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落選運動は政治を変えられるか
〜前向きな長期的展望こそ必要とされているのではないか〜

中島 健

■1、はじめに
 5月上旬、衆議院議員総選挙に向けて「落選運動」を行っている市民団体「主権者・市民連帯・波21(桜井善作代表)」(以下、「波21」と略称)が、「不適格議員」のトップ21位までのリスト(22名)を公表した(リストは下の通り)。そもそもこの「落選運動」は、民主化が進展しているお隣韓国の総選挙で実施された経緯があり、議員の当選・落選にある程度の影響を与えたことから、我が国でもはじまったものである。「波21」の ホームページ 上において桜井代表は、「支持する政党、投票したい候補者不在、変わりばえしない政治にすっかり嫌気がさして、選挙から遠ざかってしまった有権者がいまや主流。そこにつけこんでますます政治が私物化され、だから一層しらけてしまうの繰り返し。」として、この落選運動の目的を「国民の政治無意識の改善による政治の改革」に求めており、我が国におけるその意義を強調している。
 なるほど、確かに昨今の投票率低下にも如実に表れているように、国民の政治意識の低さは一つの政治問題ともなっている。投票率が下がれば下がるほど組織化された政党が優位に立つというのは、90年代の日本政治の由々しき病理であろう。しかし、それでは、こうした「落選運動」というものは、果たして我が国の政治が抱える問題を解決するのであろうか。

順位議員名・役職所属政党
竹下 登・元内閣総理大臣自由民主党
野中広務・前官房長官(自民党幹事長)自由民主党
亀井静香・元建設大臣(自民党政務調査会長)自由民主党
白川勝彦・元自治大臣自由民主党
森 義朗・内閣総理大臣自由民主党
中曽根康弘・元内閣総理大臣自由民主党
宮沢喜一・大蔵大臣(元内閣総理大臣)自由民主党
藤波孝生・元官房長官無所属
越智通雄・前金融再生委員会委員長自由民主党
10神崎武法・元郵政大臣(公明党代表)公明党
11原健三郎・元衆議院議長自由民主党
12小沢一郎(自由党党首)自由党
13中村喜四郎・元建設大臣無所属
14佐藤孝行・元総務庁長官自由民主党
15青木幹雄・官房長官(参議院)自由民主党
16鈴木宗男・元北海道沖縄開発庁長官自由民主党
17山崎 拓・元建設大臣自由民主党
18中山正暉・建設大臣自由民主党
19友部達夫・元年金党党首(参議院)無所属
 西村真悟・前防衛政務次官自由党
21橋本龍太郎・元内閣総理大臣自由民主党
 船田 元・元経済企画庁長官自由民主党

▲「主権者・市民連帯・波21」が「不適格」
として公表された国会議員
(敬称略)

