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政治における個人と制度の責任について
〜阪神大震災における村山総理の行動から〜

波田野 雅幸

■第一章
 本論文では責任という概念を使うが、とりあえず責任とは『①人が引き受けて為すべき任務②法律上の不利益ないし制裁を負わされること』(「広辞苑」第三版)と定義して論を進めることにする。では、もう少し溯って責任を何故負わなくては(負わせなくては)ならないかについて考えてみると、それは以下の2点の理由からであるだろう。

 ●1、責任者(政策決定者)の責任を明確化することで決定に伴われる結果を十分斟酌せねばならない状況を作るため
 ●2、責任者に罰則を与えることで、次回に発生しうる問題発生を未然に防ぐため

 マックス・ウェーバー(M. Weber)が言ったように、国家とは一定の領域内の人々に対して物理的な強制力を振るう正当性を持った唯一の機構であるとするならば、政策とは常に全体の利益(公共の福祉)のために国民の利益を損ねる必然性を内包している。であるから政策は常にデメリット・メリットをできる限り精確に斟酌されねばならない。国民の生命が脅かされている場合などは特段の配慮が必要である。国家の性質上、やむなくある一定の国民の不利益を与える政策について、政策立案者および決定者は常に責任をもたなくてはならない。また、政策によって不利益を被った人への救済、若しくは政策が予定した効果を発揮しなかった場合の政策決定者のとるべき道義上の責任が追及される。
 しかし、政策の結果、問題発生の理由としてシステムや制度に由来することが、数多くある。この場合は誰に責任があるのだろうか。各アクターがシステム内においては誤った行動をとっていなくても、システムや制度が状況に対応できておらず、その結果問題が発生した場合、誰に責任追及を行えるのだろうか。
 この問題を考える上で以下二章に1995年に発生した阪神・淡路大震災の対応を示し、三章でその問いに答えたい。

■第二章
 阪神・淡路大震災が発生したのは1995年1月17日午前5時46分であった。その時の状況について、高見裕一著『官邸応答せよ』は次のように描写する。
 『ベッドの上で、まるでトランポリンに乗っているように跳ね回っている自分に気づいた。次の瞬間ベッドから叩き落とされる。いったい、何が起こっているのか、まったく把握できない。〜中略。悪夢という言葉が頭をよぎる。今私を襲っているのは何なんだ。』
 マグニチュード7.2、観測史上初の震度7が観測され死者5500人を超え家屋の全壊・半壊は30万世帯に及ぶ巨大地震が発生した。分あたり人の被災者が死んでいくと言われた緊急の状況で政府はどのような対応をしたのであろうか。
 当時首相であった村山富市氏は『朝6時のテレビのNHKニュース』(村山富市インタビュー『そうじゃのう、、』)で震災を知ったという。政府機関の中で最初に震災の情報を得たのは気象庁である。6時5分気象庁火山地震部から災害を所轄としている国土庁に「京都など震度5」という地震情報第1号が届けられるが、阪神淡路のことには何も触れられていない。6時19分、ようやく「神戸、淡路島は震度6」という地震情報第2号が国土庁・消防庁に届く(震度は実際には「7」であるが、震度を測定する機械の針が振り切れ、6以上の震度を測定できなかった)。国土庁から首相官邸に情報は迅速に届けられるはずであった。しかし、当時国土庁には担当の当直がおらず、首相官邸に震災の発生を伝える第一報は警察庁から出向していた総理秘書官によって7時30分にようやく伝えられる。この秘書官が父親の葬儀に立ち会うために北九州に帰郷していたことも、報告が遅れる結果となったことは否めない。この秘書官から村山首相に伝えられた情報は地震の発生、被害が相当大きくなりそうというものでしかなかった。村山首相は8時26分官邸入りするが、首相官邸には誰も居ない。村山首相は9時19分記者にたいして「だんだん被害は大きくなっているようだし、非常対策本部の設置も考えなくてはならないな」とのコメント。9時50分警察庁より「死者22人、負傷者222人」。955分「兵庫県で生き埋め223人」との報告をうけるが、10時4分定例閣議に出席。11時、国土庁で開催された「災害対策関係省庁連絡会議」で「消防庁震災対策指導室」より「死者1名、負傷者55名」といった報告を受ける。11分からは21世紀地球環境懇話会に出席。12時分、政府与党首脳会議に出席。14分から日後に控えた国会の施政方針演説の検討会を開く。『執務室にいた村山首相に至ってはテレビさえ点けていなかったという事実がある』(麻生幾『「情報」官邸に達せず』)。村山首相が消防庁長官に「制度や法律にかまわず、やらなきゃならんことはやり尽くせ」といったのは事件発生からおよそ10時間後のことであった。

