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三軒茶屋
先月15日に始まった今世紀最後のスポーツの祭典、第27回夏季オリンピック・シドニー大会の開会式は、素晴らしい演出だった。夕方にはじまった開会式は、夜の闇と光を上手く使い分けて演出しており、素直に、気負うことなく、「祭典」を祝うムードを上手く表現したと思う。上空から見た「スタジアム・オーストラリア」も照明が美しく、観客が写真をとるときのストロボと、手に持ったペンライトが星空の如き光芒を見せていた。また、聖火の最終点火者には、先住民族アボリジニー出身の女子陸上400メートル選手キャシー・フリーマン選手で、水の中に点火すると、聖火を灯した大きな燭台がスタジアムの上にまでせりあがるという凝った演出だった。
それに引き換え、なんともガッカリさせられたのが、入場行進での日本選手団の衣装だった。一行は、全員がレインボーカラーのマントをまとい出てきたのだが、既に16日には「どうしてあんなデザインにしたのか」「日本選手団ということがわからない」といった批判が日本オリンピック委員会に寄せられたという。委員会側では、「環境をテーマにした五輪大会の理念に合わせて作った」等と釈明したというが、そもそもスポーツの祭典である五輪大会に「環境」とか「平和」といった余計な政治的スローガンを吹きこむこと自体(後述するように)疑問なことで、それも五輪主催国であるオーストラリア選手団がやるならともかく、日本選手団がやる必要は無かったはずである。他国選手団を見てみれば、国旗の色彩をアレンジしたもの、国旗とは別の国民的カラーを使用したもの様々だったが、いずれも明るい色彩の中にスポーツ選手としての「堅実な落ち着き」「機能性」を持っており、ただハデなだけで軽薄な日本選手団のそれとは一線を画している。今回、はじめて南北統一入場行進を果たした南北朝鮮の選手団のユニフォームのほうが、余程落ち着いたスポーツ選手団らしいものであった。選手団の入場行進は、仮装大賞などではない。
そういえば、1998年の長野オリンピックの開会式の演出も、シドニー五輪と比べればだいぶ「つまらない」ものだったように思う。そもそも長野五輪の場合は、開会式を真っ昼間にやったことからして大問題(夜であれば、光と闇を使って演出が可能になるが、昼間ではそれが出来ない)であったし、「対人地雷の廃止」といったスポーツと無関係の政治的スローガンを強調しすぎて本来の演出を忘れ(シドニー大会では、開会式の聖火ランナーには長野大会のような「偽善さ」は無かった)、子供を多く出して偽善的な演出に終始し、場違いの「第九」を演奏して世界の失笑を買った。日本の伝統文化を世界に紹介しようと、地元のお祭を取り入れたのはとてもよかったが、その他の演出はまるでNHKの日曜昼の番組で、躍動感に欠けていたように記憶している。次に日本にオリンピックがやってくるのか不明だが、次回に期待したい。中島 健(なかじま・たけし) 大学生
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