■2、不適格基準は何か
 なるほど、たしかにこの「落選運動」は、90年代の我が国政治を席巻した「政治不信」という現象を解消する手段としては、ある程度の意義を見出しうるものである(但し、後述するように、それが我が国政治の諸問題を根本的に解決するとまではいえない)。よって、その手段・方法は、支持政党の如何に関わらず、あくまでこうした「不信感」を持っている全国民にとってそれを解消し得る公正・中立なものでなければならない。そこで、「不適格」とされる基準が、この運動の正当性を判断する上で重要なカギとなってくる。
 報道によると、この「落選運動」について自治省は、「特定の政党を応援するものでなければ公職選挙法に違反しない」という見解を示したという。だが、例え「特定の政党のみを応援」していなくとも、その内容が公正中立な運動を装って「特定の政党のみを批判」するものであれば、(公職選挙法上問題となるかどうかはともかく)妥当な「落選運動」とは呼べまい。昨今の「政治不信」は既存の政党に対する不信であるが、よくよく考えてみれば、自民党単独政権から細川連立政権、村山連立政権そして現在の森連立政権に至る過程で、日本共産党を除く全ての政党が一度は政権与党となる機会を経験しているのであり、政治不信の原因は与党(自民党等)のみに存在するわけでは決してないのであって、特定の政党のみを免責することは出来ないからである(更に、特定政党のみを批判することは、後述するように、事実上政策内容に対する好悪の表明になってしまう)。
 また、「不適格」とされる基準についても、個々の政治家や政党の政策の内容(実体的適格性)ではなくて、あくまで選挙活動における行動(プロセス)の適格性(形式的適格性)に求められなければならない(現に、この運動のお手本になった韓国における落選運動も、与野党の区別なく、主に選挙運動中の問題行動について適格性を指弾していた)(※注1)。というのも、政策内容まで含めて「実体的な適格性」を論じようとすると、結局のところは各人の党派性が表面化して、「落選運動」それ自体の意義を没却してしまうからである。例えば、現在の「自公保」連立政権を前提としてその政策評価まで含めて投票を受けつけたとすれば、自民党・公明党の支持者は共産党議員全員を「落選議員」に選ぶであろうし、逆に共産党支持者は自民党・自由党・保守党議員全員を「落選議員」に選ぶだけであろう。これでは、国民の政治に対する関心を喚起するどころではなく、単なる世論調査と変わらなくなってしまう。しかし、与野党の別に関わらず、選挙法違反の運動を行った議員(あるいは候補者)については、支持政党の如何に関わらず同じ基準を以ってこれを批判・糾弾することが出来る。つまり、政治信条の如何に関わらず、「民主的選挙」(その内容は、国会審議を経て成立している現行の公職選挙法を一応の基準とすべきであろう)という一つの共通した「法的分析枠組」の下ではじめて公正な「落選運動」が可能なのであり(これぞ、正しく「法の下の平等」である)、なればこそ、こうした運動に対する国民的支持も獲得することが出来るのである。その意味では、この運動に求められているのは、極めて法的な思考方法であると言うことが出来よう。なお、「選挙活動の適格性」に加えて「任期中における仕事ぶり」を評価の対象に加えるというアイデアもあるが、所属政党(与野党)や年齢によってありうべき政治活動のあり方は様々であり、一概に評価することは出来ない(※注2)
 なお、こうした立場、即ち、「この種の運動はいかなる政治信条を持つものにとっても合意できる妥当性・形式的平等性を持つところに、意義がある」という立場(仮に、これを「形式主義」と名付ける)に対して、現代社会の高度に組織化された政治システムの中で、各種の中間団体(例えば、経済団体、労働組合等の業界・圧力団体)が個人の意思の反映を妨げて不適当な政治家の当選に寄与しているという現実を踏まえ、形式的妥当性よりも、連帯した個人の政治運動として、組織化された社会における民意の反映の実現を重視するという立場(「実質主義」)がある。「実質主義」によれば、その目的はあくまで各種団体を通さないストレートな民意の反映であり、その限りにおいて、判断基準は具体的政策の当否にまで及ぶし、結果として与党政治家のみが上位にランキングされてもやむを得ないとする立場をとる(※注3)。だが、本小論で述べているように、現代の日本政治における課題と落選運動の意義を考えるとき、「実質主義」では結局一種の「人気(不人気)投票」で終わってしまう可能性が高いのであり、仮に「実質主義」を採用するのであれば、我が国における意義を見出すことは難しいだろう。

※注釈
注1:
その意味では、落選運動は「法的な議論」であるべきあって「好悪の表明」たる「政治的論議」ではないと言えよう。なお、韓国の落選運動では、基準の選定にかなりの時間を費やしたと聞く。
注2:例えば、「精勤度」を図る基準として「質問回数」や「議員立法提案数」を挙げる場合があるが、全く妥当ではない。国会における「質問」(質疑)は、基本的に回数自体は各院内会派で一律1回ずつであり(質問者はその会派を代表して質問に立つ)、ただ政党の議席数に比例して質問時間が長短するというシステムになっている(無論、政府に対して個別に質問趣意書を提出することは可能だが)。すると、必然的に議員の数が多い大政党ほど質問に立つ機会は減少し、逆に小政党の議員ほど(短い質問時間とはいえ)機会にだけは多く恵まれる(現に、質問回数の多さで知られる保坂展人代議士は、社会民主党の所属である)のであって、この基準で行くと議員本人の精勤度とは無関係に大政党所属議員が一方的不利になってしまうのである。「議員立法」についても、野党側は党として決定した法案は全て「議員立法」の形をとって提案されるが、「議院内閣制」の下行政府との関係が近接している(アメリカの如き厳格な三権分立制度であれば政府提出法案は許されない)与党側はそうした法案は「政府提出法案」として提案されるのであって(一部、議員立法もあるが)、同列に扱うのは不当である。
注3:野党支持者の累積投票によって、全野党支持者は与党政治家をターゲットに投票するのに対して、与党支持者は各野党それぞれの党首や有名政治家に投票するからである。もっとも、そもそも「波21」のような運動に与党支持者がどれだけ参加しているかも疑わしいし、また与党支持者が結束して野党第一党党首を「不適格」だと投票すれば、この前提は覆る。

