このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

学歴の意義を見直そう
〜ゆとり教育が叫ばれる中で〜

小林 祐樹

 少年による凶悪犯罪や引きこもりなどの問題を受けて、近年の教育では、ゆとり、心のケア、個性尊重などが重視されるようになってきている。そして学習の束縛から少しでも子供達を解放しようと、学習量は減らされていく傾向にあり、そうすることで子供達が精神的なゆとり、あるいは精神的な強さを持つようにしていこうとしている。
 では、各人に求められる精神的な強さとはどういったものなのであろうか。凶悪犯罪や引きこもりの背景には、理想と現実の自分との間のギャップに苦しみ、そのことが我慢ができず、犯罪に結びついてしまうケースがよく見られる。このことから鑑みて、求められる精神的な強さとは、自分自身を冷静に見つめ、信頼し、その上で自分の行動や感情を抑制することができる能力なのではないかと考えられる。
 しかし、このような精神的な強さを持たせようとした時、近年のゆとり一辺倒の教育では、大切な視点が抜けてしまっている気がする。それは、学問やスポーツ、芸術などに触れる中で、自分の得意分野を伸ばし、他人から評価を受けたり、他人から認められることの重要性を子供達に教えていくという視点である。他人から評価を受けることで、自分の能力や存在意義というものを客観的に捉えることができ、それが先に述べた精神的な強さ、すなわち自分自身を冷静に見つめ、信頼し、行動・感情を抑制していく能力につながるのではないかと考えられる。したがって、教育の中で精神的なゆとりばかりを強調せず、大切なのは学ぶ中で自分の得意分野を伸ばし、他人から認められたり、評価を受けていかなければならない、そしてこれをもとに自身の精神的強みにしていかなければならないという姿勢をもっと子供達に持たせるべきなのではないだろうか。

▲政府は「ゆとり教育」を推進している
(写真は東京都千代田区の文部省庁舎)

 学業、スポーツ、芸術など様々な分野で能力を伸ばすことが可能であるが、その中でも、特に学業は、義務教育をはじめ皆に等しく接する機会が与えられている最たるものと言ってよい。しかしながら、右肩上がりの経済成長の終焉、長引く不況などにより、高学歴を持ち、一流企業に就職したとしても、必ずしも安泰で幸せな生き方ができるとは保証できなくなったことが、学歴に対する不信を子供達に生んでいる。大人にしても、学歴が子供の幸せな生活を保障するかどうかわからず、教育の過程での悩みとなっている。
 私事で恐縮であるが、個人指導塾でアルバイトをやっていると、「何でこんな勉強をしなくちゃいけないのか。こんなこと知らなくたって生きていける。」という月並みの質問を生徒から受けることがある。学歴が人生の成功を保証しなくなってきていることを敏感に感じ取った疑問であると思われる。しかしだからといって、こういった疑問を抱かせたまま、学習に対する意欲を無くさせるわけにはいかない。そこには、学習に対するゆとりなのではなく、むしろ学歴を積極的に積んでいこうとするインセンティヴが必要なのである。そのインセンティヴこそが、与えられた学習環境の中で学歴を積み、他人から認められたり評価を受けたりすることで、自分自身の精神的な強みにしていく努力が大切だという姿勢を子供達にもっと持たせることではないだろうか。

 学歴社会は、受験戦争などを生み、それこそ子供達からゆとりを無くし、精神的負担になったというマイナス面も確かにある。しかしだからといって、ゆとり一辺倒で精神的な強みが生まれるとは到底思えない。人は、他人から評価を受けている、認められているという客観的評価によって、精神的な強さを持つのではないか。少年問題が取り上げられることが多くなっている時だからこそ、学歴というものをその有効な手段の一つとしてみなし、学歴に対する不信感を払拭していく必要があることを最後に強調したいと思う。

小林 祐樹(こばやし・ゆうき) 大学生


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