることではないし、なによりもまず現在の日米関係を損ねるものであることは間違い無い。

※主要参考文献
奥脇直也・小寺 彰 『国際法キーワード』 1997年、有斐閣双書
越智道雄 「”東京裁判の亡霊”カリフォルニア訴訟の怪」『正論』2000年5月号、産経新聞社
香西 茂他 『国際法概説』 有斐閣双書
日下公人・田久保忠衛・潮 匡人 「たわごとか、戦時賠償100兆円だって!」『正論』2000年4月号、産経新聞社
栗林忠夫 『現代国際法』 慶應義塾大学出版会、1999年
田畑茂二郎・竹本正幸・松井芳郎 『判例国際法』 東信堂、2000年
松井芳郎他 『国際法』第3版 有斐閣Sシリーズ、1997年
百瀬 孝  『事典 昭和戦後期の日本』 吉川弘文館、1995年
山本草二  『国際法』新版 有斐閣、1994年
『朝日新聞』2000年3月6日

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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