■3、今回の落選運動の問題点
 そこで、以上のようなことを前提とした上で、今回の「波21」による落選運動を点検してみると、以下のような問題点を指摘することが出来よう。
 まず第一に問題なのは、「波21」の落選運動のそもそも問題意識が、政策の具体的内容に端を発している点である。「波21」のサイトにおいて代表の桜井氏は、「民意とはおよそかけ離れた小渕・自自公政権、その後継の森・自公政権による憲法体制の破壊は目を覆うばかり。例えば周辺事態法、通信傍受法=盗聴法、国歌・国旗法の強行成立。財政破綻の深刻化とともに失業率も悪化の一途をたどっている。四月一日からは介護保険がスタートした。これは、憲法第二十五条—国民の生存権、国の社会保障義務に違反するものだ。」として、この運動の問題意識を述べているが、この内容は正に具体的政策そのものである。例えば、桜井氏の挙げている「周辺事態法、通信傍受法=盗聴法、国旗・国歌法」については、様々な政治的見解が存在することは私も承知しており、ものによっては、現在の法がそのまま100%妥当なものだとは考えていない。しかし、これらの法案に如何なる見解を持とうとも、これらの法案が国会での議決を経て成立したものであることは明かであり、その手続自体に大幅な瑕疵があったとは到底言えまい。「現在の民意を反映していない」という反論もあるかもしれないが、政治家の任期は憲法で保障されたものであり、この任期(4年あるいは6年。但し衆議院は解散あり)中は政治家は全国民を代表する立場を委任された形で立法活動を行うのであって、選挙区や時々刻々の民意に正確に対応する義務は負わないはずである(後述するように、むしろそうした刹那的な民意追随こそが日本政治の最大の問題点のはずである)。桜井氏は「憲法体制の破壊は目を覆うばかり」と主張しているが、これまでの小渕・森連立政権は、正に憲法に基づいた政治システムによって政権を獲得しているのであって、政権獲得後非常事態法を布告して言論統制を行ったわけでもなければ選挙制度を根本的に歪めたわけでもない(衆議院の比例区削減や小選挙区制度が非民主的だという主張もあるだろうが、小選挙区制度は単に大政党に有理だというだけで、当選には民意の調達が必要であることには変わりは無い)。現政権がどれだけ民主的かは、与党が選挙対策に向けて活発な動きを繰り広げていることからも(逆説的に)明かではないだろうか(憲法体制を否定して強権的な政権掌握を企図しているのであれば、何も選挙に怯える必要は無いはずである)。以上より、「波21」の落選運動は、その問題意識自体からして不当に偏向している、と言わざるを得まい(※注1)
 次に問題なのが、そうした具体的政策内容に対する問題意識が、落選議員の評価基準にまで及んでいる点である。「波21」が決定した「落選議員を選ぶ参考基準」は注2の表の通りであるが、大区分1の「基本的失格者」については、(「議会活動怠慢」を除いて:理由は上述の通り)概ね賛同し得る基準であるものの、2の「いのちと暮らしを脅かすもの」は明かに政策内容を扱っており、これを到底妥当な基準であるとは認めがたい。また、同じく「波21」が実際の審査基準として用いたのが注3の表であるが、「政治の私物化」「金権体質」「不適格」「一審有罪」はともかく、「反憲法的行動」「政治姿勢変節」は明かに具体的な政策内容に対する評価を意図しており、(「参考基準」よりはマシなものの)やはり基準として妥当性を欠く。例えば、政府の安保政策を「反憲法的行動」と評価するのは、政府が一応法解釈(自衛力合憲説)に立って(しかも、裁判所もそうした政治の決定を事実上追認して)政策を実施している以上(そして、それ故集団的自衛権や一部の軍備を保有できないという規制もかかっていることを考えれば)、おかしなことである(真正面から「憲法は守らなくていいんです」といって自衛隊を整備していたら問題だが)。リストでは自民党議員ばかり名前が挙がっているが、例えば現在でもマルクス・レーニン主義(科学的社会主義)を綱領で主張している日本共産党は、マルクス主義から論理的に帰結される「武力革命」路線を完全に捨てたわけではなく、又「プロレタリアート独裁(現在の共産党用語では「プロレタリアート執権」)」」「民主集中制」を放棄していない以上、「反憲法的行動」の最上位に来てもおかしくないのではないだろうか。国会内において、「牛歩戦術」「フィルバスター戦術」あるいは「欠席戦術」と称して議事を妨害する行為も、「反憲法的」であろう。「政治的変節」で言えば、まずもって「自衛隊合憲」を唱えた現社会民主党、現民主党の旧社会党系議員もまた同罪である。また、その他の基準に関しても、具体的な基準が曖昧であり、ために政治的な好悪から判断される可能性が多いに残っているものばかりである(「業界癒着」や「族議員」ということであれば、野党の中にも「労働組合湯癒着」と評されておかしくない政党はいくらでもあろう。「世襲」「高齢」とて、必ずしも一概に否定されるわけではあるまい)。しかも、「政治の私物化」で評価されたマイナス点が「不適格」の「公使混同」でもう一度マイナス評価されたりと、基準の作り方自体にも問題がある。
 そもそも、「憲法を基準とする」と言っても、国政の基本的枠組みを決定している憲法の規定は極めて抽象的であり、様々な解釈が可能なのであって、結局投票者の解釈によって具体的政策判断や党派的好悪が如何様にも混入される危険性がある(※注4)。例えば、憲法第9条をどう理解するのかについては、8〜9もの学説があり、そのどれをとっても必ずしも「9条違反」とは言えないが、実際には自身が信ずる学説を以って正当とし、他説を主張する議員を「不適格」として投票することはままあるだろう。この時、表面的には選考基準が抽象的だとしても、それに妥当するかどうか(事実認定及びその当てはめ)を判断する際の「法の解釈」に、明かに具体的政治的判断が加わるのであって、故に憲法は手続部分を除けば基準たり得ないのである(「民主主義」にしても同様で、牛歩戦術反対論はともかく、「民意を反映していない」等として不適格の判断を下す人というのは、大概自身の見解と民意とを摩り替えて考えている場合が多いだろう)。以上見てきたように、結局は憲法の理念といえども、具体的・政治的内実に関わる以上基準足り得ないのであり、左右で合意して基準として使ったとしても、結局は党派的な解釈基準を各自で採用して投票する「予備選挙」「人気投票」以上のものにはなり得ないということが出来るのである。
 以上の問題点から明かなように、「波21」の決めた基準による「落選運動」は、結局のところ党派性を強く反映してしまうものであると言うことが出来よう(事実、公表された22人の議員の内、ほとんど全員が自民党もしくは元自民党議員であったことは、この運動の党派性を率直に物語っているといえよう)。
 なお、例え「波21」が「実質主義」によって運動を展開しているとしたとしても、それは「波21」の設定した基準をただちに正当化しない。何故ならば、例えこの落選運動を具体的な政治運動として実施するにしても、第三者に対する説得性の確保という観点からは、なお様々な配慮が必要なのであり、そうした配慮が「波21」には欠けているからである。例えば、現在、「波21」は全体の投票結果だけを公表しているが、これを支持政党別結果と併せて公表すれば(そうすることで、与党支持者が選択した不適格議員と野党支持者のそれとが判明して、上位に与党関係者のみがリストアップされることの弊害をある程度解消できる)、説得性を多いに増すと思われる。また、他の落選運動で行われているように、「不適格」と判断された議員からの反論・疏明も併せて掲載することで、「実質主義」の中での公平性を増すことが出来たのではないだろうか。

