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映画「ホワイトアウト」を見る
〜アクション邦画の中途半端さ〜

中島 健

 若松節朗監督、織田祐ニ主演の映画「ホワイトアウト」を観覧した。
 真保裕一の同名原作を元にしたこの映画は、新潟県にある「北日本電力」の「奥遠和ダム」(架空)を、宇津木雅彦(佐藤浩市)に率いられた武装テロ集団「赤い月」が襲撃し、運転員とダム下流の住民を人質に50億円を要求するというストーリーで、一人難を逃れた主人公の富樫輝男(織田祐ニ)が独力で反撃しテロリスト達を追い詰めて行く。富樫は、かつて遭難救助中にホワイトアウト現象(猛吹雪で視界を奪われる現象)のため失った友人・吉岡和志(石黒 賢)との約束、即ち吉岡の許婚で人質になっている平川千晶(松嶋菜々子)を助けるために、一旦奥遠和ダムから脱出した後、また単身ダムへと戻っていく・・・
 主演の織田祐ニのテレビドラマ「踊る大捜査線」での活躍ぶりやスケールの大きさから、アクション邦画としては前評判が高かっただけに、期待に胸を躍らせて映画館へと足を運んだが、結果は期待外れに終わってしまった。
 まず感じられたのが、各登場人物の「中途半端さ」であった。例えば、この物語では主人公・富樫の「約束を守る」ための行動が映画全体の主題になっているが、それが全く共感出来ない。つまり、友人・吉岡の遭難と別離を描いた映画前半部分だけでは、彼の「友情」や「男気」を感じるに足るほど感情移入が出来ないのである。彼と吉岡とは、一体どのような人間関係だったのだろうか?単なる「職場の同僚」か、それともそれ以上の「親友」なのか?「親友」ならば、それはどのようにして育まれてきた友情なのか?しかし、実際に描かれている部分では二人の関係は「職場の同僚」程度であって、これでは何故富樫が体を張ってでもテロリストと戦おうと決意したのか、彼のパトスは何によって燃え上がったのかが一向わからないのである。結局、本作では、製作者側の意図とは裏腹に、「約束を守る」というメッセージが極めて軽薄・偽善的な形でしか見えてこなかったように思う。
 それに、よくよく考えてみれば、テロ集団「赤い月」の動機も「不純」である。設定によれば、この「赤い月」は「世界同時革命」を引き起こそうとしていたということで、一応、極左過激派の一種であると推測される。だが、その主目的は「身代金50億円と国外逃亡」であり、日本赤軍がそうしたように仲間の釈放を求めたりなどしていない(下級メンバーの数人は、それを目的に参加していたらしいが・・・)。恐らく、(物語最後でリーダー・宇津木自身が少しだけそれらしきことを語っていたように)彼らは冷戦終結で「共産主義」の理想を失い、単なる強盗集団に堕落していたのであろうが、それにしてもメンバー個々人に、ある種の強烈なイデオロギー性、テロリズムのプロとしての「やる気」を全然感じない(例えば、ダム会社を「人民の敵たる独占資本」と呼んでみるとか、ダム運転員を「資本家の犬」と罵ってみたり・・・)のである(これは、後述するようにテロリスト達の容貌もも影響しているものと思われる)。「プロ意識」が無いのは警察側も同様で、事件解決に一定の役割を果たす所轄の警察署長も、あまりにも「アマチュア公務員」の印象が強かった。
 「中途半端」といえば、製作者側がウリの一つにしていたアクションシーンも又、中途半端であった。テレビ取材を装ってダムに侵入したまではよかったが、その後のテロリスト側の行動は、遮蔽物を利用して進撃したりするわけでもなく、ひたすらAK-47自動小銃に頼るばかりで、運転員一人始末できない。まあ、小学生まで拳銃を持っているアメリカとは違って、銃はおろか日本刀すらも綺麗さっぱり規制されている我が国では、テロリストといえども武器の操作方法に疎い「アマチュアの兵隊」なのかもしれない。だが、その割にはその他の装備(UH-1輸送ヘリ、MINIMI軽機関銃、リモコン爆弾、催涙ガス、個人装備等)はプロ並に豪華だし、主犯格の宇津木も格好よすぎである。しかも、彼ら「赤い月」のメンバーの多くは、ロンゲや金髪も混ざったビジュアル系集団で、とても凶悪犯罪者の顔には見えない。持っている自動小銃も、「殺しの道具」即ち商売道具として持っているというより、ファッションとして小脇に抱えているといった風情。そうかと思えば、主人公・富樫はシュワルツネッガーやジャン・クロード・ヴァン・ダムばりの肉弾戦を演じるわけでもなく、さりとて銃撃戦以外で「運転員」としての知識を利用しているわけでもない(利用している部分もあるにはあったが)。第一、設定上「自衛隊や警察は猛吹雪のためダムには接近できない」ことになっていたが、北海道駐留の陸上自衛隊レンジャー部隊には必ずしも不可能ではあるまい。結局、登場人物の中で一番「人間味」があったのは、恐らくはテロ集団の内部撹乱を狙ってワザと「赤い月」のメンバーになった岩崎吉光(平田 満)であろう。
 それに、全体として、登場人物に「ゲリラ戦をしている」という緊迫感がまるで無い。例えば、本作のヒロインである平川千晶は、映画中はほとんど意味のある行動をしていない(わずかに、自動小銃を発射してテロリストを射殺したシーンだけが見所であった)し、24時間以上の軟禁生活、それも狂信的テロリスト達に取り囲まれ常に命の恐怖を味いながらの生活を経たあとの「疲れ」が、全く見えないのである。現に、軟禁2日目の朝、テロリスト達が仲間割れしはじめたときの彼女の容貌は事件発生時のままで、化粧や髪の毛も乱れておらず(落ちやすいマスカラや睫毛もそのままであった)、徹頭徹尾、女優・松嶋菜々子のまんまであった。テロ隊長・宇津木の行動も不可解で、何故部下を裏切る必要があったのか、何故最後のところで主人公・富樫なぞに構わずにサッサとヘリで逃亡しなかったのか(宇津木が深追いしたために、彼の乗ったヘリは富樫が弄した策によって墜落してしまった)、何故電話線を切断したのか(携帯電話がこれだけ普及すると無意味だろうし、第一、はじめに連絡トンネルを爆破した以上、外部と交信されても何も問題はなかったはずである)、何故ダム襲撃のために態々あれけの武装を準備したのか(原発を襲撃するならともかく、警戒手薄なダムならば、大量の武器を調達してそこから足がつくより、暴力団からでも拳銃を調達して襲撃すればよかったのではないか)・・・やはり宇津木といえども、結局は「戦争」を体験したことの無い、戦後生まれのアマチュア極左テロリストだったのであろう。
 本作では、自動小銃のモデルに仕掛けを施して薬莢が出るようにしたり、爆弾を用意したりする等して、戦闘シーンをよりリアルに描こうとしたという。しかし、陸上自衛隊の前面協力を仰いだ「ガメラ」が結局「自衛隊ムービー」になってしまったように、アクション映画においては、武器の精巧さは物語を面白くする必要条件であっても十分条件ではない。登場人物の価値観、実際の人間行動、世界観の設定といった「ソフトウェア面のリアリズム」があって、はじめて「面白み」が出てくるのである。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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