このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

企業は如何にあるべきか
〜就職活動を通じて〜

小林 祐樹

■1、はじめに
 2月中旬から4月いっぱいまで約2ヵ月半、就職活動を行った。相変わらず状況は厳しいと言われたが、無事に進路も決まり、まずは一段落といったところである。
 わずか2ヵ月半とは言えども、多くの企業と接点を持つことのできた貴重な機会となったが、一方で企業の考え方や態度に疑問を持つことも多々あった。企業は現代社会を支え、かつ時代を反映するものでもあることから考えると、企業理念や経営方針は社会全般の風潮を少なからず反映していると思われる。今回、企業の姿勢に対して感じた主な2つの疑問点を、社会全般の風潮とおりまぜながら述べていきたいと思う。

■2、疑問その1:安易な「変革」ブーム
 「変革とチャレンジ」。この言葉は、これからの時代のキーワードのように捉えられているようで、企業の説明会へ出向くと、今後の経営方針の柱として、各企業ともこのような言葉を並べていることが多い。
 ところで日本の1990年代は「失われた10年」と表現されることがある。もともとは、内戦と債務危機下にあった1980年代の中南米のことを形容した言葉だが、それをバブル崩壊による不況に苦しんだ1990年代の日本に適用したものである。「変革とチャレンジの時代」という言葉の背景には、この「失われた10年」を取り返さんばかりに、これまでの社会を大胆に変革し、そのためのチャレンジ精神が必要と躍起になっているのがうかがえる。
 しかし、私はこういった言葉をこれからの時代のキーワード、つまり一種の流行語のように使われていることに危機感を覚える。つまり「変革」という言葉が、「失われた10年」の苦しみを忘れ去るために、ただやみくもに叫ばれているという印象を受けるのである。バブル時代、株や不動産に手を出せば金がもうかるといって、先のことを考えず投機ブームが起こったのと同様に、とりあえず「変革」という言葉を掲げれば、何とかなるのではないかという、安易な「変革」ブームが起きているような気がするのである。
 「今後の変革の時代を支えるのは、君たちのような若い人々のチャレンジ精神です。」
 こういった言葉の羅列は、最も聞きたくないパターンである。「変革の時代」とひとくくりにしており、その企業にとって何を「変革」していくのかが全くわからない。また同時に「チャレンジ精神=若い人々」的考えも好ましくないと思う。これは企業だけの問題ではなく、日本社会全体が何か若い世代に期待を持ちすぎている風潮があるのではないか。もちろん若い世代は将来を担うわけだから期待されて当然だが、「若い世代には絶対に負けない」という気持ちを持っている年輩の人々がいてこそ、若い世代が育つのではないか。それに加えて、若い世代が年輩の世代からできるだけ多くのことを学び取ろうとする姿勢を持つこととが相乗効果となり、社会の発展に寄与すると思われる。企業の場合も全く同様なのではないかと思われる。
 現在、それまでの時代では考えられなかった「変革」や「チャレンジ」を可能にした人が表舞台に上がってくる時代ではあると思う。しかし、過去を忘れ去るための変革であってはいけない。華やかな表舞台は、地道な裏方によって支えられており、その地道な裏方こそ、何を「変革」し、何を変えないのかをよく考え直すことではないか。

■3、疑問その2:人を育てる場としての意識が欠如
 業績の悪化に伴い、採用を見送っている企業が多い。また、採用を行うにしても、研修の余裕がないことから、新卒ではなく即戦力となる既卒者を対象としているところも見られる。その正反対の場合もある。大量に採用しておいて、後になって仕事についてこれない人間は、やめて結構ですという、いわゆる使い捨て型である。
 企業の第一の目的は利潤の追求であるから、こういった採用方法でも、企業の存続のためならやむを得ないのかもしれない。しかし、企業は利潤の追求のみでなく、同時に人を育て、社会の最高の財産としていく役割も担ってきたはずだ。人はなぜ、働くのか。それは一個人として経済的独立を果たさなければならないという理由もあるが、それとともに、自分が働くことで他人の役に立っている、他人から必要とされているという喜びを通じて、自分の存在価値を実感できる機会であるためであろう。そういった機会を提供し、一個人を社会にとって有益な人間としていく大切な役割を持っているのが、まさに企業であると思う。それを考えたとき、即戦力志向一辺倒や使い捨て型採用のままで、企業の役割を果たしきれているのか、甚だ疑問である。仕事につかない、あるいはつけない人間(特に若者)が増えるということは、社会における自分の存在価値というものを見出す機会が減ることになり、経済的にだけでなく、精神的にも不安定な生活となり、社会不安につながるであろう。
 1998年、権藤監督が率いる横浜ベイスターズが日本一に輝いた。この時、権藤監督は、選手の活躍ぶりに対して、「選手たちが自主的に活躍してくれるので、監督やコーチが不要なのではという気さえする。」と述べた。これに対し、ID野球で知られる阪神タイガースの野村監督は、「都合よく人間を使っているだけで、人づくりをしないチームはいつかは滅びる。それは一チームに限ったことではなく、野球界全体に影響を与えていく。」と警鐘を鳴らしたのである。
 いまだ、阪神での野村ID野球は花開いていないが、彼の考えは社会にも通用するのではないか。「都合の良いように人間を使ってばかりいて、人づくりをしない社会はいつかは滅びる。」このように、社会を繁栄させていくには、その最高の財産である「人」を育てていくことが何よりも重要であり、企業はその役目を負っている大切な一員であるということをもっと意識してもらいたいと思う。そして、それ相応の採用のあり方を考えてもらいたいものである。

■4、おわりに
 以上、就職活動を通じて企業に対して感じた自分の考えを述べてきたが、自分自身も来年から、一企業人の仲間入りをする予定であるので、これは自分自身へのメッセージのつもりでもある。企業の中に入れば、今まで外部からは垣間見ることのできなかったことを数多く知ることになるのであろうが、これまでに述べてきた「企業はかくあるべき」という初心を忘れず、社会に貢献していきたいと思っている。

小林 祐樹(こばやし・ゆうき) 大学生


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