▲危機管理が徹底していなかった首相官邸(東京都千代田区)

■第三章
 政府の最高責任者として村山首相は何ができたのだろうか。予想し得ないような大規模な災害が起こってしまったことは仕様が無い。村山首相にできたのは建物の倒潰によって幸いにも命を失わなかったが、二次災害つまり火災に巻き込まれて亡くなった方1000名以上の方をできるだけ救うことであった。そのためには緊急対策本部を早急に設置し、マイカー避難の禁止、破壊消防、ヘリコプターからの消火剤散布など関係省庁を纏め上げ、トップダウン式で救助活動を行なうことができればより多くの人の命が救えたに違いない。
 では、村山首相に責任を問うことができるだろうか。村山首相には、迅速な対応ができなかった理由としては震災についての精確な情報が伝わっていない(当時の日本の危機管理体制の構造的欠陥)ということが挙げられる。精確な情報を受けていないのであれば有効な政治的決断なり行動を取り得ないのであるから、村山首相に責任を問うことはできないかもしれない。災害の状況が分らずして政治的な行動、つまり早期に自衛隊を出動させるといったことはをとることは非常に困難とリスクを伴う可能性が高い。情報を収集するためだけでも自衛隊を閣議を経ずに出動させることはみずからの政治生命を削りかねない。
 それでは救うことが可能であった1000名以上の方、彼らの生命が奪われたことには誰の責任でもないのであろうか。今回の件はシステムが予定していた災害のレベルを超えていたため、システム内でのリアクションが不当なものではなかったことを理由として、誰にも責任が無いのであろうか。私は村山首相に全面的ではないにしろ、部分責任があると考える。確かに危機管理システムの構造的欠陥があったことを認める。しかし、システムが予想した以上の事態が起こった場合に、システム内の規則を破ってでも国の組織力を緊急に動員する権力があったのは村山首相意外に誰も居なかったのである。情報がこないのであれば自らが指揮して情報を集めることができたのではないか。7時30分に総理秘書官から連絡があったとき、総理自ら積極的に情報収集を指揮することは容易ではなかったのか。災害の様子が分かるまでという条件付きで、17日の予定を全て保留し、事態に即応できる体制を整えておくことは可能だろう。
 村山首相への責任追及はできることをしなかったという「不作為」に求めることができる。しかしその不作為は「意図していない」「不作為」である。意図していない不作為をどう捉えれば良いのだろうか。1000名の方の生命が救えなかったことを「デメリット」として責任追及の方法もありえる。また、逆に、1000名の方の命が救えたかもしれないとして「メリットが発生しなかった」という責任追及の方法もありえる。後者は純粋な形での責任追及とは言えない。後者は言うなれば「現状を容認する」ニュアンスが強いからである。前者のみが「〜すべきであった」という視点から責任追及ができる。震災以上に緊急性が高く、1000名の方の生命以上に優先順位の高い政策を行なわなくてはならない場合のみ、後者の視点が用いられるのが普通であろう。阪神大震災を考えるならば、明らかにそれ以上の優先課題はなかったのであるから、前者の責任追及が適切である。
 以上をまとめると、村山首相は「意図していない」が「不作為」によってデメリットの責任を負うべきである。第一章で私は1、責任者(政策決定者)の責任を明確化することで決定に伴われる結果を十分斟酌せねばならない状況を作るため2、責任者に罰則を与えることで、次回に発生しうる問題発生を未然に防ぐため、というように責任者に責任を負わせなくてはならない理由を2つ述べた。阪神大震災の初動を考えるならば、1は当てはまらないが2の理由によって村山首相は責任を取らねばならないだろう。このことは同様にシステムにも当てはまる。2の理由によって危機管理システムは改善されねばならない。システムに責任能力があるはずもないのでシステムに罰則を課すことはできないが、国民の信頼を取り戻すためには誰の目にもわかる形で(トップの辞任、更迭等で)責任を負いつつ、2度と同じ失敗を繰り返さないようにせねばならない。
 失敗を繰り返さないための「責任」が課されなくてはならないのである。

波田野 雅幸(はたの・まさゆき) 大学生


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