※注釈
注1:
私がここで「波21」の落選運動を「落選運動として不当、偏向」と指摘するのは、「波21」の問題意識が野党的だからではない。仮に、保守の立場から同様の運動が沸きおこり、民主党や社会民主党、日本共産党の議員を「不適格議員」だと指弾する運動が発生したとすれば、私はこれも又「(落選運動としては)偏向した不当なものだ」と指摘するであろう。元より、政策論として政権党や野党を批判するのは自由であり、与党批判のための運動は肯定できるが、それを「落選運動」と称して公正・中立を装って行うのは詐欺的である。
注2:「波21」が決定した落選議員(候補)を選ぶ参考基準

大区分内 容
1、基本的失格者汚職・脱税行為の前歴
選挙違反の前科
議会活動怠慢(出席率、質問回数、議員立法提案度)
 2、いのちと暮らしを 
脅かすもの
平和に対する(軍国化、他国蔑視)
人権に対する(差別、弾圧)
環境に対する(公害、開発優先、土、水、大気、ゴミ)
福祉に対する敵対発言及び政策を推進するもの
 (弱者切り捨て、差別)
歴史を歪曲し民主教育を破壊しようとするもの
 (戦争責任、戦後補償、強制連行、軍隊慰安婦、皇民化教育)

注3:「波21」が決定した落選認定基準の内容

重要度×2×2×2×1×1×1
基 準政治の私物化 金権体質 反憲法的行動政治姿勢変節 不適格  一審有罪 
世 襲業界癒着反平和公約違反政策の失敗 
密室談合族議員反人権 高 齢 
職権乱用多額の
政治献金
反民主主義 病気
(登院不可能)
 
情報遮断
操作
地域への
利益誘導
反福祉 不熱心
(委員会欠席)
 
    便宜供与 
    能力不足
(立法発議なし)
 
    公私混同 
    品位に欠ける 

注4:恐らく、韓国の落選運動では、未だに軍事政権時代の政治家や軍事政権時代に影響力を持った政治家が多く残っていたために、「反憲法的行動」という基準もある程度一義的に理解され、わかりやすかったのではないだろうか。

■4、落選運動の意義はあるか
 ところで、そもそもこの「落選運動」は、例えそれが政治的に公正・中立な形で実施されたとしても、日本の政治状況を改善する手段としてはなお問題が多いと言わなければなるまい。というのも、現在の我が国政治の最大の問題点は、金権政治や利益誘導といった現象面ではなく、その背後にある国民(あるいは政治家)の視点の問題にこそ存在するからである。
 即ち、我が国政治の問題点の第一として、その短期的なリアリズムと長期的視点の欠如がある。例えば、ある公共事業をするかどうかという政策決定は、短期的な経済効果という観点ではなく、あくまでも国土の整備という長期的・広域的な観点からこそ行われるべきことである。民主党などが提唱している「時のアセスメント」も、そうした長期的展望を持たせるための一つの具体的な改革案であろう。しかし、現実の日本政治においては、まずもって現在の経済的価値、あるいは現在の現実的利得あるいは政治的満足こそが最優先され、結果として、長期的にはむしろ損害を出すようなことが行われている。PKO協力法に対する拒否反応、国際貢献に対する後ろ向きの態度による国際的信頼の失墜、あるいは累積した赤字国際は、正にこうした「短期的・刹那的リアリズム」の弊害の象徴ではないだろうか(※注1)
 更に、第2の問題点として、第1の問題点の結果、「自己の立場を相対化できない」という弊害がある(※注2)。相対化できなければ抽象的な存在としての「法」を認識することが出来ず(せいぜい、制度を定める法や強制する法が残るに過ぎないだろう)、結果として「法の支配」あるいは「憲政」をやっていくこともままならない。そして、そうした状況を改善するためには、いかなる政治信条を持つものにとっても合意できる「妥当性・形式的平等性」を持たせる必要があるが、そうした運動はこの弊害をドラスティックに解決するかどうかは予断を許さない。
 こうした中で、専ら嫌いな議員を排除することで政治を改革していこうとする「落選運動」は、基本的には極めて「後向きの政治運動」であり、落選させた議員にかわって新たな価値や長期的展望を提示することをしない(あるいは、しなくてすむ)。それ故、一面では、そうした運動のやりやすさが国民の参加を容易にするといった側面もあるが、基本的には上記のような政治の問題点を解決する糸口とはならない。つまり、この運動は本質的に、ちょうど五十五年体制下の社会党が批判のみ繰り返す万年野党に堕落していたように、国民に戦略的思考や長期的視野を奪うという効用があるのである。これでは、落選運動のみを以ってしては、現在の政治の問題点を一層解決困難にこそすれ、解決することは一生不可能なのではないだろうか。
 こうした問題点を解決するには、「金権政治」や「選挙制度」といった既存の政治システムにその原因を転嫁することなく、あくまで国民自身にこそ責任がある(それが、国民主権ということの本質である)ということを強く訴えて行く必要があろう。

※注釈
注1:
よく「外交・防衛は票にならない」といわれるが、自分達の生活環境に一見何等の影響も無い外交・国防に関心が無いというのは、正に短期的(あるいは視野狭窄的)リアリズムの典型例である。
注2:無論、だからといって、虚無的な相対主義に陥ってはならないが。

■5、おわりに
 「法治主義」あるいは「法の支配」、「民主政治」の根幹は、手続に至る過程で十分な討議を為すと共に、一旦平等な手続に従って決定された事項には、賛成であろうと反対であろうと従うというところにある。それは決して容易なことでもないし、気持ちのいいことでもないだけに、ともすれば人は「反民主的だ」という名の下に、自らの不服従を正当化しがちである。しかし、内容の妥当性に批判を加えるならともかく、自己の政治的信条に合致しない法案が可決されると「強行採決だ」「憲政が死んだ」等とその形式的不備を唱えるのは、民主制の形式を自己の政治信条のために歪曲する、極めて不誠実(あるいは非民主的)な態度である。
 今、我が国の政治に求められているのは、こうした健全な政治的態度と、未来に向けた長期的展望ではないだろうか。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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